「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」は〇〇〇〇なのか
劇場先行版『機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-』を観てきたよ
今日から上映だってことも知らなくて、レイトショー直前に気がついて観たから、観たばかりのほやほや
事前情報もほとんど入れてないから、ホント新鮮な気持ちで観られたよ
とても面白かった
そして、何処か感傷的な気分にもなった
この想いを新鮮なうちに文にしておきたいので、ネタバレ上等で感想書くよ
1)シャアの夢
最初に感じたのは、これは
「逆シャアの光の中でシャアが夢見た理想の歴史」
なんだろうな、という事
ジーンが居ない
それだけで宇宙世紀の全ての歴史が変わってしまう
この妄想は初代ガンダムを見た者なら一度は考えた事だろう
それをそのままリアリティのあるIF歴史として描いてるのはメチャワクワクする
しかし、その後シャアが宇宙の覇権を握るかという一歩手前で謎の現象が起こり、シャアは消えてしまう
それは奇しくも「小惑星落としにおいて二人の傑出したニュータイプが出会う」という逆シャアと同じシチュエーションにおいて起きたこと
それは、この世界がシャアが落下するアクシズの光の中で自身の半生を振り返り、悔いを残した最初の出来事を改変した歴史を夢見、サイコフレームとニュータイプの力によって創造した世界だから
そして、全てが上手くいく一歩手前でそれを許さない思念が、シャアを現実世界「逆シャアの世界」に引き戻したから、彼は消えてしまったのでは無いか
2)トミノ監督激オコの世界
そして次に感じたのは、これをトミノ監督が観たらきっと激怒するだろうな、ということ
いや、もしかしたらトミノ監督はこれを表面上は高く評価するかも知れない
けど本心では、深く怒るはず
何故ならこのGQuuuuuuXの世界は夢の世界=オモチャの世界だから
ここで描かれているIFの戦史はとてもリアリティのある歴史であって、それは現実味のある物語として見応えがある
しかし、その結果描かれたニュータイプの描写は、よりファンタジー色を加速させたモノで有り、オリジナルにもあった心象世界が別の世界に繋がる様な描写がある
その描写はこのGQuuuuuuX世界そのもの現存性を曖昧にさせる
その描写は映画「インターステラ」で描かれたSF的現実味のある描写に近しいが、しかし同時に、「エヴァンゲリオン」で繰り返された人類補完計画の、実質的には心象世界であることをどうしても想起してしまう
このGQuuuuuuXの世界は心象世界なのか
そんな思いの中で始まるのは、女学生によるモビルスーツの格闘ゲームの物語
そのモビルスーツチームリーダーは、まるでポケモンバトルの女悪役の様な容姿と言動をしてて、そこで活躍する可愛らしい女主人公も、リアリティからは程通い高い能力を持っていて、当然バトルに勝利する
ガンダムなのにその戦闘シーンの雰囲気は何処かポケモンバトル
オモチャの世界の戦闘だ
この物語は子供に夢を与える事も考えていたトミノ監督にとっては本来作るべき作品でありつつ、実際にはそんなモノは唾棄すべきモノとして、ホンモノの戦争の描写に固執した監督にとっては、到底許すことの出来ない作品でもある様に思う
3)夢の世界に捨てられた人達
GQuuuuuuX世界の一年戦争においてシャアと行動を共にしたのはシャリアブルだった
彼はニュータイプとして、シャアと二人でこの世界を作り上げてきた
しかしシャア消失後、この世界に一人取り残されてしまう
この物語はそんなシャリアブルが自分の半身とも言えるシャアを探し求める物語とも言える
シャアが消え、一年戦争が終わり、その後はジオンが勝利した、しかしそこに住むスペースノイドにとっては大して変わり映えのない、クソみたいな世界が残ってるだけ
それは誰かが夢見て、そして見捨てられた世界だ
シャリアブルは心の中に戦争の熱を持ちつつもそれを表に出す事も無く、鹵獲したホワイトベースの慣れの果ての草臥れた戦艦と共に、同じく鹵獲して赤色に塗り替えた、しかしシャアと共に消えた初代ガンダムを探している
これはガンダムが起こしエヴァンゲリオンが爆発させた狂乱のアニメオタクブームという戦争の果て、オタク世界がそれを引き起こした張本人を残してどこかに消えてしまい、その食い荒らされた世界の中でオリジナルのコピーであるオタクの残滓を探す物語なのか
見捨てられた夢の世界の中で夢の残滓を追い求める旅
なんとも感傷的な物語と思える
そして、そんな見捨てられたオジサンが縋るのは、現実に抗おうとする美少女たちだ
その構図に何ともいえない思いが浮かび上がってくる
4)追い求めるマブ
シャリアブルはシャアをマブとして追い求める
マブとはモビルスーツ戦のバディを言い表す造語らしいが、この言葉「マブ」が何度も繰り返し使われることから、この物語のテーマがそこにある様に感じてくる
つまり、この物語はマブ=親友を作ることがテーマになっている様に感じられる
モビルスーツのクランバトルは、まるでラップバトルやダンスバトルの様な若者文化をイメージさせる様に作られている
そんなアンダーグラウンドにおいて、クソみたいな世界に疑問を持ってる少女が偶然手に入れたガンダムと共にクランバトルに参加していく
お仕着せのクソみたいな世界からアンダーグラウンドにある若者文化への逃走
本当の自分を解放するためのガンダム
そして、そこで最も大切になるのはマブと呼ばれる、信頼できるガンダムバトルの仲間
ガンダムというツールを使い、今の若者が求めるであろう要素をこれでもかと詰め込んでいる様に思う
5)ガンダム足り得るか
これが劇場版として今見たところまでの率直な感想だ
やはりこの作品にはそこかしこにカラー味を感じてしまい、それはそのままエヴァンゲリオンを想起し、そんな色眼鏡で観ると既存のガンダム作品に感じるモノとは全く違う感想に至ってしまう
恐らくそれは完全なみくびりであり、きっとこの先は予想の付かない展開が待っているだろうと確信はしている
シャアの夢であり、オモチャの世界であり、オタクの夢の残滓であり、若者の望みでもある
これらが既存のガンダム作品に感じてきた「重み」みたいなものにたどり着くことに期待したいものだ