劇場版「BanG Dream! It's MyGO!!!!! 後編 : うたう、僕らになれるうた & FILM LIVE」雑感(ネタバレあり)
・全体の感想
鑑賞後の率直な感想としては「凄く面白かった」
自分はMyGOというコンテンツが好きなので、一般的な評価は出来ないと思っているのだけど、まずファンなら大満足、TVシリーズ見たアニメ好きでも十分満足、前編しか観てない映画鑑賞者としてもそれなりに面白い作品になってたんじゃないかなと思う
物語の構成として、TVシリーズのバンドMyGOのメンバーだけに描写を絞り、その肝となるメンバーの生い立ちを冒頭に持ってくる事で、ドラマをスッキリと見せてる
その上で、TVシリーズでは構成上描ききれなかったと思われる部分の描写を足していて、これがファンとしてはとても嬉しい部分となっている
更にこの後編にはFILM LIVEというものがあり、劇場でバンドのライブ鑑賞をする様な感覚になる
内容的には、TVシリーズの総集編としての価値が100%だとすれば、それに追加部分が20%、FILM LIVEが50%で170%位の価値があった感覚
・物語の構成について
後は、この構成の良し悪しだけど、これはTVシリーズを擦る程観てるので、自分には判断しづらい
実際には、生い立ち部分も充分再録されてるから、物語部分とのバランスとしては冗長に成って無いか?とか、元々物語の盛り上がりの頂点が二箇所あり、最初の方が大きいので、後編映画単体としては尻窄み感が無いか?とか、心配してしまう部分はある
これはこの映画がMyGO初接触の人の意見を聞いてみたい気がするな
自分としては、このMyGOという物語のポテンシャルは世間に届くものと思っているので、それを届けやすくする為に、詩超絆のエピソードを頂点とする一本の映画にして欲しかった
とにかく興行収入数十億が目指せる様な泣かせる映画、みたいな
その為にはキャラの性格の改変すらあっても良いと思ってる
それはヒットしないとファンからも非難されるので諸刃の剣だけど
ともあれ、その場合は全編新作画で大胆な改変も必要だけど、その際どうしても影響するのが密接に絡み合うAve Mujicaの物語で、これを単に省くだけじゃ精彩を欠くだろう
Ave Mujicaの物語はこれから描かれるので、全編新作画の様な作品を作るなら、それが終わった後に作るべきなのかもしれない
あると良いな
・解釈違い その1
さて、ここまでは映画の評価全般についての偽りない感想なんだけど、それとは別に、MyGOファンとして細かい部分に言いたいことはある
所謂、愛が深過ぎて厄介な奴の愚痴だ
最近はこの手の話がやな人も多いと思うし、盛大なネタバレにもなるので、ここから先は読まない方が良いかもしれない
語りたい点は二つ
一つは燈のソロライブの日程について
新規シーンに描かれた事として、燈のソロライブの日程が「毎日」だったことが判明するけれども、これに違和感を感じた人はいるだろうか
自分は大いに感じてしまった
そもそも、実績が殆ど無い燈がライブハウスでソロライブをすることが出来るのか?という疑問はTVシリーズから存在する
これについては、バンドリ世界であること、バンドリ世界は大ガールズバンド時代であり、新人育成を厚くやっている可能性があること、ライブハウスRiNGは立希を通じて燈と個人的な繋がりがあること、等を理由としてギリギリクリアできる疑問点とは思ってた
しかし、それでもその開催日程がどこまで許されるかはかなり難しいと思え、TVシリーズでは具体的には描かれず、視聴者の想像に任せていた
実際、現実のライブハウスのライブ日程はどうなっているだろうか
普通は夕方以降なら一日一興行、枠を個々のバンドが抑え、その中で対バンにして数バンドが公演するなどがあり得るだろう
これはバンドリの前シリーズでもその様に描かれている
つまり燈が思いつきでソロライブをやりたいと思っても、本来であれば伝手の無い燈には入れる隙間は無い筈で、やれるとしても数週間に一回、次の予約を取るのも難しい筈なのだ
それなのに、なぜ燈は申し込みをしてすぐにそれなりの密度で小規模なライブを開催出来たのか
その謎に応えるヒントとしてあったのが、RiNGの「定期公演」設定だと思っていた
これは何故か判別し易く画面の端に描かれていた看板情報であり、これが後の燈のソロライブ開催の伏線では無いかと考えていた
この看板情報「定期公演」は、週二回開催で誰でも参加できるライブとされている
つまりこの新人育成制度の厚いバンドリ世界におけるRiNGの制度であり、ここならば燈の様な経験の浅い者も自由にライブが出来るので、この設定があることで、燈のソロライブ連投に現実味が与えられていたと思っていた
自分もそれを想定した考察をしてる
これは、ほぼ間違いなく公式の設定と思っていたのだが、少なくとも劇場版の中では違うらしい
燈は毎日ライブすることとなっている
つまり週二回の定期公演は関係無かったという訳だ
しかし、そんなことが現実的にあり得るだろうか
それが出来るとしたら、燈のソロライブの様な小さいライブのコマを毎日設定している事になる
それは毎日ライブハウスが主催しているのと同義であり、バンドの側としては逆に使えないライブハウスになっているのでは無いか?
それにもしそうならば、週二回のRiNG主催の定期公演という設定自体が有名無実化している事になり、設定の矛盾とも言える
つまり、この燈の毎日ソロライブという日程は、RiNGというライブハウスのリアリティに大きく作用する重大な構成錯誤と思える
・オタクの矜持
もちろん、この毎日ソロライブの設定は良い一面もある
燈の活動を多く見せられるし、その必死さも確実に伝えることが出来る
リアリティを一部捨てて、設定に矛盾が生じてもこの燈の描写をより多く描くことはとても魅力的だし、事実、自分も受け入れて素直に感動する部分もある
しかし、反面、オタクの矜持として、それを受け入れてない感覚もある
オタクは作品世界を現実世界と同等に思う位に大切に扱う感覚を持つ者だと思ってる
作品世界の設定やキャラがぞんざいに扱われるのを一番嫌う
「こんな細かい設定気付いてる観客いる筈ない」とか作り手が思って改変を許し、物語世界に矛盾が生じてしまったら、それは自分のアイデンティティを否定されてのと同じ位に悲しく思う
しかし、最近、この感覚はオタク独特のモノであるのかもと気がつき始めた
普通の視聴者はそういう細かいところには意識を向けない
受け取った作品をただ素直に感じて、それが楽しいか楽しくないかだけを判断する
そもそも、作品の世界観などという認識自体が存在しないらしい
それを作り手も知っていて、案外容易に世界観の錯誤を行っている
しかしオタクは違う
好きな作品には深くはまり込み、世界観を考察する
下手をすると、二次創作物すら作ってしまったりする
オタクの矜持として、この様な解釈違いは指摘しておきたい
ところで、この映画が公開される直前、TVシリーズのシリーズ構成を務めた綾奈ゆにこ氏が、Xでこの劇場版には関わっていないことを表明している
これは推測の域を出ないのだけれども、この「定期公演」設定とソロライブの関係はTVシリーズの構成時には確かにあり、劇場版にはその改変の様なことがあるからこそ、この様な発言に至ったのかもしれないと思ってる
・解釈違い その2
この燈のソロライブがより多く描かれた事により、解釈違いが生じた点がもう一つある
それは、燈が愛音を説得するタイミングとそこから導かれる動機だ
TVシリーズでは、燈は睦にそよの状況を聞いて、すぐに愛音の説得を急ぐことになる
しかし、劇場版では睦の話を聞いた後、更にライブをして、その観客の反応が良くなっているのを感じた後に愛音を説得している
後者は燈の愛音を説得に走らせる動機は、まるで客の反応が良くなって自信がついたからとも取れる
しかし、自分はその燈の動機は解釈違いだと思ってる
そもそも、燈にとって今回のソロライブで観客の反応は重要じゃ無い
燈にとって客の反応で重要なのは、より多くの人に聞いてもらう事で伝えたい人に伝わることであり、それは自分の自信のためじゃ無いから
それに、そもそも燈は愛音の事を、最初から自分の歌を聴かせる対象としていない、と思っている
これは異論がある人もいるかも知れないが、自分はそう解釈している
何故なら、燈はソロライブを決意する前から、愛音だけはバンドに誘っているから
燈がこの仲間を呼び戻すライブを行う動機を持ったのは何時か
それは初華に出会った時、では無い
その時既に、燈は「どうすれば」元に戻せるか、再結成出来るかを考えていた
ならば、何故その動機が燈の中に生まれたのか
それは愛音の言葉があったから
「また駄目にならないように頑張れば良くない?」
この言葉があったから燈はCRYCHICの悲しみから抜け出し新しいバンドに挑戦した
その経験があったからこそ、今回のバンド崩壊にも自ら立ち向かう思いが生まれた筈だ
つまり、この時の燈を動かしていたのは他ならぬ愛音の言葉あり、当然、燈としては愛音もいつかは自分と一緒になって立ち向かってくれると信じていたに違いない
今はまだそよから言われた事で感情的になっているだけだから暫く待つ、というのが燈のスタンスだったと思われる
ではこの時、何故燈が愛音の説得を急いだのかというと、それは正にそよの状態を睦に聴いて、急ぐ必要があると感じだからだろう
なので、睦の話を聞いた後、更に悠長にライブしている劇場版の描写は、解釈違いだと思えるのだ
・燈の感性
燈は睦からそよの状態を一言だけ聞き、その意味を重大な事と受け止めたからこそ、愛音説得を急いだ
何故そんなに重要と感じたのか、その理由を明確な言葉にするのは案外難しい
何故なら、それは少しオカルトチックな説明になるからだ
そもそも、燈とはどういう人間か
人とは違う感性を持ち、それが故に自分に自信が無く、おしゃべりも下手くそだ
しかし、それは人よりも数倍深い感性を持ち合わせているからこその特殊な感性であり、おしゃべりをしない分、他人の事はよく見て、その人を深く判断している節がある
燈は自分の事になると持ち前の劣等感がフィルターとなり、あまり正しく人を観察出来ないが、ことそれ以外の他人の心の動きに対しては、普通の人よりも深く認識してると思ってる
それは、まるで心を読み取るエンパス的な能力では無いかとも思う
そして、そんな燈の高い感性と似た感性を持ち合わせていると思えるのが、睦
その睦が敢えてわざわざやってきて、燈に一言、そよの状態を伝える
それは燈にとって最重要な情報だったに違いない
そこで燈が何を受け取ったのかは、感性の鈍い凡人には分からない
しかし、そのヒントは後のそよの言葉の中にあると思う
そよは後に、燈とわざわざ二人きりになって、自分の心の内を洗いざらい話す
その言葉の中に、「考えたら死にたくなる」というセリフがある
そよの心の虚無性は元々その位追い詰められていて、それが今回の祥子からの決別宣告により、正に危機の極地にあった様に思う
それはそよをずっと見守り続けていた睦になら把握出来たであろうし、それを一言伝えられた燈も同様に把握出来たのでは無いだろうか
つまりこの時の燈にとって、このソロライブのミッションは、バンドメンバーに帰ってきて欲しいという事と同時に、そよの心を急いで救う事も加わったのでは無いだろうか
だからこそ、燈は愛音に食ってかかる様に説得する
それは燈という、本来温厚な性格の少女としては珍しい行動だ
しかし、それは愛音が自分と同じ心を持つと信じているからこそ、そよの危機を伝える為に必要だからこその行動だったのだろう
だから、その睦との会話の後に燈が特に動かず、またライブをやるのは変に感じるのだ
ただ、そのライブ描写がある分、燈のライブが観客に広く深く伝わった経緯がより分かりやすくなっているので、その追加について、映画の評価の良し悪しとしては何方にも付け難い
しかし、これもオタクの矜持として、自分は受け入れ難いと思っている
ほんと、オタクってめんどくさいよね
・FILM LIVEの選曲について
さて、最後にはFILM LIVEのセトリについて語りたい
これは無条件に嬉しい内容だった
…公開直後につき、後日追記^_^