あの時の君に
サムライと
少年の顔を
併せ持つ
君の姿を
楽しみに待つ
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文章を読めば、当時のことを思い出す。
思い出すことは忘れないこと。
忘れないことは追悼になる。
上記の想いで三浦春馬さん(以下、親しみを込めて春馬)について書いています。
お付き合いいただけたらうれしいです。
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透き通る透明感
凛々しい顔つき
宝石のような瞳
屈託のない笑顔
経験と思慮深さから裏打ちされる演技力
そして
その妥協のなさ
彼を評するには沢山の言葉を要し、選択に苦労する。
10年ほど前、私が彼を熱心に応援してた時、画面又は紙面越しで彼を見て感じていたのは「アンバランスさ」だった。
バラエティ番組で家族の話をしていても、多くの仲間に囲まれて笑っていても、
私の瞳には、まるで一人で生きているような孤独を抱えた人のように映っていた。
他人との境界線がやんわりと、しかし他の人よりもしっかりと引かれていて、彼の内側には誰も立ち入らせない
懐っこいのに、孤独
今思うと、そのアンバランスさが彼の魅力だったのかもしれない。
最近の彼は、以前のような(といっても私がしっかり応援していたのは「君に届け」の告知などででバラエティ出演してた頃まで) たどたどしさや人見知りな様子がなく、スマートで理知的、優しくてとても気が利く姿が目立っていたけど、本人が一生懸命頑張ってなりたい自分になった結果だったんじゃないかな。
アンバランスだからこそ人に優しい。
孤独を抱えているからこそ、集団の中で元気がなく寂しい思いをしている人に声をかける。
彼にまつわる生前のエピソードは、優しさから醸し出される言動がとても多く、その一つ一つに驚かされる。
城田優くんが自身のインスタで「彼はファンの皆さんに感謝していました」と投稿している。これも本当にそうだったんだろう。
最近購入した雑誌(とはいっても2019年のもの) に、キンキーブーツ再演時の彼のインタビューが掲載されていて、その中でこう語っていた。
「ローラの強さは弱さから来ているんです」
ローラの演技はやりすぎずに繊細に演じる必要がある、という趣旨の内容だったが、私の中でこの言葉がストンときて、少し元気をもらえた。色々と仕事で疲れてたときだったので、あ、弱いからこそなんだ、と背筋が伸びた気がした。
彼だからこその、言葉だと感じる。
同時に、「太陽の子」オンエアの際の記事を思い出す。この8月に文春オンラインに掲載されていたものだ。
「彼は必死に生きようとしていた。戦争中の若者たちがそうであったように、すぐそこに迫り引きずり込もうとする死の影を振り切るように明るく、希望を探そうとしていた。」
確かに、せかほしのMCでも、マイナスなことは一切言わずに丁寧な言葉遣いで相手の気遣いに溢れていて、生きることにいい意味で前向きなる姿勢がうかがえる。
彼の生前、特に気を留めていなかったが、そういえばせかほしでの彼の言動で違和感なくいつもさわやかな気持ちにさせてくれた。
それも後から気づいたことだ。早く気づいて本人に直接言葉を届ければよかった。
三浦春馬が亡くなったから悲しい、というより、年の近い、繊細な青年があんな風な亡くなり方をしたことが辛い。
あー、私なんかじゃいいアドバイス出来ないしメンタル豆腐だけど、背中くらいならぽんぽん叩けるし、とか現実的じゃないけど思ってしまうわ。
画面越しで見目麗しい姿を見ながら「あー、知ってる?本当にいい俳優なんだよ、また舞台行きたいなぁ」と、いつまでも、言いたかったな。
ボーナス、今年も無事もらえた。落ち着いたら、「サムライハイスクール」のDVD BOXを買おう。
「天外者」も初日に観てきたし、あと2回は行くと決めてるけど
今は「サムライ」の頃の春馬を思い出して、殺陣キレッキレだなぁ、サムライの時の言葉遣いいいなぁ、とか、変顔かわいいなぁ、と呟きたい。
だって、その時の春馬はまだ少年で、あどけない表情をしていて、舌足らずで、アンバランスだったけど、
あの時の君に、わたしは元気をもらったから。
思い出すのは、あの時の君ばかりだから。