誠実であっても理解されないこと Ⅱコリント1:12-2:13
2023年10月29日 礼拝
Ⅱコリントへの手紙
2:4 私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、あなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を知っていただきたいからでした。
タイトル画像:Gerd AltmannによるPixabayからの画像
はじめに
今回は、Ⅱコリント書から無理解について語ります。理解されないことほどつらいことはありません。パウロは、彼が建てたコリント教会の人々から誤解され、しかも、信用されないという苦しみを味わいます。いかなる迫害や、いのちの危機よりも自分が信頼していた人たちから裏切られるということほどつらいものはないでしょう。パウロは今回の記事から、誤解を受けたにせよ、私たちがどう対応を取るべきかについて学んでいきたいと思います。
誤解されるパウロ
パウロがコリント教会の人々から不信感を持たれたのは、一つ理由があります。それはコリント教会訪問を通知しており、Ⅰコリ16:5によればその予定を変更して、エペソからコリントに直行する計画でした(1:16)
ところが、この計画が再度変更され、パウロはマケドニヤ経由でコリントに行くことになりました。
当時の通信手段を考えると、致し方ないようにも思われますが、通信手段が脆弱なこの時代、書面で交わした約束の拘束力は我々の想像を超えて強いものがあったのかもしれません。手紙の内容は必ず守るようなルールというものが強く働いていたと感じます。そう考えると、手紙を持って伝達されたパウロの旅行の変更は、コリント教会の人々からすれば、私たちを軽く扱われたに違いないと思われたことでしょう。
こうした突然の変更は、パウロの誠実さをも疑わせるものでしたので、パウロはコリントの人々に向かって釈明を行うというのが今日の内容です。
コリントの教会の人々からすれば、パウロの取った行動はドタキャンというものです。ドタキャンとは俗語ですが、その意味は「土壇場でキャンセル」の略です。約束事やイベントなどの実施の直前に不参加を申し入れることを、ドタキャンすると言います。体調不良や身内の不幸などといった理由があるときは仕方ありませんが、社会的にはドタキャンはおすすめできません。
信頼を求めるパウロ
予定をキャンセルするときには、私たちは何をするでしょうか。まずは謝罪です。スケジュールの変更自体が相手に迷惑をかけることなので、丁重にお詫びの気持ちを伝えることはマナー上とても大切なことです。それから理由の説明を伝えるものです。
ところが、パウロは私たちがするようにはしませんでした。自分のスケジュールの変更についての理由を述べる前に、彼は何をしたのかと言えば、パウロ自身に対する信頼を求めました。
12-14節を見てみましょう。
まずは自分は人間的な知恵によらず神の恵みにより誠実に行動していると述べます。
ここで『誠実』と訳された言葉は、εἰλικρινίᾳ エイリクリニアという言葉を訳したものですが、「太陽の光の中で判断されるもの」。完全な光の中で見られるので、正しく、正しく裁かれるという意味があります。
つまり、パウロとしては、人間的な視点ではドタキャンにあたるかもしれないが、神の目からみれば、公明正大にして、決してドタキャンには当たらないということなのでしょう。ですから、13節において、自分の手紙は嘘偽りはないと言います。
さらに、14節では、「私があなたを誇りに思うのと同じように、あなたにも私を誇りに思う理由があることを、いつかあなたが認めてくれると信じています」。と訳したほうがわかりやすいでしょう。
「主イエスの日」とは、主イエスが世を裁くために大いなる降臨をされる日のことであり(ローマ2:16参照)、前の節が指し示していた「終末」を象徴している言葉で、パウロにとってもコリント教会は働きの実として終末の時の誇りであることを伝え、パウロは相互の信頼と尊敬を訴えていきます。
こうした、パウロの弁明を見ていきますと、我々とは異なった圧倒的な権威を持つ人としての貫禄を持った人物であるということが伝わってきます。これが、使徒という存在なのなのかもしれません。
神の御心のままに歩むパウロ
パウロは使徒としての自分が与えられた神からの使命を確信し、コリントを二度訪問して恵みを二度受けられるように計画を立てました。
この行き先の変更は、パウロの『軽率』な計画でもなく、また、『しかり』と『否』を同時に語る、コリントの教会の人々に好意を持たれるために計画をしつつ、実際は行かなかったという不誠実な計画でもなかったことをパウロは語ります。(17節)
ところで、コリント教会の人々は、パウロの旅行の変更計画をいつ聞いたのでしょうか。第一の手紙が発送される前に、この計画はすでに変更されていたかもしれません。それとも、第一の手紙が書かれる前にコリントを出発したテモテ(1コリント4:17)が旅行計画変更を告げるたかはわかりませんが、どちらの選択肢もあったと考えることが可能であり、どちらの可能性が最も高いかを判断する証拠はありません。いずれにしても、パウロのスケジュール変更に関しては、軽率であると思う人もいたようですし、行くと言いながら人にいい顔しながら、行かなかったという有言不実行というものではないとパウロは言います。
なぜ、17節で彼がこの言葉を口にしたのは、コリントの人々がパウロをそう評価していたことを伝え聞いたからでしょう。割礼派のある教師が、山上の説教(マタイ5:37)とヤコブ(ヤコブ5:12)の規則を引用し、『第一の手紙』がもたらされた時、当初の計画が変更されたことがわかると、パウロがなぜこのように行動したのか、と嘲笑しながら尋ねたということです。
17節を見ると、この当時、コリントの教会のなかに「主イエスの言葉」が習慣的に生活規則として引用されていたことを物語る箇所でもあります。
コリントの教会のなかで、こうしたパウロの反対者たちの嘲笑があったとしても、彼の真実さはその活動内容から見ても嘘偽りがないことは明らかです。パウロが宣べ伝えたキリストは、神の救いの約束のすべてを十字架と復活において成就しました。つまり、「否」と呼ばれた死に対して、復活という御業において「しかり」とした方でした。
この神の事実をたたえ、教会は『アーメン』(「真実に、本当に」の意味)と証言しています(18‐20節)。この神は、現在も信じる者をキリストに結びつけ、聖霊を与えて救いの完成を保証される真実な方です(21‐22節)。
これらすべてが「しかり」である真実な神のしもべとして宣教するパウロの言葉が、今回の旅行計画通知において不誠実であるはずはありません(18節)
訪問を延期した理由
パウロがコリント訪問を延期した理由は、彼の軽率さであるとか、思いつきのようなものではないことです。では、そうした理由でないとしたら、パウロの旅程変更の理由は一体何であったかです。それは、悔い改めないコリント教会を訪問して、そこで厳しい叱責と処罰で教会を悲しませたくないという思いやりからでした(1章23節‐2章1節)。
教会が悲しめば、パウロも他の慰めでは癒やし得ない悲しみを味わうことになるのです(2節)。裏を返せば、それだけ、コリントの教会の腐敗ぶりがうかがえるというものです。
パウロのかつての訪問は教会の不従順のために、満足な結果にはならず、コリント教会にもパウロ双方とも深い悲しみとなりました(1、4節)。
このような悲しみを次の訪問の際には互いが味わうことのないように,パウロは訪問に先駆けて、涙ながらに書いた手紙をテトスに託して送り(3‐4)、自らはマケドニヤへと赴いたのでした(13節)。
テトスが届けた手紙は、コリント教会を悲しませたことでしょう。しかし、パウロの目的はコリントへの熱い愛を表すことにありました(4節)。
厳しくも熱烈な父親の愛がパウロの愛でした。
パウロは、コリント教会において、使徒と認めない人の存在もありながらも、権威ある人物として捉えられていたことは事実です。
24節を見ると、23節の言葉が権威を振りかざしているように感じられると思い至るります。彼が本当に求めていたのは、支配することでも、叱責を与えることでもなく、彼らの「信じる喜びと平安」(ローマ15:13)のために働く同労者となることでした。彼は、彼らがキリストを信じる信仰において、自分とは無関係に主がお選びになられた一人の信仰者としてありたいと願っていました。そのための協力者が自分であるということを知ってもらいたいということです。信徒を押さえつけるような権力者でもなく、すべての恵みを奪い取るような支配者でもなく、使徒はあくまでも信仰の協力者であるということです。
不信感を受けたときに
人から信用されない、相手にもされないというのはつらいことです。尊敬されて然るべき人物であったパウロですら、そうした悩みを抱えていました。自分が集めて建てた教会の信徒たちが離れていくという現実を知ったときに、彼も人間ですから当然のことながら、うろたえたのではないかと想像します。
パウロですらそうでした。私たちを見ますと信仰や信念、祈り、行動力等々彼とは比較にもならないものですが、パウロのような立派な人物であっても悪く誤解されるというのは世の常でもあり、また教会内にもあることです。
よく聞く言葉ですが、あの人はクリスチャンなのにああだこうだという見方がされます。クリスチャンは罪を認めた罪人であるのですが、世の中では、そういう見方がされないのです。
クリスチャンは、何か聖人君子でないと収まりがつかないようでもあります。教会にあっても、あの牧師ときたらというような見方がされることもあります。パウロはしっかりとした信念と神の御心のもとに計画の変更をしましたが、コリントの教会では、彼の行動は理解不能でした。
私たちは理解できないような行動や発言を前にしたとき、なぜ、あの人がという思いに駆られ、その人を信用できないとか、あてにならないというように定義づけようとする傾向があります。特に、神の御心は人間が理解できないことの方が多いと言わざるを得ません。
パウロは自分の行動が軽率であるとか、信頼できないと思うことをも含めて、御心を行っていたわけですが、同時に彼が信じていたことは、そうした誤解を解く鍵は愛にあることだと知っていました。
彼は不品行や、目も当てられないような行状行いながらも、パウロの行動に対して非難を示すコリントの教会の人々を、断罪するのではなく、まず愛することから始めていたことです。
愛されることよりも自分がまず愛することを実践していたことが、24節から見ることができます。それが、使徒としての模範であり、キリスト・イエスが私たちに示した姿でした。
私たちも気をつけなければ、愛することを忘れ、人のあら捜しや欠点を見て、もはや修復不可能と思い至ってしまうものですが、パウロはそうは考えなかった。忍び難いことを忍びつつ、コリントの教会のために涙ながらに一心に祈っていったことを私たちは思い起こす必要があるのではないでしょうか。アーメン。
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