2月24日
毎週土曜日に、クロスバイクで多摩川沿いを走るのが趣味だ。川の流れを見ながら、羽田方面に走り、ゴールである神社を目指す。
川沿いの土手では、たくさんの人が思い思いの時間を過ごしている。少年野球の野球の風景は、そんなに怒鳴らなくたっていいのではないかと言うくらい、大人が声を出して指導している。高校生くらいの野球チームの練習は、とにかくストイックに練習に取り組んでいるのに対し、その隣の社会人野球は、どこか楽しそうに試合をしている。
子供向けのサッカー教室の指導者は、見た目が若い気がする。野球に比べて、日本においてサッカーがメジャーになってからの歴史がまだ浅いからだろうか。イケメンの指導者が子供たちにサッカーを教えていた。高架下の脇の芝生では、ゴルフの打ちっぱなしに精を出すナイスミドルな中年たちがいる。いそいそと、ゴルフボールを回収する車に、打ちっぱなしのボールが当たり、金属の甲高く響いた音がここまで聞こえる。
自転車で走る道には、ジョギングしている人もいる。犬を連れて散歩している人もいる。二人並んでデートをしている老若男女もいる。みんな、思い思いのスピードで川沿いを歩く。すいすいと、当たらないように自転車を運転しながら、目的地を目指す。
午前中の多摩川、特に晴れた日は、日差しが川の水面に反射して、綺麗な輝きを放つ。風通りもよく、冬の少し寒い風を浴びながら、目的地を目指す。追い風の時はスイスイ進むし、向かい風の時は根気良くペダルを漕がないと前へと進まない。でも、楽しい。
川や、人の風景を見ながら、目的地を目指す。何にも運動が続かない私が唯一続けているこの自転車。理由は、ペダルを漕ぎながら内省ができるからだ。誰にも邪魔されず、風景を楽しみながら、自分の内側に耳を傾ける。携帯も触れず、音楽も聴かず、風を切りながら、ひたすら前に進み、目的地を目指す。この時間が、私にとっての贅沢である。
ゴールである神社に着く。私以外の自転車乗りたちが、水面を見ながら思い思いの時間を過ごす。鳥たちが優雅に川を泳いでいると思ったら、突然羽ばたき、どこか知らない場所へと飛び去っていった。その姿が風景に遮られることがなく、小さな豆粒になるまで目で追うことができる。
なんて平和なのだろう、と思った。こんな青空の下、冬の風の冷たさを感じながら、一方で全身で太陽を浴びていることで体温が暖かくなる。このまますぐに家に帰れたらいいのに、と思う一方で、帰りの道は何を考えながら帰ろうか、道中を想像するのも一興である。
この目の前の川が行き着く場所には海があり、世界とつながっている。私が見ているこの青空のつながっている先には、他の世界が広がっている。まさか、戦争をしているなんて、私が見ている景色からは全く想像ができなかった。
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2月24日。
ニュースとツイッターから流れてくる「戦争」の2文字を、私はどこか現実のものと捉えることができなかった。この2文字を見るたびに、怖さやもどかしさ、虚しさ、不安、絶望など、たくさんの感情が頭の中を通じて心にまで流れ込んできた。
それまで、正直戦争が起きるなんて想像もしていなかった。どこか心の中で、一生戦争なんて起きないのであろう、と思っていたのも事実だ。だけど現実は、私が知らないだけで大なり小なり紛争や内戦、戦争が起きていたことを、恥ずかしながら今さら知った。
私は多摩川からの帰りの道中に漠然と考えた。もし今自分が戦火に巻き込まれた場合、どうするのか。そして極論、なんとか生き残ったものの、国から逃げざるを得ない状況になったときにどうやって生きるか。
そもそも逃げられるかも分からない。生きてたとしてもきっとその日暮らしになる。明日を生きるため、何をすればいいのか。極限の状態で考えなければいけないのだろう。いま、深く、深く考えても、答えは出なかった。
戦争と平和。戦争に至るまでには、おそらく数々の背景と「決断」があったはずだ。強行的な手段に及ばざるを得なかった背景と決断。権利を守るために戦う決断。それは集団の意思なのか、一人の決断なのかは正確にはわからないが、人間の意志が存在している。
今、私の目の前に広がっている美しい風景は、ただそこにあるだけ。そして自分は今その場にいるだけなのだ。今ある「平和」は、自分の努力が介在していない、ただ目の前の平和を享受している。
政治家を決める時、真剣に悩んだことがあっただろうか。他国との関係性、歴史について、考えたことはあっただろうか。世の中のニュースから、次は自分の身にも起きうることなのではないかと想像したことがあっただろうか。正直に言って、何も考えていなかった。
私は「平和」な世の中に在りたいと強く思う。正直、そのためにどうすればいいかわからない。けれど、「平和を望む」ことを念頭において物事を考えていけば、何か世の中の見え方、自分のアクションが変わるのではないか。甘い考えかもしれないが、「平和ではない状況を作らないための努力」を、自分なりに考えたい。
平和な世の中とは何だろうか。考えるのは、「誰かの意思で誰かの生活や命が突然奪われる状況"ではないこと」だと思う。大なり小なり、世の中にはいろんな問題や課題が存在しているが、少なくとも殺戮や蹂躙などによって、突如として尊厳、命が失われる状況を避けなければいけない。
私は「平和」について何も知らないことに気づいた。だからこれから「平和」について学び、少なからずアクションをしていきたいと思う。戦争について、私は教科書や映画でしか知らなかった。けれど、歴史に立ち会っている一人間として、今の気持ちを書いておく。
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