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終焉する世界にあって Ⅰペテロ4章7節

Title by Alan Frijns via Pixabay

2022年11月13日 礼拝

Ⅰペテロの手紙4:7
万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。
Πάντων δὲ τὸ τέλος ἤγγικεν. σωφρονήσατε οὖν καὶ νήψατε εἰς προσευχάς:

はじめに


15回にわたって連載した『聖書に登場する山シリーズ』シリーズを終えまして、再度Ⅰペテロの講解をしていきます。一節一節丁寧にみことばを味わっていきます。

当時の社会情勢


ペテロは、この4章7節において、世界の終わりが近いと語っています。当時の原始教会では、こうした終末思想が強く意識されていたことがわかります。では、どういったことがペテロの活躍した時代にあったのでしょうか。この手紙が書かれたのは西暦60-65年頃と言われています。

その当時のローマを見ていきますと、

AD59
アグリッピナ1世は息子のネロによって皇居から追放され、ミセヌムのヴィラ・アントニアに移り、帝国の実権をネロの手に委ねた。使徒パウロは、エルサレム教会に寄付するために集めたお金を持ってエルサレムに戻るが、彼は神殿を汚したとしてユダヤ人に告発され、逮捕され、カイザリヤに投獄。その後、彼はローマ市民権を行使し、裁判を受けるためにローマに移送。ローマ人への手紙を執筆。

AD60
ロクソラニ族(現在のルーマニアはドナウ川でローマ人に敗れる。
皇帝ネロは、歴史的な都市メロエ(スーダン) を探索するために遠征隊を派遣。ドルイドの最後の拠点であるモナ島(アングルシー島)を占領。
現在のイギリス、東ブリタンニア、ノーフォーク地域で、イケニの反乱が起こる。
ペテロ第一の手紙は、おそらくAD60~64年頃にペテロが執筆。
パウロはローマへの移送中、マルタで難破。彼は 3 か月滞在し、マルタの最初の司教であるプブリウスを改宗させた。

AD61
英国のローマ総督であるガイウス・スエトニウス・パウリヌスは、ドルイドの最後の拠点であるモナ島(現在のウェールズのアングルシー島)を占領。
イケニの反乱が起こり、ローマ軍が鎮圧。

AD62
皇帝ネロがマルクス・サルヴィウス・オトの前妻ポッパエア・サビナと再婚。ブッルスの死とセネカの失脚により、ネロは彼らの影響から解放され、ヘレニズムとオリエントに魅了された誇大妄想的な芸術家となる。
ティゲリヌスはネロの相談役となる。彼の支配は非常に乱暴なものだった。
ネロがローマにネロ浴場を完成させる。
ポンペイを中心に大地震が起こり、ポンペイを含むカンパニアの都市が被害を受ける(2月5日)。
ランデイアの戦い ローマ軍(2個軍団)はパルティア軍に敗れる。

AD63
ウェスパシアヌスがアフリカ総督になる。
コルブロは、ランディアの戦いでのローマの大失敗の後、指揮に復帰。彼はアルメニアに侵攻し、ローマの主権を受け入れるティリダテス 1 世を打ち負かす。パルティアは戦争から撤退。

AD64
7 月 19 日–ローマの大火 : ローマの商人地区で火事が発生し、すぐに完全に焼失。一方、皇帝ネロは竪琴を弾き、安全な距離から炎を見ながら歌っていたと言われている。当時、ローマでは火事が非常に一般的であった。ローマ市街の半分近くを焼失、公式には、放火にはキリスト教徒に関与があると非難された。世間の噂では、ネロが放火犯であると言われていた。
ネロの下で、ローマのキリスト教徒に対する迫害が始まります。使徒ペテロは、十字架につけられた人々の中にいたとの伝承がある。
大火後、ネロは華麗なポルチコで装飾された建物の作成、通りの拡張、オープン スペースの使用に基づく新しい都市計画を立案。

AD65
ネロは、自分が出演した舞台で元老院議員たちに大きな衝撃を与えた後、セネカやティゲリヌス、共和派議員、その他不信を抱く者たちに対して報復。
ネロは、妊娠中の妻ポッペア・サビーナは、ネロに腹を蹴られ流産後、死亡。
タルソのパウロがテモテをエペソの司教に任命。
パウロはコリントでテモテへの最初の手紙を書き、その後、ニコポリで冬を過ごす。
ペテロの弟子マルコがアフリカで最初の教会を設立する。

ペテロの手紙の時代背景

 ペテロの手紙第一が執筆された社会情勢を見ていきますと、皇帝ネロの治世下でした。皇帝ネロの就任当初、イギリスでの反乱の鎮圧や帝国東部での勝利を重ねたこと等により、ネロは名君の誉れが高かったそうですが、相談役のブッルスの死とセネカの失脚により、彼に対する牽制役が存在しなくなると、その暴君ぶりが顔を出しました。
AD62年には、ポンペイ地震が起こります。ポンペイや他のカンパニア諸都は大地震に見舞われ、壊滅的な被害を受けました。推定される規模はマグニチュード5~6程度とされていますが、耐震構造などない時代に、震央に位置していたポンペイは街の大半が破壊状態となり、街から逃げ出す人もいたということです。また、連戦連勝であったローマは、ランデイアの戦いでローマ軍はパルティア軍に敗北を喫します。諸外国への侵略の勝利によって奴隷を確保し、安価な労働力を得ていたローマ経済に暗雲を投げかけることになったと思われます。軍の敗北は、そのままローマ経済に直結しているものと考えられ、ローマ帝国内に不穏な空気が漂い出します。

こうした状況は、当然、ローマ帝国内に政情不安を抱かせることになります。当然のことながら、皇帝ネロの失政を問う声が世間に拡がることになったでしょう。そうした声をかき消すように、通常、為政者は外敵や政敵を攻撃したり、世間の目を逸らすように画策するものですが、ネロも例に漏れず、ターゲットをキリスト教徒に仕向けたのです。

ネロは、ローマの大火の主犯人であると一般的に言われていますが、その大火の犯人が彼であるかどうかについては、歴史家の意見が分かれているようです。ただし、大火の犯人として、キリスト教徒が迫害されたことは間違いないようです。この迫害のときに、ペテロやパウロが殺害されたようです。この時から、キリスト教徒の迫害が一般化するということになっていきました。

不安におびえる市民


暴君ネロの失政や、ローマ軍の敗北、ポンペイ地震など、国家を揺るがすような出来事が立て続けに起こる中、ローマ帝国の人々は不安を抱くようになります。政情不安の中にあったローマにAD64年大火が起こります。その大火は、帝国内にきわめて深刻な不安を抱かせることになったに違いありません。大火の犯人は、ネロと言われておりますが、歴史学的には、そうではないという説もあり、ローマ大火の真犯人はわからないのですが、いずれにしましても、こうした危機を通してネロは自分への支持を高めるために大火を利用したことは否めません。その一つが、復興後の都市計画や防災対策。当時の建物は、木造が多く、大火の原因となっていました。そうした大火を防ぐために、石造り2つ目は、ネロが犯人という噂をかき消し、支持率を維持するために、スケープゴートをキリスト教徒としたことでした。

ローマ市民たちの不安の矛先を、ネロ本人からキリスト教徒に向けることで、国難を乗り越えようとしたネロの姿がここで浮上します。
ローマの大火後にネロが陣頭指揮した被災者の救済やそのための迅速な政策実行、ローマ市の再建は市民に受けがよかったそうです。ネロに批判的だったタキトゥスも、「人間の知恵の限りをつくした有効な施策であった」と記しているほどです。

暴君ネロと言われてはおりますが、自分の支持率の維持のためには、善政を行おうとしていた努力を認めることができます。

当時のローマ教会の構成人数は多くても数十人程度であり、一般的にキリスト教はユダヤ教の一派とみなされていた。にもかかわらず、ネロがなぜキリスト教徒を限定して放火犯としたのでしょうか。パウロの伝道によるキリストの福音をめぐって一部のユダヤ教他宗派、異邦人と対立し各都市で騒乱が発生していました。ローマでも49年に騒乱を起こした者が追放されていたそうです。また、ネロの第二妻のポッパエア・サビナはユダヤ教徒と考えられており、彼女やその周辺のパリサイ派やサドカイ派から、イエス・キリスト信仰者が社会に動乱を引き起こす存在として伝達されていた可能性もあったようです。こうした理由によって、放火犯とイエス・キリスト信仰者が結びつきやすかったのかもしれないと言われております。

今まで検討してきたことをまとめると、以下のように考えられる。1 世紀半ばのネロの時代には、ユダヤ教とキリスト教は、まだはっきりと分化しておらず、キリスト教はユダヤ教内の一分派とみなされていた。それゆえ、異教側からは、両者の区別はつきにくかったと思われる。 一方、キリスト教が地中海世界各地のディアスポラ・ユダヤ人の間に伝道されると、その信仰をめぐって、キリスト教を受け入れる側と拒否する側の対立、抗争や騒乱が起こるようになった。ローマにおいても、クラウディウス帝の時代に、こうした騒乱が原因で、ユダヤ人が首都から追放されるような事態が起こっていた。 それゆえ、ネロ時代のローマにおいては、ユダヤ人の中でも「イエス・キリスト」を信じる一派は、社会に分裂、抗争や騒乱を引き起こす危険分子である、というような認識が、当時のローマ人の間にも芽生えていたのではないだろうか。 あるいは、ポッパエア・サビナのように、ファリサイ派やサドカイ派のユダヤ教徒と親しく交わっていた人たちは、彼らから「イエス・キリスト」を信じる一部の分派が、社会に分裂と混乱を引き起こす元凶であると知らされたのかもしれない。それゆえ、このような認識から、「イエス・キリスト」を信じる一派と放火犯のイメージが、容易に結びつきやすかったのではないか、とも考えられる。 結論として、ネロのキリスト教徒迫害は、Christiani(或いは Christianoi―ギリシア語)に対する迫害というより、むしろ「世界中に騒動を引き起こしている」、いわゆる「ナザレ人の分派」に対する迫害であったと言えるのではないだろうか。 

東洋英和大学院紀要 ネロとキリスト教再考(1) 東洋英和女学院大学大学院 島創平

信仰者たちの不安


天変地異や、社会情勢の悪化を見た、ペテロをはじめクリスチャンたちは、怖れを抱いたに違いありません。また、迫害という身の危険を間近にしたクリスチャンたちは、ローマ市民以上に恐怖におののくばかりであったかと思います。ある意味、迫害の発端は、キリスト教に対する周囲の無知と、偏見や誤解に端を発するものでしたが、マイノリティであったクリスチャンが、迫害を受けた理由として、信仰に対して誤解があり、デマとなって人々に拡散され、不安のはけ口として槍玉としてあげられました。当時のクリスチャンは、ローマの多神教からすれば、カルト教団に近い存在と見られていましたわけです。

こうした、社会情勢の危機、度重なる天災や迫害を前にした時、当時のクリスチャンたちは、世の終わりを痛感していたと思われます。

Ⅰペテロの手紙4:7
万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。

みことばに見るように、ペテロも、世の終わりが近いことをこうした情勢を見て思ったことでしょう。また、クリスチャンたちも世の終わりが近いことを共通認識として捉えていたに違いありません。

切迫する危機に直面して

世の終わりが近いことで、クリスチャンたちに厭世気分が漂うなかで、今を楽しんだ方が良いと諭す偽預言者が現れた事実をペテロは教えます。

Ⅱペテ 2:13 彼らは不義の報いとして損害を受けるのです。彼らは昼のうちから飲み騒ぐことを楽しみと考えています。彼らは、しみや傷のようなもので、あなたがたといっしょに宴席に連なるときに自分たちのだましごとを楽しんでいるのです。

新改訳聖書 いのちのことば社

人は、直面する危機に対して逃避できないとなると、どのような行動に走るのかをここで示しますが、享楽に走るというのも、危機感の現れの一つでもあります。

取るべき姿勢

こうした切迫した危機に対して、私たちはどういう姿勢を取るのかと言えば、ギリシャ語本文を直訳しますと

Πάντων δὲ τὸ τέλος ἤγγικεν. σωφρονήσατε οὖν καὶ νήψατε εἰς προσευχάς:
あらゆるものの終わりが近づいています。それゆえ、祈りのために健全な判断力と冷静な精神を保ってください。

ペテロ第一の手紙4章7節 ギリシャ語本文 私訳

σωφρονέω(ソーフロネオー)という言葉が目に入ります。その意味は、正常な心であること 、正気であること 、自制心があること 、冷静に考えるといった意味があります。つまり、一言で言えば、パニックに陥らないということです。パニックになって、慌てないようにということをパウロは人々に語ります。

1Pe4:7 But the end of all things is at hand; therefore be serious and watchful in your prayers.
4:7 しかし、すべてのものの終わりが近づいているのです。ですから、真剣に、注意深く祈りなさい。

ペテロ第一の手紙4章7節 New King James Version

1Pe4:7 The end of all things is near. You must be self-controlled and alert, to be able to pray.
4:7 すべてのものの終わりが近づいています。祈ることができるように、自制心と警戒心を持たなければなりません。

ペテロ第一の手紙4章7節 Today's English Version

また、他の英語の訳を対比させて見ていきますと、パニックになると、祈れないという事実が浮かび上がってきます。浮足立って、祈ることよりも行動することが先決とばかり落ち着かない様子がうかがえます。

おそらく、当時のクリスチャンたちは、世の中の迫害や情勢に慌てふためき、落ち着かない様子がこの一節から見えてきます。そうした状況の中にあっても、現在の世界と秩序を超えた神の世界と秩序があることをペテロは教えてくれています。

1:5 あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現されるように用意されている救いをいただくのです。

ペテロ第一の手紙1章5節 新改訳聖書 いのちのことば社

1:7 あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。

ペテロ第一の手紙1章7節 新改訳聖書 いのちのことば社

イエス・キリストの出現は、終末であるとともに神の契約の成就でもあります。ペテロは、今にも起こるべきこととして捉えており、この世はまもなく終わると信じて福音宣教をしてきました。ところが、それから二千年近くが過ぎようとしてますが、世の終わりが来ていないという現実があります。

では、ペテロたちの考え方、捉え方が誤っていたのかということですが、それは違います。時代が過ぎ、現代の世であっても、すべてのキリスト者に神は、この世の終わりを待ち望むよう求めているのです。
主の再臨の時は誰もわからないからです。現代を見ますと、温暖化は進み、各地の戦争や、感染症、度重なる天災を報道で間近に聞きますと、世はいつ終わってもおかしくない時代であることがわかります。一つ一つを心にとめて考えてしまうと、正気でいられなくなる、気が狂いそうな時代に生かされています。

当時のクリスチャンたちもそうでした。度重なる迫害や天災、社会情勢の緊迫化にあって、慌てふためかない理由はありません。冷静になぞなれない状況にあったわけです。そうしたときに、私たちが覚えることは何かと言えば、すでに、世の終わりが到達しているということです。
神の救済史によれば、イエス・キリストの出現こそが、世の終わりのしるしであるわけですから、私たちがたとえ、破局的な事態に陥ったとしても、それは当然あるべきこととして受け止める理解が必要です。それが、ソーフロネオーのあり方です。

Ⅰペテ4:12 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、4:13 むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。

ペテロ第一の手紙4章12-13節 新改訳聖書 いのちのことば

そうした、冷静さを何に向けるのかといえば、『祈り』です。ギリシャ語本文を見ますと、εἰς προσευχάς:(エイス プロソーカス)とあります。
『祈りのために』です。祈り(プロソースケー)とは、神への祈りという意味の他に、ユダヤ人が祈るために、シナゴーグのない都市の外にある野外の場所を意味する言葉です。慌てふためいていては、祈ることを忘れてしまうこともあると思いますし、祈るために場所を聖別するということもおろそかになってしまうことでしょう。

今の時代、忙しすぎるということもあり、祈りのために特別に場所を聖別できてはいないかと思います。危機的な時代にこそ、あらためて、場所を聖別し、神と一対一で祈りに取り組むという時間を設けることが求められているのではないでしょうか。

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πǶς,a \{pas}.
1) 個々の 1a) それぞれ、あらゆる、あらゆる、すべて、全体、皆、すべてのもの、すべて 2) 集団的 2a) あらゆる種類の一部分

τέλος,n \{tel'-os}.
1) end 1a) 終了、物事がなくなる限界(常にある行為や状態の終わりについて、しかしある期間の終わりについてではない) 1b) the end 1b1) あらゆる連続またはシリーズの最後 1b2) eternal 1c) 物事が終わること、その終わり、問題 1d) すべてのものが関係している終わり、目的、目的 2) toll, custom (i.e. indirectly tax on goods).

ἐγίζω,v \{eng-id'-zo} 1) あるものを他のものに近づける。
1) あるものを別のものに近づける、結びつける 2) 引き寄せる、近づける、接近する

σωφρονέω,v {so-fron-eh'-o} 1)健全な精神状態であること。

  1. 正常な心であること 1a) 正気であること 1b) 自制心があること 1b1) 自分自身を適度に評価する、冷静に考える 1b2) 情熱を抑制する

οὖν,c 

  1. ならば、それゆえ、それに応じて、結果的に、これらのことがそうであるように

νήφω,v \{nay'-fo}.
1) 冷静であること、冷静沈着であること 2) 節制していること、冷静であること、周到であること

προσευχή,n \{pros-yoo-khay'}.
1) 神への祈り 2) 祈りを捧げるのに適した場所 2a) シナゴーグ 2b) ユダヤ人が祈るために、シナゴーグのない都市の外にある野外の場所 2b1) そのような場所は、小川の岸や海の岸にあり、祈りの前に手を洗うために水が供給された 。