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眠り姫を覚ますには?〜BanG Dream! Ave Mujica5話感想①〜
やっと一息つけたな
解散後、それぞれの日々を始めるAve Mujicaメンバー達
MyGOメンバーの活躍もあり、このシリーズで初めて楽しい気持ちの方が大きい回だった
しかし、これはまだ「奈落の途中」なのだとか
この後の衝撃に備える為にも、気が抜けない状況なのは変わらないね
1)何故、バンド解散は起きたのか
前回、睦が二重人格を発症した事が明らかになり、それをバンドメンバー全員も知る事となる
これが実際にバンドメンバーやその他の関係者にどの様に扱われて今回につながっているのかは気になる所なので、推察しておきたい
まず、睦のモーティス覚醒が引き起こしたバンド解散の流れを確認しておく
祥子は睦がモーティスに人格を乗っ取られている事を認識し、完全に心が折れてしまった様だ
翌日に控えているステージをやらねばならないとは思っていても、睦自身が復活すること以外が思い浮かばない程に心が折れていて、正常な判断が出来なくなっていたと思われる
しかし、他のメンバーはそんな祥子の変化には気が付かない
今まで祥子が強力にバンドを引っ張ってきたからこそ、その祥子の変化に気が付かず最後までバンドの判断をさせようとしていた様に思う
そもそもこのバンドは、まず祥子のモチベーションがあり、他のメンバーは自分に都合が良いからそこに乗っていただけ
メンバーは祥子に求めることはしても自身で決断することはしない
にゃむちの暴走も、小さな抵抗ではあっても革命をしたい訳ではなかった
実際のところ、このバンドの価値は祥子が脚本を書く演劇に大きく傾いており、祥子が動かなければ方針転換は不可能とも言える状況にある
この場では、海鈴がサポートを手配してなんとかバンドの体裁を保つか、モーティスがアドリブを駆使して演劇だけで乗り切るか、中止するかの三択となっていた
海鈴案のサポート手配は最も現実的であり、それが不能と分かれば改めて中止を発表すれば良いので、この場で取れる最良の判断だっただろう
モーティス案のアドリブは、中止を回避する確実な方法ではあるが、それを実行するには様々な事に対してあまりにも無責任だ
にゃむちはまるでモーティス案を押す様に祥子に決断を迫ったが、実際にはどちらでも良かっただろう
しかしここで祥子は判断が出来なかった
祥子の成り上がりの夢は、結局、自分の心を癒すことが最優先だった
いや、それ以上の事も心の中に漠然とあっただろうが、睦の悲劇により今はそれを思い出す余裕は無い
にゃむちの様に成り上がりが夢でもゲストも大切にするという所まで思い至らない
それでにゃむちの今迄のバンドへの不満がまた出てくる
にゃむちの価値は世間に受けるかどうかが最優先なので睦絶対主義になっている
元々、それを活用出来てない祥子とこのバンドそのものに不満があった
睦を活用するか、睦が駄目になってしまったとしてもそれ以外の価値を与えてくれる祥子が居なければ、もはやバンドに拘る価値は見出せない
祥子にとって睦が親友であろうが無かろうが、その扱いの判断が出来ない時点でこれ以上は付き合えないと思ってしまう
そして、祥子の折れてしまった心は、にゃむちの提唱する解散に抵抗出来ない
確かに祥子の最優先はCRYCHICの夢の再現であり、それは自身の悲しみへの癒しであると同時にゲストとの共感でもあった筈なのに、Ave Mujicaでは自身の悲しみを増やすばかりでゲストとの共感を考えるゆとりなども無い
そうなれば、バンドを継続する理由そのものが、もう見出せない
ただ睦だけを外す事はできず、その復活を願うのみとなってしまう
初華も海鈴も結局は祥子に判断を委ねている
結果として、祥子が拘りを見せている為、精神症を発症している睦を外してライブするという判断に辿り着かず、ただ解散という結論にのみ達してしまった
2)蛇足、もしくは伝説としての舞台
福岡ステージの開幕はある意味蛇足ではある
Ave Mujicaとしての拘りとゲストへの誠意として、メンバーとしての終幕を見せたかったのかもしれないが、それは逆にゲストにより大きな不安を与え、チケットの払い戻しにもなってしまう
しかし、結果としてゲストにはより大きなAve Mujicaの幻想を与える事にもなっていた様だ
これの実施は祥子の拘りによるモノだろうが、彼女の天性のプロデュース力は、この様な場面でも生きていたと解釈すべきだろう
しかし、それは睦という二重人格を患う患者に対しては残酷な処置だったと思う
睦はモーティスとして自身がステージ立つことを求めただろうし、それに祥子も乗ったのだろうが、それはモーティスに「モーティスを演じる事」を更に求めた事にもなる
本来であれば、これは精神病患者に対してやるべきでは無い
しかし、これもまた逆に「人形モーティスという存在の死」を演じさせる事で、一種の精神療法、認知療法になっていた可能性はあるかもしれない
睦の解離性同一症は、自身の心の中に舞台を作って演じる謂わば演劇型の憑依であり、その配役にその舞台からの退場を演じさせることは、その憑依している人格を弱める作用になったかもしれない
3)睦はどの様に取り扱われていたのか
こんな結果的な荒療治をしてもモーティスは睦に戻る事は無く、睦の眠りは醒めない様だ
その後、睦は姿を現さず、祥子が関わる様子も描かれない
そこに何があったかは推測するしか無いが、ちゃんと医者にかかってはいるだろう
そして、発現している人格がモーティスであると名乗っていることから、あくまで睦の解離性同一症はAve Mujicaと祥子が原因とされ、祥子は遠ざけられた可能性がある
実際には、睦の解離性同一症は幼少期からの芸能活動による一種の虐待から生じていることであり、その多重人格の一つである人形とモーティスが同化して発症しているので、祥子はかなり多くの他者(主に両親)の罪を冤罪として被る事になったとも言えるが、それは祥子自身にもわからない事だろう
そして睦は引きこもり、そこにそよが訪ねて行く事になる
ここでそよが睦に会える状況も、色々と解釈する余地がある
そよは元CRYCHICメンバーなので視聴者から見れば祥子と同類か、場合によっては睦を責める、より良く無い存在とも言える
しかしこの場にはお手伝いさんしかおらず、母の森みなみは不在
このお手伝いさんは、森みなみから睦にAve Mujicaメンバーを会わせてはいけないが学校の友達は会わせても良い、などとと言われていたのかもしれない
対人関係を取り入れるのは心理療法として有りなので、それを大雑把に遂行していた可能性はある
4)眠り姫を覚ますには
ともあれ、結果的にそよはモーティスと会えた
モーティスは先の舞台で退場を言い渡されていて、明らかに人格として弱まっている
モーティスは自身から睦に替わってもらおうとすら思っている様だが、深く傷付いた睦は眠りから覚めないという状況らしい
子供の様なモーティスは、今迄睦に辛く当たってきたそよを嫌っているだろうから、そよを見て、最初は癇癪を起こすかもしれない(ティザー映像)
とは言え、睦にとってのそよはCRYCHIC解散によって心を傷つけられた謂わば同士の様な存在
モーティスもその事は分かっているかもしれないので、この二人が邂逅したことで睦を呼び起こす為に必要な事は何かを話合う様な展開になるのだろうか
モーティスにとって睦の大切なバンドを解散させたのはやはり忸怩たる思いだろう
その解散の原因は、自分が睦の様にギターを弾けなかったからと認識している可能性はある
そんなモーティスはそよに「ギターを歌わせたい、そうすれば睦が目を覚ます」などと言うのかもしれない
それが予告映像の楽奈と歩く睦に繋がり、よそは楽奈と連絡をとって睦を連れ出すのかも
楽奈の方法は、睦にギターを持たせてRiNGの前の路上におっぽり出す、という一見適当な方法になる様に見える
楽奈は、心に想いがある限り自然にギターは奏でられる、とでも思っているだろう
しかし、事実として睦の心の中には大きな想いがあり、それがギターを通して湧き出してくる瞬間がここで来るのかもしれない
楽奈には、燈や睦と同じ様に他人の心を感じ取る共感性があり、同類の睦を一眼見てギターを歌わせたがっていると見抜く事はできる様に思える
次回はそんな場面を観てみたいものだ
けど、万が一それが実現するとして、そこで弾く事になる曲は何になるのかな
まさか、まさか「あの曲」じゃないよね…
②に続く