聖書の山シリーズ7 信仰復興の場 カルメル山
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2022年9月4日 礼拝
聖書箇所 Ⅰ列王記18章37節
私に答えてください。主よ。私に答えてください。この民が、あなたこそ、主よ、神であり、あなたが彼らの心を翻してくださることを知るようにしてください。」
はじめに
聖書の山シリーズの第7回目。今回はエリヤが、バアルの預言者達と対決して、破った場所とされる山、カルメル山をご紹介します。教会に行っている方なら誰もがご存知の、カルメル山と私たちとの関わりについて掘り下げていきます。
カルメル山について
ところで、カルメル山での故事については、クリスチャンであればよく知っているのですが、教会のメッセージですとどうしても、物語がメインとなってしまいますので、地理的な位置関係というものがどうしてもわからない、わかりにくいというところがあります。今は、いい時代になりました。検索すれば、すぐにその位置が分かりますし、地図帳を開かなくても閲覧できます。また、こうして情報を共有できるという素晴らしい文明の利器があるということは、私の青年時代を思い返すと夢のようなことです。
さて、余談はこれくらいにして、カルメル山について見ていきたいと思いますが、カルメル山の位置ですが、イエス・キリストが育ったナザレの近くの位置する山です。確認してみましょう。
カルメル山の地理
ちょうど、山麓に、前回ギルボア山のなかで紹介したキション川が流れ、西北の山麓には、ハイテク企業がひしめく百万都市のハイファがあります。キション川を挟んで、東側にはイエス・キリストが暮らしていたナザレがあります。
名の由来ですが、カルメルという言葉は「庭の土地」を意味し、起源は定かではないそうです。カルメルというヘブル語を分解すると「神のぶどう畑」を意味する名前から来ていると考える説があります。ブドウ園と果樹園が豊富な地域からと考える説もあります。
カルメル山の気候は温暖な地中海性気候で、地中海に近く、山の西に急な斜面があるため、この地域は降水量が豊富だそうです。平均降水量は年間 600 ~ 700 mm 、山頂付近 では年間 750 mm に達することさえありますが、ハイファでは 550 mm しかありません。平均気温は約 19 度です。海岸に近いため、気温は海岸平野と同様で、サマリアやガリラヤ山脈の気温よりも高い傾向にあります。比較的豊かな降水量と高い気温によって、山の斜面は、オーク、マツ、オリーブ、月桂樹などの豊かな植生で覆われています。
さらに、植林によって種類豊富な森林地帯があります。またカルメル山固有の植物もあるということで植生の多様性に富んだ山です。多様な植生のおかげで、かつては多くの種の野生動物の自然の生息地でした。アナトリアトラやシリアヒグマなどの大型肉食動物は、20 世紀初頭に絶滅したそうです。近年は、動物を復活させようという動きが活発ということです。
有史以前から人が住む土地
石灰岩質であるために、山の周囲には、カルスト地形があり、多くの鍾乳洞があるために、その洞窟を家にして居住していた旧石器時代の人々の遺跡が数多く残されています。アフリカからユーラシア大陸の橋梁の役割を果たしたパレスチナは、人の往来が活発な地域でした。しかも、カルメル山のカルスト地形は大小の洞窟を有していたため、居住に適していたということもあり、古くから人が定着しやすい土地でした。
族長時代、カルメルはマナセ族とアシュル族の所有地でした。 その後、山はペリシテ人によって征服され、地域の港湾都市を保護するために砦が築かれました。中世、十字軍の時代は、この地域の重要性はさらに高まり、城塞や要塞が置かれていました。十字軍は海運によって、ヨーロッパからの物資の援助に依存していたので、地中海を見下ろすカルメル山は重要な拠点でした。その後、イスラム教徒による征服後は、その重要性を失っていったようです。
聖書とカルメル山
列王記18章に登場する預言者エリヤとバアルの預言者たちとの対決でよく知られたカルメル山は、中央山地やガリラヤ地域と同様、一年中緑に覆われています。イスラエルの他の地域は砂漠であるか、雨季にのみ緑であるため、茶色の国土に対して、非常に際立っています。こうした緑が豊富なカルメル山はヘブライ文化では豊饒の象徴として認識されていました (名前の由来からも)。預言者アモスはカルメルを経済的に潤っていることの隠喩として使用しています。
また、カルメルは、富と美の象徴として聖書の中で何度も言及されています。
肥沃さと豊穣の比喩としてのカルメル山
美しさを比喩するカルメル山
メシアの姿としての比喩
エリヤ
カルメル山で最もよく知られたエピソードと言えば、エリヤとバアルの預言者たちとの対決です。第一列王記 18 章を見ますと、創造主なる聖書の神と、バアルの神のどちらが、雄牛のいけにえをを火で焼くことができるかという対決でした。薪に火をつけて燃やすことは簡単です。ところが、この対決は、火を使わずに、祈りによってのみ薪を燃やすということでした。そうした対決がなぜ、カルメル山でなされたのかといいますと、イスラエルの偶像礼拝に端を発します。カナンの地に入植したイスラエルは、先住民との戦いの末に果たされたことでした。しかし、カナンの先住民は、独自の文化と信仰を持ち、ペリシテ人を代表するように高い技術と文化を持っていました。当然のことながら、そうしたカナン人の文化や技術の影響を受けないはずはありません。その背景にあったカナン人の宗教の影響というのも少なからず受けたわけです。
主の前に悪を行うアハブ
こうした先進的な文明を前にして、アハブの父オムリは積極的にカナン文化を取り入れ、王朝の繁栄を築き上げます。イスラエルを導いた主なる神を捨て、宮廷から、バアル宗教がイスラエルにもたらされていきます。しかも、アハブはバアルにとどまらず、アシェラをも礼拝するようになるのです。
神の民イスラエルとして選ばれているのにもかかわらず、目先の利益と祝福のために、異教の神を信仰し、民に勧めている。こうした悪がイスラエルに行われていました。こうして、神は、信仰に立ち返るように一人の預言者を遣わします。それが、エリヤでした。エリヤは、王の前にたち
と宣言し、イスラエルに対する報いとして3年の干ばつがあることを王に告げます。こうしたエリヤの忠告にも関わらず、アハブは主なる神に立ち返らず、宮廷長オバデヤに命じて、全ての泉や川を見回らせ、馬やらばを生かしておくように命令をします。
なぜ、馬やらばを生かしておくようにしたのかといいますと、国土防衛のためでした。事実、アハブは、前853年のシリアにおけるアッシリア軍との戦いに、2000台の戦車を率いて勝利したという碑文が残っているそうです。国土防衛とは聞こえが良いのですが、この時期、民は干ばつによる飢饉に瀕し、わずかの食料と水で死の準備をするような状態でした。
国民の窮状はどこ吹く風。アハブは私利私欲のために生きていたことがうかがい知れます。ダビデのように主に解決を求め、問題からの救済を願おうとしない王でした。それどころか、妻のイゼベルは執拗に付け狙い、預言者エリヤの殺害を加えようとしたほどでした。
カルメル山での対決
エリヤは、アハブとエリヤのどちらの神が本物の神であるのかを、はっきりさせるために、か、またイスラエルを導く神は、主(ヤハウエ)なのか、バアルなのかをはっきりさせるために、
とアハブ王に対決を求めます。
アハブはエリヤの言葉を受け、すべてのイスラエルの民とバアルの預言者たちを集めました。といっても文字通りそこにイスラエルの民が集まったのではなく、民の代表であったということです。その民に対して、エリヤはこう言います。
イスラエルの民は、どっちつかずというのです。どっちつかずというと、どちらにも与しないというように聞こえますが、ヘブル語では、「二つの枝の上を飛び跳ねる」という意味だそうですから、自分にとって都合の良い方にヒョイヒョイと移り変わる信仰です。苦労するから、面倒くさいから、自分にとって良いことなにもないと思い、ご利益のある方に向かって信じるような傾向にあったということです。
エリヤは民に、二頭の雄牛を用意するように命じました。その内の一頭をバアルの預言者たちに先に選ばせ、裂いて薪の上に載せ、火をつけずに置くよう命じました。そしてエリヤは残りの一頭を同じようにしました。そうして、互いに自分たちの神の名を呼び合うことにし、「火をもって答える神こそ神である」としょうと提案しました。民は「それが言い」といってこの提案を受け入れました。
最初にバアルの預言者たちが祈りました。その祈りは激しいものでしたが、結局、いけにえを焼き尽くすどころが、火すら起こりませんでした。
エリヤの番になりました。です。エリヤはまず、民に向かって近くに来るように命じました。そして、彼らに何を命じたのかといいますと、
こわれていた主の祭壇を建て直した(30節)
部族の数十二の石で、主の名によって一つの祭壇を築いた(31-32節)
祭壇の上にいけにえを置く(33節)
こうした行為は、何を意味しているのかといいますと、バアル信仰によって覆された主なる神への信仰の回復と崩れた民の礼拝を回復させようとした目的がありました。イスラエルの民は、神に選ばれた民であることをここで再認識させる意図がありました。
さらに、雄牛を引き裂き、それを薪の上に載せ、その上に水を注いで水浸しにするよう民に命じました。ただでさえ、火なんて燃え上がるはずのないと民が思う中、大量の水をいけにえと薪にかけるように命じました。神の御業がより困難になるようにエリヤは言うのです。しかしエリヤはあえてこの方法を選びました。それは、主なる神がまことの神であり、神の御業は、どんなこんなであっても、跳ね返す力があることを明らかにするためです。
こうして、エリヤは、時が来て、祭壇の前に立ち、
「主なる神こそが神」であることを民が知るように、エリヤは祈り求めたのです。バアルの預言者たちに勝つことでも、自分が信じている神が正しいということを明らかにすることでもなく、万物をお造りになられた創造主なる神こそが神であることを祈りました。
こうして、神は、エリヤに勝利を与え、この結果、イスラエルの民は、主こそ神であると告白し、信仰の復興をもたらしました。
予表としてのカルメル山
この箇所から、私たちが学ぶべきことは何でしょうか。
カルメル山は、不可能を可能とする神の御業の場でした。それは同時に、世の不正や悪に立ち向かう信仰者の戦いの場でもあることを示します。圧倒的な敵を前にして、クリスチャンは孤軍奮闘戦わなければならない局面に立たせられることもあります。しかし、私たちは、地の塩、世の光としてこの地上に遣わされていることを覚えなければなりません。不正や悪を放っておいて良いことはありません。神の御心を行うことは時に、エリヤのような戦いに臨むことは必ずあります。わたしたちは、どうでしょうか。逃げるが勝ちとその場を離れることも賢明でしょうが、逃げることも許されない時に、私たちは、どうしていくべきでしょうか。エリヤはまず、祈りました。全能の神であることを信じて。私たちの信じる神は全能の神であること、また、戦いに際して、神が栄光を現してくださることを信じるべきです。エリヤはそのことを教えてくれます。
また、カルメル山はどういう山でしょうか。そこには、数多くの洞窟があります。そこの私たちは、隠れることができるということです。つまり、避け所です。戦いの場であっても、世の妨げや害悪から避けることができるわけです。しかも、そこは乳と蜜の流れる国イスラエルにあって、非常に潤い、豊穣や実りが約束された場であることです。さらに、山容は麗しく、美しい山です。
ところで、この山は、何を示しているのでしょうか。
それは、私たちの避け所であり、平安や生活に潤いや美をもたらす救い主イエス・キリストのお姿そのものです。カルメル山については、神はこう語っています。
この世にあっては、常に戦いに巻き込まれます。しかし、私たちは、巌のように大地に根深く立つ緑豊かなカルメル山を前にしたとき、その麗しさや、優しさの中に、イエス・キリストを見るのです。戦いの場であっても、そこは、信じるものにいたわりと祝福の約束を確実にしてくれるだけでなく、信仰を新たなものとして回復をもたらす山として覚えていきたいと思うのです。
参考文献
新聖書辞典 いのちのことば社
新キリスト教 いのちのことば社
コトバンク
Wikipedia