『苦悩の中の賛美 ―マリアとエリサベツの信仰―』 2024年アドベント第2週
2024年12月8日 礼拝
聖書箇所:ルカによる福音書1章26ー55節
1:34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
1:35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
1:36 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。
1:37 神にとって不可能なことは一つもありません。」
タイトル画像:エリザベト訪問,フィリップ・ド・シャンパーニュ作 出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)
はじめに
クリスマスの季節になると、私たちは華やかな装飾や楽しい行事に心を奪われがちです。しかし、最初のクリスマスには、人々の目には見えない深い苦悩と、それを乗り越えた信仰の物語がありました。特に、救い主の誕生に直接関わった二人の女性、マリアとエリサベツの経験には、深い意味が隠されています。社会的な困難や個人的な試練を抱えながらも、神の御計画を受け入れていった彼女たちの姿から、私たちは今日も多くのことを学ぶことができます。
マリアの苦悩
エリサベツの妊娠から6ヶ月後、御使いガブリエルがマリアのもとに遣わされました。
マリアは御使いガブリエルから告知を受けた時、大人の女性というよりは、幼さの残る少女であったと言われております。当時は、12歳から婚約が可能であったので、現代では中高生といった年の頃であったと思われます。ナザレの村という寒村に育ったマリアは、当時の人々の間にあって、特別な女性ではありませんでしたが、神がマリアを選んでおられました。
しかし、神が選ばれたマリアは、人間的に見ると、祝福されたとは言い難い選びでした。
「どうしてそのようなことがありえましょうか」という彼女の言葉には、単なる困惑以上の、深い苦悩が込められていました。
マリヤは婚約者のヨセフがいましたが、結婚する前に子供を宿すということは、婚前交渉があったと考えるのが普通です。現代のように、道徳的あるいは社会的な慣習にとらわれず、また性に関する自由な考え方や行動が許容される時代や国とは異なり、当時のユダヤ社会において、結婚前の妊娠は深刻な問題でした。
旧約聖書のモーセの律法では婚前交渉は死刑という厳罰が定められておりました。
レビ記21:9(祭司の娘が淫らな行いをした場合の規定)
出エジプト記22:16-17(婚約していない処女との性的関係に関する規定)
申命記22:23-27(婚約中の女性との性的関係に関する規定)
これらの律法は、私たち現代の基準からするとかなり厳しい戒律というように感じられると思いますが、その規定の根拠は、婚姻そのものが神によって聖定されたものであるがゆえに、そのため純潔さを守り、家族の秩序を維持するために設けられたということにあります。マリアの時代には、死刑という極刑は実際には適用されなくなっていたとされていますが、社会的な制裁は依然として厳しいものでした。
ユダヤ教徒であったマリアは、親や会堂で性についての規定をしっかりと教育されていたことでしょうから、自分の身に起こることを理解した時、その重みに押しつぶされそうになったことでしょう。
死罪とはならないまでも、地域社会からの相当な制裁を受けることは承知していたことでしょう。蔑視や噂、そして最愛の婚約者ヨセフとの関係も危うくなる可能性がありました。さらに、家族や親族からも誤解され、孤立するかもしれないという不安もあったはずです。
しかし、注目すべきは、極めて重い十字架を背負わされた少女マリアの応答です。「おことばどおりこの身になりますように。」というこの言葉には、単なる受動的な受容以上の、深い信仰の決心と覚悟が表れています。
自分の人生が大きく変わり、困難な道を歩むことになるとわかっていながら、人間的には到底受け入れ難い神の計画を受け入れる決意をしたのです。
エリサベツの苦悩
長く不妊であった親類のエリサベツが、妊娠したという知らせを御使いガブリエルから受けたマリアは、その足で彼女に会いに行きます。
エリサベツとの出会いは、マリアにとって大きな支えとなりました。エリサベツは聖霊に満たされ、すぐにマリアの懐妊の意味を理解し、彼女を祝福しました。人々の誤解や批判にさらされる可能性がある中で、完全に理解し、受け入れてくれる存在を得たことは、マリアにとって大きな慰めとなったことでしょう。
エリサベツとマリアの深い絆と理解は、単なる親族関係を超えた、神の特別な導きによるものでした。エリサベツはマリアの置かれた状況を深く理解できる特別な立場にありました。
エリサベツ自身、長年子どもを持つことができないという苦しみを味わってきました。当時のユダヤ教社会において、不妊は単なる個人的な悲しみ以上の意味を持っていました。
それは家系の断絶という重大な問題であり、さらに神の祝福を失った者、呪われた者という周囲からの冷ややかな目線にも耐えなければなりませんでした。子のない女性は、自分に何か罪があるのではないかという深い負い目を感じながら生きていたのです。
ユダヤ教において、家系の断絶は深刻な宗教的・社会的な問題でした。それは単に血統が途絶えるという以上の、多面的な意味を持っていたのです。
まず、信仰的な観点から見ると、各家系には神から与えられた約束の地があり、その相続は子孫を通じて行われることが定められていました。家系が途絶えることは、神から与えられた約束の地を失うことを意味したのです。
さらに、ユダヤ人は自分たちの家系からメシアが生まれる可能性を信じていました。特にダビデの系図に連なる家系にとって、断絶は深刻な意味を持ちました。
社会的・経済的な面においては、土地や財産は男子を通じて相続されることが基本でした。跡継ぎがいないことは、家族の財産が他の家系に移ることを意味し、また子どもは親の老後を支える重要な存在でもあったため、家系の断絶は高齢期の生活の保障を失うことにもつながったことでしょう。
子がないことへの救済
このような問題に対処するため、ユダヤ教には特別な制度が設けられていました。例えば、申命記25章に規定されるレビレート婚は、子どものない未亡人が夫の兄弟と結婚することを求める制度でした。
また、ゴーエール(請戻し人)の制度では、近親者が断絶した家系の土地や財産を請け戻し、家系を守る責任を負いました。
古代イスラエル社会における「ゴーエール」の制度は、家族と共同体を守るための重要な社会的セーフティネットでした。この制度の核心は、困難な状況に陥った家族を救済する責任が最も近い血縁者にあるという考えにありました。
「ゴーエール」という言葉は、ヘブライ語の「ガーアール(買い戻す)」という動詞から来ています。これは単なる経済的な取引を意味するのではなく、家族の尊厳と存続を守るという深い意味を持っていました。
この制度の具体的な実例が、ルツ記に描かれています。ルツは夫を亡くした異邦人の女性でしたが、ボアズは「ゴーエール」としての責任を引き受けることを決意します。しかし、ボアズはまず、より近い血縁者である別の「ゴーエール」と交渉しました。その人が権利を放棄した後で、ボアズはルツと結婚し、彼女の亡き夫の家系を存続させる責任を果たしたのです。
子がないことが、なぜ放置されたのか
こうして、ユダヤ教社会において、家系の断絶を防ぐために「ゴーエール」制度やレビレート婚という制度が設けられていたことが理解できるかと思います。しかし、ザカリヤとエリサベツの場合、これらの制度は適用されなかったようです。
なぜでしょうか。その理由には、彼らの置かれた特別な状況と、神の救済史における計画が深く関わっていたと考えられます。
まず、ザカリヤは祭司としてアロンの家系に属していました。祭司の結婚に関する規定は一般の民よりも厳格で、特に純潔に関する制約が強く定められていました。レビ記21章に示されるように、祭司の結婚は特別な制限下にありました。
また、レビレート婚は主に夫が死亡し、子供のない妻が残された場合に適用される制度でしたが、ザカリヤとエリサベツは共に生存しており、婚姻関係が継続していたため、この制度の適用条件に該当しなかったのです。
さらに重要な点として、彼らの不妊には神の救済史における特別な目的があったと考えられます。バプテスマのヨハネの誕生は、人間の制度による解決ではなく、神の直接的な介入による奇跡として示される必要がありました。この奇跡的誕生は、後のイエスの誕生の預言的な予表となったのです。
また、祭司職の継承に関しても特殊な状況がありました。祭司職は確かに血統によって継承されるものの、個々の家系の断絶が即座に祭司職全体の危機とはなりませんでした。アロンの家系全体が存続していれば、祭司職は維持されるからです。
そうした、祭司の妻であったエリサベツは、祭司職という特別な奉仕に携わっていたことで、子がないことに対する世間の理解があるとはいえ、ユダヤ教にとって多産が神の祝福のしるしであったことを注視せずにはいられなかったことでしょう。
「生めよ、増えよ」という神の命令(創世記1:28)を果たせないことは、深い霊的な痛みを伴いました。子どもがいないことは、神の祝福が欠けているとみなされ、特に女性たちは大きな苦悩を負うことになりました。不妊の女性は社会的な差別や偏見にさらされ、夫は子どもを得るために別の妻を迎えることも許されていました。聖書には、サラ、リベカ、ラケル、ハンナなど、不妊に悩んだ女性たちの苦悩が繰り返し描かれています。
さらに、家系の存続は個人の問題だけでなく、ユダヤ教の共同体全体の関心事でもありました。12部族の系図を保持することは、イスラエルのアイデンティティにとって本質的に重要だったのです。
このような背景を理解することで、エリサベツの妊娠がもつ深い意味が見えてきます。それは単なる個人的な喜びを超えて、神の特別な恵みの証しとなりました。また、処女マリアを通して救い主が生まれるという奇跡的な出来事も、ユダヤ教の家系に関する深い理解の中で捉える必要があります。それは神の約束の成就であり、人類の救いの系図を完成させる、歴史的な出来事だったのです。
神にとって不可能なことはない
高齢になり、神の奇跡的な介入によってバプテスマのヨハネを宿したというエリサベツの奇跡は、彼女のかつての人生と信仰を大きく変えました。人間的には完全に不可能な状況の中で実現した妊娠は、明らかに神の力の現れでした。この体験を通して、エリサベツは神の御主権と恵みの深さを身をもって知ることになりました。長年の苦しみと負い目の中にあっても、神は最後に驚くべき祝福で応えてくださったのです。
だからこそ、エリサベツはマリアの特別な懐妊を深く理解し、受け入れることができました。自身も「不可能」が「可能」となる神の奇跡を経験していたからです。さらに、社会からの誤解や批判という重荷を背負うことになるマリアの立場も、エリサベツは痛いほど理解できたはずです。長年、子のない者としての社会的な重荷を背負ってきた自分の経験が、若いマリアを理解し、支える基盤となったのです。
エリサベツは聖霊に満たされて、マリアを祝福しました。この祝福は、単なる慣習的な言葉ではありません。それは、自らも神の深い恵みを経験した者だからこそ語ることのできる、心からの祝福でした。「主によって語られたことは必ず実現する」という確信に満ちた励ましは、エリサベツ自身の体験に裏打ちされていたのです。
この賛美に呼応するかのように、聖霊に満たされてマリアは、次のように賛歌を歌い上げます。
「主のなさることは、みな素晴らしい」というマリアの賛美は、深い信仰の成熟を示す言葉でした。この賛美は、処女懐胎という前例のない出来事に直面し、社会からの断絶という重い現実を受け入れた上での告白だったのです。それは単なる感情的な高揚や、若さゆえの無邪気な受容ではありませんでした。
15歳ほどの若さであったマリアが、自らを「卑しいはしため」と表現したことは深い意味を持ちます。これは単なる謙遜の言葉ではなく、神の前での自己の立場を深く理解した上での告白でした。当時のユダヤ社会において、未婚の妊娠は死罪にも値する重大な問題でした。そのような危機に直面しながらも、マリアは神の計画の確かさを信じ、それを受け入れる成熟した信仰を示したのです。
特に注目すべきは、マリアが自分の置かれた状況を、個人的な苦難としてだけでなく、神の救済計画の一部として理解していた点です。「わがたましいは主をあがめ」(ルカ1:46)という賛美の言葉には、神の御主権を心から認め、その御計画に自らを委ねる深い信頼が表れています。これは、年齢を超えた霊的成熟さを示すものでした。
マリアのこの姿勢は、彼女が確かに神によって選ばれた特別な器であったことを示しています。神は、イエス・キリストの母となるべき人物として、若くしてこのような深い信仰と謙遜さを持つことのできる人を選ばれたのです。マリアの賛美は、人間的な視点からは困難と思える状況の中でも、神の計画の素晴らしさを見出し、それを喜びをもって受け入れることのできる信仰の模範となっています。
私たちに対して
マリアやエリサベツが示した深い信仰と従順さは、確かに特別なものでした。自分には、到底達し得ない信仰の高みに到達していると感じる読者もいることでしょう。確かに、彼女たちの深い信仰は特別でした。しかし、私たちが彼女の信仰から学び、自分の生活に適用できる点がいくつかあります。
まず、マリアの信仰の核心は、自分の理解を超えた神の計画を受け入れる姿勢にありました。私たちも日常生活の中で、予期せぬ出来事や理解し難い状況に直面することがあります。そのような時、すぐに完全な受容はできなくても、「神様、これはあなたの計画の一部なのですね。」という認識を持つことから始められます。
次に、マリアはエリサベツという理解者と支え手を得ました。私たちも困難な状況に直面した時、一人で抱え込まず、信仰の友との交わりを大切にすることができます。教会の交わりの中で、互いの重荷を分かち合い、励まし合うことは、信仰生活の重要な要素です。
また、マリアは自分の置かれた状況を「卑しいはしため」として受け止めましたが、それは神の前での謙遜な姿勢を示しています。私たちも、彼女たちのような完璧な従順さは持てなくても、日々の小さな出来事の中で、神の導きに耳を傾ける姿勢を培うことができます。
さらに重要なのは、マリアの信仰が一朝一夕に形成されたものではないということです。彼女は日々の生活の中で、神の言葉を守り、信仰を育んできたからこそ、大きな試練の時に応答できたのです。私たちも、日常の小さな選択の中で、少しずつ信仰を深めていくことができます。
具体的な適用として次のような点が挙げられます。
毎日の祈りの時間を持ち、神との関係を育む
理解できない状況でも、まず神に信頼を置こうとする
教会の交わりを大切にし、互いに支え合う
小さな従順の機会を大切にする
完璧を求めすぎず、少しずつ成長していく姿勢を持つ
マリアのような信仰の高みには届かなくても、私たち一人一人が自分の置かれた場所で、できる範囲で神に応答していくことができます。それは時に不完全で、間違いや戸惑いや疑問を伴うものかもしれません。しかし、そのような正直な応答も、神は受け入れ、用いてくださるのです。
重要なのは、マリアの信仰を到達すべき目標として見るのではなく、私たち自身の信仰の旅路における励みとして受け止めることです。神は、それぞれの人生の状況に応じた方法で、私たちを導き、成長させてくださいます。
このように、クリスマスの物語の中心にある二人の女性、マリアとエリサベツの経験は、私たちに信仰の本質を教えてくれます。それは、困難や不安の中にあっても神を信頼し、その計画に従う勇気です。彼女たちの物語は、2000年以上の時を超えて、今なお私たちの心に深く響きかけています。
クリスマスを迎えるとき、華やかな装飾や祝祭の喜びだけでなく、その誕生の背後にあった信仰の深い意味にも思いを馳せたいものです。私たちも、日々の生活の中で直面する試練に、マリアとエリサベツのように信仰をもって向き合っていきたいと願います。アーメン。