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愛音の「燈ちゃんの所為だよ」の意味を考える〜TVアニメ「BanG Dream! It's MyGO!!!!!」考察〜

「燈ちゃんの所為だよ」

愛音のこのセリフが引っかかっている
愛音が燈に説得され、バンドに戻る事を決意する時の言葉
燈の問いかけに対して直接応える言葉では無く、何処かに違和感があるが、とても納得してしまうセリフ
しかし、その違和感と納得する理由をどうしても上手く説明出来ない

愛音はどういう人間か
どうしてバンドを続けているのか
燈とはどういう関係か

そもそも、これらを十全に説明できる自信がない
このセリフというよりも、千早愛音という人間について自分が理解しきれていない

その不理解を少しでも解消すべく、愛音に関する考察をここにまとめてみる

1)簡単な答え

最初に一つ確認しておくと、「燈ちゃんの所為」とは何かの答えは、すぐに挙げられるモノはあるだろう

愛音は自己顕示欲が強く、自己中心的な人物であることは最初から物語の中で示されている
自分の自尊心を満たすべく行った海外留学に失敗したが、遅れて入学したクラスで再起すべく、注目を集める為にとクラスのマスコット的人物である燈を誘ってバンドを始める
当然そのバンドは愛音にとって自分中心のバンドじゃなければならなかったが、紆余曲折の結果、自身はサイドギターに落ち着いてしまう
その上、他のメンバーのそよから「要らない」とされ、傷心してバンドを離れたのに燈から戻るよう説得され、その結果出たのがこのセリフである

なので「燈ちゃんの所為」とは、単純に考えると

・自身の人気取りとは関係なくバンドをすること
・それがサイドギターであること

だろう

しかしよく考えてみると、それはこの時よりも前に愛音の意識が変わり納得してやっていた事であり、単にこの事を指して言っているとは思えない

2)愛音の改心

愛音は第5話のエピソードで意識が変わり、自身の立場を納得することになる

愛音は中学の同級生に再会して逃げ出し、自分の海外留学失敗を燈に告白して燈から慰められる
たとえ逃げても、「迷子」になっても先に進んでいることを燈に認められ、愛音はバンドを続けることを決意する

その後、愛音は熱心にギター練習をする様になるし、そのポジションもボーカルを燈に譲り、リードギターを楽奈に譲り、サイドギターに落ち着く事になる

確かにこの時の愛音は燈の慰めで、つまり「燈ちゃんの所為」でバンドを続けることを選んだとも言えるだろう

しかし、「燈ちゃんの所為だよ」と言った時の愛音は、既にその頃の愛音から更に変わっている様に思う
愛音はそよから要らないと言われても練習を続ける程、ギターに対して強い動機を持っていたからだ

3)愛音の成功体験とその否定

では、愛音がギターを続ける強い動機を得たきっかけは何かと考えると、一つ明らかな体験は「春日影」を演奏したライブの成功体験が挙げられるだろう

それは愛音にとってそれまでの練習の成果を出せる場所であり、最初は緊張から何度も失敗する
しかし、緊張が解れた後は見違える様に演奏できる様になり、観客の中にはクラスメイトも居て、名曲「春日影」の演奏は多くの歓喜を呼び込む事にも成功し、ライブは大盛況のうちに終える事になる

これにより愛音はサイドギターでも充分自分の目立てる場所であると認識した事だろう
これが愛音のギターを続ける強い動機を持たせる体験だったのは間違い無い

しかし、この成功体験をもってしても、やはりこの時の愛音がギターを続ける動機とするにはまだ弱い気がする
なぜなら、愛音は燈からも否定されたかの様な状態に陥っていたからだ

燈は元CRYCHICメンバーという点ではそよと同じ立場に居て、この時の愛音は燈からも「私要らないんでしょ」と思える状況にあった
単にバンドを続ける理由が燈から慰められ、理由をつけられただけなら、燈からも必要とされてないかもしれないと思った後で、それでもなおギター練習を続けるだろうか

ここに、この「燈ちゃんの所為だよ」と言った愛音のセリフを理解しきれないと思う部分があるのだ
このセリフの中には、愛音が単に成功体験だけ、目立ちたいだけでは行動してない何かが含まれている
もっと奥深い、愛音の本質を吐露する言葉なのでは無いかと思える

4)愛音の本質

愛音のバンドへの強い動機を探る為には、愛音という人物の本質を探らなければならない
少なくとも、物語上で愛音の内面を表していると思える彼女のモノローグでは、自己顕示欲が強くて自分本位な性格と思えるセリフが語られるだけで、それ以外の内面があまり見出せない

しかし、そんな彼女自身が自覚的なところではなく、あくまで彼女の行動として現れているところに、もっと別の彼女の本質を表す内面がある様に思う
そんな隠された愛音の本質を探る必要がある

愛音は燈を自分の人気取りの為に利用しようとしてバンドに誘う
しかしその後、燈が落ち込むとそれが嫌だからとカラオケに誘う

愛音は燈から「一生バンドしてくれる?」と問われ、あまりの重い発言に笑ってしまう
しかし笑われた燈がカラオケ店から逃げ出してしまうと、自身もカラオケ店を飛び出して追いかけて謝る

これらの行動から、愛音が単に自己中心的なだけでは無い人物像が見えてくる
愛音は人を利用することもあるが、それはあくまでその人の心も大切にする事を前提にしている
人の心を決して疎かにせず、自分に非がある時は素直に謝る

特に顕著だったのが、立希に対する行動だ
ギター練習の際、立希から理不尽な程きつい言動を取られたのに、その結果口論した時にはまず自分にも非が有る事を素直に認め、自ら率先して逃げ出した立希を呼び戻そうと行動する

更には、この燈からの説得後の行動になるが、自分を利用していたそよに対しても驚くべき寛容さをしめし、率先してバンドに戻そうとしている

これらを鑑みると、愛音の根本には驚く程の寛容さと人に対する優しさがある

愛音の本質は、自身でも無自覚なほど身に染みついた人に対する優しさと寛容さであり、ただ同時に自己顕示欲が強いだけなのでは無いかと思える

5)ノブレスオブリージュ

更に言えば、愛音の自己顕示欲の強さも、この無自覚な寛容さ、優しさを合わせて考えてみると、理由がある様に思えてくる

愛音が何故この無自覚な寛容さ、優しさを持ち合わせているかと考えてみると、彼女の生まれた環境の良さや、彼女自身が生まれ持った優れた能力などがそうさせている様に思える

愛音は、自身の思い立ったがままに海外留学も出来てしまえば、欲しいと思ったギター機材を躊躇無く購入するなど、経済的に優れた環境にいる
そんな育ちの良さが故か、何事にも織り目正しく、学業からギター技術の習得に至るまで、基本をこなして確実に能力を高める才能を持ち合わせている
恐らく愛音は、それまでの生い立ちの中で、同年代の他者より劣る事などは殆どなく、誰に対しても助け、与える立場にあったのでは無いだろうか

だからこそ、愛音は誰に対しても優しいし、常に寛容になれる
彼女の優しさ、寛容さは、「持てる者」の責任=ノブレスオブリージュとして、その人格に刻まれている様に感じられる

そして、そんな人格を保有している者が、中学校の様な子供の中に、つまり基本的に弱さを隠せていない集団の中に居た時、どう感じて、どう行動するか
自分の行動が弱い他者を良い方向に導くなら、自分が集団の中心になる方が良いし、その為にはより多くの他者に影響を与えるられる様にと、目立とうとするのでは無いだろうか

愛音は中学時代、正に生徒会長として、多くの生徒から慕われていた様子が描かれている
それは、特に政治的な野心とかを持たない愛音の性格からすると、単純に能力の高い彼女が他者を助け続けた結果辿り着いた当然の立場として、他生徒に祭り上げられたからの様に思える

6)幼年期の終わり

この様に、愛音の性格の形を考察していくと、彼女がバンドの中でギターを弾き続ける動機の強さも何処となく推測出来る

中学生から高校生頃の年代は、子供から大人に変わる年代でもあり、単純な能力差による上下関係などが崩れてくる時期でもある
中学生の生徒会長時代にも、それを認識する様な出来事はあったに違いない
これは推測でしか無いが、愛音の海外留学は、そんな既に自分の立場の優位性が崩れて来ていることから来る焦りから思い立った、無謀な冒険だったのかもしれない

そして、この海外留学失敗は、愛音にとって自分が普通の人間だと認識する出来事だったのだろう
子供時代の超人的な意識は否定され大人になる、正に幼年期の終わりと言える

愛音は高校生再デビューの際に、自身が元生徒会長であった事など意識する事もなく、まずはクラスに溶け込む事に腐心している

それは愛音にとって、凡人として生きる初めての言動であり、そこには自分の為に他人を利用するという、今迄に無い浅ましさがあったのかもしれない

しかし、その結果として、自分とは全く真逆の、燈という存在と出会う事になる

7)人生の指針としての「迷子」

燈は愛音とは全く真逆に、「持たざる者」として生きて来ている

燈は決して経済的に貧乏では無いだろうが、ごく普通の公立中学に通っていたと思われる
そして、何より燈には人から「不思議ちゃん」と呼ばれる様な特殊な性格からくる「生きづらさ」があった
燈は、物語の中で語られている様に保育園の頃から失敗を繰り返していたであろうし、それは自分の人生を「持たざる者」として認識させるモノだっただろう

しかし、だからこそ燈は失敗しても立ち直る事を繰り返してきた筈だ
物語の冒頭、CRYCHICの解散で大きく傷心していた時も、愛音にカラオケに誘われてバンドのやり直しを誘われたら、すぐに「一生」という担保と共にその再開の可能性を示そうとしている

逆に愛音は、「持てる者」だった自身の始めての大きな失敗から目を背け、目の前にぶら下がったクラスに溶け込むための安易なツールである「バンド」に逃げているつもりになっていた

しかし、そんな失敗から逃げて落ち込む愛音に、燈は自分の傷付いていた心を重ね合わせて言葉を贈る
燈は、愛音が「逃げてない」と言い、道を見失っても先に進もうとする者「迷子」として、自分もそうなりたいという肯定的な捉え方をする
失敗を繰り返しているであろう「持たざる者」燈のその言葉は、失敗から立ち直る経験の乏しかったであろう「持てる者」愛音にとって、強く響いたことだろう

その後、愛音は常に燈と行動を共にして、ギターの練習も、例え立希から厳しく言われてもライブのある日まで熱心に行い、立希から「大成功」と言われる様な成果を出している

この燈の言葉「迷子」は、愛音にとって単なる慰めでも無ければ、自分の立場を受け入れる納得でも無いだろう

この言葉は、幼年期の終わりを迎え、その先の大人としての生き方を考えなくてはいけない時に得た言葉であり、言ってみれば「人生の指針」とも言える言葉として、愛音の心に刺さっているのでは無いだろうか

だからこそ、例え自身の成果が燈から否定されたかの様な状況になったとしても、そのギター練習をして先に進むという行動は拭い去る事が出来なかった様に思える

8)人生は誰の所為?

この様に愛音の本質、ギターを続ける強い動機を持った経緯、人生の指針を確認した上で、改めて愛音が「燈ちゃんの所為だよ」と言った状況をまとめてみる

そもそも愛音は、本心では燈が愛音を否定したと思ってはいなかっただろうと思える
そよから愛音とは一緒にバンドをやらないと言われている様な状況の中、そよを諦めない燈を先に進ませる為には、自らが身を引くことしか方法が思いつかったのだろう
そんな燈の為を想う自身のプライドの為にも、燈とは関われないと心を閉ざしていた様に思う

そしてこの時、燈は愛音をどの様に認識して行動していたか

燈にとってCRYCHICと新バンドの違いは些細なことでしか無く、ただ愛音とよそと一緒にバンドをしたいと思ってる
更に、燈にしてみれば愛音は燈にバンド再開を促した張本人であり、自身がバンドの為に動いているのもそんな愛音の所為でもある

言ってみれば、燈にとっての愛音は、迷っても先に進む「迷子」の同士であり、そよに傷つけられても立ち直って一緒に進んでくれると信じていたい存在だっただろう

だから、燈は愛音に対してだけは最初からバンドに戻るよう促しているし、何時まても拒み続ける愛音に対しては、強く詰問する様にバンドに戻る事を要請する
それは、愛音に対する強い信頼があればこその言動だろう

そんな燈からの強い要請を受けて、愛音は諦めたかの様にバンドに戻る事を承諾した

その時のセリフが「燈ちゃんの所為だよ」

それは、実際には、当初は愛音自身が燈を動かし、そんな燈が愛音の行動を表した言葉から人生の指針を受け取り、燈からの信頼を受けて愛音が本来やるべき事に気付かされて出した結論だ
その全ては自分と正反対の存在である燈を通してはいるものの、その判断の全ては愛音自身から発した意志と行動によって決まった結論と言えるだろう

つまり、愛音は「燈ちゃんの所為」と言っているが、実際には、この決断は「自分の所為」と言うべきかもしれない

そして、それは聡明な愛音であれば感覚的に認識はしているだろう
人生の決断の責任は、常に自分の所為だ

そもそも、この言葉自体が愛音の本心では無いのでは無いだろうか

9)貴女に宛てて

「燈ちゃんの所為だよ」と言う言葉に感じていた違和感は、燈の言葉に答える言葉では無いという事に加えて、そもそも愛音の本心では無いかもしれないという事もある様に思う

それでもなお、この時の愛音は、敢えて「燈ちゃんの所為だよ」と言った

その理由は、自分の隣を同じ「迷子」として歩んでくれる燈に対してだからこそだろう

幼年期の終わりに得た人生の指針、そこから努力して得た成功、そして、そんな自分で蒔いた種から出した自分自身の決断
そんな様々な出来事の中で、常に強い影響を与えてるパートナーとして、隣には燈が居てくれた
それを燈に伝える為に、愛音は敢えてこの言葉を選んだ様に感じられる

この言葉は、愛音の心の大切な場所に燈が居るという事を伝える、親友としての告白の言葉と言えるのかもしれない

おわり

↑内容が重なる部分の多い拙文

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