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「ウディ・アレン VS ミア・ファロー」

U-NEXTで観たHBOドキュメンタリーシリーズ1つ目。

20歳の頃、NYに旅行に行った私と友人はうきうきしていた。「ウディにばったり会えないかな!」。「アニー・ホール」でアカデミー賞を受賞した夜も式場を欠席し、いつものようにクラリネットを演奏していたマイケルズ・パブに行こうかとも話し合っていた。壁にはウディのポストカードを貼っていたし、「ウディ・オン・アレン」というインタビュー集を読んで、崇拝と言っていい感情を持っていた。どんなに多く評価の高い作品を作っても、満足せずにすぐに次の映画を撮る創作意欲と、セレブっぽくない淡々とした態度が好きだった。そして女性の描き方が信頼できた(少なくとも1990年くらいまでの作品)。セックスアピールの強い女性より、知的で成熟した女性を描いていると思ったからだ。もちろん子供の虐待疑惑や、養女との結婚は知っていたけれど、メディアを通してニュースとして見聞きするだけで、不快だけれど本当かどうか分からない問題だ、くらいの印象だった。そんな自分でも、このドキュメンタリーを見て一気に奈落の底に落とされた。虐待疑惑が大きく報道された92年以降も、何も知らずに尊敬し続けていたことへのむずがゆい感情が湧きだしてくる。ここ15年くらいは新作は評判の良いものしか観てないし、昔の熱狂的な気持ちは消えているとはいえ、お気に入りの映画人だったことは否めない。でもこれを観たあとでは、もう新作は観ることはないし、昔の作品も同じ気持ちで観ることは不可能だと思う。

数多くの養子を育てているミア・ファローと事実婚を続けていたウディ・アレンが、ミアとの実子であるディランを異常なほど溺愛し、性的虐待を加えていたことがディランの証言で発覚した。警察は証拠が揃っていたので起訴したかったが、7歳の少女を証言台に立たせることがトラウマになると判断して起訴はしなかった。一方で、ウディがミアの養子のひとりだったスン=イーと関係を持ち、彼女がアレンの元へ去ったことで、ミアが復讐のために虐待疑惑をでっちあげていると攻撃材料に使った。この一連の事件の中で、一番ショッキングなのはウディがとったあらゆる行動だ。NYセレブの筆頭である彼は自分が持つ権力を十二分に悪用し、ミアへの脅しにも利用している。自分への疑惑を伏せるために役所にも手をまわしているし、周りの人間もそれに協力した。NY市にとって、映画を撮影して価値を高めてくれるウディは、NY市内で撮影することで市が金銭的に潤うという意味でも重要な人物だからだ。性的虐待はいわずもがなだけど、ウディもただの権力者の典型だったことは、まったく知らない事実だった。ただただ汚くて、あっけにとられるほどだ。

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ミアは、常に彼を恐れていたし、このドキュメンタリーが公開された後、彼が何をしてくるか、今でも怖いと話しているのが印象的。12年間愛してた人が、自分の子供に性的虐待をしていたことが、どれだけ彼女にとって信じられないことだったか、それを隠すためにあらゆる手段も辞さない男がどれだけ恐ろしいものかが伺い知れる。ミアにしろスン=イーにしろ、自分のコントロールが及ぶ存在だと判断した末の行動だったんだろうな、と想像する。虐待をする人間は、相手を見極める。ミアは踏ん張って戦ったが、スン=イーはどうだったんだろうか。ほかの養子たちと違って大きくなってから養女になった彼女は、おとなしく、男性経験がない内向的な女性だったという。

このドキュメンタリーではミアと、ウディとの実子であるディラン、ローナンの2人、当時家族ぐるみで付き合っていた人物など、ミアサイドの人間が証言している。気づいたのが、友人、ベビーシッター、家庭教師など、みんな女性ばかりだということ。出演や証言が必要な人物の中に男性がいたかどうか、断られたのかどうかはわからないが、男性の影がまったくないのも、ウディが好き放題に行動していた環境原因だったのかな、と思う。

親権を争うアレンvsファローの裁判が、正気を失った妻が夫による子供への虐待をでっちあげる、という例を広めたのも衝撃だった。母親がヒステリックであることのほうが、父親が虐待しているよりも「ありそうなこと」だと世間に認識されていて、これは今でも変わらないというのだ。いや、逆だろうとしか思えないけど、権力のある立場に男性が多い現状が変わらない限り、いや、半々になったとしても、女性の中にも長く植え付けられたイメージが変わるのは時間のかかることなのかもしれない。

ウディ・アレンは永らく業界のトップに君臨してきた。興行成績で大きな数字をたたき出すことはなくても、だ。あらゆる俳優が出演を熱望する監督として有名だし、実際に特に90年代以降は、数々のAランク俳優が主演している。これは、あの裁判以降、米国内で出資者を見つけることが難しくなり、ヨーロッパで製作していることも関係しているだろう。トップの俳優を出演させないと製作ができないという事情かもしれない。このドキュメンタリーが公開されてから、ケイト・ウインスレットやセレーナ・ゴメスが出演を後悔していると声明を出したり、ギャラを寄付して返上している。それでも、ウディは2020年に出した自著で、まだ否定し続けている。

私は未成年の少女をレイプしたロマン・ポランスキーの作品も好きで、こちらも長年もやもやしている。アーティスト本人のモラルと、作品を結び付けて考えるかどうかはなかなか答えが出ない問題だと思う。知った後で、前と同じ気持ちで鑑賞することはできないけど、それ以前の過去作品に関してどう考えればいいのか。人は自分が崇拝するものを簡単に手放せない。

このドキュメンタリーでは、裁判記録や電話の録音音声などを駆使して、丁寧にウディの証言の嘘を暴いている。映画界の大物の犯罪を検証するために、非常に綿密な取材と十分な準備をして製作されているのが分かるので、もう疑う余地はない。もちろん、性犯罪を告発する側が嘘をついている可能性はとても低いし、2次被害も含めてこれだけの長年のダメージを受けて、嘘のはずはないが、それでも湧き上がってくるだろう反論をことごとく封じようという気合を感じる。7歳の幼いディランが繰り返される取り調べの中でも証言を変えず(大人でも難しいこと)、大人になってドキュメンタリーで取材に応じている強さに敬意しかない。「ギーク」な夫との出会いが微笑ましくて、ほっとするシーンだった。

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