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「幸せへのまわり道」「ミスター・ロジャースのご近所さんになろう」「ミニー・ゲッツの秘密」

Mister Rogers' Neighborhoodは米公共放送局(PBS)で1968年に始まり、中断を挟んで2001年まで放送された国民的子供向け番組。フレッド・ロジャースが出演、声優、パペット、脚本、プロデューサー、音楽、歌をすべて手掛けている。「幸せへのまわり道」はトム・ハンクスがフレッドを演じた劇場映画で、「ミスター・ロジャースのご近所さんになろう」はドキュメンタリー。番組に馴染みがなければドキュメンタリーを最初に見たほうがいいと思う。

追記:「幸せ~」の監督、マリエル・ヘラーのほかの作品で「ミニー・ゲッツの秘密」も追加しました。

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「ミスター・ロジャースのご近所さんになろう」

以前アマプラでドキュメンタリーを探していたところ偶然見つけた作品。番組は見たことがなかったが、素敵な姿をした人なので再生してみたら、泣きっぱなしだった。

フレッド・ロジャースはもともと聖職者を目指して勉強していたが、そのころ放送が始まったテレビを観て、これは子供向けの教育番組をやったらいいのでは、と思いつき、50年代にはすでにNBCで働き始める。驚くのがその多才っぷり。聖職者としてのバックグランドに加えて、作曲もできて、当時最先端だった幼児教育も学んでいる。そんなオールラウンダーが作った番組がMister Rogers' Neighborhoodだ。

このイントロで始まるスタイルは番組最終回までまったく同じ。番組開始当時でも、子供向け番組はスピード感が増していたが、このゆったりした音楽とルーティーンは最後まで変わらなかった。パペット劇ではフレッドが声を当て、動かしている。時計に住む虎のダニエル(一番上の白黒写真)は、いわばフレッドの分身だと妻のジョアンは言う。気弱でへこみがちなキャラクターは、太っていてイジメられた自身の幼少時を反映させている。このダニエルが「自分はmistakeなんじゃないかな?」と告白する歌に触れたシーンに鳥肌が立った。日本語にすると、みそっかす、かな?うまい訳が見つからないけどそんなニュアンスだと思う。ダニエルが僕はほかの子と違うみたいだ…と歌うと、レディ・エヴェリンは、そんなことないよ、と歌いだす。ダニエルはそれを聞いてすぐに安心するかと思いきや、僕はダメな子だ、と歌い続けてデュエット状態になる。自分を否定する気持ちはそんなに簡単になくならないことを子供目線で代弁しているのだ。

この番組のすごいところは、子供向けのおとぎ話だらけではない点にある。1968年当時、まだ黒人と白人が同じプールに入れない時代だった。だがフレッドは、暑いからとキャストの1人である黒人警察官と一緒に小さいプールで足を冷やすシーンを撮った。ほかにも、戦争や死、離婚、不治の病などを取り上げて、子供がどう対処すればよいのか導くための番組作りに取り組んでいる。

これだけ多くの役割を担いながら長寿番組を製作するのは、単に「善人」なだけでは務まるはずがない。彼は信念の人だった。妻やスタッフは、聖人のような穏やかさと優しさだけではなく、フレッドの猪突猛進する性格についても証言している。そもそも、最初からフレッドはテレビが大嫌いで、それは自身の番組を持つようになってからも変わらなかった。スラップスティックで暴力的なものを子供に見せるテレビの風潮を憂慮していた。それが原動力となったのだろう。また、ニクソン大統領がベトナム戦争継続の資金確保のために、PBSの予算をカットしようとしたときは、公聴会で公共放送の意義を訴えた。公聴会を仕切る議長はいかにも手強そうな人物。「私は紙に書かれたものを読むだけの弁論は聴きたくない!自分の言葉で話せるやつはいないのか!」。フレッドの番になり、用意した意見書を見ずに緊張しながら話し始める。途中つっこまれながらも、あのゆっくりかみしめるような、子供に語り掛けるような独特な口調で。すると最後まで聴いた議長は「君は2000万ドルを獲得したようだな」と感心した様子で告げるのだった。このシーン、議長もかっこいいので観て。

この公聴会の後、フレッドは一躍有名人になった。番組が長く続くにつれて、多くの人に親しまれると同時に、彼を嘲笑したりデマを流される傾向もでてくる。海軍で人を殺しまくった、ゲイではないか? あまりに多くの聖人エピソードを持つと、裏の顔があるのではと勘ぐる人間がでてくるのも仕方ない。もちろん様々なパロディにも使われている。有名なのはSNLでエディー・マーフィーが演じたミスター・ロビンソン。リンクは現役時代ではなく2019年のゲスト出演版。めちゃよくできていて笑える、けど、フレッド本人はやはり心穏やかではなかったようだ。

フレッドの独特な語り口は、じっと耳を傾けていると、とろんとしてきて吸い込まれるようだ。優しげだが、自分の信念を相手に伝えるという静かな熱意が声にこもっているからだろうか。聖人と思われるのが嫌だったという。彼の言動や行動を知ると、安易に聖人とかキリスト、などに例えがちだが、本質的には「鉄人」が一番当てはまる。フレッドは、誰もが同じように抱えている怒りを手なずけるよう自分を訓練しているのだ。怒りが沸きあがると、ピアノの鍵盤をばーんと鳴らしたり、自分の子供を叱るときはパペットの声で叱るらしい(怖い)。一番気になる自分の子供との関係は、このドキュメンタリーでも「幸せへのまわり道」でも少ししか触れられていない。自分のお父さんがミスター・ロジャースなんて、さぞ大変だろう。こんなに善い人は、自身がとてつもない苦労をしているんじゃないかと思って泣けてくる。なぜか分からないけど、泣きのスイッチが入るドキュメンタリーだった。

2021年11月3日現在、ネトフリでは11月7日までの配信になってるので、急いで!


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「幸せへのまわり道」

「幸せ」と名の付く映画はちょっと…と思いがちだけどここはタイトルを無視してほしい。

トム・ハンクスによるフレッド・ロジャースのルーティーン完コピでも話題になった映画。1998年にエスクワイア誌のライター、トム・ジュノがフレッドを取材して書いたエッセイを元に、名前や設定を少し変えて映画化されている。フレッドと番組について知っているとより楽しめると思う。

当時ロイド(トム・ジュノ。演じるのはマシュー・リス)は、自分が書いた記事のせいで大きな仕事はできない状態だった(ケヴィン・スペイシーのセクシュアリティについて書いて物議をかもした記事に当たるが、映画をPGにしたかったために劇中では触れられていない)。クサっているところに、フレッド・ロジャースの紹介記事を書くように命じられる。は?あの子供番組の?そんなの俺のやる仕事じゃない!と反発するも、渋々フレッドに会うためにピッツバーグに向かう。聖人のように思われている彼の本性を暴いてやろうくらいの気持ちで話を聞こうとするが、逆にフレッドからあれこれ聞かれて終始相手のペースに乗せられてしまう。対話するうちに、斜に構えた野心家の記者が心を開いていく、という実話に基づいたストーリー。

フレッドは、番組ではカメラの向こうにいる子供1人に話しかけるつもりだったという。1対1の対話の重要性をとても意識していた。ご近所さんの誰かと1対1で対話して分かり合い、それが連鎖すれば世の中は少しでもよくなるのでは、という考え方だ。映画の中でひとつのヤマになっているのが、2人が喫茶店にいるシーン。フレッドが、1分間だけ黙って、自分を愛してくれる人のことを考えよう、と提案する。これは実際に番組でもやっていて、テレビが怖がる「沈黙」を取り入れていた。画面から音が聞こえなくなると、視聴者である子供たちは、自分がその場に参加しているような感覚になるらしい。

トム・ジュノにまつわる設定は映画と現実で少し異なる。98年当時、トムには子供がいなかったし、る妹の結婚式では父を殴っていない。だが大方は事実と同じだそうだ。フレッドがNYの地下鉄に乗ると、車内にいた人々が番組のテーマソングを合唱し始めるシーンがある。映画だから劇的に見えるけど、これは本当なのかと思ったら、実際にあったことらしい。フレッドとトムは、晩年まで親交が続いたそうだ。で、このトム・ジュノってどんな人なんだろうと少し調べたら、2001年にもREMのマイケル・スタイプのセクシャリティについて書いた記事が本人から嘘だと訴えらえてまた騒動になっていた。アーティストを神聖視する傾向に異議を唱えたかったと話しているけど、まあやってることは以前とあんま変わらないのね。フレッドとの交流は事実だろうけど、なんか軽く売名行為的な印象も受ける。とは言っても、汚れた大人が浄化されることってあるんだろう。フレッドに見つめられたらそりゃ改心できるかもしれない…。


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「ミニー・ゲッツの秘密」

「幸せ~」の監督マリエル・ヘラーのほかの作品を調べたら、これが出てきた。よくみると、フィービー・グロックナーの自伝的コミックThe Diary of a Teenage Girlが原作(映画の原題も同じ)。「幸せ~」では、フレッドの番組のシーンに見せかけて、ロイドが登場する現実と虚構が交じった演出をしているのだけど、「ミニー~」でも、彼女が憧れているコミック作家、アイリーン・コミンスキーがアニメーションで登場する。このコミックは持ってないけど、ミニーの話が一部収録されているアンソロジー本を持っているので、改めて読んでみた。ヒッピー時代のサンフランシスコで育ったフィービーの生活がリアルに描かれているが、ドラッグとセックスに対する垣根がとても低い。家ではママと友達がコカインやって毎日パーティー。ミニーは早くセックスを経験したくて、ママのボーイフレンドと15歳で初体験する。性的虐待ではなく、あくまでリードしているのはミニーだ(そして目を覚ますのもミニー)。映画では詳しく出てこないが、友達は子供の頃から母にポルノに出演させれて完全にドラッグ漬け。今見ると悲惨でしかないし、当時も悲惨だったのかもしれないけど、あくまでポップに描かれる。当時はそういう時代だったと想像するしかない。

私が持っているフィービーの本は、アイリーン・コミンスキーの夫で超大物コミック作家のロバート・クラムがイントロダクションを書いている。サンフランシスコで10代のフィービーにすでに会っていて、「めちゃくちゃ可愛かったなー、でもまじで何もしてないから!」とエロ親父全開。クラムは当時からフェミニストに叩かれまくっている天才作家だ。今の時代的にはアウトなんだろうけど、自分をさらけ出しまくっていながら、ひょうひょうとしてて、絵が異常に上手いので大好き。彼とその兄弟が描かれるドキュメンタリー映画「クラム」を観て惚れたのも大きい。昔ユーロスペースで見て本当にショックを受けた作品。兄弟もまたいろんな意味で非凡な人たちで…。配信はおろか、DVDももう入手困難だが、2022年2月18日にリバイバル上映が決まっている。「クラム」の監督でもあり、映画版「ゴースト・ワールド」も撮ったテリー・ツワイゴフとサンフランシスコで一緒に写真を撮ったことあるのは密かな自慢です。

The Diary of a Teenage Girlを全部読んでないので分からないが、フィービーが憧れているのがクラムではなくアイリーンのほうなのが良い。この夫婦はどうしても夫のほうが有名というイメージだけど、当時はアイリーンもかなり人気があったのかな。女性のコミック作家は少なかったから、勇気づけられたのだろう。フィービー・グロックナーは、親戚で医療従事者がいた関係で、医学書に内臓や身体のイラストを描く仕事について、サンフランシスコ生活から抜け出している。芸は身を助く…。あの生活から足を洗えなかった人もたくさんいるし、クラムの兄弟たちのように、芸があっても身を滅ぼす人もいる。どちらかというと、こちら側の人のことを考えてしまう。

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