バプテスト信仰告白 1章 聖書について 10.聖書は信仰の最終的な権威
THE BAPTIST CONFESSION OF FAITH
With Scripture Proofs Adopted by the Ministers and Messengers of the general assembly which met in London in 1689
10.聖書は信仰の最終的な権威
翻 訳
10.宗教上のあらゆる論争を決定し、すべての会議の決定、古代の著述家の意見、人間の教義、そして個人の精神を吟味し、その判決に私たちは従うことになる最高の審判者は、 聖霊によって伝えられた聖書以外にあり得ません。その聖書によって、私たちの信仰は最終的に解決されるのです。(マタイによる福音書22:29、31、32;エペソ人への手紙2:20;使徒行伝28:23)
解 説
1章10節は、信仰的な議論や問題を決定する最高の権威が何であるかを説明しています。それは、すべての教会の決定、古代の著述家の意見、人々の教義、そして個人の精神が審査され、その結果に我々が平安を見つけるものは、聖霊によって伝えられた聖書でなければならないと述べています。そして、このように伝えられた聖書に、我々の信仰は最終的に解決されていきます。つまり、聖書の権威と絶対性を強調していることです。それは、信仰の問題についての最終的な決定権が聖書にあるということです。これは、多くのキリスト教の教義、特にプロテスタントの教義で一般的な考え方です。
これは「聖書だけが信仰と生活の規範である」という原則を通常「ソラ・スクリプトゥラ(聖書だけ)」と呼ばれます。この原則は、宗教的な真理は聖書によってのみ確立され、聖書はそのような真理を理解するための最終的な権威であるという考え方を表しています。こうした点から、聖書は神の言葉であり、その教えは絶対的な真理ということです。
それゆえ、聖書の教えは、人間の教えや経験、伝統、または他の宗教的な権威によって変更されたり、覆されることはありません。この原則は、聖書の解釈と適用における指導的な役割を強調しています。
それはまた、聖書が個々の信者にとって個人的な信仰と宗教的な実践のガイドであるべきであるという考え方を展開します。こうして、聖書の教えは、個々の信者の信仰と生活の核となすべきであり、その教えは信者の信仰と行動の指標となるものです。
この原則は、聖書が神の啓示であり、その教えが神の意志を反映しているという信仰に基づいています。それゆえ、聖書の教えは、信者が神の意志を理解し、それに従うための重要な手段であるとされています。この原則は、聖書が信仰と生活の規範であるという信仰を強調しており、それは信者が神の意志を理解し、それに従うための重要な手段であるとされています。
証明聖句
皆様のサポートに心から感謝します。信仰と福祉の架け橋として、障がい者支援や高齢者介護の現場で得た経験を活かし、希望の光を灯す活動を続けています。あなたの支えが、この使命をさらに広げる力となります。共に、より良い社会を築いていきましょう。