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ペテロ第一の手紙 3章4節      クリスチャンらしいファッション

ペテロ第一の手紙3:4
 むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人を飾りとしなさい。それこそ、神の御前で価値あるものです。

ἀλλ' ὁ κρυπτὸς τῆς καρδίας ἄνθρωπος ἐν τῷ ἀφθάρτῳ τοῦ πραέως καὶ ἡσυχίου πνεύματος, ὅ ἐστιν ἐνώπιον τοῦ θεοῦ πολυτελές.


はじめに

前回は、身を飾るものについてのペテロの忠告について語ってきました。古代ローマにおける女性のファッションの位置づけは、現代とは異なり、自分の生存のために必要とされていたということでした。女性が一人で生きていくためには困難な時代、いかに富を手に入れ、上位の社会に食い込む事ができるかが、一生を決定する時代でした。そうした時代背景もあり、ファッションというものが、自己満足のものではなく、自分を商品化し、ひいては女性の奴隷化を促進するというアイコンにもなっていたということを示しました。ペテロは、奴隷化した人間の解放とキリスト教の救いがもたらす真の意味での自由のあり方が、どういうものであるのかを、この4節で語ります。

身につけるべきファッション

 過去も現在もファッションのアイテムは、前回の3節に示されているとおり、『ヘアスタイル』、『貴金属』、『装い』の三点に絞られます。その三点に気を遣い、整えることがファッションの基本となります。こうした基本に対して、ペテロはἀλλά(アラ)と読者に呼びかけています。基本事項への移行を形成する接続詞アラは、「むしろ」というように訳されていますが、先ほど挙げた『ヘアスタイル』、『貴金属』、『装い』の三点を基準にするのではないよということです。それ以上に、基準にすべきものがあるということを示した言葉になります。

では、ペテロは何を基準にしたらよいのかということですが、それは、ὁ κρυπτὸς τῆς καρδίας ἄνθρωπος(ホ クルプトス テース カルディアス アンスロポス)であるといいます。このホ クルプトス テース カルディアス アンスロポス)ですが、直訳しますと、『隠れた心の人』をファッションの基準としなさいということです。

『隠れた心の人』とは、一体何でしょうか。それは、ἐν τῷ ἀφθάρτῳ τοῦ πραέως(エン トー アフサルトー トゥー プローオース)『滅びることがない柔和さ』という言葉が続きます。つまり、『隠れた心の人』とは、聖書が伝える三位一体の神の第三位格である、『聖霊』(Holy Spirit)です。ペテロは、この聖霊がファッションの基準であり、人が身につけるべきものとして読者に紹介しているのです。

聖霊(ホーリースピリット)

 聖霊について見ていきますと、聖霊論という本を執筆できるほどの膨大な量になりますので、具体的に聖霊とは、どういうものであるのかを引用しました。ざっとみていくだけでも、かなりの説明になります。


(4)パウロの手紙.パウロの思想において聖書の聖霊論はその頂点に達すると言われているが,次の主要な特色に目をとめる必要がある.
a.聖霊は「キリストの御霊」(ロマ8:9),「御子の御霊」(ガラ4:6)とも言われる.一方,キリストは「生かす御霊」(Ⅰコリ15:45)と呼ばれており,Ⅱコリ3:17では「主は御霊です」と言われている.また,聖霊によらなければ,だれもイエスを主と告白することができないと共に,神の御霊によって語る者はだれもイエスをのろうようなことはしないと言われている(Ⅰコリ12:3).このように,聖霊の働きとキリストの働きが密接な関係をもって理解されている.これは聖霊とキリストとの間に区別がないということを意味するものではなく,職務と目的とにおける聖霊とキリストとの一致を語っているのである.
b.聖霊の神性と人格性もはっきり教えられている.聖霊は「神の御霊」(Ⅰコリ3:16)であり,神の本質を構成している位格(〈ラ〉ペルソナ)の一つである(Ⅱコリ13:13.参照エペ4:4).永遠性(ヘブ9:14),全知(Ⅰコリ2:10),全能(ルカ1:35)といった神的属性も御霊に帰されている.また,信徒一人一人に賜物を分け与える(Ⅰコリ12:4‐11.特に11節の「みこころのままに」という表現に注意)行為を初め,父の御旨を啓示し(Ⅰコリ2:10‐12),信徒を教え(Ⅰコリ2:13),彼らのあかしを祝福する(Ⅰコリ2:4.参照Ⅰテサ1:5)といった諸行為に関する記述を見ると,聖霊の活動の人格的性格が示されていることが分る.
c.信仰は聖霊の働きによって生み出される(ロマ8:2)聖霊を受けることなしには,だれもキリスト者ではあり得ない(ガラ3:2).聖霊を持つことは,キリストに属することにほかならない(ロマ8:9).ここで,パウロの一つの表現に注意すべきであろう.彼によると,御霊を持つことは,人が神に属するものであることの「確認の印」であり,「保証(〈ギ〉アラボーン)」(Ⅱコリ1:22)である.また,「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証(〈ギ〉アラボーン)」(エペ1:14),つまり,聖霊の贈物は神を愛する者たちのために神が用意された天の完全な祝福の″手付金″である.d.聖霊こそがクリスチャン生活を持続させ成長させる源であるというのが,パウロの確信であった.肉に従って歩むことは死であり,御霊に従う者は生きる(ロマ8:6).聖霊は弱い私たちを助け(ロマ8:26),力を与え(ロマ15:19),希望にあふれさせる(ロマ15:13).私たちがきよめられるのも御霊によってである(ロマ15:16,Ⅱテサ2:13).御霊は律法がなし得なかったことを内側からなし遂げ(ロマ8:1‐4),私たちのうちに「御霊の実」(ガラ5:22‐23)を与える.クリスチャンが「肉」を殺すことに失敗するなら,それは聖霊を悲しませることになる(エペ4:30).パウロにとって,クリスチャンの生活の初めも,途中も,終りも,すべてが御霊の働きに依存していた.
e.後年の手紙において,教会の中で働く聖霊が強調されている.1つの御霊によって1つのからだとされる,つまり,教会の起りは聖霊の働きによる(Ⅰコリ12:13).教会に与えられるすべての賜物(カリスマ的,一般的のすべて)は,同じ1つの御霊によるものである(Ⅰコリ12:4,8‐11).祈り(Ⅰコリ14:15),愛(コロ1:8),交わり(ピリ2:1),礼拝(ピリ3:3)は,御霊の働きと深く結び合されている.クリスチャンが建てられ組み合されて一体となり,彼らの共同体が神の住まいになることができるのは,御霊の働きの結果である(エペ2:22).教会は生ける神の御霊によって書かれた手紙であるというパウロの主張のうちに,教会と聖霊の深い関係が印象的な形で表現されている(Ⅱコリ3:3).
f.イエスの復活において働いていた同じ御霊が信者のうちに宿っているということは,信者の死ぬべきからだの復活の保証であると考えられていた(ロマ8:11.参照Ⅰコリ15:44‐45,ガラ5:5).

引用:新聖書辞典 聖霊  2.新約聖書における聖霊.いのちのことば社

この中でも重要なのは、a.聖霊は「キリストの御霊」だということです。聖霊はすなわちキリストの霊であること、しかも、キリストの霊は信じた信者のうちに宿っているということです。

この『聖霊』は、朽ちること無い、不死の霊であり、ἡσυχίου πνεύματος(ヘーソーキウー プニューマトス)、物静かな霊であるということです。この物言わぬクリスチャンの内に内在している聖霊を身に着けなさいというのがペテロの勧めであります。

クリスチャンらしく装うこととは

私たちがイメージするところのファッションの感覚とは違うことをペテロは示しています。私たちのイメージするファッションは、古代ローマも現代も自己顕示欲の現れということがあります。自分が人からどう思われるかがその重要なポイントです。

使徒パウロは、こうした人間の傾向を下記のように記していますが、

ガラテヤ書1:10
いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。

現代においても古代ローマにおいても、人に取り入られる、歓心を買うために、ファッションを選択しているということです。自分がどう見られるかということが第一義的になっているということです。

 クリスチャンがもし、証と称して、自分はクリスチャンらしく人に受け入れられるように清貧を装っていたらどうでしょうか。周囲には、『クリスチャンらしいね。』という評価を受けるかもしれません。しかし、それは、偽善者と呼ばれた律法学者や祭司長たちも同じことをしていたことをなぞる行為でしかありません。

他人にクリスチャンらしく見られるために装うということは、偽善のなにものでもないことを私たちは学ばなければなりません。

『ヘアスタイル』、『貴金属』、『装い』の三点を基準にすること以上に、ペテロは、聖霊を基準にしなさいということを教えてくれました。その聖霊を基準にしたときに、私たちは他人の目からの奴隷ではなくなります。

他人の目以上に大切なもの、それは、ὅ ἐστιν ἐνώπιον τοῦ θεοῦ πολυτελές.(ホ エスティン エノーピオン トゥー セオー ポリューテレース)ということになります。それは、神の視点です。私たちは、他人の目や周囲の目を気にしすぎ、周囲に受け入れられるようなあり方を保とうとします。それは、前回も触れたところの、同調圧力の中に生きるという事です。神の目に是認される見方は、決して周囲の人の見方とは同じではありません。

周囲から突拍子もない、驚かれる装いもあるかもしれません。日本に福音を伝えるということを考えますと、他人の目からすれば、奇矯に映る場合があるでしょう。伝道に真剣であればあるほど、奇妙に映る、変わっている、日本の社会に相応しくないと同じクリスチャンからも思われることがあります。しかし、どうでしょうか、サムエル記下6章12~23節を見ますと、

ダビデの裸踊りの箇所があります。

 歴代誌上15:2の記録によると、今度は、イスラエルの長老と千人隊長と共に行き、祭司とレビ人たちが竿を肩に当てて神の箱を担ぎました。「主の箱を担ぐ者」が六歩進んだとき、神が担ぐ者を助けてくださったので、ダビデは肥えた雄牛をいけにえとしたささげました。ダビデは祭司の装束である「亜麻布のエポデを上着まとい」、力の限り踊りました。サウルの娘ミカルは窓からこれを見下ろしていたが、喜び踊るダビデを見て、心のうちにさげすみました。「ダビデとイスラエルの家はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛を吹き鳴らして」、神の箱をエルサレムに迎え入れました。ダビデは主の箱を自分の張った天幕に安置すると、主の御前に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ、万軍の主の御名によって民を祝福し、兵士や群衆のすべてに喜びの記念の品として、菓子やパンなどを分け与え、民を家に帰しました。ダビデが家の者に祝福を与えようと戻って来ると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えて言いました。ミカルは、皮肉たっぷりに、「今日のイスラエル王は御立派でした。家臣のはしためたちの前で裸になられたのですから。空っぽの男が恥ずかしげもなく裸になるように。」と言ったのです。神の僕であるよりも、人民のうえに権力者として君臨することを欲したサウル王の娘として、ミカルは王としての威厳を失ったダビデの姿に嫌悪を覚えたのです。カナン風の陶酔的な祭儀は、彼女にとって異質なものに見えました。神の前で興奮して踊るうちにエフォドが脱げ、裸身をさらして踊るダビデの姿は彼女にとって、いやらしい、はずかしく、みにくい姿に映ったのです。

引用:日本福音教団富谷教会 礼拝説教 辺見宗邦牧師
「神の箱の前で跳ね踊るダビデ王」 サムエル記下6章12~23節
2014-04-06 21:13:53 | 礼拝説教


こうした事例を見る限り、私たちは、周囲の目を気にしてはいけないということです。御霊を装う。そこに私たちが周囲の目から自由になる秘訣があることを覚えていきたいと思うのです。

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Translation 聖書対訳

【NASB】but let it be the hidden person of the heart, with the imperishable quality of a gentle and quiet spirit, which is precious in the sight of God.
いや、それを心の隠された人としなさい、
優しくて静かな精神の朽ちない性質こそ、神の目には貴重です。

【KJV】But let it be the hidden man of the heart, in that which is not corruptible, even the ornament of a meek and quiet spirit, which is in the sight of God of great price.
むしろ、朽ちることなく、柔和で静かな精神の飾りにこそ、それを心の隠された人としなさい。それは大きな価格の神の目に大きな価値があります。

Lexicon レキシコン

ἀλλά、c \ {al-lah '}
1)しかし1a)それにもかかわらず1b)異議1c)例外1d)制限1e)いや、むしろそう、さらに1f)基本事項への移行を形成する

κρυπτὸς  Case N Number S Gender M
κρυπτός,a \{kroop-tos'}
1)隠された、隠された、秘密

καρδίας  Case G Number S Gender F
καρδία、n \ {kar-dee'-ah}
1)心臓 1a)血液の循環の中心であり、したがって肉体的生命の中心と見なされた動物の体の器官 1b)すべての肉体的および精神的生命の中心を示す2a)活力と感覚 肉体的生活の2b)精神的生活の中心と座2b1)魂または心、それは思考、情熱、欲望、食欲、愛情、目的、努力の泉と座である2b2)理解、能力と 知性の座2b3)意志と性格の座2b4)悪い方法または良い方法で影響を受けてかき混ぜられる限りの魂の座、または感性、愛情、感情、欲望、食欲の座としての魂の座、 情熱1c)無生物であっても、何かの中間または中央またはほとんどの部分

ἄνθρωπος
  Case N Number S Gender M
ἄνθρωπος,n \{anth'-ro-pos}
1)男性か女性かを問わず、人間1a)一般的にすべての人間を含む1b)人間を異なる順序の存在から区別する1b1)動植物の1b2)神とキリストから1b3)天使の1c) 弱さの概念が追加され、それによって人間は間違いに導かれるか、罪を犯すように促されます1d)軽蔑または軽蔑的な哀れみの補助的な概念1e)人間、体と魂の2つの性質に関連して1f) 人間の二重の性質、堕落した人間と真のクリスチャンの人間は、神の性質に一致しました1g)性別に関して、男性2)無期限に、誰か、男性、1つ3)複数形、人々4) 言い換えれば、商人

ἀφθάρτῳ  Case D Number S Gender M
ἄφθαρτος,a \{af'-thar-tos}
1)腐敗していない、腐敗や腐敗の責任がない、不滅の1a)物事の2)不滅の2a)復活した死者の

πραέως
Case G Number S Gender N
πραΰς,a \{prah-ooce'}
1)性向の穏やかさ、精神の優しさ、柔和さ

ἡσυχίου
Case G Number S Gender N
ἡσύχιος,a \{hay-soo'-khee-os}
静かな、静粛な、
〔人が〕無口な、寡黙な
物静かな、朴訥とした
ひっそりとした、目立たない、地味な、内密の、内に秘めた
平穏な、穏やかな、平和な
〔混乱のない〕静かな、穏やかな、〔心配のない〕冷静な、落ち着いた
〔動きのない〕一定した、安定している

πνεύματος Case G Number S Gender
Nπνεῦμα、n \ {pnyoo'-mah}
1)三位一体の神の三人称である聖霊は、父と子と同等であり、父と子と永遠である1a)時々彼の人格と性格を強調する方法で言及される(\\聖霊)1b)時々言及される彼の仕事と力を強調する方法で(\\ Truth \\の精神)1c)非人格化された力とは決して呼ばれません2)精神、すなわち体が活気づけられる重要なプリンシパル2a)合理的な精神、人間が感じ、考え、決定する力2b)魂3)精神、すなわち、すべてまたは少なくともすべてのより大きな問題を欠き、知り、望み、決定し、行動する力を持っている単純な本質3a)生命を与える霊3b)体を離れた人間の魂3c)人間よりも高いが神よりも低い霊、すなわち天使3c1)人の体に住んでいると考えられた悪魔または悪霊の使用3c2)最高の天使よりも高く、神に等しいキリストの霊的性質、divキリストの本質4)誰の魂も満たして支配する性質または影響力4a)力、愛情、感情、欲望などの効率的な源5)空気の動き(穏やかな爆風)5a)風、したがって風自体5b)鼻孔または口の呼吸

ἐνώπιον ἐνώπιον、p \ {en-o'-pee-on}
1)1a)の前に占領された場所の存在下:いずれかの反対側の前または反対側にあり、別の人が目を向ける場所

πολυτελές 
Case N Number S Gender N
非常に費用がかかる、高価、貴重、非常に高価


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