バプテスト信仰告白 1章 聖書について 4.聖書の権威
THE BAPTIST CONFESSION OF FAITH
With Scripture Proofs Adopted by the Ministers and Messengers of the general assembly which met in London in 1689
4.聖書の権威
翻 訳
4.聖書を信ずべきものとしているその権威はいかなる人や教会の証言にも依存せず、全くその著者である(真理そのものであられる)神に依存している(Ⅱペテロ1:19-21; Ⅱテモテ3:16;Ⅰテサロニケ2:13;Ⅰヨハネ5:9)。したがって、それが神の言葉であるゆえに聖書は受け入れられるべきである。
解 説
この項目では、聖書の権威について述べています。それは、人間や教会の証言に依存するのではなく、真理そのものである神(その著者)に全面的に依存しています。
したがって、聖書は神の言葉であるからこそ受け入れられるべき言葉であることです。これは、聖書が神からの言葉であり、その教えが我々の信仰と行動を導くべきであるというキリスト教の基本的な信念を表明しています。
聖書を「バイブル」と言いますが、バイブルは英語の"Bible"から来ており、その語源はギリシャ語の"ビブロス"で、古代にパピルスの文書を意味します。これが教父たちによって聖なる書物の全集成を表すのに用いられ、現在では「聖書」を指す言葉となっています。
現代では、「バイブル」はキリスト教の正典だけでなく、一般的に何らかの「基準」あるいは「最終的な権威あるもの」といった意味合いで使われます。
聖書は文字通り「聖なる書」を意味しますが、他の宗教的に「聖なる」文書とは異なり、世に二つとない正典としての書物です。聖書は数千年の歴史を持つ古典文書であり、過去2千年を通じて、他のどの書物よりも綿密に研究され、分析されてきました。それだけ、人間にとって重要であるという証左でもあります。
その影響力の大きさから、「キリスト教の正典」の枠を越えて、人類共有の知的遺産とも言えます。過去から今日、さらに将来においても、世界情勢、歴史、文学、芸術、科学などの人間文明の理解においても、聖書の知識なくしては浅薄な理解にしかなりません。
しかし、聖書はただの人類文化の貴重な資料・遺産ではありません。その内容・意味・性格・目的が把握され、独自の性格が生かされるよう用いられなければなりません。
聖書の神的権威と目的
聖書は神的権威を持ち、その目的も神的独自性を持っています。聖書の目的は、新約聖書のキリストによる神の救いの計画を記すことであり、それは人間の救いにかかわる神の意思の書物です。
聖書の際立った統一性
聖書は様々な人物によって書かれ、その編纂に3,000年もの間、集められたであり、その時代の隔たりと著者の多様性から読者のとまどいを引き起こすことがあります。しかし、時代や著者が異なっても、聖書が一貫性を持ち、統一性を持つのは、聖書の目的があるからです。その目的とは、人間の救いにあることです。
契約
「旧約」と「新約」の「約」は、神と人との間の約束、契約、誓約を指します。神が契約を通じて人間と関わるのは、人と人との横の関係だけでなく、神と人との縦の関係の回復、すなわち人の罪からの救いを目的としています。
聖書を学ぶこと
聖書を学ぶことは、聖書を神の真理の言葉とし、聖霊の助けによって理解し、自分を神に捧げるよう努め、神の栄光を現すことが目的です。
証拠聖句
Ⅱペテロの手紙
1:19 また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。
1:20 それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。
1:21 なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。
Ⅱテモテへの手紙
3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
Ⅱテサロニケ人への手紙
2:13 しかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。
Ⅰヨハネの手紙
5:9 もし、私たちが人間のあかしを受け入れるなら、神のあかしはそれにまさるものです。御子についてあかしされたことが神のあかしだからです。