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聖書の山シリーズ『光の道を伝える』― 古代イスラエルの烽火リレーと私たちの使命

タイトル画像:ロイ・ボシ, CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons

2025年2月9日 礼拝


聖書箇所 

イザヤ書
52:7 良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神が王となる。」とシオンに言う者の足は。

マタイによる福音書
5:14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。
5:15 また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。
5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

はじめに


真っ暗な夜空に、突如として山頂に炎が揺らめきます。その光は次の山へ、そしてまた次の山へと、まるで光の川のように流れていきます。これは、約2000年前の古代イスラエルで実際に行われていた「マスオット」(משואות)と呼ばれる烽火を中継する制度です。

私たちの時代では、新月の日時は、スマートフォンで瞬時に確認できます。カレンダーアプリを開けば、月の満ち欠けまでも簡単に分かります。しかし、古代において、この情報を広大な地域に正確に伝えることは、実に大きな挑戦でした。特に、ユダヤ教の祭りの日程を決める上で、新月の正確な観測と、その情報の伝達は極めて重要だったからです。

古代イスラエルにおいて、月の聖別(キドゥッシュ・ホシェド)は極めて重要な律法の行いでした。これは単なる暦の管理以上の、深い霊的意味を持つ営みでした。

JBによるPixabayからの画像

出エジプト記12:1-2に記されているように、月の聖別は、エジプトからの解放に際して神がイスラエルの民に与えた最初の戒めでした。「この月をあなたがたの月の始まりとせよ。これをあなたがたの年の最初の月とせよ」という神の言葉は、奴隷から解放された民への最初の指示でした。

ラビ・イツハクが「トーラーは『この月からあなた方へ』以外には始まるべきではなかった」と述べているように、この戒めは神の民としての新しい出発を象徴する基本的な命令だったのです。

こうして、月の聖別を重要視したユダヤ教の人々は、捕囚でバビロニアに送られたユダヤ人たちにも知らせる必要がありました。エルサレムの神殿の祭司たちは、イスラエル全土のみならず、異邦人の地にまで一斉に新月を告げ知らせる必要がありました。

彼らは、この難しい課題に対して実に独創的な解決策を見出しました。月は刻々とその様相を変化させますから、リアルタイムで新月がいつであるのかを速やかに知らせなければ、ズレが生じて、ユダヤ教の祭りに大きな影響をもたらします。

そうした月の満ち欠けの誤差を極限まで減らし、バビロニアに散らされたユダヤの民たちにも新月がいつであるのかを告げ知らせるために、適切に配置された5つの山々を使った烽火のリレーが行われました。それは、エルサレム神殿近くのオリーブ山から始まり、バビロニアの最終地点のベト・バルティンまで、この光の連鎖は、バビロンに住むユダヤ人たちにまで新月の情報を伝えていったということです。

この古代のコミュニケーションシステムは、単なる情報伝達の手段以上の意味を持っています。それは、散らされた神の民を一つにつなぎ、同じ時に同じ祭りを祝うことを可能にした、霊的な絆の実践でもあったのです。今日、私たちはこの烽火リレーの物語を通して、神の民としての一致と、光を伝えることの意味について、深く考えてみたいと思います。

イエスは「あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません」(マタイ5:14)と語られました。この御言葉の背景には、当時の人々が日常的に目にしていた、この烽火リレーの光景があったのかもしれません。では、古代イスラエルの人々が実践していたこの「光の道」から、現代を生きる私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

光で紡がれた古代の通信網 - 烽火リレーの物語


夜空の山頂に輝く一筋の光。それは今から約2000年前、古代イスラエルの人々が築き上げた驚くべき通信システムの始まりでした。

エルサレムの神殿の祭司たちは、実に創造的な解決策を見出しました。それが「マスオット」(משואות)と呼ばれる烽火リレーです。それは戦を告げ知らせるような狼煙(のろし)ではありません。

最もよく知られた烽火リレー制度は万里の長城として知られています。万里の長城は、防衛施設としてだけでなく、効率的な通信システムとしても機能していました。紀元前からすでに確立されていた長城の烽火台(ほうかだい)システムは、世界でも最も広範な灯火通信網の一つとして知られています。

玉門関近くの烽火台
By John Hill - Own work, CC BY-SA 4.0, commons.wikimedia.org

長城に沿って約5キロメートルごとに設置された烽火台では、昼は煙、夜は火を使って情報を伝達しました。敵の接近を知らせる緊急連絡から、辺境の状況報告まで、様々な情報が瞬時に首都へと伝えられました。信号の種類や数によって異なるメッセージを伝えることができ、例えば敵の数や進行方向などの詳細な情報まで伝達可能でした。

この万里の長城の灯火システムは、古代イスラエルの灯火リレーと比較すると、より軍事的・行政的な目的に特化していました。また、定期的な情報伝達というよりも、緊急時の警報システムとしての性格が強かったのが特徴です。さらに、約6,000キロメートルにも及ぶ長城に沿って張り巡らされた通信網の規模は、当時としては他に類を見ないものでした

万里の長城
Mark Holmquist, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

外敵の侵入に備える防衛目的の万里の長城の烽火リレー制度と異なり、イスラエルの烽火リレー制度は、命よりも大切な律法を遵守するために、全国、異邦人の地に住むユダヤ人に告げ知らせるために設けられた制度であったことした。山々を結ぶ光のネットワークを通じて、エルサレムからバビロンまで、わずか1時間ほどで情報を伝えることができたそうです。

当時の環境は、この制度の運用に理想的でした。今よりもはるかに暗い夜空、澄み切った空気、そして高層ビルなどの障害物がない風景。見張り人たちは、30~40キロメートル先の山頂からの光の合図を、はっきりと見分けることができました。

各山頂には、常に見張り人が待機していました。彼らの傍らには、いつでも火を灯せるよう準備された薪の山が置かれていました。前の山から光の合図を見つけると、すぐに自分たちの山でも松明(たいまつ)を掲げます。この時、彼らは長い杉の棒に油で濡らした亜麻布を巻き付け、それに火を付けて左右に振りました。特に新月を告げる際には、4本の松明を同時に掲げることで、特別な合図としていたのです。

烽火リレーの山々

観測者は山頂の一つに灯台が灯っているのを見ると、自分の灯台に火を灯し、メッセージを素早く伝達しました。優れたネットワークと熟練した観測者および送信者があれば、メッセージは 1 時間以内に約 800 キロメートルの距離まで送信できたそうです。

ギヴァト・マスア מאת Chezki Mozes - Ein Hanetz (חזקי מוזס - עין הנץ) - נוצר על־ידי מעלה היצירה, CC BY-SA 4.0, commons.wikimedia.org

ところで、興味深いことに、この伝統は現代のイスラエルにも息づいています。エルサレムには「ギヴァト・マスア:גבעת משואה Givat Massua」(烽火の丘)という地区があり、かつての烽火リレーの記憶を今に伝えています。また、独立記念日やホロコースト記念日の際の松明点灯式は、この古代の伝統を現代に受け継ぐ形となっています。

エルサレムの「ヤド・ヴァシェム」でのホロコースト記念日の開会式
Mark Neyman / Government Press Office of Israel, CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons

この物語は、J.R.R.トールキンの『指輪物語』にも影響を与え、作品の中で「ゴンドールの灯台」として描かれました。古代の知恵は、このように現代の文化の中にも生き続けているのです。

光がつなぐ神の民 - 烽火リレーの歴史的意義


第二神殿時代(紀元前516年~紀元70年)、エルサレムの神殿を中心としたユダヤ教の礼拝制度において、正確な暦の把握は極めて重要でした。特に、新月の観測とその情報の伝達は、すべての祭りの基準となる重要な出来事でした。なぜなら、ユダヤ教の暦は太陰太陽暦を採用しており、月の満ち欠けが祭りの日程を決定する重要な要素だったからです。

エルサレムのサンヘドリン(最高法院)は、二人の証人による新月の目撃証言を慎重に審査し、新しい月の始まりを宣言していました。この決定は、単なる暦の問題ではありませんでした。祭りの日時を決定する神聖な行為であり、神の民全体に関わる重要な宗教的判断でした。

しかし、バビロン捕囚以降、多くのユダヤ人がディアスポラ(離散)として、エルサレムから遠く離れた地で生活していました。彼らも同じ時に同じ祭りを祝うためには、エルサレムからの新月の情報をできるだけ早く、正確に伝える必要がありました。ここに烽火リレーの重要な役割がありました。

この情報伝達制度の意義は、単に実用的なものにとどまりませんでした。それは離散した神の民を「一つ」につなぐ霊的な絆でもあったのです。同じ空の下、同じ時に、同じ神を礼拝する。たとえ物理的には離れていても、烽火リレーによって伝えられる情報は、彼らが同じ神の民であることを実感させる重要な手段となりました。

特に重要な例として、過越の祭りがあります。出エジプトを記念するこの重要な祭りを、すべてのユダヤ人が同じ日に祝うことは、彼らのアイデンティティと信仰の一致を示す重要な証しでした。烽火リレーは、この統一性を可能にする不可欠なインフラだったのです。

また、この制度は、エルサレム神殿が神の民の中心であることを象徴的に示していました。光がエルサレムから発信され、周辺の地域へ、そして遠くのディアスポラへと広がっていく様子は、エルサレムが霊的な中心であることを視覚的に表現していたとも言えるでしょう。

この古代の制度は、現代の私たちに、共同体の一致の重要性と、それを維持するための努力の大切さを教えています。技術は変われど、神の民が「一つ」であることの意義は、今も変わることがないのです。

光の道を結ぶ五つの山々 - 神の民をつなぐ烽火の行程


1.エルサレムの光 - オリーブ山

Mount of Olives:הר הזיתים (Har HaZeitim)

夕暮れのオリーブ山
Andrew Shiva / Wikipedia

烽火リレーは、エルサレム神殿の東に位置するオリーブ山から始まりました。標高818メートルのこの山は、神殿の丘を見下ろす絶好の位置にありました。この山は単なる地理的な始点以上の意味を持っていました。ダビデ王がここで祈り(第二サムエル記15:30)、イエスもここで重要な祈りを捧げ(マタイ26:30)、オリーブ山は神との出会いの場所として深い霊的意義を持っていたのです。新月を告げる光がここから始まることには、深い象徴的な意味がありました。

2.ヨルダンへの道 - サルタバ

Mount Sartaba/Alexandrium:צרטבה (Sartaba/Tsartaba)

サルタバ山
By Dr. Avishai Teicher Pikiwiki Israel, CC BY 2.5, hcommons.wikimedia.org

オリーブ山からの光は、次にサルタバ山へと伝えられました。この山は、ヨルダン渓谷を見下ろす戦略的な位置にありました。古代の交易路を見守るこの山からの光は、東方のユダヤ人共同体への重要な架け橋となりました。現在のサルタバ(Sartaba)として知られるこの場所は、ヨルダン渓谷の見張り塔としても機能していました。

3.サマリアの高み - グロフィナ

Grofina:גרופינא (Grofina)

サマリアの丘陵地帯に位置するグロフィナは、南北を結ぶ重要な中継点でした。ここからの視界は、サマリアの広大な地域をカバーし、効果的な情報伝達を可能にしました。かつてサマリア人とユダヤ人の間には深い溝がありましたが、この光は民族の違いを超えて、神の時を告げる使命を果たしていたと考えられています。

しかし、古代イスラエルの烽火リレー制度において、グロフィナ(Grofina)は重要な中継地点でしたが、その正確な位置は現代においても考古学的な謎の一つとなっています。ミシュナーの記述によれば、グロフィナはサルタバ山とハウランを結ぶ中継地点として機能していました。サルタバ山は現在も特定されており、ヨルダン渓谷の西側、北緯32.0706度、東経35.4428度に位置しています。一方、最終目的地であるハウランは現在のシリア南部に位置していました。

リレーの中継地として機能するためには、いくつかの重要な条件を満たす必要がありました。サルタバ山からの視認性が確保でき、同時にハウラン方面への視界も確保できる場所であることが求められました。また、十分な標高があり、人員を配置できる環境も必要でした。これらの条件を総合的に考慮すると、現在、三つの山が有力な候補地として浮かび上がってきます。

エバル山の頂上
יאיר דב, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

最も有力視されているのが、標高940メートルを誇るエバル山です。ナブルス(古代シェケム)の北側に位置し、サルタバ山から約25キロメートルの距離にあるこの山は、周辺地域で最も高い山の一つであり、古代から重要な宗教的場所として知られていました。360度の視界を持ち、サルタバ山からの合図を確認しやすい位置にあることも、有力候補とされる大きな理由です。

二つ目の候補は、エバル山の対となるゲリジム山です。標高881メートルを有するこの山は、古代からサマリア人の聖地として知られ、戦略的な位置にありました。広範な視界が確保でき、烽火の中継地として十分な条件を備えています。

三つ目の候補として、タボル山も検討に値します。ナザレの東、イズレエル平野の北東端に位置するこの山は、標高588メートルながら、周囲の平野から突如として隆起する特徴的な形状を持っています。古代から戦略的重要地点として認識され、ヨセフス・フラウィウスの記述にも登場する重要な山でした。

しかし、サルタバ山からの距離が約45-50キロメートルとやや遠く、バビロンへの直接的なルートからは北にずれることが課題として指摘されています。また、サマリア地方を経由するというミシュナーの記述との整合性にも疑問が残ります。

サルタバ山からの位置関係

現在の研究段階では、エバル山が最有力候補と考えられています。サルタバ山からの適切な距離、十分な標高、古代からの重要性、技術的に実現可能な距離、そして360度の視界を持つという条件が、これを裏付けています。しかし、これはあくまでも推測の段階であり、決定的な考古学的証拠は発見されていません。「グロフィナ」という地名自体が現代に伝わっていないため、確実な特定は困難な状況が続いています。

今後の考古学的調査により、新たな証拠が発見される可能性も十分にあります。古代イスラエルの通信制度の解明は、現代の考古学における継続的な研究課題となっているのです。古代の人々が築き上げた精緻な通信網の全容解明に向けて、研究は今なお続けられているそうです。

東方への扉 - ハウラン

Hauran/Auranitis:חורן

ジャバル・アル・アラブの最高地点 テル・ケニ山(1803m)
By KFZI310 at English Wikipedia - Transferred from en.wikipedia to Commons., Public Domain,

ガリラヤからバビロンへの道の途上に位置するハウラン山は、東方のディアスポラへの重要な通信拠点でした。この地域は、現在のシリア南部に位置し、古代から交易の要所として知られていました。ここからの光は、さらに東方のユダヤ人共同体への希望の光となりました。

古代の烽火リレー制度において重要な役割を果たしたハウラン地域は、現在のシリア南部に広がる広大な玄武岩台地です。北緯32度30分から33度30分、東経36度から37度付近に位置し、現在のシリアのダラア県とスウェイダー県を含む地域です。ダマスカスの南方約100キロメートルに位置し、ヨルダンとの国境に近接しています。

この地域は歴史的に「バシャンの地」としても知られ、肥沃な農業地帯として栄えました。古代においては、エルサレムからバビロンへの主要なルート上に位置する戦略的要衝でした。現代では、ボスラ、ダラア、スウェイダーといった主要都市が点在しています。特に、ボスラは古代からの重要都市として知られています。

烽火リレー制度において、ハウラン地域は最終目的地であるベト・バルティンへの重要な中継地点でした。この地域の高地からは東方のメソポタミア方面への広大な視界が確保でき、情報伝達の重要な拠点として機能していたと考えられています。

ハウラン地域での烽火リレーの候補地として、特に注目されるのが三つの場所です。第一に、標高1,803メートルを誇るジャバル・アル・アラブ山(別名:ジャバル・アル・ドルーズ)です。スウェイダー近郊に位置するこの山は、ハウラン地域で最も高く、広大な視界を持ち、バビロン方面への見通しが特に良好です。

第二の候補地は、ダルアー近郊のテル・アル・アシュアリです。古代の要塞跡として知られるこの場所は、特に西方からの烽火の信号を受け取るのに適した戦略的位置にあります。

第三の候補地は、標高約850メートルのボスラ古代都市の丘です。古代からの重要な交易拠点として栄え、要塞としての機能も持ち、360度の視界を確保できる利点があります。

ボスラのローマ劇場 seier+seier, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

これらの中で、最も有力視されているのがジャバル・アル・アラブ山です。その圧倒的な標高により広域の視界を確保でき、西からの烽火の信号を受け取って東方のベト・バルティンへ伝えるのに適した位置にあります。また、古代から重要な地点として認識されており、その高さゆえに気象条件の影響も受けにくいという利点があります。

とはいえ、他の候補地もそれぞれに重要な特徴を持っています。テル・アル・アシュアリは西方からの信号受信に適しており、ボスラの丘は交易路上の重要な位置にあって人員配置が容易でした。

しかし、これらの候補地についても、決定的な考古学的証拠は現時点では発見されていません。今後の考古学的調査や文献研究の進展により、新たな候補地が浮上する可能性も十分にあります。ハウラン地域における烽火リレーの正確な位置の特定は、なお継続的な研究課題となっているのです。

最後の光 - ベト・バルティン

Beth Baltin: בית בלתין

烽火リレーの最終地点であるベト・バルティンは、バビロンのディアスポラ共同体への最後の伝達地点でした。この地点からの光は、捕囚の地に住むユダヤ人たちに、彼らがなお神の民の一部であり、エルサレムとつながっているという確信を与えました。

ミシュナーに記されたユダヤ教の烽火リレー制度において、ベト・バルティン(בית בלתין/Beit Baltin)は最終地点として記録されています。しかし、その正確な位置については、現代においても明確な特定ができていません。

現在、有力な候補地として挙げられているのは、主に三つの地域です。一つ目は、現在のイラク・バビロン州のヒッラ近郊です。ミシュナーの記述に「バビロンのディアスポラまで」と明記されていることから、バビロン捕囚後のユダヤ人共同体の中心地であったこの地域は、有力な候補の一つとされています。

二つ目の候補地は、現在のイラク南部、ユーフラテス川沿いに位置する古代都市ネハルデアです。ここは古代バビロニアにおける重要なユダヤ教の中心地であり、バビロン・タルムードの編纂地の一つとしても知られています。大規模なユダヤ人共同体が存在し、学問の中心地としても機能していたことから、烽火リレーの終着点として相応しい場所であったと考えられています。

三つ目の候補地は、現在のイラク、ファッルージャ近郊に位置していたプンベディタです。ここには重要なタルムード学院があり、バビロニアのユダヤ教の中心地の一つとして栄えました。その戦略的な位置も、終着点としての可能性を示唆しています。

これらの候補地の中で、最も可能性が高いとされているのが、ネハルデア周辺です。その理由として、まずユーフラテス川沿いの高地に位置し、ハウランからの情報伝達が技術的に可能な距離にあったことが挙げられます。また、重要なユダヤ教の中心地として大規模なユダヤ人共同体が存在し、交易路上の重要地点としても機能していたことから、情報伝達の終着点として適していたと考えられます。

しかし、いくつかの課題も残されています。「ベト・バルティン」という名称が現代まで残っておらず、当時の地名と現代の地名の対応が不明確であることが、位置の特定を困難にしています。また、烽火リレーに関連する明確な考古学的証拠も発見されていません。さらに、ハウランからの視認可能距離を考慮すると、中継地点の存在も想定する必要があります。

ベト・バルティンの位置を考える上で、重要な視点の転換が必要かもしれません。これまで、情報の最終目的地であるネハルデアやプンベディタと、烽火リレーの最終地点であるベト・バルティンは同一の場所として考えられる傾向にありました。しかし、必ずしもそうである必要はないのではないでしょうか。

ハウラン地域からメソポタミアへ至る地域を地理的に検討すると、興味深い候補地が浮かび上がってきます。その一つが、シリア東部のユーフラテス川西岸に位置するジャバル・アル・ビシュリ(Jabal al-Bishri/جبل البشري)です。標高約850メートルのこの山地帯は、砂漠地帯に突如として現れ、メソポタミア平原を見下ろす位置にあります。また、タドモル(パルミラ)周辺の高地も、古代からの重要な交易拠点として、注目に値する場所です。

情報伝達の観点から考えると、ベト・バルティンに求められる条件が見えてきます。それは、ハウランからの烽火を受信でき、かつその情報を騎馬や使者によってメソポタミアの各ユダヤ人共同体に伝達できる場所であることです。必ずしも、そこからさらに烽火による再送信を行う必要はないのかもしれません。

特にジャバル・アル・ビシュリは、ハウランからの視認可能な距離にあり、メソポタミア平原を見下ろす位置にあることから、有力な候補地として考えられます。この場所をベト・バルティンと仮定すれば、ここで受け取った情報を、騎馬や使者を通じてネハルデアやプンベディタに伝えることが十分に可能だったはずです。実際、砂漠地帯での烽火は視認が困難な場合も多く、最終区間は人的な伝達手段に頼った可能性が高いと考えられるのです。

また、実用的な観点からも、継続的な人員配置が可能で、交易路へのアクセスが良好であり、周辺のユダヤ人共同体との連絡が容易な場所である必要がありました。ジャバル・アル・ビシュリは、こうした条件も満たしています。

このように、ベト・バルティンの正確な位置の特定は、なお継続的な研究課題となっています。今後の考古学的調査や文献研究の進展により、新たな発見がもたらされる可能性も十分にあります。古代ユダヤ教の重要な通信制度の終着点がどこにあったのか、その謎の解明は続いているのです。

この五つの山を結ぶ光の道は、単なる情報伝達網以上の意味を持っていました。それは神の民の一致を視覚的に示す壮大なシステムでした。エルサレムから発せられた光が、山々を越え、谷を越え、最後にバビロンのディアスポラに届くまで、それは神の民が一つであることの力強い証しとなったのです。夜空に輝くこれらの光は、離散した民を一つにつなぎ、同じ神を、同じ時に、同じ心で礼拝することを可能にしたのです。

(仮説)エルサレムからネハルデアまでの想定烽火リレールート

この古代の通信制度は、私たちに重要な示唆を与えます。それは、物理的な距離は神の民の一致を妨げることはできないという真理です。今日、私たちもまた、この光の道が象徴する霊的な一致の大切さを心に留める必要があるのではないでしょうか。

古代の烽火リレーの視認性


古代イスラエルの烽火リレー制度について、課題となるのは、人の目から確認できるかということです。その視認性を詳細に分析してみると、いくつかの技術的な課題が浮かび上がってきます。特に長距離区間においては、現在想定されているルートでは物理的に視認が困難であったと考えられます。

まず、エルサレム神殿からオリーブ山までの最初の区間は、わずか2キロメートルという近距離であり、視認性は極めて高かったと考えられます。標高差も約78メートルあり、市街地内での管理も容易だったでしょう。

続くオリーブ山からエバル山への区間も、約25キロメートルという距離ながら、両地点とも高所に位置していることから、当時の技術でも十分に視認可能だったと推測されます。オリーブ山の標高818メートル、エバル山の標高940メートルという高低差は、むしろ視認性を高める要因となったでしょう。

しかし、エバル山からサルタバ山への区間になると、状況は少し複雑になります。約30キロメートルという距離自体は管理可能ですが、サルタバ山の標高が377メートルと比較的低いため、受信側での視認性に課題があったと考えられます。気象条件によっては、信号の確認が困難な場合もあったでしょう。

最も大きな問題となるのが、サルタバ山からジャバル・アル・アラブ山までの約200キロメートル、そしてそこからジャバル・アル・ビシュリまでの約250キロメートルという長距離区間です。地球の曲率を考慮すると、たとえジャバル・アル・アラブ山が1,803メートルという高所であっても、これほどの距離での直接の視認は極めて困難だと考えられています。

地球の曲率を考慮した理論的な視認可能距離は、高さの平方根に13を掛けた値(キロメートル)とされています。例えば1,800メートルの高所からでも、理論上の視界は約153キロメートルに限られます。しかも、これは理想的な条件下での計算値です。実際には、大気中の砂塵、湿度、温度変化といった要因が視認性に大きく影響します。

このような分析から、現在想定されているルートには、まだ発見されていない中継地点が存在した可能性が高いと考えられます。特に長距離区間においては、30から40キロメートル間隔で中継地点が設けられていたのではないでしょうか。

古代の烽火リレーにおける情報伝達速度


新月の情報を正確に伝えるという烽火リレーの本質的な目的を考えると、馬や使者による伝達では時間がかかりすぎてしまいます。月の満ち欠けは刻々と進行していくため、情報伝達には即時性が求められました。では、当時の烽火リレー制度は、エルサレムからバビロンまでの情報をどれほどの速さで伝えることができたのでしょうか。

エルサレム神殿から始まる最初の伝達は、わずか2キロメートル先のオリーブ山までです。見張り人たちは常に待機していたと考えられ、情報を受け取ってから火を灯すまでの準備と確認に約5分、実際の伝達にほんの1-2分程度しかかからなかったでしょう。

次のエバル山、そしてサルタバ山までの比較的近距離の伝達も、各地点での準備と確認に約5分、伝達に1-2分程度と、同様の時間で行われたと考えられます。課題となるのは、その先の長距離区間です。

サルタバ山からジャバル・アル・アラブ山までの約200キロメートル、そしてジャバル・アル・ビシュリまでの約250キロメートルという長距離区間では、30-40キロメートル間隔で中継地点が必要だったはずです。これらの未発見の中継地点を想定すると、サルタバ山からジャバル・アル・アラブ山までには4-5か所、そこからジャバル・アル・ビシュリまでには5-6か所の中継地点が必要となります。

各中継地点での準備と確認に約5分、伝達に1-2分を要したとすると、長距離区間の合計所要時間は、それぞれ30-35分、35-40分程度と計算されます。これに最初の区間と最後の区間の時間を加えると、エルサレムからバビロン方面まで、合計で約1時間30分から2時間程度で情報が伝達できたと推測されます。

この計算は、いくつかの重要な前提に基づいています。各地点で見張り人が待機していること、天候が良好で視界が確保されていること、新月の観測時期が予測され態勢が整っていることなどです。また、適切な間隔で中継地点が配置されていることも重要な前提となります。

ミシュナーには「情報は数時間でバビロンに届いた」という記述があります。この計算結果は、その記述とも整合性があり、当時のシステムが十分に機能していたことを示唆しています。馬による伝達では最速でも2-3日を要することを考えると、馬や使者による伝達は、速達性に難があり、烽火リレーによる伝達しか考えられないでしょう。

この驚くべき速さこそが、離散したユダヤ人共同体が同時に祭りを始めることを可能にした重要な要因でした。新月の情報が即時に伝わることで、バビロンに住むユダヤ人たちも、エルサレムの人々と同じ時に祭りを始めることができたのです。古代の人々は、このような効率的な通信システムを構築することで、離散した民の統一性を保っていたのでした。

このように、古代の烽火リレー制度の実態は、現在の想定よりもさらに複雑であった可能性が高いのです。今後の考古学的調査により、新たな中継地点が発見され、より詳細なルートが明らかになることが期待されます。また、当時の人々が、この技術的な課題をどのように克服していたのかについても、さらなる研究が必要とされています。

イエスの時代の烽火リレーと月の意味


光のネットワークとイエスの宣教

イエスの時代、烽火リレーのネットワークはなお活発に機能していました。興味深いことに、イエスの宣教活動の地理的範囲は、この烽火リレーのルートと重なる部分が多くあります。エルサレム、サマリアの山々、ガリラヤ地方と、イエスの足跡は古代からの通信網の上を行き来していたのです。

「あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません」(マタイ5:14)というイエスの言葉は、当時の人々にとって極めて具体的なイメージを伴って響いたことでしょう。彼らの目には、夜ごとに山々を結ぶ光の連鎖が、神の民のつながりを視覚的に示していたからです。イエスはこの身近な光のイメージを用いて、弟子たちの使命を語ったのです。

エルサレムから始まった福音の広がりもまた、この古くからの通信網に沿うように進んでいきました。使徒の働きに記された初期教会の拡大は、ユダヤ人たちが何世紀もかけて築き上げた情報伝達の経路を、そのまま活用したかのようです。

ユダヤ教における月の深い意味

では、なぜユダヤ人たちはここまで月にこだわったのでしょうか。それは単なる暦の問題を超えた、深い神学的な意味を持っていました。

出エジプト記12章2節で、神はモーセに「この月をあなたがたの月の始まりとせよ」と命じました。これは奴隷から解放された民への最初の戒めでした。月の観測と祭りの実施は、神の民としての自由と責任の象徴だったのです。

月の満ち欠けには、神の民の歴史が映し出されているとも考えられてきました。月が完全に隠れる新月から、再び光を増していく過程は、イスラエルの苦難と回復の物語を表しているとされました。そして、世界中に離散したユダヤ人たちが同じ時に同じ祭りを守ることは、彼らが依然として一つの民であることの力強い証しとなったのです。

烽火リレーによる新月の告知は、単なる暦の同期以上の意味を持っていました。それは神の民としての一体性を視覚的に示し、エルサレムとの絆を確認する重要な儀式でもあったのです。月の観測とその情報の共有は、彼らのアイデンティティの核心に触れる行為でした。

イエスが「あなたがたは世の光です」と語ったとき、そこには古代からの烽火リレーの持つ意味が重ねられていたのかもしれません。離散した神の民をつないだ光のように、福音の光も世界中に広がっていくという預言的な意味が込められていたとも考えられるのです。

このように、古代の通信システムは、単なる情報伝達の手段を超えて、神の民としてのアイデンティティを強く表現するものでした。そして、その伝統の上に立って、イエスは新しい「光」の概念を説き、それは初期教会の宣教の方向性にも影響を与えていったのです。

古代の烽火から現代へ ―光を運ぶ者としての使命


古代イスラエルの烽火リレー制度は、私たち現代のクリスチャンに深い思慮を与えてくれます。山々を結んで輝いた光の連鎖は、今を生きる私たちの使命の象徴としても読み解くことができるのではないでしょうか。

かつて、エルサレムの神殿から発せられた光は、見張り人たちの忠実な働きによって、遠く離れた異邦人の地にまで届けられました。彼らは天候の良い時も悪い時も、山頂で待機し、前の山からの合図を見逃さないよう、注意深く見張っていました。そして、光を受け取ると、すぐに次の山へと合図を送りました。この姿は、今日の私たちの働きと重なります。

現代社会において、私たちは様々な形で「光」を運ぶ使命を担っています。それは必ずしも宗教的な情報だけではありません。希望、慰め、励まし、知恵、理解など、人々の人生に光をもたらすものすべてを含みます。私たちは、受け取った光を自分の内にとどめておくのではなく、次の人へと届ける責任があるのです。

特に注目すべきは、烽火リレーが共同体をつなぐ絆として機能していた点です。離散したユダヤ人たちは、この光のネットワークによって一つにつながれていました。同様に、現代の私たちも、分断や孤立が深まる社会の中で、人々をつなぐ架け橋となるよう召されています。

イエスが「あなたがたは世の光です」と言われたとき、それは単なる比喩以上の意味を持っていました。当時の人々の目には、実際に山々を結ぶ光が見えていたのです。その光が持っていた具体的な機能――情報を伝え、共同体をつなぎ、一体性を保つという働き――は、今日の私たちの使命とぴったりと重なります。

しかし、古代の見張り人たちと同様、この使命には忠実さと継続性が求められます。彼らは昼も夜も、寒い時も暑い時も、持ち場を離れることはありませんでした。なぜなら、一つの地点での不在が、全体のネットワークを機能不全に陥れる可能性があったからです。まさにそれが、教会の存在の意義でもあり、クリスチャン一人ひとりの存在であるのです。

今日の私たちも、置かれた場所で忠実に光を運び続けることが求められています。それは時に困難を伴う務めかもしれません。しかし、この務めこそが、分断された世界に一体性をもたらし、孤立した人々を再びつなぎ合わせる重要な働きとなるのです。

さらに、古代の烽火リレーが示す即時性も重要な示唆を与えます。彼らは情報をためこむことなく、すぐに次へと伝えました。現代に生きる私たちも、受け取った祝福や励ましを、速やかに他者と分かち合うよう努めるべきでしょう。殊にグッドニュースであるイエス・キリストの福音はそうです。

このように、古代の烽火リレーの物語は、現代のクリスチャンとしての私たちの使命を、具体的な形で示してくれています。私たちは皆、この世界における「光の中継点」として召されているのです。一人一人が、置かれた場所で忠実に光を運び続けることで、この世界はより明るく、より温かいものとなっていくのことでしょう。

最後に―福音の中継者としての私たち


古代の烽火リレー制度において、中継地点は決して谷や低地ではなく、必ず山の頂に置かれました。オリーブ山、エバル山、サルタバ山、そしてジャバル・アル・アラブ山など、どの中継点も周囲を見渡せる高所に位置していました。この地理的な特徴は、私たち一人一人への深い御心を思わずにはいられません。

「あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません」(マタイ5:14)というイエスの言葉は、まさにこの文脈で新たな意味を帯びてきます。私たちは皆、福音の中継者として「山」の上に置かれている存在です。それは単なる比喩ではなく、具体的な使命を示しています。

山の頂に置かれた見張り人には、三つの重要な特徴がありました。まず、彼らは「前を見る者」でした。前の山からの光の合図を、一瞬たりとも見逃さないよう、注意深く見張っていました。次に、彼らは「上を見る者」でした。月の満ち欠けを観測し、天からのしるしを読み取る務めを担っていました。そして、彼らは「遠くを見る者」でした。次の中継地点に確実に光を届けるため、遠方まで目を凝らしていたのです。

私たち一人一人も、同じように三つの視点を持つように召されています。神からの導きを見上げ、周囲の必要に目を留め、そして福音が届くべき地平を見据える。これが「山の上に置かれた者」としての私たちの基本的な姿勢です。

高所に置かれているということは、同時に大きな責任を意味します。古代の見張り人が一人でも持ち場を離れれば、情報の連鎖は途切れてしまいました。同様に、私たちも各々が置かれた場所で、福音の中継者としての務めを忠実に果たすことが求められているのです。

しかし、ここで重要なのは、私たちは自分の力で「山」となるのではないという点です。神が私たちを「山」として立て、その頂に置いてくださったのです。それは特別な才能や能力があったからではなく、ただ神の主権的な選びによるものです。この認識は、私たちに謙遜と確信の両方をもたらします。

また、古代の烽火リレーが示すように、一つの山だけでは情報を遠くまで伝えることはできません。山々が連なることで初めて、遠く離れた地にまで光を届けることができたのです。これは、私たちが互いに支え合い、補い合うことの重要性を教えています。

「山の上にある町は隠れることができない」という事実は、私たちの証しの普遍性を示しています。高所に置かれた者として、私たちの生き方は必ず周囲の人々の目に触れます。それは時に重荷に感じられるかもしれません。しかし、これこそが神が私たちに託された光を運ぶ者としての本質的な使命なのです。

今日、私たちは各々の場所で、この「山」としての使命を果たすよう召されています。それは職場かもしれず、家庭かもしれず、あるいは地域社会かもしれません。どこであれ、その場所で神の光を受け取り、周囲に照らし出していく。そうして一つ一つの「山」が光を伝え合うとき、この世界はより明るく輝いていくのです。アーメン。

烽火リレーと福音宣教に関連する聖句

  1. 光の使命に関する中心的な聖句 「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5:14-16)

  2. 月と祭りに関する聖句 「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。」(出エジプト記12:2)

  3. 見張り人の使命に関する聖句 「人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。」(エゼキエル3:17)

  4. 一致と教会に関する聖句 「 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」(詩篇133:1)

  5. 伝道の使命に関する聖句 「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:19-20)

  6. 高い所からの光に関する聖句 「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」(イザヤ9:2)

  7. 情報伝達の速さに関する聖句 「良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神が王となる。」とシオンに言う者の足は。」(イザヤ52:7)

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高木高正|東松山バプテスト教会 代表・伝道師
皆様のサポートに心から感謝します。信仰と福祉の架け橋として、障がい者支援や高齢者介護の現場で得た経験を活かし、希望の光を灯す活動を続けています。あなたの支えが、この使命をさらに広げる力となります。共に、より良い社会を築いていきましょう。