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クロイツ家の肖像プロット(修正版)

★CROSSXARMS_クロイツ家の肖像(修正版)

クロイツ家の肖像イメージ

(1)登場人物

★草加部陸

内気な17歳の少年。アトランティス国防軍属するエーテル兵器科の士官候補生。

★コンラート・クロイツ

アトランティス領ムーのクロイツ公爵家の嫡男。少佐に昇級した。

(2)世界観設定

★ロケーション
 物語の開始、いつアトランティス帝国とアトランティス領の旧ムーが戦争するかもわからない緊張感のある中、貴族階級の軍人たちは場違いなパーティを開いた。
 主催者は旧ムー連合王国の王族であり、親アトランティス派のでマキナ家、そして公爵貴族であり独立派のクロイツ家。クロイツ家の家長であるクロノ・ゼノ・クロイツ公爵は「エーテル体系」を発表し、マキナ家への協力を仰ぎ、アトランティス帝国よりムーの主権を回復し、再びアトランティス帝国から独立しようと画策をしていた。
 「エーテル体系」とは、これまでムー人がリリムと共に秘匿にしてきたエーテルの秘技、つまり「魔術」の存在をまとめ、魔術へ覚醒法(トランス)、その他エーテル操作による魔術の使用法やその術式を体系化した研究論文である。エーテルは人体や宇宙に内在する3.5次元物質であり、4次元と3次元を結びつける霊的な生命力である。エーテルをエネルギーとして消費する事で、4次元上に存在する霊的思念や心的活動を、電磁気力を代表とする「四つの力」に変換し、3次元の物理現象に影響することができる。これが魔術の基本である。そしてそのエーテルの電磁変換能力(パワー変換能力)に着目して、エーテル兵器(AetherArms)と呼ばれる軍事技術も開発された。AAは魔導兵器とも呼ばれており、魔術の素養がない人間でもエーテルのパワー変換能力によって、四大元素を操り限りなく魔法に近い超自然現象を引き起こすことができる。その力を軍事的に利用した戦闘行動が魔道戦である。また、魔術を工学的に理解し、(軍事的に)実用化する学問を魔法工学と呼ぶ。また魔術を科学的に考察する学問を魔法学(魔法科学)と呼ぶ。

 草加部陸(くさかべりく)は旧日本現アトランティス領ニッポン出身の少年兵だった。父親の草加部辻郎博士がアトランティス国防軍が有する兵器開発局の雇員であり、クロイツ家の所有する研究施設と提携し、エーテル兵器開発に直接関わる魔法工学者でもあった為、父は旧日本の民間人の出でありながらクロイツ家と面識があった。父親の辻郎は母親ソフィアと離婚後、研究室に引きこもりがちになり、陸は多忙な父に代わり幼少から家事を引き受け父の研究を手伝うようになっていた。
 草加部博士がクロノ公爵の「エーテル体系」を支持している関係から、アトランティス帝国の高官や軍官の招かれるパーティに草加部博士の子息として参加することになった。

 リクは魔法学が趣味の陰気な少年だったが、父が軍属である事もあり、旧ムーの政府官や軍官たちが軍拡などの不穏なうごきをしていることから、アトランティス国防軍属とその近親者から軍人になるための訓練を受けるように指示を受けて、士官学校に通っている士官候補生である。
 元々父を中心とするAA研究者たちの影響で、魔法学の延長で魔法工学やエーテル兵器も齧っていた事や、偶々AAへの適性があった事もあって、AA科入隊テストを勧められ合格したのが始まりだった。


★アトランティス領ムーの独自軍(後のマキナ家が私物化するデウス軍)
旧ムーはアトランティス帝国に属し、アトランティス皇帝を国家元首(国家君主)としながらも、旧ムーの王侯たちは地位を失わず、高い自治力を持っていた。そしてアトランティス帝国とは指揮系統の異なる旧ムー独自の軍隊を所有している。
後のデウス軍である。建前上は軍隊の指揮の最終決定権はアトランティス帝国に留保されてはいるが、実質的には旧ムーの自治政府(貴族議会)が軍隊を運用している。
アトランティス国防軍からほぼ独立して運用でき、旧ムーの独自軍として認められる過程には新アトランティス派のデウス・エクス・マキナ王のアトランティス帝国への発言力や政治手腕による所が大きい。しかし、そこにはデウス(マキナ家)の息のかかった軍財閥によるアトランティス帝国への政治圧力や賄賂による高官の政治買収があった事は否めない。

旧ムーの独自軍(後のデウス軍)はアトランティス国防軍とは制服も指揮も異なる。軍隊の規模は小さいものの、構成員はムー人のみで構成され、独自のエーテル兵器規格をもっている。
 マキナ家が旧ムーに独自軍を組織するにあたっては、エーテルソーサラーに覚醒したムー人がアトランティス人や地上人よりも魔術において高い戦闘機能力を発揮するほか、クロイツの打ち出した「エーテル体系」対する大衆の政治注目の後押しもあった。


(3)プロット「祝宴での出会い」

 アトランティス国防軍の研究員である父からの通信の指示で、一張羅の制服でパーティに参加したものの、周りは礼装したドレスや燕尾服の豪華で高級な人間ばかりだ。中には軍将校の礼装に身を包み、勲章を胸いっぱいに貼り付けた人もいて、自分が場違いだと自覚していた。

 時間が終わるまでの辛抱と思い、会場の隅のの壁にもたれ一人俯いていると、向こうの丸テーブルにガヤを見つけた。
 見ればアトランティス領ムー、名家クロイツ家の嫡男であり若き軍人コンラート・クロイツが煌びやかな衣裳を見に纏い気品のある佇まいでテーブルの側についており、これまた美しく着飾られた女性や聡明そうな高級軍人に囲まれながら、口元に笑みを浮かべつつ貴族同士の社交をしている。
 どうもコンラートは若くして少佐格にまで昇りつめたらしく、それについて周囲から褒めそやされていた。

 陸は特に気にした様子でもなかったが、ムー自治軍のコンラートという男の噂は、アトランティス国防軍の潜りの候補生の自分であっても耳にしていた。
 通常の航空戦闘機だけでなく、新しく導入された新型兵器であるAA搭載機体を、難なく使いこなし、戦果を上げる男として、自分のようなの学生身分であってもその存在を知っていたのだ。

 パーティで初めてその姿を見ることになったが、その所作の何処を切り取ってもソツがなく、行き届いた礼節は貴族特有の育ちの良さを絵に描いたようだった。まるで身分の高さが生活態のそのまま染み付いているような。自分とは全く住む世界が違う、そう感じざるにはいられなかった。

 AA科の先駆者として、士官学校で渡された資料の上で、密かな憧れの対象でもあった。しかしいざ目の前のすれば、一瞬で育ちの違いを理解して、一線を画するような存在感。思わず圧倒された。輝かしい上流階級の世界をさまざまと目の当たりにして、知らず自身が日陰者であると痛感した。臆病な気持ちはそのまま卑屈さに変わっていき、億劫な顔で壁にもたれて一人俯くしかなかった。
 父、草加部辻郎はAA研究・開発者としてアトランティス国防軍の軍官と貴族官同士で顔を寄せて潜めあい、旧ムーの外交官と顔合わせした後は、部下と共に足早に席を外して既に会場を後にしている。

 陸は食事にも飲み物にも手をつけず、テーブルの席から離れた場所で、時折壁際の椅子に座ったりしつつ、壁に背中をくっつけて俯き時間が過ぎるのをぼんやり待っている。

 すると偶々なのか、気まぐれなのか、代わる代わる挨拶に来る高官や女性たちの相手をしていたコンラートが、会場の隅の方で壁にもたれて一人俯く士官候補生の学生服を着たリクに気がついた。
その学生服にはAA科の候補生である紋章が襟と胸元についている
AAはその操作の複雑性と実戦投入の例が少ない事もあって、戦闘マニュアルが確立しておらず、全体のAA科の人数も少ない。ムー自治軍のAA科の第一人者のような評判を受けていたコンラートは、そのぽつんと佇む物憂げなAA科候補生の少年がなんとなく目についてしまった。

 コンラートは手元に持っていたワイングラスをテーブルに置いて、話を程々に切り上げて席を外し、垢抜けない幼顔で一見みすぼらしい場違いな少年に近づいていく。

 ぼんやりと足元を見つめていた陸は、自分の視界に人の影が落ちたのを見て、顔を上げると、そこには先程遠くから見ていたムー自治軍の佐官の男コンラートが自分に影を落とし、見下ろしながら目の前に立っている。

「えっ」

 突然の事に全身が固まった。思わず目線を外して、しどろもどろに口をモゴモゴさせているとコンラートの方から腰を軽く折って手で壁を押さえつつ目線を陸に沈めて口を開く。

「不慣れのようだが、君、こういう場所は初めてかね」

 え、あ、と声にならない、か細い反応しかできない陸。相手の階級章は少佐、旧ムーの貴族軍人であり、ましてクロイツ家の子息である。いくら自分がアトランティス領ニッポンにくらしているアトランティス国防の人間とは言っても、AA科士官候補生に過ぎない。とても相手にできるような身分ではない。

 困惑した表情で見上げるしかできない陸だったが、そういった反応に慣れているのか、それとも育ちの良さの所以の態度であったのか、そんな緊張で身体を萎縮する自分に対し、コンラートは意にも留めないように続ける。

「ああ、すまない。私のような軍佐官が相手で、少し驚かせてしまったかな。私のいるムーでも、AA科候補生は珍しいのでね。アトランティス国防軍のAA訓練というのはどういったものなのか、個人的な関心があった。それで君に声をかけたのだ。別に取って食おうという訳ではない。安心したまえよ、少年」

 やはり、ええと…と吃り気味の反応しかできず、何も返さずに見上げるだけで、明らかに緊張でのぼせ上がり固まってしまったのを察してか、コンラートは陸の背に腕を回してそのまま会場の人気のない静かなバルコニーに連れて行き、テーブル席に座らせて、自分も相席する。

「私はホットコーヒーを頼むが」
「あ、僕も、同じで、いいです…」
「そうか、では二つ頼めるかな」
『はい、少々お待ち下さいませ』

「会場の空気は酔いやすい。ここならば、人も少なく夜風もあって涼しい。私も慣れない頃はよくこう行った場所で、一人顔の火照りや頭を冷やしたものだ」
「…は」
「君、名前は」
「陸です…」
「リク…、。歳は幾つだ」
「17です…」
「ほう、随分と若いな。その年齢でAA科の道を選ぶとは、君は余程良い腕をしているのだろうな。」
「…あ、ありがとうございます、し少佐…」
「そこまで、固くならずとも良い。私もまだ齢21の若造だ。軍閥に居場所もなく、マキナ派との政治闘争で立場が覚束ないという意味では、君とさして変わらんよ」
「マキナって、確か旧ムー王族の…?」
「おや、リク君。マキナ派とクロイツ派のしがらみを知らんかね。まぁ、君のようなアトランティス領出身の学生ならば無理もないか」
「す、すみません…」
「いや、ただマキナ派というのは、我々クロイツ一族さえ手をこまねくような、厄介な家系でね。私クロイツだけでなく、いつ、君たちアトランティス国防軍の敵になるともわからん男たちであるからして。君も兵士ならば、知っておいて損はない」
「敵…、ムー自治軍の?ではあなたは、アトランティス領ムーでマキナ家と戦っている、という事ですか」
「ああ、そうだな、そう言ってもいいのか。調べればわかる事だが、君主制であるムーでは政治家同士の睨み合いが続いているのだ。リク君、あれを見たまえ」
「は…」
「あの会場の奥にある舞台近く…壇場のすぐ側に、ムー勲章を付けた派手な服装の一家がいるだろう」
「あの、軍将校…?の人たち、ですか」
「ああ、あれがマキナ一族だ。その中でも大柄な男が、我々クロイツ家に何かと因縁のあるマキナ家当主、デウス・エクス・マキナ。私の父クロノ・クロイツの政敵だ」
「デウス・エクス・マキナ…」
「そしてその横にいる男が、シグマ・マキナ。ムー自治軍の軍将校、何かと頭の切れる男だ。デウス亡き後はヤツがマキナ家の家長に納まるだろうな」
「は、は…」
「私の父、デウスの遠い血統であるクロノ・ゼノ・クロイツは、今やマキナ派にとって、デウス政権を脅かす対抗馬のようなものでね。政治勢力の奪い合いで現在ムーは混乱している。その隙を狙ったムー外部からの奇襲を考えれば、防衛面で楽観視できない状況なのだ。ムー内で争い合っている場合ではないのだがな」
「…」
「なあに、公爵家クロイツの血筋は、何も全てが良い方向に働く訳ではない。私のような若輩者が佐官として部隊を率いる事自体、気に食わん者も当然現れる。たとえ己の努力と才覚による昇進であっても、親のコネ、七光りと、あられも無いゴシップを周囲に吹聴するのだ」
「あ、それは、ええと…。大変、ですね…」
「ああ。そういった輩が、私への当て付けでマキナ派に組みする、などと、政界の縄張り争いにはよくある話でね。こう見えて、私コンラート・クロイツにも敵は多いという事だ。同じ血族といえど、決して一枚岩ではない。幹部連中の派閥闘争は、紐解けば高官同士の幼稚な自己誇示による所も大きいのだろうが。一体何が綻びとなるかもわからん。君も軍内部での言動には気をつける事だ」
「は、はい…コンラート・クロイツ少佐さん…」
「ははは、コンラートで構わんよ。君は本当にこういった場が苦手なんだな。それと、我々の界隈では階級と称号は姓ではなく自らの名に冠するものだ。覚えておきたまえ」
「は、はぁ…すみません…」
「それで、リク君。君は何故、数ある兵科からAA科を選んだのだね」
「…その…父が…軍の…AAの研究者でして…」
「ほう。その影響で君もAA科の道を選んだと。そう言うことかな」
「あ、いえ…。僕、小さい頃から魔術や魔法工学とかが好きで…も、もちろん父の事も無かったわけじゃないんですが…ただその…」
「うん」
「戦車とか、戦闘機とか、故郷の空でずっと見てて…新型兵器のAAもかっこいいなって思って…それで」
「…」
「…僕も、AAを使ってみたいなって…。AA搭載された戦闘機器や、その魔法の仕組みとか、構造をもっと知りたい、と思い…。そ、それだけです…僕は…、た、大した理由じゃなくて、すみません…」
「ははは、そうか、なるほどな。君もそういう口かね」
「…」
「私は元々、ただの一航空兵の軍人でね。実の事を言えば、ああいった戦闘機を自由に乗り回し的を撃ち落とす自体を好んで…謂わば、個人的な趣味でこの道を選んだのだ。父の語るムーの理想や家系は二の次だ。そういった意味でも君と同じだ、リク君」
「…あなたが、ですか?」
「意外かね、そうだろうな。私を知るものは皆ムー・クロイツの息子、軍官コンラートの顔しか知らぬのだ。しかし実際、我々のような軍職はイデオロギーや高尚な大義よりも、つまらない私情や生き甲斐を支えにした方が長続きする。少なくとも私はそうだ。君も覚えておくと良い」
「す、すこし、意外です…。きっと立派な志をもってて、世の中を変えていくつもりの人かと、思ったので…」
「皆(みな)がそういう目で私を見るが、私は父と違い、純粋な政治家ではないからな。社交辞令で理想を口にはするがね。本音を言えばAA科士官として戦地へ行き、あくまで戦士として戦っていたい。それが軍人としての私の望みだ」
「そう、ですか」
「やはり、魔導兵器というものはいい。私は艦艇の司令室から長距離ミサイルや誘導弾を使って敵地を爆破するより、手に確かな手応えと感触の残る白兵戦や銃撃戦の方が好みだ。AAを用いた魔導戦ならば曲がりなりにも戦地での空気を肌で感じる事ができる。銃弾や魔導を使って敵兵を撃つ時、戦地を生き残り息を吐く時、私は、確かな実感を感じるのだ。基地に帰還した後の静かな高揚と悪寒にも似た緊迫が、私の生命をより高みへと昇華させる。私は生きている。そんな気さえするのだ。君も、そう思っての事なのだろうな」
「は、はぁ…」
「フ…、幼い君にはまだ早い話かな。しかし、正規軍人となった君とは、軍いつか手合わせ願いたいものだな」
「えっ…」
「…おっと、すまない、どうもツレが私を探していたようだ。そろそろ席を外すが…。リク君、この道は険しいが、戦闘訓練を続ける気概があるならば、君とはまたずれ会う事もあるだろう。アトランティス国防軍のリク候補生。覚えておく」
「その…、はい」
「では、失礼する。代金とチップはここに置いておく。良ければ君が使うといい。突然呼び止めて、すまなかったな」
「…え、いや、その…あ、あの!えっと、コンラート少佐!」
「ん、なんだね」
「あの…、AA訓練の時、あなたの名前を初めて聞いて…。その…今日は、あなたにお会いできて、良かったです。ありがとう、ございました…」
「ああ、こちらこそ。ではな、今後も精進したまえよ。若き新星のリク君」
「は…」

 そうやって身軽な所作で席を立ち、自分を振り返らないままに威風ある歩みで元の会場に戻るコンラート。その先に待っていたパートナーらしい女性と高級軍官に囲まれて、手慣れた仕草で女性の手の甲に口づけを落とし流れるように腰を抱いて連れ添い、エスコートしつつ元の景色の中に溶けていって、明るく照らされた会場の奥に向かって消えていく。
 すっかり暗くなったバルコニーのテーブル席に残された陸は、その様子を遠い目で眺めた後、手元に残ったコンラートの名刺をぼんやり見つめて、一人ぽつんと椅子に座り込んだまま、冷たい夜風に吹かれている。結局コンラートに促されるままに注文したドリンクは一度も口をつけないまま、円卓のテーブルの上には冷え切った二つのコーヒーのマグカップだけが目の前に残されている。

【※】陸のテレパス能力
 陸は『無意識』『無自覚』に「ごく当たり前に」魔術的な感知を日常的にしているが、物語開始時点ではあくまで人のいう“空気を読む”範囲内にとどまる。(精神的トラウマを負わせたり、危機的本能を揺さぶる、過剰なストレス負荷を与える事によって脳波(Hz)が活発化しエーテル操作能力は超自然的なエリアまで覚醒する)
 陸の場合特に人の感情に敏感であり、無意識に相手の望む行動や期待に応えようとするきらいがある。その為、人の感情の多い場所は苦手であり、無意識に人の感情や精神、霊体が自分に入ってくる体質。だから人の意思がこちらに向くと緊張して挙動がしどろもどろになる。内向的で自己が抑圧気味なのは他者の心の感応波に対する影響を強く受けてしまうので、相手の感情に左右されぬように自分の内面を抑圧する事で心を守っている。
 無意識に相手の欲しいもの、相手の望む言葉を直観的に理解してしまう。
 コンラートの受け答えにしどろもどろになったのは、相手に敵意がないのはわかったものの、陸が「AA科軍人コンラート」への一方的な憧憬の念があったことや、コンラートの頭の回転と口の早さ、社交的な態度が自分の中にはないもので、相手の攻め気味な受け答えに圧倒されていた為。また、コンラートが自分に対し何かを期待しているのを薄ら感じていた為。
 腹の探り合いばかりして、利害対立する相手を押し退けて己の主張を通さなければ、自身の将来を潰される世界を生きてきたので、コンラートは人の話をする事はできても、人の心を汲むのは少し苦手。リクは人の敵意や負の感情をぶつけられるのは苦手で、よく言えば平和主義、悪く言えばこともなげ主義の結果無意識に相手の望んだ解答を選んでしまう癖がある。特に押しの強い相手や、誰とも知らない相手、目上の人間にはこうなるらしい。
 その為、他者の思念の影響を受けない静かな場所…意識や意思のない本の世界にばかりのめり込み、魔法工学に没頭するようになってしまった。そこが陸にとって、唯一自分の心を曝け出せる自己表現の癒しの場となってしまっている。
 ただ基本的に、陸は自分に対して敵意や嫌悪のない相手や自分に無関心な相手、気心知れている親しい相手には自然にやり取りができる。

★リクの心境
 陸は少佐がクロイツ家の血筋を重く捉えつつもその限られた選択の中を自分の意志で道を選び、自由に生きている事に何かしらの羨望や劣等感を感じている。
 陸はコンラートのように嫡男としての自覚もなく家柄の責任も薄い。将来について漠然とした不安を抱きつつ、父の言うままに生きており、自分の意志や感情を持って生きているわけではない。父が命じたから、アトランティス国防軍に入隊し、偶々適性があったのでAA科の道に進んだ。そんなふうに周りに流されてばかりで、確かな自分の意志や目標もなく、父や軍部からのプレッシャーに従うままに生きるしかない不自由さを感じると同時に、環境や父のせいにして自からの意思で外部に働きかけるでもなく、場当たり的に生き、やがてはうちに引き篭もる自分自身に弱さや卑怯さ、劣等感を感じていた。
 端的に言って陸にとってコンラートが眩しいし羨ましかったし同時に脅威だった。
 クロイツ家という高潔な家系に生まれ、そして陸と同じように父クロノ公爵という偉大な親を抱えながら、それでも自分の意志で自由に生きようとするコンラート。士官学校で訓練を受けるうち、陸は”父クロノとクロイツ家の名を背負うコンラート“に密かなシンパシーを感じていたが、『きっと彼もまた自分と同じ、自由に生きられないレールの敷かれた人生に苦しんでいる』という陸の期待を裏切り、自分自身で運命を切り開こうとするコンラートを陸は怖く思った。
 父に言い付けられたから、周りに薦められた事を言い訳に、人生の責任を他者に押し付けて流されるままなんとなく生きている自分。まるで自分のことすらまともに何も決められない事を、コンラートに責められているようにすら感じた。自由に生きるコンラートが陸にとっては恐怖だった。自分でできることを試しもしないで初めから諦めて、父の存在を言い訳に被害者意識で生きてしまっていることを、誰かに見透かされた気がしたのだ。
 コンラートに対する憧れとは裏腹に自分と境遇が似ている事に陸は勝手な同族意識を感じていた。しかしそうではなかったと知り、陸は「僕には自分自身(自己)や自我がないのではないか」とコンラートの存在に隔絶を感じ、希望や期待はすっかり萎んでしまった。AA科訓練でコンラートの存在を知り、いつか友達になれないかと無意識に期待して生きていたが、一層孤独を覚えてしまったのだった。


 再びマキナ家主催でパーティが開かれる
 マキナ家主導のムー自治軍の軍拡政策についての話が高官の会話の裏側で展開する

(プロット)
 陸はあの時コンラートとコーヒーを飲んだバルコニーのテーブルの席で会場の開かれる祝宴をぼんやりと眺めていた。
 なんとなくここに居たかった。会場の中はあまりに華やかで自分とは違う世界だから。
 するとバーテンダー風の初老の男からテーブル席に注文した覚えのないコーヒーのおかれたソーサーと茶菓子が運ばれてくる。
「あの…!僕、これ、頼んだ覚えがないんですが…」
と戸惑っていると、
「あちらのお客様から、テーブル席で黄昏れる貴方に、と」
といって男はお盆を片手に会場の方へ顎をむける。
 え、と陸が顔をあげれば、向こうの方から会場の柱に持たれるようにして笑いかける男がこちらを見ていた。コンラートである。例のごとく、煌びやかな装飾の施された礼装の軍服を纏い、陸がコンラートに気がづいてそちらを見やるに合わせて、品行のある態度で片手を挙げる。厳つい顔つきながら口元に柔らかな笑みを浮かべて、その横には例のパートナーの女性を伴い、親族、高官らしい男たちを囲んでいる。

『私の小さなファンの少年へ コンラート・クロイツより』

といった、シンプルな模様のあるメッセージカードと紙製の花が茶菓子の受け皿に載せてある。
 
 貴族の男らしい完璧で少し気取った気障なもてなし。カードを手に陸が困惑の顔で見つめてきたのを、何処となく満足げに見やり口元だけで笑った後で、コンラートはパートナーと共に再び会場の中へ戻る。

「誰です、あの男の子」
「最近知り合ったアトランティス国防軍の少年でね。私と同じ、AA科の候補生だというのだ」
「へぇ、それで。随分と熱心なのね」
「いや、どうも以前から私を知っているらしくてね。いずれは手合わせをするかもしれん。」
「まさか。あなたよりも一回りも小さいのに。あんな子供に軍人が務まるのかしら」
「わからんよ。あの若さで魔導兵器を扱う様な子だ。是非とも希少なAA科士官として、共に界隈を背負ってもらわねばな。それで、ああやって脅しをかけた、という訳だよ」
「まぁ、少佐って酷いのね。年頃の男の子に、あんな揶揄い半分の意地悪な態度。あの子、きっと傷つくわ」
「なあに、AA科は狭き門だからな。エーテル兵器への適性があるかどうかで、どんな優秀な士官や候補生であっても、振るいに落とされる。才覚のある競争相手を早々に失くしたくはないのだ。私なりの激励だよ、これは」
「自分を忘れない様に?」
「そういう事だな」
「ふふ…」
 女は緩く目を細めて笑っている。

※ここに陸、コンラート、パートナー女性の発言の意図が微妙に食い違っている妙な違和感のある流れにする
・コンラートは戦いを生業にする仕事人間。自分の目標に一途である分、あまり他者に関心を持たない上、女性の期待に応えることをしない。人の話を聞かない。自身は完璧主義者ではあるが、名家の嫡男故に政敵が多く懐疑的な生き方をせざるを得なかったことから家庭人としてふさわしくない事、その家庭環境故に人間的な欠落がある事に無自覚。陸への『激励』は、男ならば小馬鹿にされたように感じるはずの、相手を煽るような含みのある嫌味なメッセージではあるが、好意や励ましの裏返しで、下手をすれば含みもないストレートなメッセージとして陸に贈り物をしている。本人は無意識であって、エーテルソーサラーとしての素養を秘めつつこの段階では人の感情に鈍い。女性からの冷ややかな言葉や寂しさと嫉妬、リクの孤独さに気づかない。
・女性はなんとなく、コンラートが政治や職務以外に関心がなく、何処に行ってもAAや仕事に目を向けて、自分には心在らずであり、本心を晒していない事を察している。コンラートは威厳と力のある軍官で政治分野に片足を突っ込むほどのカリスマと才能がありながら、その体で夢を追い続ける純粋な少年のようなあどけない幼いところがある。コンラートがあの少年に兵士として目をかけていて、自分には見せないような優しい眼差しをしている事、コンラートが仕事や戦い以外に関心がない人間であり、兵士ではない女の自分を顧みるような男ではない事を薄々察している。相手の考えや感情を察する、勘がいいという意味で、この段階ではテレパス能力はむしろこの女性の方が少佐より優っている。リクが密かに抱くコンラートへの羨望の意味も、コンラートが向けるリクへ向ける眼差しの意味も『女』だからこそ察しているだろう。
・陸はコンラートが自分を下に見て対等な友人として扱ってくれない気がする。仮にも男なのに目下の女子供の扱いで、自分の女々しさを揶揄されている気さえする。男として侮辱されたのを理解しつつ、それ以上に憧れや羨望を抱いているのをコンラートに見抜かれてしまったのか羞恥心と劣等感で複雑になっている。

この3人の感情の行き違いと温度差がある
噛み合わない人々

 陸は又一人、茶菓子とコーヒーをテーブルに、一人残される。淹れたてのコーヒーカップからは白い湯気が立ち昇り、鼻先まで来たところで空気に溶けて消えていく。茶菓子のケーキは白いクリームがスポンジの上に均一丁寧に塗られていて、真っ赤なイチゴがまるで紅一点の様にしてポツンと乗せられ雪化粧の様な粉がかかっている。まるで目下の女、子供に対する仕打ちだ。まるで自分など意に介していないかのような、そんな対等な関係とはほど遠い。名家コンラートを褒めそやし羨望の目を向ける大衆の一人でしかないと、そんな埋まる事のない距離を様々と見せつけられたかのような感覚である。
 本当に、人の扱いに慣れている。そんなコンラートの対応に、陸は暗く悩ましい顔をマグカップの水面に浮かべつつコーヒーを一口だけ口にした。人肌のコーヒーはあたたかく、無情にもほろ苦い。
 陸は、眉根を下げつつ、一層複雑で寂しそうな顔をして、小さめのフォークを手に控えめにクリームを口に含む。甘すぎない上品な味は、やはり町で売っている工場で作られたケーキとは違った職人作りの味。陸は、すぐにフォークをおいて、小さな造花を両手で包み込み、時折茎を摘んで弄りながら、目線を下げて呆然と花を眺めていた。


3度目の祝宴

 陸はまたいつものように、バルコニーにあるテーブル席に座って会場を眺めている。
 会場は煌びやかな黄金色に照らされており、一見華やかに輝いているが、忙しなく張り詰めたような空気が其処彼処に充満している。
パーティの回数を重ねるごとに、テーブルクロスの食事を他所に交わされる貴族たちの談笑や、社交ダンスや協奏などの上品で優雅な交流の音に混じって、顔を顰めた軍人同士が声を潜めて睨み合い、相手の腹を探りつつ犯人探しでもする様な、何か良くない喧騒の波が会場に増していく。
 礼装姿の軍人と、燕尾服やドレスを纏う貴族たちが、表面に微笑を作りながら、互いに冷たい眼差しを向け合っている。互いの手を取り舞踏しつつ、旋律と歩調を少し外せば、相手の足を踏みつけ、そのままズレていくような歪な人々の様を、リクは会場の外にいながら、全身で感じ取っていた。
 父は相変わらず、会場に入ると同時に陸を置いて、アトランティス国防軍の人間を伴い会場の奥に消えていく。

 ムーとアトランティスの友好関係の行方は、正にこの会場の中で起こっている事そのままなのではないか。なんだか陸は嫌な気に当てられらように気持ちが沈んで、落ち込んでもいないのに、顔は不安を押し殺したような硬い表情で、ズボンの布地を握るようにしながら、膝の上に拳を作り、俯き気味に椅子に座っている。

 普段気にも留めない軍服の詰襟に、窮屈や息苦しさすら覚える。首を触るようにして襟元を触って、何度も正す。詰襟のシャツが首の皮に擦れる感触が、神経を直接撫でられたような不快感を持って、チクチクしてなんだか落ち着かない。陸は詰襟を指で摘んで、緩めては、ゆっくりと息を吐いて、気を鎮める。

 佐官階級のアトランティス国防軍人と肩を並べて、父はいつも何処に行くのだろう。気難しそうな顔つきで、軍官と顔合わせしながら、窪んだ眼差しを眼鏡の奥に隠している。あの人は時折、軍帽を深く被ったムー自治軍の手のものと顔合わせすることも知っている。
 そもそも軍事研究者でしかない白衣姿の父が、豪華なこの会場にいる事自体、場違いな気がする。他の者が仮にも勲章を付けた礼装姿で、めかし込んだ様子なのに、父だけは気にも留めないように、裾の汚れた白衣を纏い、いつもの皺ばんだ軍服を下に着て、髪の毛すらも直した様子もない。高級軍人同士が立ち並ぶ中で、普段着姿の父だけが異様に浮いている。
 それに、いくら軍事関係者の息子だからといって、なぜ父は、見窄らしく不恰好な僕を伴い度々この場に訪れるのか。
 父から離れて会場を歩けば、アトランティス国防軍だけでなく、深緑の制服を着たムー自治軍の軍人ですら、一度はこちらを一瞥して、顎で僕を指すように、チラチラと視線を送りながら、声を潜め何かを囁き合ってる気配すら感じられるのだ。ただでさえ屈強な体躯で強面の男たちの顔つき、喩え紳士的な態度で繕っても、怒ったような眉根と、緊迫したような表情の凄みは、顔を傾けただけで、深く影がさしたように感じられる。あの人間と一度でも目線が価値あっただけで、睨まれたでもないのに怖かった。
 日毎、士官学校の訓練が実戦を想定して、候補生への指導の激しさが増していくように、テレビ放送されるニュースにアトランティス領ムーに関する報道がまして、アナウンサーの発言すら政治性を帯びていくように、この会場にさえアトランティス帝国と旧ムーの間にある奇妙な隔たりを浮き彫りにしているようで、陸は会場に居ることすら、落ち着かず、負担でならなかった。

 会場の外で、一刻一刻過ぎる時間を数えても、緊張の糸は解けることもない。気休めに注いだコップの水すら、テーブルに置いたまま、手に取って口に含む事も躊躇ってしまう。いつもに増して食欲が減って、喉に何も通らない。喉の奥に何かがつかえてるようで、息が苦しい。
 皮膚の薄い膜の下から全身をめぐる血液の、脈打つ音が、呼吸の音が、心臓の鼓動が、鼓膜に一度に集まって骨の中まで鳴り響く。バルコニーの席は風も通って、熱で淀んでいる訳でも煙もないのに、空気が薄くて、なんだか胸が苦しい。息を吸っても吸っても、気管支が勝手に動いて、足りない。苦しい。細い息に呼応するように、目の前が歪んでいって、回るでもないのに、立つでもないのに、眩暈みたいに視界が眩んで、気持ちが悪い。
 あの会場の中の景色が、ゆっくりと捻れて、グラスを手にした貴族たちの穏やかな顔つきも、音楽家たちの演奏も、会場を飾りつける豪華な装飾も、紳士淑女の社交ダンスも律動も、影のある軍人の顔も、全部一緒に、不気味な笑い声と共に雪崩れて。人と人の行き交う街中の、交差点の中心に一人ポツンと残されたような、人々の雑踏と騒めきの波が、自分の外側で喚いて、まるで耳元のすぐそばで、息遣いでもするように、鼓膜に鋭く、誰かの囁き声が。
息が苦しい。
 詰襟を緩めても、呼吸がどんどん早くなって、首元を触れば、血管がまるでポンプでも踏んだ後のように、ドクドクと激しく駆け巡る。吸っても吸っても、呼吸が乱れて、耳鳴りが終わらない。苦しい。口元に手をやっても、止まらない。早く、ゆっくり。吸っても。指の隙間から息が漏れる。
ダメだ。誰か、袋を。

あ。

「リク君」

 突然意識に男の声が落ちた。
 肩口に置かれた掌が、衝撃でも放ったように、びくりと身体が跳ねて、背筋が凍えて、肩が震える。
 声のする方に顔で振り返り、肩越しに覗き見れば、椅子のすぐ横にに、背の高い男が影帽子を作って立っていた。腰を曲げて自分の顔色を伺い、気を使うでもなく人の目を真っ直ぐに射抜き見るこの人は、間違いようもあのコンラートだった。

 水に投げ石でも食らったように、景色は急に現実味を帯びて歪みの中から戻っていく。沈殿する泥を巻き上げるでもなく、周囲の空気が涼やかに頬を掠めて、会場の向こうからは、談笑とグラスの擦れる音が心地良く聴こえる程に、穏やかな祝宴の時が流れ始めていた。

 シルクの白い手袋。布地越しあっても男の指の腹を感じてしまう程に、肩に乗せられたコンラートの手のひらは、掴むでもないのに妙に力が入っている。リク君。もう一度生っを呼ばれた気がするが、返事をしようにも、息を吸うばかりで声にならなかった。息苦しさに頭が霞んで、意識が朦朧とする。

「…呼吸が乱れてるな」

 コンラートは顔を上げて、近くにあるテーブル席を片付けるバーテンダーを見つけて、すぐに声をかける。

「君、紙袋をここに持ってきてくれないか。この子供が過呼吸になりかけている。空気が漏れない袋状のものであれば、何でも構わんよ。急いでやれ」

 口を両手で覆っても、呼吸は吸う一方で止まらない。浅く座った椅子の上に背中が丸まり、肩を触るコンラートの手も無視して、テーブルに突っ伏しながら、荒く呼吸をする。
 吸ってばかりの口から、すぅ、すぅ、と管でも吸うような細い息の音が漏れて、投げ出した頭をテーブルの上に擡げて、硬い髪の毛が散らばっている。唇がカサついて頬ばかりが強張り、指先が痺れたように震えて、氷でも触ったように冷えていく。口は短く息を吸うばかりで止まらない。口から離れた指先は、力を失い凍っていく。

「リク君、一度、息を吐きなさい。吸う時はゆっくり、長く。別にこれで死にはせんよ、しっかりしたまえ」

 机に伏して口元を緩く指で押さえつつ息を吸い続けるリクに対し、コンラートは掌で撫でるようにして背中を摩る。時々肩口に指を触れて、至って平然となんて事もないように対応する。こういった兵の姿に慣れているかもしれない。彼にとって目の前で人が心身を故障していくのは日常的なことなのだろうか。
 なんだかみっともないところを、見せてしまった気がする。よりにもよってこの人に。呼吸が治った後のことどうすればいいかもわからず、意識が薄くなってさえ息を吸う。確かに、この場から逃げたい気持ちはあった。息苦しさで無意識に人を呼んで、助けを求めていたかもしれない。しかし、何も本当に来ることはなかったのに。もし僕が元に戻ったとして、これから、どんな顔でこの人と顔合わせをすればいいのだ。  
 肺呼吸と動悸が耳裏に地響きする中で、なんだかまた妙な感覚が蘇った。何故、この人は僕を見つけることができたのだろう。まるで時を見計らったように、僕がこんな風に助けを求めるタイミングで現れる。あんまりにも都合が良すぎるではないか。眩暈がそのまま景色を歪めていくように、情景は水面の波紋に揺れる。あの会場の窓辺、バルコニーを一望できる柱の暗がりに、女の人が立っている。スカート裾の閉じたドレスを着て、じっとこちらを見据えている。なんだか刃先や棘すら感じるようなまっすぐな視線が、朧げな風景の中を浮いて、そのまま眼前に迫ってくるようで、前髪の毛先がピリピリしながら僕の眉間に揺れている。
 一瞬そこにコンラートの影が遮り、そういえば、前にもこのパーティで、同じ柱により掛かるコンラートを見た。あの女の人。まさかあの女(ひと)は、あの時もこうして、僕を見ていたのだろうか、あんな眼差しで。その傍にコンラートを伴って。
 そこの会場が再び人々の騒めきで澱みだす。あの窓辺、コンラートと同じ場所に、ポツンと立つ女性。寄り添う柱のすぐ側で、僕を眺めるように。影のかかった面(おもて)に浮かぶ瞳の色は暗く、妙に艶やかな赤い唇は緩く噛まれて、右手に摘んだワイングラスが細かに震える。僕の目だけが眼窩の中をウロウロする。
 女の人が立つ、その奥にある会場。細い旋律が流れて、今はもう大分人入りも落ち着いている。開演の時は、白いテーブルクロスのかかった無数のテーブル席が、ワインボトルと豪勢な料理プレートを上に乗せて均一に列をなし、大勢の紳士淑女たちに囲まれていた。その向こうの目立たない席のところで、白衣姿の父さんが分厚いレンズと太いフレームの奥に窪んだ瞳を隠してる。眉を寄せて顰め面で、何かを喋る父親の横で、アトランティス国防軍の煤色の軍服を着た黒い撫で髪の男がいる。そこに向かい立つ厳ついムー自治軍の兵隊さんに、少し素行態度の悪そうなスーツ姿の男たち。煤のついた顔。父が話すならば、ムーの軍事技術者や魔法工学技師の誰かだったのだろうか。
 会場の中央に、僕ですら何度か見たことのある顔ぶれの、貴族や官僚、企業幹部の面前が和やかに談笑する中、軍隊カラーの男衆が囲むテーブル席からは、睨み合うような緊迫した空気を放っている。舞台袖でロマンスグレーの髭を蓄えた痩せ身の男が、礼装を着た側近に寄って声を顰め合う。クロノ・ゼノ・クロイツ。コンラート少佐のお父さん。お父さん。あれが。コンラートの。ムー兵の横で髪留めで頭を結い上げた金や黒の髪色をした美しい女たちが、グラスを片手に笑っている。マキナ家の人は。マキナ家のデウス・エクス・マキナは、今日はそこにいないのか。

 ふと、肩口に誰かの指が這う。強張った複数の指のが服の上をなぞって、もう片方の掌が右の肩甲骨を。首根を掴まれたような、そんな凍てつく感触を覚えた。横目で上を見れば、コンラートが椅子のそばで腰を屈めて、僕を覗き込むように、顔を落としている。柔らかな金髪、伏し目の瞼に睫毛が揃って、目尻の端を鋭く縁取り、青い相貌は妙な迫力を持って、端正な顔だちは皮膚の歪みすらなく張り付いているのに、こんな異国の王子様みたいな姿をしながら、なんて邪悪そうに笑うんだろう。獲物でも見つけて、射獲る寸前のような。昂りの乗った悪い目だ。他人を見下ろす時の軍官の目。写真で見る時の、高潔を身に纏った凛々しく頼もしい姿とは少し違う。ああ、この人も、あの人たちと同じなんだ。争いに来た男なんだ。この人の中で、僕はアトランティス国防軍の士官候補生。AAを扱う一兵士。ムー独立派の政敵兵。そうか。この人はあそこから僕を見てたのか。今日も、また、僕を見つけて。こうなるところまで。
 お盆を持った接客から受け取ったコンラートに、与えられた袋。男の手には縁縫いのされた白手袋がはまっている。シルクだ。背を丸めて俯き気味に紙袋で口を覆い、そこで息を吸ったり吐いたりを繰り返しながら、なんだか嫌なものを覚える。確かに、僕はただ逃げ出す口実が欲しかったのかもしれない。僕の居場所のない、席がないこの会場から。しかし、この人が来ることはなかった。まるで僕の期待を見透かすように。それをわかって嘲るように。薄ら目元が滲んでいく。紙袋の擦れる音、上質そうな厚紙の袋が、呼吸と共にクシャと凹んでは膨らんでを繰り返し、次第に息は鎮まっていくが、依然として詰襟の息苦しさは消えなかった。身体が、軍服を纏う身体が、のしかかるみたいにやけに重たい。

「どうか、少しは落ち着いたかね。リク君」
「はい…、あの、ありがとう、ございました」
「気にすることはない。年端のいかぬ兵にはよくある事だ」
「ええ」

 いつに間にコンラートは、テーブルの椅子を引き斜めの席について、先のやり取りで接客に二人分のお茶まで頼んでしまっていた。脱いだ手袋を綺麗に揃えて仕舞い込み、紙ナプキンを摘んで、折り紙みたいな事をして、綺麗な二つの山にしてしまう。何かのテーブルマナーなんだろうが、僕がしたところで、どんな折り方も知らない。だから、僕はただ両手を膝上に引っ込めて、ひけ腰に椅子に座る。背筋をピンと伸ばし、姿勢良くしてみたところで、もう少し顎を引くとい、と横から助言されて、背がヒヤリとする。まるで教官と食事を共にするみたいで、いくら普段隊列の訓練を受けて、身支度と格好について厳しく指導されようと、僕はこの人みたいに四六時中気構えてなどいられない。隙さえあれば、すぐ気を緩めてしまう僕は、この人を前にすると、気軽に顔を動かすこともできない。緊張をほぐすようにズボンの裾を掴む。手元に目を落としながら、一体何処に目がついているのか、フォークナイフを揃えて手本のような食事前のテーブルを作り、傍で僕の至らなささえ指摘してしまう。人前で僕の貧しさや身分を晒される、そんな気恥ずかしさで身が小さくなる一方だった。まさか、お茶だけでなく、何かの軽食まで頼むつもりなのか。
 正直なところ、僕は困っていた。困惑に近いかもしれない。いつかまたお声がかかるかもしれない、と思った事もあった。しかし今はもうすぐにも、この席を立ち上がりたい。いくら憧れていると言っても、それは窓の外で遠くを眺めるような、手の届かぬ情景であって、こんなに早く会って話す事になるなんて。こんな身繕い一つ、そつのない人と、僕は一体どんな話をすればいいのか、その見当もつかない。

 そうしているうちに、二膳、食事がテーブルに運ばれてきた。コンラートはナイフとフォークを手に何食わぬ顔でそれを食べ進めている。やはり品性を絵に描いたような完璧な所作だ。陸はフォークの握る手を強めるだけで、まさか食事の仕方がわからず、目の前の料理に手をつけられない日が来るとは、とただ困惑してコンラート食事風景を眺めるばかりだった。
 そんな陸の心情を知って知らずか、コンラートは口端をあげて陸の様子を睨めつつ食事の手を止め、淡々とした口調で尋ねた。

「君の父君の話を聞いたよ、“クサカベ“君」
「えっ…」
「ツジロウ・クサカベ、君の父親は大変優秀な研究者だそうだな」
「なぜ…あなたが、父の名を…」
「まさか私が調べないとでも思ったのかな。軍のAA研究者の子息と聞いてピンときた。君も冷たいな、君の父君は私の父とも親しい関係だ。そのご子息ともあろうものならご挨拶の一つでも交わしておきたかったが、なぜ名字を名乗らなかったのかね。君もエーテル体系の使い道を知らない訳ではないだろう」
「…」

 陸に詰め寄るコンラートの口ぶりは何処か皮肉めいている。それは失望とも取れるような落胆した声色だった。
 心臓が早まる。父を避けて自然と名字を重荷に思っていたことが裏目に出た。そして自分は知らぬ内にコンラートの期待を裏切っていたらしい。陸は配膳されたまま沈黙する皿の上に目線を彷徨わせる。食事は進む事なく冷めていくばかりで、まるでコンラートとのこの先の行方を示しているかのようだ。陸はフォークをテーブルに置いて、両手をテーブル下に隠した。何も手も付けられない。ただ席が終わることばかり願う。目を固く瞑って、手汗をズボンに吸わせていた。

「偉大な父を持つと大変だな、リク君。幼少から軍閥に組み込まれ、周囲からは軍属と詰られる。君が軍に足を進めたのも、父の推薦…、あるいは上層部からの圧力。よもや“激励”がなかった訳ではあるまい」
「父は…、父は関係ありません、僕は…!」
「なぁに。AA開発者の父を持とうが、AA科には関係ない。今は君の言葉を信じようじゃないか。リク君」
「…コンラート少佐」

 コンラートは父も国も二の次だと口にしていた。世襲が常の貴族社会に生きている中で、軍界だけは実力での上り詰めたと自負している。そんな所以だろうか。陸が軍にいる理由が父にあると、それも何か特別な措置があって入隊したのではないかと疑っているような気がした。要はAA科に選ばれた理由を父がAA開発者であるが故のコネ入隊ではないかと嫌っているようだった。
 陸は詰襟を触り息を窄めた。否定しようにも、思い当たることは数えきれないほどあるのだ。自分と魔導兵器との関係。時折父から底知れない野心を感じることはあった。小さい頃から軍が占有する兵器開発局にいた事を思えば、父の思念が自分の人生に尾を引いていることは事実だ。だから陸はコンラートの射抜くような眼差しを受けて、罪悪を胸に抱くのは無理からぬことだった。釣り合いの取れないのは初めからそうであったが、きっと今回のことでもっと関係は歪なものとなっただろう。陸は目をしぱしぱさせて観念したように息をついた。
 パーティに出席するのは今夜で最後にしよう。
 陸が椅子を引いて僅かに尻を浮かせたその時、コンラートは意外にも口を開いた。

「リク君、私と君はもっと親しくなるべきだと思わんか」
「は…?」
「知っての通り私の父は、ムー独立の為、ムーが代々継承してきた魔術的秘技を『エーテル体系』として世に発表した。一時の栄光を掴んだ父だが、秘匿の伝統を反故にした男だ。見ての通り、我々一族には敵が多いのだ」
「ええ…」
「君の父君はクロイツ家の研究論文を使って独自に魔導兵器を開発している。私と君はアトランティス国防軍とムー自治軍という間柄だが、仮にも同じアトランティス皇帝を国家君主に仰ぐ領民だ、何も敵対し合う必要もない。今後も友好関係を築き、この国とAAの行末のついて、互いに“意見交換”していこうじゃないか」
「意見交換、ですって…?」

 コンラートはテーブルの上に手を組み、意味深に微笑んだ。例の邪悪そうな笑みだった。

「君の父君によろしく、という意味だよ。リク君」

 その時、陸はその男の本質を見た気がした。

 ガタン。

 背もたれから倒れた椅子。気がつけば、テーブルに手をつき勢いよく立ち上がっていた。

「リク君、どうかしたかね」

 涼しい顔をしてこちらを見やるコンラートに対して、陸は心外そうな顔つきで堪えたように睨む。
 冗談じゃない。
 陸には珍しい荒々しい口調だった。

「それはつまり僕に父の情報を売れと。僕に内通者になれって言うことじゃないですか」
「おや、そう聞こえたかね」
「とぼけないでください、あなたが、あなたのような人が、僕に話しかける道理なんて…!」
「勘違いしているようだが、私は君を評価しているのだよ。リク君。幼い頃から開発局の中核にいて若くしてAA操作に堪能なアトランティス国防軍の候補生ともなれば、私も興味を持たざるを得なくてね。お近づきになりたいと思うのは自然の道理ではないかな」
「そんなもの…!」

 ガシャン。テーブルの食器が大きく揺れた。コンラートの据えた目が見つめる先には陸の握り拳が置かれている。あたりの人々が一瞬こちらを見やった気がしたが、いよいよ瞳に怒りを湛えた陸にそんな事は関係なかった。対するコンラートは腕を組み、事態が過ぎ去るのを待っている。ただ冷静に。その余裕のある態度が余計に陸の心を逆撫でた。陸は叫んだ。

「あなたが興味があるのは、僕じゃない!父と、僕の背後にあるものだ!」
「言ったろう。私は君を評価していると。人物評価と言うのは、得てしてそう言うものではないのかね。」
「僕は、あなたを尊敬していた…!でも、それは、あなたがクロノ・クロイツ公爵の息子からじゃない!」
「ほう、ではなんだと言うのか」
「僕は…、僕は…!」

 陸は唇を噛んだ。AA科でコンラートの話を知った時の感情をどう話せばいいのか、正しい言葉が咄嗟に見つからなかった。自分と同じで、父の名が重くて、AA科への道へ進んで、でもコンラートはそんな偉大な父をものともしない。知れば知るほど男が遠い存在になって、同時に敬意の念が湧いた。そんなコンラートに対する複雑な念を言い表すだけの語彙を陸は持ち合わせていない。いつの間にテーブルクロスには皺が寄っていた。握りしめたサテンの布には水が溢れていた。
 コンラートは短く溜息をつき、席から立ち上がる。興奮しながら睨め上げる陸に対して、コンラートは手を差し出した。そんな紳士的な動作が、陸には胡散臭く思えた。真摯にさえ見えるその目が、今は疎ましかった。

「君には損をさせない話なのだがね。君もこんな形で草加部とクロイツの間に亀裂を作りたくはないだろう。私はただ“親しく”なろうと言っているだけなのだよ。我々の父の倣ってな」

 陸はその手を素早く払いのけ言い放った。

「あなたはエゴイストだ!何でも自分の思い通りになると思うな!」

 一瞬だけ見開かれた目は何に対しての驚愕だろう。陸は呆けたコンラートをその場に残して一人走り去っていた。それがムーの公爵家クロイツに対する酷い侮辱だと気付いたのはだいぶ後の事で、その時はただコンラートから逃れたい一心で走っていた。驚き避ける参加者の間を抜けて会場から廊下の角まで来た時には、息は上がって、頬は目尻から溢れたいっぱいの涙で腫れ上がっていた。
 陸は壁に頭からもたれ掛かって、嗚咽を飲み込み、その場に蹲る。
 こんな筈じゃなかったのに。
 
 コンラートはやはり別の世界に住む人だ。だから陸のような人間であっても、自分のコネクションに加えて、あの軍閥政治を生き抜こうとした。きっとそれだけだったのだ。敵か味方かもわからないあの軍界の中で。陸は抱えた膝に顔を埋めてただ静々泣いていた。

 僕はただ、コンラート少佐と友達になりたかっただけなんだ。

 ようやく気がついた時には、もう何もかも遅かった。
 狭い業界だ。あんな酷い別れ方をして今更取り戻せるところなどない。確かにクロイツ家と僕の関係はここで終わってしまっただろう。一時の感情で相手の面目を潰してしまったのだから。
 あの時同じ事をコンラートに言えていれば、何か違っただろうか。
 いや、違わない。コンラートと陸は生まれも育ちも何もかもが違う。友人の意味も、自分が軍人である意味もきっと。陸のような甘い生き方ではきっとコンラートは少佐官などにはなれなかっただろうから。
 
 父が陸を回収する頃には、涙が止まっていたが、その時はただ父に叱責されないかで頭がいっぱいだった。しかし、草加部子息がクロイツ家の嫡男の誘いを断った噂は、緘口令でも敷かれたように、ピタリとして広まらなかった。


(4)プロット「クロイツ家襲撃」~「劇場での再会」

 クロイツ公爵家邸宅が襲撃されクロノ・クロイツは邸宅から姿を消し行方不明になる。
 マキナ家の仕業とコンラートは直観するが、シグマの陰謀で「エーテル体系」とムー独立を阻もうとするアトランティス国防軍の仕業であると主張し、マキナ家は親アトランティス派でありながらアトランティスとムーとの間で戦争を行う大義名分を作ってしまった。マキナ派閥はムーの自由自治を守る為に軍拡を主張し、新たに編成強化されたムー自治軍を「デウス軍」と呼称した。
 マキナ派による統治により旧ムーを追われたコンラートは正体を隠し陸に接触する。
 陸はAA科の訓練を受けつつ旧ムーデウス軍との戦争を予期し怖気づいて非番を取る事にした。

 コンラートは没落貴族として姿を消した。陸は同僚などの勧めで、軍部のイメージ向上のためか、兵士のフラストレーションを発散する為なのか、市民と触れ合うボランティアの一環として演劇舞台に足を運び、裏方の仕事を手伝う。

 舞台のエキストラの役者が足りないとのことで、偶々監督の目に留まった陸は心を失ったガラス玉の目を持つ人形の役として参加する事になった。

 ただステージの上でスポットライトに照らされて椅子に座っているだけの人形のエキストラ。舞台で何があっても動いても表情を出してもいけない。書き割りから大きな物音がしても役者が悲鳴をあげても反応すらせず、瞬きすらに許さぬ程に、ただ力なく座っているだけで、無用な雑念や人の意志を持ってもいけない。まるで禅の修行のようにしてその場の空気に一体化するだけの役。
 その人形を中心に、舞台はギリシャ神話の神々を演ずる役者たちの問答によって哲学的な台詞と共に展開される。

「魂や心とは何か、自己とは何か、人に自我や意識があるならば、仮に肉体が一つ、一つ、削ぎ落とされた時、どこまでが自分であるといえるのか。自我の目覚めはいつ来るか、命はどこから来るか。人と機械人形の違いとは何であろうか」

 陸はただぼんやりと観客席を見つめたまま椅子に座っている。役者が代わる代わる舞台袖からやってきては消えていく。陸はは介入するでもなく舞台はただ終わりに向かって時が流れて役者たちによって演じられていく。ただ目の前で流れゆく景色を無感情に見てるだけ。それはまるでリクの人生そのものを表したかのようだった。
 そんな折、陸が虚な目で観客席を見遣っていると、ふと、座席の真ん中に、誰かを見た気がした。いや見られている気がした。まるでなんの役もなく座らさせられている人形をでしかない自分に、確かに何者かの意思が向けられている。一体誰が人形でしかない自身に目を向けようというのか。そんなふうに意識だけを観客席に向けて目線を彷徨わせていると、一人の男と目があった。
 
 目?

 ふとリクは自問する。男は黒いサングラスをかけて、身を護るように腕を組み口元を固く結んでいた。
 他の観客が意識を別の所に向けて劇場を騒めく中、その男はじっと陸自身を捉えて意識をこちらに向けている。
 陸と男の目線が重なった時、男は組んだ腕を解き、片方の手でサングラスを外した。研いだナイフのように鋭く憎悪に燻んだ青い瞳。

『リク・クサカベ…』

 鼓膜に男の声が落ちた瞬間、突如電流でも走ったかのようにして、男の思念がリクに迫りそのまま脳天を貫いた。

 脳裏で華美な装飾のシャンデリアが舞台上に落下しガラス片が勢いよく散った。

バタン。

 人形の陸が椅子から崩れ落ちるように倒れる。まるで傀儡の操り糸が切れたかのように、そこに人の意識があった事すら感じさせないほどに、ガクンと力を落として椅子から滑稽に滑り落ちた。舞台上に投げ出される五体と、鋭い音を立てて転げた椅子。

 それは台本や脚本にはなかった事。

 舞台は静まり返った。
 観客席だけでなく舞台上の人間すらも驚きに目を開きつつ、その劇場の意識の全てが人形のリクに突き刺さっていた。しかし一番驚いているのは陸自身である。全身が舞台の上に投げ出されて、驚愕や恐怖、緊張とも言えない感情と強力な思念の磁場で身動きができなかった。
 息苦しく痛々しい程の沈黙。
 固まっていた舞台上の役者も次第に困惑の色を見せるようになる。

 しかし事態を察したゼウスの役者がアドリブで声を上げた。

『おお、遂に意識が目覚めたぞ!』

 その一声で舞台の人間は我に帰ったようにして次々に脚本にないセリフを即興で演じ出す。
『おお、これぞ人の心か』
『機械人形に自我が宿ったのだ』
『素晴らしい!まさに原初的人間の誕生と言える』
『めでたき事、めでたき事』
『祝杯をあげよ、今ここに新たな生命が生まれたのだ!』
『今こそ仮初のペルソナを脱ぎ捨てる時!』

『人の子よ!刮目せよ!これぞ魂(インディヴィジュアル)の創造である!』

 役者は両手を広げ、陸を催促するようにして手を天に翳し、舞台の中心にスポットライトを導く。その役者の怒涛のアドリブ劇に気圧され、陸はパチパチと瞬きをしたあと、強い何かの力に促されるまま、まるで今初めて自我や命が宿ったかのように、遂に上体を起こした。
 それを皮切りに劇場はけたたましい拍手の渦で包まれる。次々に客席の人間が椅子を立ち上がり、激しく打ち付けるように両手を叩いた。スタンディングオーベション。

 陸は、訳もわからず呆然と舞台に座り込んで、全身でスポットライトを反射している。あの時、男…コンラートに睨まれて、額の上に雷でも落ちたような感覚を思い起こし、目を緩く開いたまま頬を掌で包み、煩いほどに脈打つ臓器、心臓の高鳴りに併せて拍手の音が全身に反響して音の波に飲まれていく。

 陸のガラスのような瞳には、確かな光が宿っている。
 湧き上がる劇場を他所に、観客席に一人、奈落のような黒い眼差しでリクを見つめるコンラートと、舞台上で遠くの高い座席に座るコンラートを無垢な瞳で見つめ返すだけリク。

 二人の意識はその場から切り取られ、音や時空をも置き去りにして劇場が崩れ落ち、思念だけがそこに交わった。まるで世界には二人の思念しか存在しないかのように、ただ盲目に互いの意識を向け合っていた。
 まるでテレパシーによる交換でもあったように。

 コンラートは、忽然と生まれ落ちたように座り込んだままの陸を、冷たく射抜くようにして眺めつつ、重たい動作でサングラスをかけた。そして、赤子のような眼差しで見つめる陸を舞台に残し一人席を立った。

 エンドロールを迎える舞台、管弦楽の旋律と共に役者が代わる代わるに舞台に立って閉幕前の挨拶をする。

 陸はエキストラ役者として放置されて、ただ座り込んでいた。その方が演出として良いと思ってのことなのか、それ以上の演技が無理だと判断された為か。

 しかしリクは頭の片隅で実験室と無数の試験管の中を浮き上がる臓器のイメージが流れていた。

フラスコの中の小人?
割られた試験管には誰もいない。

 まるでシャンデリアのガラス片が撒き散らかされたように試験管の破片が足元にちばらっている気がした。

僕にはまだ名前がない。

この殻を破ったのは誰?

「クロス・アームズ…?」

このオペラ座には怪人が棲むという。

 陸の認知は混乱して、意識を内側に向けつつ目まぐるしいほどの情報の渦に巻かれて、予知夢のようなものを見る。

 火の手が上がりその向こうから大量の爆撃機が空を這って巨人が市街地を歩いている。しかし、目覚めてみる夢など、ただの白昼夢でしかない。

 コンラートと言う男は無意識にリクを舞台の主役に引き上げた。


 コンコン。
 はっきりしたノックの音にノブを開いてみれば、控え室に現れたのはあのコンラートだった。

「コンラート…少佐…」
「もう死んだ男だ。今は君のファンの一人だよ」

 花束をもって現れるコンラートはやはりサングラスをして表情を読み取れなかった。
 まるで以前コンラートから受け取ったメッセージカードとは真逆の状況になった。

「素晴らしい演技だった。まるで死体でも見ているような傀儡ふりであったが。しかしまさか本当に生きた人間が演じているとは誰しも思わなかっただろうな。実に驚いた。軍人とは思ぬほどの役への入れ込み用、見事なものだ。あれはアドリブかね、リク君」

「いえ、僕はただ座っていただけで…。あれは、本当は、脚本にはなかったんです…、僕が、うっかりしてて、それで倒れてしまって…周りの役者の方のフォローがなかったら僕は…」
「客席に私を見たからか?」
「…」
「フン、君もつれないじゃないか。クロイツ家が没落した途端に、戦場の舞台から降りようとは。君もAAを捨てるかね」
「ぼ、僕はそんなつもりでは…。それより、今はあなたの立場の方が、こんな所にいるって軍の人間に知られたら…」
「…防音対策までされているとは随分といい個室を与えられたのだな、リク君」
「は、はい…?」
「まるで悪人同士が密会する為にあるような部屋だな」

 花束に隠された拳銃でリク暗殺を試みるコンラート。
 しかしリクはエーテルソーサラー特有のテレパス能力でコンラートの殺意を察知し引き金に手をかけたと同時に銃弾を避けてしまった。
 人間ならざる反応にコンラートはエーテルソーサラーの存在と父クロノの論文を確信する
「やはり、避けたな。リク・クサカベ…!」 
「し少佐、な、何故、銃なんて…!」
「この方が確実だ。仮にも嘗ての私のファンに対して、ナイフで仕留めるのは少し憚られるのでな。」
「そうじゃない!コンラート少佐。な、なぜこんな…」
「その名はとうに捨てた。父クロノ・ゼノ・クロイツの家柄と共に」
「あなたは、お父さんを捨てるんですか」
「早計だなリク君。私は父クロノの言った『エーテル体系』の成否を確かめる為にここに来たのだ。魔術師は本当に存在するのか。そして確信した。やはり父は正しかった。エーテルソーサラー確かに存在する。それ故に!」
 コンラートはまた引き金に指をかけて躊躇うこともなく銃弾を撃つ。コンラートが指を引くか引かないかのところで陸の目の前に一瞬の電光が走り、椅子からずり落ちて屈むように避ける。
「うわぁっ!」
「ちぃ、ソーサラーを敵に回すとここまで厄介とは…リク」
「やめてください!こんな事をして何になるって言うんですか」
「簡単な事だ。この宇宙にソーサラーが存在する以上は、アトランティス国防軍の士官候補生である君を生かす理由もない。君一人が戦況を一転するとも思わないが、危険な芽は早めに摘まねばなるまい」
「僕がソーサラーだって…?!」
「貴様程のソーサラーがアトランティス国防軍のAA部隊にいては、我々ムー独立の本末に関わるのだ」
「あなたのお父さんは軍部の陰謀で消されたんです。奇襲者がアトランティス国防軍かデウス軍かどうかなんて問題じゃない。このままでは本当に戦争が始まってしまう!何故、あなたが今銃を向ける必要があるんです」
「戦争ならとうに始まっているさ。クロイツ家が奇襲されたあの日から。いやもっと前から計画されていたのだ。あの祝宴が設けられた段階で既に仕組まれていた。あの婚約者は私を殺す為に差し向けられた刺客なのだからな」
「あの女の人が暗殺者だって…」
「私も愚かな男だ。あの会場で裏切り者をすぐ傍らに置きながら、殺されかけるまで気づかんとは。その上、君のような敵部隊の少年すらAA兵として見繕ってしまった。佐官軍人がとんだ失態だ。笑い話とは思わんかね」
「そんな…僕は、僕は、あなたと戦うつもりなんてない!僕はずっとあなたを…」
「違うな。君がアトランティス国防軍である以上は、我々ムーの…クロイツ家の敵だ!私はいずれムーの軍隊に戻って、マキナ派軍閥を諸共破壊し、マキナ一族の血を、この手で根絶やしにするのだ」
「やめてください少佐!そんな事してはダメだ!あなたが壊れてしまう!」
「家系と人間は血肉と遺伝が作るのだ。マキナ家の連中は一人たりとも生かしてはおけん。エーテル体系は、父クロノの遺したクロイツ家の意思だ!父は魔術文明到来を予期した。それを、私利私欲の為にムーで独裁して戦争を始めたマキナ派の連中に、父の理想がわかるか、リク!」

 その後、陸はクロイツ子息を狙うマキナ派の手のものがくるのを予期し、劇場を脱出しデウス兵からコンラートを庇う。
 相変わらずソーサラー特有のテレパス能力で相手が拳銃を構えたと同時にその手を掴み、敵兵の腕を上にやって銃弾を上空に回避した。その隙に安全装置を入れて「コンラート少佐!」と叫ぶかさけばないかで、陸が兵士の腕に組み付いているのを、コンラートが突進気味に体当たりし、敵兵の腹を抉るようにして拳を入れる。  
流れるように両手を組んで敵兵の首元の振り落とし、後ろ手に組み敷いて、兵士の装備品を剥ぎ取った後、慣れた手つきで手を縛り、拳銃を装填し、装備品を入手する。
「AA兵ではないようだな。あれば鹵獲できたものを」
 コンラートは拷問で兵士から情報を引き出そうとするが、階級の低い兵なので碌な情報もなく、これは暗殺の為の刺客ではなく諜報兵の類だと察知する。そしてそのまま拳銃で絶命させる。
絶句する陸。膝をつきがっくりと地面に体を落とす。コンラートを救うはずが、代わりに見ず知らずのデウス兵の命を奪った。

「なにも、こ、殺すなんて…酷い…」
「アトランティス国防軍のリク・クサカベと共にいるところを見られたからな。ムーにとって私はもう死んだ筈の人間だ。これ以上敵兵に我々の情報を与える必要などない」
そして銃口部を手に、銃の握り手の部分を差し出すようにして陸に手渡そうとする
「君も銃の一つは持っていたまえ。接近戦は君には向かんようだからな」
「ぼ、僕は…」
「いいのか。このままでは君もムーに追われることになるが」
「そうです、僕はアトランティス国防軍の…」

 コンラートは草加部辻郎の息子としてアトランティス国防軍の“ネフィリム”と呼ばれる新AA兵器の情報交換の交渉に利用するのを名目に、人質に取った。

 ネフィリムには精神不安定な少年少女に対する非人道的な実験が必須だった。


 教会で聖句を読み上げ祈る御子を演じ神父役とシスター役両方を務める陸。

 鏡の前でシスターベールを粗雑に外して虚に鏡を見る、その翌日には洗礼を行う神父である。
そのさらに翌日には食事の前に聖句を読み上げ祈りを読み上げるシスター。表情は削ぎ落ちて目は虚ろ、自己がない。

 アトランティス国防軍、デウス軍問わず、死体を前にズボンの裾をつけて跪き、小さな聖書を開いて聖句を読みあげる陸。

「軍人が死者を弔うとは結構な事だな」
「士官学校に通う前は、週末には教会に通うのが習慣でした」
「ほう、今時珍しい。信心のある事だ」
「ニッポンの教会でよくこういうことをしていたんです」
「その賢明な聖職者が今や軍属で人の生き血を啜るとは、その祈り手で人を殺すか君は。とんだ皮肉ではないかな」
嘲笑うコンラート。

「よければあなたにも祈りましょうか」
「君が、私に」
「ええ」

 白の修道服を着た陸はまるで女に見紛う程に似合っていた。
「君はその格好の意味がわかるのか?」
 シスターベールを外し、暗い顔をする陸。
「花婿と花嫁は教会では特別な意味を持つんです。男と女、使う者と仕える者」
「随分と古い契りの方法だな」

「本当におかしいですよね、洗礼や秘蹟だけでなく冠婚葬祭さえ人の手で管理しようだなんて」

 軍服を纏いサングラスをつけるコンラートに修道服のままの陸。古めかしい馬車で移動する二人
「小さい頃、僕の身体は病弱で、地球の地方の風習で、小さい頃はこんな格好をしていました。僕が昔いた国では七五三とか、色々な言い方があって。小さい頃、同い年の子供から女々しいヤツと、後ろ指で言われて、よく揶揄われていました…」
「確かに、まるで垢抜けない田舎の童女だ」

 儀式は形骸化してもう本来の秘技の意味を失っている。

 嘲笑するように口端を上げるコンラート。
「悪魔と呼ばれた男に、聖句を説くのかね君は」
「あなたみたいな人にこそ禊は必要なんです、あなたは過ちを犯そうとしている…」
「私に説教か?随分と偉くなったのだな、リク候補生。少佐階級の私を諭そうというのかな」
「そんな言い方。迷える者へ教えを解き善き方へと導く、それが、教会での僕の役目でしたから」
「まるで自己を持たない人間が人を導けるというのかね、リク君」
「…」
「人の血を浴び死霊に呪われ化物(獣)とさえ呼ばれた私を、君如きが救えると、とんだ傲慢だな」
「僕にできるのは、教えを解いてあなたに祈るだけです」
「何処までも他力本願か、非力だ、人の祈りなど誰も救わん」
「そうですね…」

「僕は生まれつき病弱だったようで。でも小さい頃からあんな事ばかりしてたせいか、脳波が人より活発なんです。偶々エーテル兵器に適性があって、父の薦めで僕は軍隊に。流れでエーテル兵器の被験者と、AA搭載機体のモデルケースとして“ネフィリム作戦”の一翼を担うことになりました」

 「貴方は自我が強すぎる、人の心を寄せ付けないんです。僕とはまるで正反対だ」

「人と人の感覚は共有できても個々を持つ人故に『正しく』通じ合う事はない。同じ星々や月と太陽を見上げても、人によってその瞬きは色を変える。あなたと僕は同じ地上に立っているのに、あなたは今は僕とは違う景色を見て、違う彩りを感じている。この一枚に切り取られた情景の向こうに、人は生命の神秘や自然の神聖さ、造形の歪さや現象の不気味ささえも見つけてしまう。それが人一人の持つ魂の在処で、人は人故に通じ合わない。しかしそれ故に人には心がある。人には情がある、人を想い、人を理解しようとする心がある。それが良心というならば、ソーサラーの力とは観想のことであって、優しさであると。それでも、人は人故にその心が一つに重なることはない。いくら誰かに想いを馳せたとて、共感が正しく働くとは限らない。人を想い、すれ違うのが人の業と宿命ならば、人の罪とはやはり、闘争と独尊にあるのかもしれませんね。」
「ないものはない。人の心。視界こそ全て、とあなたはよく口にしますが、とても軍人らしい。人にとって、見えないものを信ずるのはとても難しいんです。だから、ある人にとっては説教する聖職者など、口が上手いだけの詐欺師にでも見えるんでしょうね。そう、僕など、ただのペテン師に過ぎないんでしょうね」

「役者には個性などいらないんです」
「自己アイデンティティが希薄な君らしい卑屈な言い方だ」
「マシンや戦闘機と同じです。家畜や兵器に名前がないように管理する型番と機能さえ有れば、僕という存在は必要ない」
「だから無数の役を君一人で演じられると」
「ええ、僕の舞台には、ずっと、僕一人きりしかいない。周りには誰一人自由意志を持たない無個性な役者ばかりです。右も左も機械仕掛けのオートマタ。僕は世界でたった一人きり。ただ目の前で流れゆく景色をじっと見守るだけ。僕にはなんの役も名前もない。…いえ、僕の渡された役は舞台の傍観者であって、そこに僕個人の意志など必要ない。僕はただ頭に落ちてくる人の心を拾うだけ。僕は天の声や死霊の意思を代弁するシャーマンでしかないんです」
「幕の全てが筋書きありきで劇団の自作自演というのか、とんだ戯曲だな。まるで道化だ」
「それが、突然貴方が舞台に上がってきた。いや、黒子でしかない僕を舞台の主演にまで伸し上げてしまった。他の演者を押し退けてまで。舞台裏で生きる筈だった僕は、この戦争を通じて、とうとう表舞台に名を上げた。エーテルソーサラー草加部陸。こんな事、父辻郎とアトランティス国防軍やムー…いえ、デウスの描いた脚本(シナリオ)には、なかったのに」

「コンラート少佐。貴方が、僕を歴史の舞台へ連れ出してしまったんです」
「…」
「僕は、日向へ出るべきではなかった。あのまま、人柱として影で生きてもよかったのに。あなたが全ての歯車を狂わせてしまった…」
「さしずめ私は脚本には無かった、顔や名を持たない番狂わせの男か。そう言えば、君のいるオペラ座には怪人が棲むと言うな」
「怪人ですって。貴方が、なぜ」
「忘れたかリク・クサカベ。前にも言った筈だな。私は君の酔狂なファンなのだ、裏切り者と呼ばれて今、最早この世でただ一人きりかもしれんがね」
「まさか、だって、それは…つまり…」
「ありえんと思うか、今もこうして敵兵の君を脅つて従えているのに」
「そもそも僕らは敵同士の軍人です、それに…僕は…」
「昔からよく言うではないか。禁忌や背徳的な情愛ほど、戒律の犯さざるを忘れ、下らぬ私情が為、人は罪を犯すのだ。私に与えられた役が獣で、業火に身を焼く定めと言うならば、何処まで堕ちて行けるのか試したくはならんかね。リク君」
「なんてことをいうんです。貴方はムーの佐官、僕はアトランティス国防軍の候補生。まして貴方はクロイツ家の正当な後継者で、嫡男ですよ。それに、今更僕にアトランティスを捨てるなんて」
「人は愚かだよ。だからこそ人間とは思わんか。君のように、良心と理性とやらに従い、無欲に自己犠牲して生きられるほど、人はできてはおらんのだ。宇宙意思だなどと、むしろ君の健気な献身的態度はただの惰性に過ぎんよ。光あるところ、必ず闇は生まれるのだ」
「僕に、貴方の道連れになれと、なんて人だ…」
「それが私と言う人間の性だ」
「こんなものが愛だと言うのか」
「”駈込み訴え“とは、文筆家は良く言ったものだな、リク君。所詮君の言う博愛精神など、等しく誰も愛さぬことと同義なのだ。君は誰一人として愛してなどいない。不平等に注ぐ愛は執着にも似て、利害や争いにさえ結びつくと、君は無意識に知ってしまったのだ。故に君の謳う愛は誰も救わんよ。君の説いた愛は、誰一人として救わない。君一人の心すら。この星の人間は気づかないのだからな。これは私なりの君への手向だ。これは復讐なのだよ」
「もうやめてくれ、コンラート。僕はただ、人が無為に傷つけ合い、悲しむ人がいるのが嫌なだけだ…。無駄に争って何が生まれると言うんです。もっと互いを想いあって、優しさを忘れなければ、こんな荒んだ世の中にはならないのに。マキナ家だとか、クロイツ家だとか血統や家系を理由に仲違いするような理由が、僕にはわかりません。生まれや育ちなんて、そんなもの。皆誰しも人には変わりないのに」
「哀れな子供だ。君は世の中を知らんな。この世には性悪的な人間もいるのだよ。悪戯に人を傷めつけ、暴力と独裁を悦び、寡頭制と搾取の愚策を持て囃すのは、悪をなせる人故の事だ」
「…」
「もし仮に君が世を照らす光というならば、私は時代に巣食う闇が似合いとは思わんかね。君の光が私を照らし、君が私の導き手になるならば、私は喜んで影を生き、敵将の首を撃つ剣となり弱く愚かしい主君を守る盾になろうじゃないか。頭を垂れて跪き、手を取って君の愛を証明してやってもいい」
「貴方が僕に?胡散臭い言い方はやめてください」
「嘘と思うか。やはり私のような男の言葉では、君に信じてはもらえないな」
「第一、そんなもの対等な関係じゃない」
「いけないか。何も主従は不公平とは限らんよ。私は君に全ての罪をなすりつけ謀叛し、金貨3枚で人買いやサーカスに売り飛ばすことさえできるからな」
「貴方はそうやって!…いつも捻くれ事ばかりだ。それに僕は誰かに仰がれるような人間じゃーない…、卑怯で女々しくて、その日限りを祈るしかできない。僕こそ人に仕える方があっている。これまでそうやって、舞台裏や地下から人を支えて生きてきた、だから」
「君が私に仕えるか、それも悪くはないな」
「…」
「私と共に来い、リク」
 敵国佐官と敵軍兵士は、自軍の為に戦う宿敵同士の身の上にありながら、愚かにも愛し合い、無謀な駆け落ちに出た。

 洗礼というか癒し手というか上から施すのことを陸は嫌うのでコンラートに対しても同様に
ソーサラーはテレパス能力を使う時手を握ったり目線を合わせて、おでことおでこをくっつける。

叙任式
陸。コンラートの両肩を手刀で切る
「なんだ今のは」
「古い御呪いとでも言えばいいのかな。由緒ある伝統的な儀式で、これであなたは騎士の称号を得ました」
「騎士?国を追われ、鬼子と蔑まれた私がか」
「だからですよ。形式的であっても、あなたには必要だと思った。あなたはとても危うい人だ。いつも殺気立っていて、あなたの頭の中はマキナ家への報復と軍事に関する謀略の算段ばかりで犇いている。僕はあなたがいつ道を外れるかと心配なんです。でも、あなたは戦う以外はできない人だ。だから、せめてあなたの振るう剣と拳は、私欲の為ではなく、誰かの為にあってください」
「…」
「…」
「…フ、いいだろう。では、私はあなたの命に従い、主の御名の元、この身を捧げ生涯あなたに仕え申し上げることを誓おう」
 コンラートは冗談めかしつつも颯爽と膝をつき、リクの手の甲を取ってそれを額につける。憎い事に所作一つ一つに綻びもなく跪く姿すら煌々とした気品があり様になっている。
「い、いえ、違います。そういうんではなくて。あくまであなたが仕えるのはお父さんの掲げた理想や軍であって…。やめて、頭を下げないで下さい。僕はあなたとは対等な関係でありたいんです。そういう事は僕がやりますから…」
 そうやってリクは同じように両膝を地につけ目線を合わせコンラートの顔に触れる
するとコンラートは緩く地面を立ち上がり、しゃがんでいたリクが一緒に立ち上がると同時に
「では、これならば文句はないな」と言って、そのまま陸の膝裏に手を差し出したと思えばそのまま膝ごと抱き上げて、横抱きに持ち上げてしまう。
「うわ」
「これで君と目線が同じだ」
そうやってリクを見るコンラートはサングラスの奥でいつも見せないようなひどく柔らかで優しげな目線を陸に向けている。
 間近に迫るコンラートの顔、混じり合う目線。リクは臆病に顎を引きつつ、なんだか参ったような恥ずかしいような観念したような複雑な顔をしたあと困ったように小さく笑って
「狡いよ、コンラートさんは…」
と言ってコンラートの肩口に顔を埋めて、両腕を首に絡めて強く抱き返した。

クロイツ家の肖像メモ
・舞台の上では女の子になれる陸。コンラートと共にエキストラとして出演。そこで舞踏会に登場する男女の恋人役のモブにあてられる。

 舞台の隅の方で手を重ねて足踏みでもするように不器用で控えめにワルツを踊るコンラートと陸。そこでは普通の恋人同士で愛し合えるのに。その間の一時一時が自分にとって限りなく輝いていて、大衆の面前で誰から顰蹙を抱くでも嘲笑を受けるわけでもなく、当たり前に恋人同士として振る舞えることが夢のようで、自然と目に涙が溜まっていく陸。
 目が潤い瞳が燦然と揺らめく。気持ちが昂り抑えようとしても抑えきれず、目頭の奥が甘美と感傷に滲んで、どんどん熱くなっていく。向かい合い見つめているコンラートの顔は綻び、真摯で安らかな顔つきをしながらも、目を逸らすことを許さない迫るような相貌がじっとこちらを睨み、瞳の奥から離さないでいる。まるで本当に自分に心が向いているかのようで。このまま二人切り取られて、この時が永遠に続けばいいだなんて、柄にも無いことを頭に浮かべて、あなたへの懸想でつい立ち止まりそうになるのを、野暮ったい足でコンラートに倣うようにして踏み出しても、やはりうまく動いてはくれなくて、次第に身体を抱くあなたの腕に力が入るにを感じるごとに、どうしてこんなにも真剣になってくれるのだろうかと、ありもしないことを想ってしまって。
 そうやっているうちに、劇中にも関わらず、目尻から一粒二粒と涙がこぼれて一筋に頬を流れて顎を伝って、雫が落ちた。
 目は確かにあなたを見あげているる。あなたはただじっと見ているだけで何も言わずに、役を続けている。
 いよいよ、喉の奥を迫り上がる嗚咽が絞った口元から、漏れそうに。堪えようにも、瞼を開いて目に力を入れるほどに、はらはらと涙が注いで、瞬きするごとに粒が溢れていく。見上げる目はよもや水面でも覗いているように揺れて、あなたの顔もまるで一滴落ちた波紋のように揺れて歪んで見えない。両手で抑えようにも、手はあなたの掌がしっかり握っている。絡んだ指の骨っぽい関節が薄手の手袋の下から感じられる程、熱心に手指を重ね掌を掴んでいた。

 エキストラは主演より舞台で目立ってはいけない。

 暗い舞台に白い柱が差した。影の中から人の輪郭が白く浮かび上がって、主役の女優が舞台に躍り出る。
 白光りするスポットライトの下に照らされて、大きく手を広げれば、衣裳のスパンコールが瞬き、ドレスの裾を引いて歩けば、しなやかな身体の曲線の上をキラキラと光っていて、艶やかな髪束が肩から落ちれば、まるで髪の毛一本一本が宝石でも砕いたようにして眩い。シルクの布の衣装に身を包んだ女優の、人形のような美麗な顔つきには確かな生命が宿り、ぷくりと膨らむ唇には血が通い、薄く化粧をのせた肌の下は淡く紅がかっていた。目力のある女性のまつ毛は長く、その瞳を閉じればまるで精巧な金細工でも見たようにつぶさで、薄暗い舞台の上に一人白く照らされ、唇をつぐみ目を伏せ手を合わせ憂うる姿には、物音ひとつ立てられぬほどに荘厳な美しさがあった。

 舞台の隅で椅子を並べ、影の差した舞台の奥で主役の演技を眺める二人は、過ぎ去っていくその演技を傍観するでもように見つめ、ただそこにあるだけ。二人は波立てぬ風景の一つであって、息を吐く以上の存在を出してはいけない。しかし二人は顔を擦り合うようにして肩を寄せ合わせて、手を静かに重ねている。
 女優に見惚れている二人の恋人。観客にとってはそれが何気なくつまらないだけの風景でしかないように。二人にとってもそれだけでいい。
 ただ二人、舞台の隅で、隣り合わせに座っている。それが許されるだけでよかった。
 この時間がずっと続けばいいのに。
 そう思うごとに、応えるようにして掌の確かな感触が強くなっていくようで、重なった大きい掌が不安を覆い隠すように握り返してくる。
 このまま刻が止まればいいのに。
 コンラートの肩口にぐったりもたれて身を寄せて呆けていた。観客席の前で繰り広げられる演劇を遠い目で眺めている。そこに頬の上を静かに指がなぞる。目線だけ向ければ、やはり主演に目を向けたまま顔ひとつ動かないままのクロスが、反対の手で薄く重なっていた睫毛を柔く摘んでいた。手袋のない男の指の腹は少しかわいていて、吸うでもないのに雫が滲む。普段は冷たく硬い銃火器の引き金を弾いて、ハンドスティックのボタンを無機質に押す。人を殺す手。薄傷が耐えないので瘡蓋でも張ったように分厚く掠れた指の腹。
 それが今は弱々しく擦るように男の指が目尻の下をなぞっている。
 不慣れな様子で、まるで書類の紙面でも弄るときのような、そんな不器用な仕草だったが、十分過ぎるほどに臆病で慎重で、優しい
まるで慈しむような、気遣いに気がつく程に、男の手先が涙で湿って。
 せめて舞台の上では、あの人たちの前では恋人同士であって欲しい。
 そんな想いが通じたのか通じてないのか、額に一度口づけでも落ちたようで。耳の裏に湿っぽい声が触った。脳髄に直に響いたような、それこそ感応によるものかどうかも危うく、全身が固まって応える事もできなかった。


(5)プロット「異教の神」「コンラートの負傷」「陸の闇」

★設定メモ
・父親の草加部辻郎は既に狂っており、もう陸の言葉の意味を理解できない。
・陸は本当は衛生兵を志願していた。しかしエーテル兵器(ArtherArms魔導兵器)の適性やエーテルソーサラーとしての素質、高いトランス能力があった為、巨大人型機甲、鉄鋼の巨人ネフィリムに搭乗する試験操縦士に抜擢される。また、兵器開発局の雇員の父親が息子陸の採用を強く後押しした事も大きい。
・陸は医学の知識が豊富。幼少期は人助け、人の命を助ける事を志すようになったが、戦争の凄惨な現実を知り、医者として生きる事に疑問を覚え挫折する事になる。
・エーテル痕通信機「エコー」は人骨を入れる骨壺をイメージ。
・陸は自分が骨も残さず空に散る事を予感。肉も骨も残さず天葬される、海に葬られる同僚。彼らには墓石や十字架すらなく、ただ亡骸を棺に入れられ船から海底に降ろされる。一輪の花もなく。恐らく自分も骨も何も残さず天に死ぬであろうと、陸は骨壺をふと懐に置くようになった。遺言書や家族への手紙と共に軍人として死ぬ覚悟をぼんやりと固めていく。

★陸がコンラート少佐と出会ってから。
 陸とコンラートは一度アトランティス領ニッポンに降りる。コンラートは正体がばれないようにヘルメットにサングラスをかけてアトランティス国防軍の一般兵に扮装している。また、エーテル兵器(以下AA)の電磁気変換能力を用い、無線帯による追跡が効かない様にしている。
 陸は自分の故郷を思い出し、ふと一度見てみたいと故郷の新潟を訪れる。旧日本はアトランティス帝国との戦禍が刻まれており、未だ地方の復興が進んでおらず、焦土と廃墟と化している。いくつか旧文明の様に瓦礫や建造物の跡地が残されている。その一つは大社や教会などの宗教施設や石造りの建造物である。殆どの神社や寺は焼失したが、一部天候の悪い土地や水辺の近くの木造建築は僅かに残っている。
 陸の家も当然焼失しており、木造の骨組みや屋根が僅かに残っていた。コンラートは旧ムーの出身の為、戦争の傷跡を微妙な顔で見つめている。草加部宅のすぐ近くにアトランティス国防軍のキャンプが設置されていた。
 
「あそこが僕の家のあった場所…」
「家か…あの廃屋が、まるで原型をとどめていない」
「…あれ…国防軍…、なんでここにアトランティスの軍人がいるんです?」
「港町はアトランティス国防軍の管理区域だ。隊を外れた兵士が根城にしているのではないか?」
「ここはまだ戦闘地域じゃないのに…」
「…しかし、どうにも指揮官が見当たらない。持ち場を放棄されたか?」
「酷いです。彼らはまだちゃんと生きているのに」
「?一般人か…?」
「あっ!あの頃のおばさんだ!待ってください!その人に乱暴しないで!」
「待てリク君。待て、リク、止まりなさい!」
「その人に乱暴するなァ!」
「目立つなというのだ」

「はぐれた息子さんを探してたみたいです。もうおばさんはこの地域には住んでないらしくて」
「そうか。しかし、危険をわきまえたまえリク」
「あの…、何故貴方は止めに入らなかったんです?」
「私は仮にもムー自治軍の少佐、コンラート・クロイツだ。クロノの嫡男で世間では抹殺された筈の男。すでに報道関係では死亡扱いになっている。私はここにいてはならぬ人間なのだ。言わずともわかるな、リク君」
「そ、そうですね。でももし…」
「うん」
「もし、誰かがそれで死んでしまったら?もし仮に『僕』が殺されそうになったら…コンラート少佐はどうするんですか…」
「…」
「やっぱり、そのまま見殺しにして何もしないんです?」
「…返答に困るな、それは」
「いえ、僕も意地の悪い事を聞いているのは、わかっています。」
「…」
「やはり、コンラート少佐は、僕を見捨てますか?」
「私はムー自治軍佐官、君はアトランティス国防軍の候補生、今は私の捕虜だ。それだけの関係だよ、リク君。」
「…コンラートさんは、僕を見捨てる?」
「無論だ、軍人としては」
 二人の間に微妙な間ができる。陸は明らかに悲しい目をして唇を噛んで押し黙っている。コンラートはそんなリクを見下げる。

★異教の神
「何処に連れて行こうというのかな」
「いえ、どうしても行きたい所があって」
「繰り返し言うが、先の様な無謀な行動はしないで頂きたいな、リク君」
「…はい。その、貴方は無理しなくてもいいんです。僕の、僕個人の勝手で、貴方が死ぬことはないんです。だから、その時は捨てていって下さい」
「いやに簡単に、自分を蔑ろにするのだな、君は」
「僕も、これで兵士なんだって、少し思い出したんだ。それだけです、コンラート少佐」
「そんな拗ねた言い方をされると、私も心苦しいよ、リク君」
「揶揄わないでください。僕にだって大人の方便ぐらいわかるんだ」

「よかった、ここはまだ残ってたんだ」
「ここは…、神殿か何かか?随分と古い作りのようだが」
「神殿なんて大袈裟なものじゃないですけど、僕らの神様を祀るところです」
 旧日本のシンクレティズムを思わせる神社と教会が一体化している不可思議なお宮。
 その神社はスオウ神社。松の木々に囲まれて僅かに戦禍を逃れた。広葉樹の木々が天に両翼を広げている。何故か少し懐かしいにおいを感じるコンラート。これが彼のいう故郷というものか…と思う。
「これが…君の故郷か」
「来ててみて下さい、この奥にお社があるんです」
「あの神殿と造りが違うな」
「あの教会は後から建てられたものなんです。異文化を持った石の工匠のマレヒトの方が」
「マレヒト、島の外の人間か」
「ええ、異教の神を祀る祭壇なんです」
「混み入ってるな」
「そういうお国でして…」

 神社の戸は少し凹みがあるが形を保っている。鍵もなく人の出入りした様子もない。しかし何故か鳥居の向こうの草木はそこを避けるように広く土肌がのぞいている、土地が守られているようだ。
「まるで腐っていないな、ここは雨期の多い地域だろう」
「風と山間の関係で万年曇っているんです。だから雨に強い森林が育って、この松もその一つなんですよ。幹が日差しや雨に強いし葉っぱも腐らない。これが海風や黄砂を防ぐんです」
「防風林か。まるで天然の要塞だな、これは」
「ええ、紙も木も案外丈夫なんです」

 木の社。大きな鈴を鳴らし、障子の襖を開くと、天井の近くにはすり硝子と飾り細工、天井は木目。リクは襖を締め切り、ライターの火を頼りに進む。鏡状のご神体。
「鏡か?」
「この地方に伝わる魔鏡です」
 リクは手に持っていたオイルライターを使い、鏡台の近くで火をつける。すると火影が部屋の壁一面に踊り浮かび、障子から淡く優しい明かりが灯り鏡面が橙色に輝く。障子を閉めてから見るとぼんぼりのよう
「これが僕らの神様の一つの姿なんです」
「ヤタノカガミ」
「よくご存じで」
 まるで夕日のような赤い灯り。夕焼けの神様。
「なんだか懐かしい気がするよ」
「少し地味ですが、温かいでしょう。ゆったりして」
「僕らの神様にとって。この灯りは力の源なのかな」

「貴方に見せたかったのは、こちらの教会です」
「石造りの神殿、いずれにしても古いな」
「日本アトランティス戦争以前の…、数世紀前の遺産ですね」
「しかしよくあの戦火を耐え抜いた。よくできているよ」
「ええ。僕はこの場所が好きで、小さい頃は…」
「…」
「あ、いえ、その、貴方をここに誘ったのは、ちょうど時間帯がよかったからで」
「十字架がかかっている。これがこの神殿のご神体かな」
「そうでもありますが、それはあくまで偶像です。見ていてください。もうすぐです」
 南中する太陽。すると教会を取り囲む森林の木々の隙間から白い太陽が顔を覗かせて、教会のステンドグラスの天窓を通って、七色の光が合わさり、一つの光の柱となって十字架の剣を照らす。神々しい光景。
「これが本当の神様。この教会で祀られる本当の神様の姿です」
「真昼、太陽が丁度90°になるこの時間にしか会えない姿なき光の神…、太陽神か」
「ええ、僕らの神様とは少し違う、異国の神様」
「ここには昼と夕方、夜が同時に存在しているんです」
 鏡に映る夕日の神、真昼の神、十字架の神、丸の神。そして鏡面は夜の月。灯、雨、風、ここには季節と時間の流れが同時に存在する。
「ここでは僕らの神も異教の神も争い合うことなく共存してる」
「昔ドイツでは、シュバルツバルトと呼ばれる黒い森の中にこういった類の神殿が建てられていた。鐘つき台のあるものもあれば、赤い屋根のレンガ造りのものもある。しかし、更に紀元を遡ったいつかには、その森は一度伐採された。こういった神殿は、その後に建てられた者なのだ。黒き森の木陰と陽だまり、大木の葉々の隙間より漏れる光を模したものがこのステンドグラスの光なのだ。そうして、その土地の人々はその光を拝むことで、黒き森の姿を思い出し忘れまいとした。この建造物はその文明の名残だろうな」
「言わずもがな、ですね。貴方らしいよ。」

「一度でいい。貴方にこれを見てほしかった」
「確かに見事な意匠だ」
「この場所とこの時間じゃないと会えないんだ」
 しばらくそこにいる二人。ステンドグラスの陽だまり、光の柱の中、コンラートはふと陸自身が輝いているように見えた。しかしそれは幻影。彼はあくまで天窓から差す光を受けているに過ぎない。まるで鏡や月。自らで輝くことはできない、しかし。コンラートは陸を見ながら呟く。
「確かに、美しい…」
「ええ、本当に」
「違うのだ」
「え?」
「…いや」
「…」
「…」
「…儚いな」
 コンラートは恋をした事は一度もない。これは太陽神がもたらした錯覚かもしれないと思いなおす。
「この時間になると、人は自分たちの神様を思い出して祈っていたんだ。僕はそう思う。この時間にしか会えない。隠された神様」

「…しかし、私からすれば、君の方が余程、人離れれしていると思うが」
「僕、ですか?」
「君はまだ年端もいかない17の少年兵だ。しかし年の割に落ち着いている。軍医学だけでなく、風土、伝承に詳しい。そして希少なAA科の候補生だ。環境さえあれば神童と呼ばれていたのではないか」
 コンラートは自分にはない感性を持つ陸を少し妬ましく思っていた。自身が観想によって真理に近づけないのは、人間味のなさが由縁ではないかと感じてしまったからだ。
「僕が、神童?まさか。それはありえないですよ」
「何故だ。君は前、道すがら敵兵を助け、被災者や負傷兵を集めた野営地でも、適切な処置をしてみせたではないか。片や祈り手に回君や聖句さえ読み、死者さえ弔う。いつぞやの救世主…神の成す業のごとしではないか」
「はは…」
 陸は卑屈に歪んだ悲しい笑いを浮かべる。無言のコンラート。
「確かに、見た目は聖者のまねごとをしている気取った子供だと思います。ですが、僕が人を導く?神や救世主なんて絶対に、それだけはありえませんよ、コンラート少佐」

「だって、僕はただの準軍人。アトランティス国防軍の士官候補生に過ぎないんですから」

「軍属は私も同じだが、しかし(君は医者として人を救った)」
「聞いて、コンラートさん。それはとんでもない誤解なんです。僕はただの罪人ですよ。…むしろ、僕にはあなたが神様に見える」
「私のような男がか。余程ありえん話だ」
「そうとは僕は思わない。」
「では、私は何の神と言うのだ」
「死の神様」
 陸は静かで無表情な顔をしている。
「…フン、死神か。確かに私には適した言葉ではあるな。地獄からの使いと」
「いえ、もしかしたら天使の方が貴方には近いのかな」
「私が天の使いだと?それこそありえんな。私は軍人だ。鬼畜外道と恐れられた」
「元々天使は生者に『死』を告げて魂を冥界に運ぶ存在だよ。だじゃらあなたの言う地獄の死者とそう変わらないと、僕は思います。告死鳥。死の使い。天使さま」

「僕よりよっぽどこの世の理を知ってる」

「貴方の殺しの技術は恐ろしい程に正確で、一撃で敵兵を仕留めていた。きっと殺された事にも気付かず、僅かな痛みすら感じなかったでしょう。迷いや躊躇いさえ見えない、精錬された殺人術。正に神の領域と言うべき業です」
「それは賞賛というより皮肉に聞こえるな、リク君」
「いえ、僕は本当に尊敬しているんだ。きっと貴方にある哲学、あるいは美学の表れなんでしょうね」
「少ない手数で敵を殺める。効果的な攻撃の最適化。それには軍事的な価値、戦術以上の思惑などないよ」
「本当に、それだけですか?」
「無論だとも」
「本当にそれだけで、そんな芸当をやってのけたなら、あなたは間違いなく天才ですよ。コンラート少佐…」
「意図が見えないが」
「上手く言えないんですけど、貴方はきっと僕よりずっと…」
「しかし、殺しをする我々軍人と、君の様な医を志す者たちと一緒くたにする道理はない」
「いえ、同じですよ。誰かの命を弄んでいる意味でも。人の生き死に介入して、身勝手に与え奪う意味でも。医者と軍人。殺人と救命、そこに違いなんて…」
「いや、しかし…」
「僕らは救世主でも、まして英雄でもない、ただの罪人です」


★コンラートの負傷
 コンラートがデウス軍の攻撃を受けて負傷する。陸は宿をかりてそこでコンラートを看病する。包帯巻きのコンラートは寝台に深く眠って、不詳個所を氷で冷やしている。
「まだ痛みますか?あ、まだ身体を動かさないで!傷に触ります!」
「それを早く言わないか。全く、参ったな」
「すみません。まだ慣れてなくて…」
「元々衛生兵の志願者が何を言うか」
「そう言われてもな…」

「腕を見せてください。今鎮痛剤を打ちます。まだ痛むかもしれませんが」
「あんな初歩的なミスをするとは、私の腕も落ちたな」
「疲れがあったんですよ。クロイツ家の事があってからずっと、軍から逃げ隠れする毎日だったんだ。精神的にも限界が来ていたのでは…」
「一度は死を覚悟したが、しかし中々しぶとい、私も」
 コンラートは手元を見つめ、掌を広げたり握ったりして、その感触を吟味している。
「良い機会です。少しの間ぐらい休まれたらいかがです。でないと大変な事になりますよ」
「わかった、君の言うとおりにしよう」

「君の腕がよかった、ということかな、リク君」
「偶々ですよ。あまり僕を過信しないでくださいね。手元に医療品があったからどうにかなったんです。でもなきゃ貴方は…」
「何を言うか、その前に君は国防軍所属の候補生だろう。敵軍佐官の私を生かす理由などあるのかな」
「…!」
 陸は酷く傷ついた顔をする。コンラートは自身が死にかけてもz分を何とも思わない事にショックを受けていた。
「いや、よそうか」

「少しすれば、鎮痛剤が聞いてくると思います。それまではどうか安静にしていて下さい」
「ああ…」
「欲しいものがあれば何でも言ってください。今飲み物と食事をお持ちしますから」
「…」

「…」
「何か、気になる事でもあるのかな?リク君」
「いえ、貴方も普通の男の人だとわかって…。こうしてみるとあなたもただの人間なんだって」
「当り前だな、君にどう見えるかは知るところではないが」
「少し安心しました。本当に戦う以外を知らない人と思ったから。こうして横になっている貴方は本当に当たり前の普通の人だったから。なんだかほっとして…」
「フ、今の私は面白みのない男という事かね」
「いえ、そういう訳では。でもクロイツ家の事がなかったら、貴方はここまで追い詰められなかったと思ったんだ。きっとこんな風に、平穏な生き方だって…」
「私が軍への道を志した時点でそれはありえんよ、リク君」
「でも…」
「しかし、私にもわかった事がある」
「はい?」
「君は殺しには向いていない。すくなくとも軍人向きの性格ではないな」
「…」
「確かに君には軍服は似合わんのかもしれんな」
「……いえ、僕はそれでも…」
「自ら望んだわけではないのだろう?兵器開発局の子息ともあれば、君にもプレッシャーが」
「それは…以前にも貴方にお伝えしましたが」
「ああ、AA操作の実力はきっと申し分ないのだろう、君が技術者としてAA開発設計に手をかける"好きもの"ならばの話だが」
「…」
「全くもって、君には驚かされるばかりだな」
コンラートはリクの手当てした掌を見つめつつ、少し遠くを見ている。

「リク君、私は軍人以外の生き方を考えたことなど一度もないのだ」
「ええ」
「一度もないのだ、リク君」
「…ええ」
 コンラートは静かに目を閉じている。時折、窓の外を見やり遠くを見て沈黙している。ベッドの横には一口サイズに切った果物をよそった器がある。
 陸はそのコンラートの姿を部屋の戸口から盗み見て、物寂しいものを感じる。
 
「コンラートさん、少しいいですか?」
「なにかな」
「あの、今夜だけで、いいので、一緒に寝てもいいですか?」
「なに…?」
「いえ、その、隣で寝てもいいですか…」
「私と寝るのか、君が?」
「あ、いえ!嫌ならいいんです。ただ、ずっと一人だったので、人恋しいというか、さ、さびしくて」
「…別に、構わんが」
「本当、ですか?」
「念の為、聞いておくが、意味を分かっていっているのだな」
「はい」
「君は男だろう、いいのか。まして、相手が私でも」
「やっぱり、ダメですか、こんな年で、添い寝してもらうとか…」
「…、ああ……」

「隣なら空いている。好きにしなさい」
「はい、すみません。着ずには触らないようにしますから」
「…」
 本当に枕を並べて寝るだけだったリク。コンラートは拍子抜けをして、何故か落胆の様なものを感じる。
 コンラートは機能性ホモのきらいがあった。元々許嫁を用意する事で女性トラブルやハニートラップを避けていた。しかし、コンラートは過程を顧みるタイプでもない仕事人間だったために、女性関係は上手くいかない事も多かった。
 
「コンラートさん、起きてます?」
「コンラート"さん"はよさないか。少々気に障る」
「あ…すみません。コンラート少佐」
「…そういう意味でもないが」
「…」
「…」
「僕、憧れだったんだ。こうして誰かと並んで寝るの」
「…」
 コンラートは複雑な顔をしている。
「本当に僕が赤ん坊の頃に両親が離婚して、父と二人きりだったんです。でもその父も多忙な人で。だからこんな風に人と一緒に寝る事もなくて」
「私には姉がいたが、私もこんなことはした覚えもないな」
「お母さんとも?」
「覚えてはいない。クロイツ家は乳母や家政婦も数人召し抱えているのでな。人の出入りが激しいのだ。それが母だったのか、ご婦人だったかも定かではない」
「そうなのか。立派なお家というのも、少し大変なんだな」
「見た目ほど立派ではないという事だ。両親の事は尊敬しているが、皆が思うような貴族らしい優雅な暮らしではなかった」
「何か不満があったんです?」
「…いや、まるで、不便のないいい暮らしとは思うよ。君のそれに比べれば」
「でもお父さん、クロノ・クロイツがムー連合王国の公爵で、『エーテル体系』の発表者だから…」
「…」
「僕も草加部辻郎が父だったんです。僕はずっと貴方にその事を聞きたくて」
「…まぁ、確かに、今になって父の名が重荷に感じてはいるな」
「……ご家族の事は、本当に残念だったと思います。悲願も達成できずに…」
「政治家の嫡男である以上、国民の期待を受けるのはやむを得まいよ」
「ええ…」
「…」
「…」
「…少し、他のみがあるのだが」
「何ですか」
「もう少し傍に来てくれないか?」
「えっ?!」
「淋しいのだろう」
 コンラートは何かを抑え込むような、物欲しそうでつらそうな顔をしている。
「…え、その、はい、僕でよければ」
 コンラートに抱きかかえられる陸。なんだか照れくさいような変な気持ち。
「小さい頃、ずっとこんな風に誰かに抱きしめてほしかったなぁ…」
「そうか」
「守られてる感じがする」
 コンラートは薄目で陸を見る。
 
 コンラートは眠る陸の顔をじっと見ている。顔にかかる前髪をめくり上げたり、頬を触ってみる。顔の温度、柔らかい頬は反発することなく、掌に収まっている。無言のコンラート。
 
 その夜、コンラートは夢を見る。
 姉のアンジェリカと遊ぶ夢。いつかの夏の日。何処かの遠くの原っぱでコンラートとアンジェリカは走り回っている。森林が豊かでシロツメクサが一面に咲き誇る。綺麗な花畑。辺りにはたんぽぽの綿毛も飛んでいる。その花畑の真ん中で、二人の子供、コンラートがアンジェリカの手に引かれながら、花の中を転げまわったり、花輪を作ったりして幸せそうに、遠くの景色として遊んでいる。
 そんな懐かしい夢。
 
 しかし、遠くの花畑で遊ぶ二人の幸せな風景も、コンラートがふいにアンジェリカの手を離してしまったと同時に、ノイズでもかかったように暗く遠くなって、消えていく。
 コンラートがはっきり覚醒する頃には、その幻は記憶の底に沈んで、目の前には宿泊施設の天井と蛍光灯が無機質に点灯している。
 
 内側から叩く様な胸の鼓動。心臓が自分をはやし立て、妙にせわしない。嫌に現実感のある夢で、今でも瞼に、あの一面の花畑の色に染みて、瞬きしても離れない。あのリアルな体感が、この手に、この目に、確かにあったような、そんな全身がゾっとするような夢だった。
 横を見れば隣に陸はいなかった。隣室に灯りがついている。自分の寝言で目が覚めたのかもしれない。

懐かしい夢だった。まるでアンジェリカの愛らしさがそのまま形になったような美しい白い花。彼女の銀髪の髪色とも重なる。首元で切りそろえた彼女の短めの紙はお転婆な彼女そのものを象徴するかのように。髪は風に靡いて、銀髪の一本一本が遊ばれている。青い空によく生える銀の髪。彼女は赤色が好きだった。今は遠い夢物語。彼女とは道を違った。今、彼女はどうしているか。
 
 そんな思い出に浸っていたコンラートは、ふと、あの夢の事で一つ気になる事を思い出す。夢の光景が脳裏を明滅して、目を閉じれば瞼に蘇るように、ぼんやり、鮮やかな色をもって浮かんでくる。
 
 青い空、夏模様の雲、緑豊かな森林、シロツメクサの咲いたまっさらな原っぱ。そんな遠くにある景色、その中をぽつんと二人しゃがみこんで、アンジェリカは花をつまんで、コンラートの頭にに花輪をつけて笑っている。
 
 そんな遠い幻、夏の幻影、二人の姉弟の幸せな光景。
 
 この夢、私とアンジェリカ、銀色のハラを駆け回る子供。あの子供は確かに私コンラートと姉のアンジェリカだ。
 
 しかしならば、これは、この夢は。
 果たして、この光景を、「私」とアンジェリカをずっと見ていたのは、この二人をずっと見ていたのは、一体「誰」だ?
 
 
 早朝、コンラートは再び目を覚ます。ベッドは既にコンラート一人分の跡しか残っていない。
 コンラートは無言で隣室に向かい、ノックもせずそっと扉を押し開く。ドアの向こうで陸が机に伏すように眠っている。
 
 コンラートは黙って部屋に入った。
 陸に近づき、昨晩そうしたように、陸の額や神に触れる。指先にある優しい寝顔。自分の腕に巻かれた彼の包帯。
 
 似ている。
 
 コンラートは、無言で陸の方に自分の軍服を被せて、静かに部屋の戸を閉めた。


★メモ
・コンラートと陸は一度旧日本に訪れるが、それは旧日本に残された各宗教施設(日本アトランティス戦争以前の文明・文化)や遺跡を探索する為である。
・巨大人型機甲ネフィリムはほぼ完成しており、後は実用化に向けて微調整をほどこし、試用運転を重ねて、操縦士とネフィリムのAA搭載CPUと同期(シンクロ)訓練をした後、操縦士がネフィリムの頭脳(コア)として完全に同化(機械化)する事で、ネフィリムは初めて完全自立した二足歩行機甲として完成する。それがネフィリム作戦の全容であり、ロボトミーやトランスヒューマニズム思想の歪んだ実現化だった。
・エーテル兵器はインターフェースとしての側面も持っており、エーテルを媒介にして、思考、精神活動を電磁気変換(デジタル信号)する事で、操縦士によるネフィリムの脳波制御が可能となる。またエーテル(生命力)の発する波動をエーテル痕と呼び、ソーサラーはエーテル痕を共鳴し合う事でテレパス行動が取れたり、エーテル痕を放つ事で超自然的な現象(魔術的行為)を引き起こす事ができる。

 草加部辻郎が狂った経緯は、ソフィアと陸の存在が大きい。
 ソフィアとクロノとの間にもうけた子供が陸であり、草加部辻郎は実父ではなかった。
 今作では、クロノ、ソフィア、辻郎の三者の因縁と、クロノの不倫関係、ソフィアと不貞を働いたスキャンダルを握ったマキナ一族とクロイツ一族の間に会った政治的陰謀が交錯した話である。
 
 クロノは妻アリシアの以外に、ソフィアと関係を結んだ。それは不倫関係であり、同時にクロノが実の娘に手をつける近親相姦という世論から強い批判を受けるであろう家庭的問題をも抱えていた。
 その実娘ソフィアとクロノとの間にできた子が陸であり、陸はクロノの孫であり実の息子であり、妾の子であった。
 陸はクロイツ家の髪色である銀髪を受け継がなかったため、クロノから捨てられてしまった。
 
 また、ソフィアには辻郎という開発局雇員の配偶者がおり、陸が実子と思っていた辻郎はソフィアの不倫に怒り、ソフィアと辻郎の夫婦仲は冷え切ったものになっていた。
 陸は辻郎の血を引かないクロノの子であったが、それが災いする形で、軍事研究者であり同時にクリスチャンであった辻郎を狂った軍事開発者の方向へと進ませたのである。
 辻郎は自分の血を引かぬ陸に愛憎の年を抱いており、母親にそっくりな顔をしていた事、後に神父になった事も起因して、養子陸に性的虐待と人体実験を恒常的に行うようになる。
 辻郎がソフィアや女性に対して強い軽蔑と憎悪の念を向けるようになったのは、自身の宗教観もそうであるが、このクロノの政治的スキャンダルが背景に存在していた。その後ソフィアと離婚し、神父としての道を進んだ辻郎は、ミソジニーに陥り、我が子をも欲する矛盾した感情を抱き、陸とネフィリムに組み込むことで、自分の実子を作り出そうとしたのだった。ネフィリムは辻郎の歪んだ女への執着による産物である。
 
 マキナ家はクロノの不倫関係、不貞な親子関係を知り、息子シグマを中心にスキャンダルを利用して、アトランティス領ムーを再び連合王国として独立させ、王族である自身がムーの統治者になり、そのまま世界政治を支配しようと考えた。
 そして魔法文明の勃興とエーテルソーサラーの出現を優生学やエリート思想と結び付け、ソーサラーに軍事的な価値を持たせ地位を保障する事によって、傾倒したナショナリズムに発展していったのであった。
 
★陸とコンラートがムー大陸に訪れてから
 陸は何故父親がAAを作り出すことに成功したのかが疑問だった。辻郎は機械論的に世界を捉え、神秘的なエネルギーには懐疑的だった。そんな父が人の意識や精神領域に介入する装置を肯定的に捕らえた理由が気になっていた。ネフィリムのAA搭載CPUは物理的な法則や電気信号による脳波解析では説明のつかない、機械的な処理能力を超えた運動性を引き出している。何故父がそんなオバーテクノロジー(実際はオーパーツ)的な存在であるネフィリムを作り出した方法を探るべく、コンラートが陸を捕虜として連れ出したのをきっかけに、アトランティス国防軍の計画の全てを知るために陰で奮闘する。
 陸はテレパス通信機「エコー」を使ってCPUにハッキングしている。
 ネフィリムは既に遠隔操作可能である。


★陸の抱える闇
 コンラートと陸が国防軍とゼウス軍のにらみ合いとスキャンダルの陰謀に巻き込まれ逃亡し、アトランティス帝国への復讐と辻郎の秘密を巡る旅が始まったその序盤の事、コンラートと陸は負傷兵との出会いや被災者と負傷兵が集められた野営地に何度か訪れる事になる。その際、軍人としての価値観の違いから、コンラートと陸は何度か意見を衝突させるが、コンラートが初めて被災者、負傷者の野営キャンプに訪れた時、コンラートは戦争の生々しい現実を見ることになる。死体の山や四肢のない兵士など現実は非情だった。
 
「コンラートさん、もし僕が既にあなたより多くの兵を殺しているとしたら、どう思いますか」
「……何…」
「僕は貴方と旅するうちにわかってきたんです。こんな戦争早く終わらせなきゃダメだって」

「まさか、君が…」
「…」
「今ならば断言できる。君がそういうことを好む人間とは思わんよ」
「少佐…。僕は自ら兵に手をかける、貴方よりよほどひどい殺人者なんです」

★陸の回想
「僕は乳の手伝いでよく国防軍のシンクタンクや病院を訪れることがありました。自分自身もその被験者だったから…」
「その軍の施設にはたくさんの囚人兵が収監されていて…。中にはあなたと同じムー自治軍の負傷兵が傷を治療されないまま、エーテル兵器や軍事兵器の研究を名目に人体実験を受けていた。僕もそのうちの一人。だからこそ幼い僕は無視する事ができなかった」
「病院と軍の研究機関がつながっていて、『新たな治療法、医療技術の確立』を名目に生きた負傷兵がそのまま、軍や医学界の人体実験の被験者に鳴る事は珍しい事ではなかった」
「僕は軍の息のかかった病院で、ある国防軍の負傷兵と出会いました。脚が欠如していて、彼は下半身不随となっていました。地雷を踏んで奇跡的な生還を遂げたと、軍部で持て囃されていたようだったけど、僕はそれをとても"奇跡"などと呼ぶことはできなかった」
「足の神経がズタズタに破壊されて、顔が半分欠けていたんです。皮膚は火傷でただれていて、喋る事さえままならない。確かに生きていること自体奇跡でしたが、それは、あまりにも、あまりにも、痛ましくて…、痛みにもだえるそのうめき声を…"声なき声"を知っていれば、とても本人を前に"奇跡"だなんて、口が裂けて言えなかった…」

「ただただ、苦しみだけがその人にはあった。戦禍というあまりに惨すぎる現実がそこに横たわっていた。その人の悲痛と共に」

「当時、僕は軍医を志していて、国防軍の開発部と父のネフィリム作戦との関係で、エーテル兵器とソーサラーの脳波に関する電通実験を受けていた。それなりに『痛み』をしっていたから、僕はその『負傷兵』の男を無視できなかったんです」

回想
『おじさん、大丈夫…?』
 僕はソーサラーで、エーテルを放つ試作品のインターフェースを常に持ち歩ける立場だった。だから僕は、ふいに彼の声を聞いてしまったんです。
 
『助けて…苦しい…』
『おじさん、痛いの…?』

「最初は本当にその程度の…、ただの声掛け程度でした。ですが繰り返しその兵士の方と接触するうちに、彼がまだ"喋れる"と分かったんです。確かに彼は"はっきり意識を持ち続けて"、その寝台に横たわっていたんです。」
「僕が彼の"声"を聞こえるようになttなおはいつ頃だったかはわかりません。でもソーサラーやインターフェースが発する"エーテル痕"のテレパス機能が影響していたのは明らかだった」
「僕と負傷兵の人は少しずつコミュニケーションを続けて、彼には家族外て、帰る場所があると知りました。名前も知らない人なのに、何故だか彼の家族の名前だけはよく覚えている。妻のジェーンと、まだ幼かった娘のロザリー…。何度繰り返し彼から名前を聞いたかわからない。その言葉を"話す"時の彼は、心なしか少し心が和らいだような気がして、顔も殆ど麻痺していましたが、口元が緩んで『一目会いたい』…」

『妻と娘に一目会ってから死にたい』

「彼はもう、生きて帰るつもりがなかった」

『どうして、生きて帰らないの。おじさんは、だって、おじさんは、こんなに…"喋れて"、まだ、まだ…』

「生きてるのに!!」

「僕が彼にできる事はほんのわずかで、包帯を取り替えたり、紙おむつを変えるだけ」
「そんな延命処置を、彼が家族と会える日が来るまで続けて、対話して、彼に希望を謳う、ただそれだけでした…」

「ある日、ようやくその悲願が達成できるとおもわれた」

「彼の"家族"が…妻と娘が、軍の連絡でここを訪れたんです。『僕の証言を元に妻子の居所をつきとめた』と。当時僕はそれを聞いて喜んでいましたが、後からただ"僕のソーサラーとしてのテレパス能力がどこまで正確に人の意思を読み取る事ができるのか"を検証する為だったと知りました。それも知らず僕は兵士に『家族が来ましたよ!』なんて言って、ただその人の笑った顔が見たくて」
「僕はその人の代わりに、妻と娘に会いに行きました」

『あなたの夫がまだ生きていて、あそこであなたを待っているんです!どうかあの人に会って上げてください!!』
『…あの人、まだ"生きている"んですか?』

「こころなしか、その人の顔は曇って見えた」

『え、ええ…。そうです。まだはっきり意識があって、今はまだ難しいですが、いずれ技術が進歩すれば、ちゃんと会話も…!』
『…申し訳ないのですが、夫には私たちがここに来たことを伝えないで頂けますか?』
『え…』

「僕には信じられなかった。まだ彼は生きているのに、何故その人は会いに行こうとしないのか」

『え…』
『実は…私の母が先月倒れて、その介護をしているんです。娘も今、中学に上がったばかりで、夫がいなくなった後は私の稼ぎだけではとても家計をまかなえず、家の貯金を切り崩して生活していて…。それに夫が戦死扱いのお陰で、私たちは国から援助を受けて何とか生活できているんです。夫は地雷を踏んだのでしょう?とても夫を家で世話する事は…』

「その時僕は初めてあの人が世間では戦死扱いだったことを知りました」

『でも、まだお父さんは…』
『もし夫が下半身不随で、食事やトイレはおろか、まともに喋る事もできないなら…。いつもそこで"眠っている"なら…。私は今はもう女手一つ家を切り盛りして、母娘の事で精一杯なんです。私の家ではもうとても夫を引き取るなんて、できようもありません』
『…』
『だから、どうかせめて、私たちがここに来たことを言わないで下さい。それがきっと、お互いにとって一番いいんです』

『きっとあの人を傷つけるだけだから』

「そういう女の人の遥か向こうの廊下に、知らない男の人が控えてました。その人には既に再婚相手がいた」
「僕はもう、その人に何も言うことはできなかった」

『…』
『妻と娘は…、何て言っていた?』
『…』

「僕はただ、その人の手を握るしかできなかった」

『…』
『おじさん…僕は』
『…妻、娘が生きているならいい』
『え』
『もうわかってる、だからいい』
『え…』
『死なせてくれ』

『くるしい、早く死なせてくれ』

『死なせてくれ』

「それきり、その人は僕と話さなくなった」
「脈もあって意識はまだある。確かに生きてはいる。でも彼は本当にただそこで生きているだけだった。延命処置という実験を受けて、ただ"死を待っているだけ"だった」
「あの人はそこで飼殺されているだけだったんだ」
「でもボ多くはわかってたんだ。本当はまだその人は生きてそこにいて、ちゃんとまだ"意識をもってお喋りできる"って」
「でも伝わってくるのはその人の苦しみと悲しみだけで…」
「何故か僕まで苦しくて、僕はもうここに生きてはいけないような、強い、強い、失意とか、悲しみ痛みが全身にこみ上げて、涙が出そうになって」

「僕はそれから決心をしたんです。生まれて初めて、人を殺そうって…」
「人を殺す」
「そう、安楽死です」

「僕はもう何が正しいのかわからなくなった。生きる事、死ぬ事に何の違いがあるんだろうって。苦しみ生きる事、安らかに死ぬ事、どっちが正しいんだろうって」

「僕はその後、軍医の人に頼んで、注射と睡眠薬がないかを尋ねました。理由を聞かれて僕は当然『眠れないから』と嘘を付きますが、既に事はバレていて」
「僕はエーテル実験とソーサラー研究に関して、軍と開発局に全面的に協力する事を条件に、父辻郎の仲介の元約束して、その代わりあの負傷兵を…彼を楽にしてやることはできないかと、提言したんです」
「そしたら、軍の人が『いい方法がある』と…」

「それが先言った"安楽死"と…」
 陸は静かに頷いた。

「致死量に至る麻酔を注入して、そうすれば痛みも苦しみもなく、眠るように死ぬ事がでいると…言って…」
「それで僕は…軍と病院の許可を得て、軍医の立ち会いの元に、安楽死を…」
「最後は、あの人の同意を得るだけでした」

『おじさん…陸だよ』
 兵士は応えない。ただ心電図の計測する心音だけが部屋に響いている。
『おじさん、正直に答えて。おじさんこの前、死にたいって言っていたけど、本当にそう思っていったの?何かの弾みじゃなくて、本当に、本当に、心の底からそう思って言ったの?』
 兵士は応えない。
『…。おじさん、安楽死って知ってる…?ここに、そのために必要な…薬が…あって…』
 兵士は応えない。
『もし、おじさんが「死」を自ら望むのであれば、ここの意志の立ち会いのもとで、その処置を…』
 口を開くたび呼吸が早くなっていく。何故か上手くしゃべれない。
 そうやって陸が口土盛り、心臓の脈を速めながら、息を詰まらせて喋っていると、その眠ったままだった兵士が静かに、ただ静かに、目尻から無色の涙を流している。
 何も口にせず、ただただ無言で、目から音もなく、透明な涙を流して頬を濡らして泣いている。
 
 陸はもう何もしゃべれなくなっていた。
 
 陸にはその涙の意味が解らなかったからだ。それは死を望んで受け入れるが故の諦念の涙なのか、それとも、もう生きることはないと宣告を受けた故の悲痛な訴えだったのか。
 陸には何もわからない。
 もう何も、何一つわからない。
 
 陸は最後、その兵士に尋ねる。
 
『おじさん、貴方は死にたいですか』

 なんて酷い事を聞くんだろう。まだもっと生きたかったに決まっているのに。この戦争さえなければ、こんなことにさえならなければ、生きたかったに決まっているのに。

 陸は目尻にいっぱいの涙を溜めて嗚咽と一緒に飲み込んだ。

「僕は、医師の立ち会い指導の元、その兵士の方を『安楽死』を名目に殺しました。注射は難しくて、緊張で手が震えそうになったけど、実習で何度も人に打ってきたから、同じ要領で打てば、痛みもなく死を自覚する事もなく安らかに逝けるって。針を水平に、皮膚の痛点を刺さないようにして、静脈血にそのまま、皮膚の薄皮と管だけをついてそっと…血を流すように…」

「20時32分、心電図が止まった時間。今でもあの電子音が耳について離れなくて」

 人が薬剤投与から死に至るまでの時間もずっと数えていた。死亡推定をする軍医も、生態反応を見る研究者もいた。あれが生体実験じゃなかったというなら、一体何だったんだと。
 
 僕は、あの日、あの時、生まれて初めて人を殺した。
 「軍人」ではなく「医師」として――。
 
 人の命を救うはずの医者が?医を志した筈の僕が?
 まず初めにしたことが殺人だって?
 これほど莫迦げた笑い話が、この世にあるものか。
 
「そのクランケさん。僕の初めてのクランケがその負傷兵だった」

 僕、その後ずっとその部屋にいた。そのおじさんはずっと無言で、最期まで彼の笑ったところを見た事がなかった。
 でもその時少し顔が穏やかになった気がして。
 でもやっぱり最後までわからなくて。何が、何が、正しかったんだって。

 僕はあの時どうすべきだった?
 
 本当はあの人は死にたくなんてなくて、僕がもっとあの人に付き添って、生きる喜びとか、この世の美しさとか、そういうことをもっと教えていれば、あの人も希死念慮に苦しむこともなく、せめて自己を肯定して、前向きに自分を受け入れる事ができたんじゃないかって。
 せめて死ぬ時ぐらい、もっと安らかな気持ちで、世の中に悲観する事もなく、自分を否定する事もなく、楽に逝くことができたんじゃないか。
 
 僕は、僕は本当に彼を殺してよかったのか?
 僕こそがこれ以上彼の苦しむ姿を見たくなくて、彼の痛み苦しみ、憎しみ悲痛な気持ちを抱えきれなくて、自分が楽をする為に彼を死なせたんじゃないかって。
 
 ずっと、ずっと、ずっと、ずっと。僕はあの日から。
 
「僕の耳の裏に、"彼の声"が張り付いて離れない」

 僕にずっとずっとずっと語り掛けてくる。
 僕はあの日、あの時、彼を殺してよかったのか?
 本当は彼はもっと生きたかったはずなんじゃないか。

 死後、クランケの顔が少し穏やかになって見えたのは、ただの自分の願望で会って、彼に何もできずにいた、僕の罪悪感によるものなんじゃないかって。
 
 僕はあの日、あの日、あの日、
 本当は生きるのを許されたかったのは、
 本当は救われたかったのは、
 僕自身だったんじゃないかって。
 
 あの人が、あの人が、ころされた。
 僕のせいで。
 
 僕が、家族の事を知らせなければ。
 
 僕が、僕は、本当に僕は、あの人を、あの人を、あんな形で殺してよかったのか。
 あれを生体実験じゃなかったって、僕の為じゃなかったって、誰が言えるのか?
 
「コンラート少佐。僕はあの時、何もわからなくなった。生きる事死ぬ事って一体何なの?苦しみながら生きる事と、安らかに死ぬ事、どちらが生者にとって正しいの?」

 コンラート教えて。僕はあの時、どうすればよかった?
 もっと生きる希望を教えて導けばよかったのか。
 それとも、ただあの人とそのまま死を待っていればよかった? 
 
 ただ、楽に死なせるだけでよかった?
 
 ねぇ、コンラート。
 僕どうして、
 ぼくどうして、
 どうして僕がいきてるの?
 
 どうしてあの人は死んで、僕は生きてるの?
 
 あの人は何も悪くなかったのに。
 それとも、あの人が兵士だから?
 これが戦争だから?
 兵士の僕らはあんなに孤独に死んでも仕方がないのか?
 
 教えてコンラート。
 何が一体正しかったの?

僕もあの時、一緒にあの人と死ぬべきだった?
 教えて、コンラート。
 教えて、コンラート・クロイツ。
 
 死ぬって一体何なのか。
 
 教えて、死の天使様。


(6)プロット「陸とアンジェリカ」「鉄鋼の巨人ネフィリム」

★陸とアンジェリカ
「リク、私とリクは、きっと見えない赤い糸で繋がっているのよ」
「赤い糸?」
「そう、運命の赤い糸で、リクは私と繋がっているんだわ」
「運命…。そ、そうかな。じゃあ、僕は、このまま、アンジェリカさんと一緒にいてもいいのかい。僕と友達なんて、いやじゃないの、だって…僕は」
「ふふ、リク、かわいいのね。リク、きっとリクは素敵な王子様になれるわ、もしかすると騎士様にもなれるかも。リクは人の言いつけを守って、なんでも頑張るもの」
「王子様?僕みたいなやつが、あなたの?」
「ねぇお願いよ、きっと、私を幸せにしてね」
「は、はい…光栄です、あ、アンジェリカお嬢様」
「ふふ、リク、ずっと私を守ってね」

「これは?」
「ごっこ遊びよ。でも大事な事だわ。憧れなの。いつか本物の舞台でやるのよ。二人、力を合わせて」

「私の騎士リク、誓って、必ず私を守ると。私だけを守るの、良いわねリク」
「はい、アンジェリカお嬢様、僕はあなたを、あなた必ず、お守り申し上げます。…この身にかけて、必ず」
「まぁ、本当?リク、嬉しいわ、本当のお姫様になったみたい、素敵ね」
「喜んで頂けて、僕は光栄です…」
「そんな、泣く事はないの、リク」
「いえ、僕、ずっとここに、一人だったから…」
「ふふ…、ダメよ、リク。男の子は泣いちゃいけないのよ。女の子じゃないんだから、そうでしょ」
「うん、ごめんね、アンジェリカさん。僕…」
「かわいいのね、リク…」

「ねぇ、これは二人だけの秘密よ、リク、私とあなたの」
「僕と、あなたの…二人だけ…」
「そう、リク。二人だけよ。二人だけの秘密、いい?他の誰にも喋っちゃダメなの、よろしくて」
「わ、わかった」
「ありがとうリク」

「私たち、なんだかそっくりね。親から望まれない命なんだもの。本当に惨めで堪らなくなるの、悲しくなって辛いの。でも私には、リクがいた。きっとこれも、何かの運命かもしれないわね」
「そうだね。でも、確かに僕たち、何かの巡り合わせがあって、こうして一緒にいるのかも」
「きっと偶然じゃないのよ。ねぇ、リク。良い事思いついたの。これはお父様ともお話しした事なんだけど、私たち、入れ替わってみない?」
「入れ替わる…?」
「うん、だって渡したちこんなにそっくりなんだもの。リクは一番私の事わかってるし、私もあなたの事よく知ってるわ。だから、顔や仕草だって似せられるわ」
「え、だって僕は、その…、男なんだけど」
「そうかしら、教会にいる時のリク、とっても可愛い顔をしてるんだもの。巫女さんだって、よくやっているものだわ」
「や、やめてくれよ。そんな事、誰かに聞かれたら…」
「ふふ、恥ずかしい?でも、照れることなんてないわ。私がお稽古してるところでは、お化粧や被り物をするだけで、本当の顔なんてなくなっちゃうの。遠目からみたら誰も、私だってわからないのよ。それに、私もあなたも、家系図に存在しない子供だもの。あなただって、お社のお飾りなんて嫌でしょう。島の外に出てみたいと思わないの」
「島の外…。でも、そんなに、うまくいくだろうか…。やっぱり僕、男だし、アンジェリカさんみたいになれないよ」
「ううん、大丈夫。お父様も、お力になって下さるって言ってくれたの、だってあなた、ずっとここに閉じ込められるなんて気の毒で、可哀想なんだもの。リクは王子様だもの。リクなら、きっとなれるわ。私が手伝ってあげるから、やりましょう」
「う、うん…」

「リク、私、赤い色が好きなのよ。衣裳も、髪飾りも、靴も、リボンも、リクが私に手向ける薔薇も。だって鮮やかで一目で私とわかるもの。赤で着飾った私の隣には、同じ赤色の服を着たあなたがいるの。素敵と思わなくて?」

「リク、やっぱりあなたは、私と赤い糸で繋がっていたんだわ。そう、この真っ赤な操り糸で。リク、可愛いリク、私のリク。可愛い可愛い、私のお人形のリク。可哀想なリク」
「リク、あなたは素敵な王子様だったわ。なんでも私の言う事を聞いて、私にいつも与えてくれた。あなたはいつも理想を演じてくれた。まるで、理想の騎士様に出会ったようだったわ。でも、あなたは王子様役には相応しくなかった。私の王子様ではなかったの。だって、あなたが側にいると、私はお姫様になれないんだもの」

「ああ、あなたってやっぱり赤が似合うわ。私の好きな色だもの。赤いものは、みんな私のものなのよ、リク。リクも、コンラート少佐も、みんな私の大事な僕、私に仕える騎士様なのよ」

「リクもやっぱりダメだったの。だって彼には、お金も地位も能力もないんだもの。草加部博士の事、国防軍の開発部に人にお話ししたら、何もできなくなっちゃったわ。コンラート少佐とは、お近づきにはなれたけど、人に厳しくて少しお堅いの。あの人、私の事よりも、戦争が大事なのね。まるで本当に悪い人みたいだわ。悪役の女は嫌いなの。クロイツ家が崩落した今、コンラート少佐では私を幸せになんてできない。もちろん、お姫様にはちょっとした悲劇、惨劇は必要よ、でも本物の悲劇だなんてごめんなの。クロイツ家と一緒に消えちゃう様な、運命に恵まれないような人、王子様には相応しくない。どんな時でも私を守ってくれる、強くてハンサムで、家柄も良くて、地位も権力も、おまけに財力もある、そんな、私を幸せにしてくれる人がいいの。囚われのお姫様を王子様が助けるというのも良いけれど、敵同士出身の軍人が、愛し合うという筋書きも素敵ね。ヘンリー大佐にはもうフィアンセの方がいるし、少し人が良すぎて、コンラート少佐より頭が弱いのよ。エリオット大佐はもう死んでしまったし、オスカー将軍も、いくら年季があってお金に余裕があるといっても、弱気ではいけないわね。プライベートの事になると、すぐに我が身可愛さで弱音を吐くんだもの。あれが、老いというものなのね。ああ、私の王子様、本当の白馬の王子様は、何処にいるのかしら、早くお会いしたいわ」

「私の王子様に相応しい男の人、別にいたの、やっと見つけたのよ。リク、でも聞いて、私、あなたといれて幸せだったわ。ねぇ、だから最後まで私についてきて頂戴ね。お願い、これが最後でいいの。私の我儘を聞いてくださらないかしら。リク、私、花嫁になりたいの。ムー連合王国のお姫様になりたいのよ、リク」
「リク、私の可愛いリク。お願いよ。コンラート少佐ではダメだったの。あなたでもなかった。でも、やっと私本当の幸せを知る事が出来そうなのよ。あなたが最初私を憐んでくださったわね。そのお陰で、私頑張れたのよ。私はマキナ家の側室の子、妾の娘でしかなかったのよ。ただ可哀想と、周りに見下されるだけの惨めな女だったわ。私、ただ殿方の家に飾られるだけの、かわいいお人形だなんてごめんなのよ。いいえ、むしろ私が男を飾り付けるのよ。資産家の男、官僚の男、政治家の男、軍官の男、財閥企業の男、名家の嫡男、そんなよりどりみどりの男たちを囲むように傍らに伴って、一緒に街を練り歩くの。そしたら、まるで神様の寵愛を独り占めしたみたいに、みんなが、私を羨望と憧れの眼差しで眺めて、畏まって膝をついてくれるのよ。私、まるで舞台上のお星様(スター)みたいに輝いて、スポットライトが私にだけに降り注いで、唯一無二の私…そう、私は誰からも愛される、薔薇のように美しい、棘さえ綺麗に飾るお姫様なの。ねぇ、とっても素敵だと思わなくて?あなたのお陰よ、リク」
「この戦争を合図に、ようやく私は、表の舞台に上がれるの。今度こそ、私、本当のお姫様になれるのよ。悲劇だって構わないわ。女は涙を流した数だけ、美しくなれるの。だってみんな私を憐んで、男の人が優しくして下さるのよ。だから私は可哀想な女の子、そうやって弱さと悲しみや、不幸を着飾ることで、みんな、みんな私をお姫様みたいに扱って、優しく愛してくださるの。男たちは、私という聖杯を巡って、醜く争い合うのよ。その時、私はとっても綺麗に、光り輝くことができるの。そして最後に私の手を取った相手が、本当の王子様なの。そしたら私やっと、幸せになれるわ。リクは私の理想の騎士様よ。ね、だから、リク、私を守って。これまでの様に、演じて頂戴。私のリク。可哀想なリク」

「ねぇ、リク。知ってたのよ私。あなた、本当は女の子になりたかったのね。コンラート少佐を見る時、あなたいつも遠くばかりみてたから。ああ、この子は、私の王子様にはなれないって、その時わかったの。だってあなた、私よりずっと不幸で可哀想だから、コンラート少佐はいつも、あなたの事ばかり。私とっても、つまらないの。あなたが可愛いからいけないのよ、リク。男はいつもそう、自分より弱い女が好きなのね。だから、リク。本当に女の子になってくれないかしら。そしたら私たち、本当にお友達になれるわ。だから、あなたがリリアーネ・マキナになってほしいの。ああ、今頃、デウス軍の人はくまなく私を探しているわ。私、今軍に追われてるの。悪い人に追われて、すごく困っているの。助けてリク。」
「リク、あなた、女の子になれるのよ、リリアーネ・マキナというデウス軍の女の子に。よかったわね、リク。私はこれでアンジェリカ・クロイツ。クロノの娘よ。ねぇ嬉しいでしょう、喜んでリク。あなた今日から、デウス・エクス・マキナの娘、リリアーネよ。そしたら私、クロノのお姫様になれるの。クロイツ一族とマキナ一族の対立は、私という花嫁を迎え入れる事によって、終止符が打たれるのよ。そして戦争を終えた暁には、平和の証として、結婚式を挙げて、タキシード姿の王子様と、誓いの口付けを交わすの。そして私は花婿を携えて、花束のブーケを投げて、国の人々に幸せをお裾分けするの。晴れてアンジェリカは、王家のシグマ・マキナの王妃になるのよ。みんな喜んで祝杯をあげるのね。素敵な物語だわ」
「これであなたも、やっとコンラート少佐と、一緒になれるわね、リク。だってあなたデウス軍の女の子、リリアーネなんだもの。でもあなたきっと、コンラート少佐と一緒に死んでしまうのね。だってシグマ大佐はクロノの子は私以外に必要ないって仰ったもの。クロノ・ゼノ・クロイツはムーではもう死んでしまった男、そうお父様が決めたの。警察や裁判所でも、処理されてしまったわ。だから、クロノの子は私一人。コンラート少佐にも、あなたにも、今はなんの力もない。リク、あなたは本当に可哀想な子」

ねぇ、リク。私あなたといれて幸せだったわ。
だって、あなたと一緒にいる時、私、綺麗で眩しい存在になれるの。
だって、あなたがあんまりにも惨めで、とっても卑しいものだから、私、なんだか気高くなった気さえするんだもの。
本当に幸せだったわ。ありがとう、リク。私のリク。かわいそうなリク。


★メモ
コンラートと陸は異母兄弟
陸は病弱で男児を殺す悪霊を避ける為に女として育てられた。
コンラートはその子を女と思ったし、初恋もした。
母ソフィアはクロノ・クロイツの不倫相手。

ムーとアトランティスのあの戦争の成り行きとクロイツ家の奇襲のクロノ・ゼノ・クロイツのスキャンダルを避ける為、また妻アリシアをデウスに寝取られた事から勃発したマキナ家とクロイツ家とのマッチポンプだった。

★鉄鋼の巨人ネフィリム
「AA搭載戦闘機甲、鉄鋼の巨人、通称ネフィリムには一つ欠けていることがありました。それは機械仕掛けではなし得ないそのCPUの性能を把握し完全に制御する為の知能プログラム、AIの存在です。草加部辻郎はある少年の脳に目をつけました。名前は草加部陸。辻郎の息子です」

「つまり、この陸式戦闘機甲ネフィリムは、僕が死ぬことで初めて完成するんです」

「僕の名前は陸・草加部。その名の通り僕は戦闘機甲の型番。ネフィリム機甲の電脳回路に直接埋め込む為の生きたエーテル兵器、陸式型のバイオ脳として生まれてきたんです」

「僕は死ぬ為に生まれてきた。役者に名前が必要ないように、殺戮兵器に個性などいらない。型番と機能さえあれば、僕の魂など必要ないんです」
「リク・クサカベとは、戦闘機甲から撮った型番号でしかない。そう、僕は生まれ持って世界を破壊する為に生まれてきた、バイオ兵器なんです」
「予言書にあった1999年の恐怖の大魔王とは僕のことです」
「世界の終末に行われる最後の審判、人類の罪を裁くのは、アトランティス国防軍の鉄鋼の巨人、ネフィリムです」
「そして僕は贖罪の肉として人類の業を背負い、不浄の大地に自らの血を吸わせて、磔にされて死ぬんです」
「ネフィリムは僕の十字架であり棺桶です、ネフィリムは僕の揺籠であり、墓標なんです」

「それは違うな、リク君。デウスの書いたくだらぬ茶番、地球最後に降臨する魔王は…。舞台から貴様を攫う怪人とは、この私コンラート・クロイツだ」


「クロノ・ゼノ・クロイツの子コンラート・クロイツは父にとって特別な意味を持つ。クロノ・クロイツの嫡子であるあなたは、クロノの子である僕とあなたは、妻ソフィアの恋敵の実子なんです。恨む動機としては十分だ」
「しかし父ムーがテイジ・クサカベの存在を知っていたなら」
「今となってはもう誰にも真相はわかりません。暗殺もマキナ一族とクロイツ一族、そして草加部を巡る女の奪い合いも。ただ言えるのはあなたのお父さん…クロノ・クロイツは今もどこかで生きています。母ソフィアと共に。彼らはいわゆる身分違いの恋をして、一緒になる為に駆け落ちしたのでしょう」
「だからあなたがマキナ一族を憎む道理はもうなくなったんです。むしろ恨むべきは、僕や母ソフィア。そしてソフィアを奪ったクロノ・クロイツを憎み、執念でネフィリムを作り上げたアトランティス連合王国防軍の研究者、父辻郎でしょうね。あなたにはもう復讐する道理などない」
「しかしそれではまるでこれまでと立場が逆ではないか。これでは、むしろ復讐の為に生きていたのは、私クロイツではなく…」
「草加部の僕…、と思いますか。確かに僕はある意味でクロノに捨てられたのかもしれません。しかし僕は復讐できる程純粋ではなかった」

「ネフィリム開発に人生の全てを注ぎ、クロノ・クロイツと旧ムーへの復讐の精力を尽くした父辻郎のように、純粋になれなかったんでしょうね。それともこれは僕が曲がりなりにもクロイツの子である為なのでしょうか。それとも父辻郎の頼りなく寂しい猫背の背中を見て、虚しさを知っていたから故なのでしょうか。僕はあなたのように復讐の為に生きるほどの、強い意志がなかったんです」
「デウス・エクス・マキナはクロイツ派の崩脚の為に母ソフィアとのスキャンダルを政治的に利用したんです。妻アリシアと関係を持って、クロノが弱みを見せる機会を窺いつつ、クロノが愛人ソフィアと関係を結んだのを知って、クロイツ一族奇襲の茶番を思いついたのでしょう」
「そして僕はクロノ・ゼノ・クロイツの政治的な弱みとなった。公爵家クロノの血脈が正妻アリシアの子供であるコンラート・クロイツ以外に存在することになる。だから彼は僕をソフィアに預け、母は草加部辻郎に引き渡したのでしょう。愛情がそこにあったのかは僕にはわかりませんが」
「僕は幼い頃に教会にいました。父は仕事で忙しかったので、父の仕事中はニッポンの教会にいたんです。そして時折ムーからお忍びで父クロノと幼い貴方が教会を訪れた。そして」
「クロノはデウスと共謀しデウスと正妻アリシアとデウスの子であるアンジェリカをあなたの姉としてクロイツ家で育てた」
「いつかムー連合王国の独立が達成された暁には、あなたの姉のアンジェリカは、クロイツの家の嫡子として正統な王位継承権を得るんです。あなたの妹君はマキナ家のご令嬢であり、時がくればムー連合王国の姫君にもなるお人だった。だからこそ僕は彼女の…」

「草加部辻郎は、息子が自分の実子でない事を嘆いた。当たり前ですよね。信じた妻に裏切られ、間男との間にできた他人の子を押し付けられたんですから。だから、辻郎はネフィリムを作ろうとしたんです。血の繋がりはなくとも、そこには草加部辻郎の研究者としての執念が…、辻郎の精神がありますから。だからせめて機械の身体であっても、息子同然に可愛がった母の連れ子である草加部陸に、自分の作ったネフィリムに乗って欲しかったんでしょうね」
「クロノ・クロイツの失踪もあなたのマキナ一族への復讐劇も、全てはアトランティス国防軍の草加部辻郎と父クロノとデウスの共謀であり、ただのシナリオに過ぎなかった。戦争する口実を得るための茶番に過ぎないんです。ね、バカらしいでしょう」

「全てはこの六大陸三大洋を舞台にした茶番劇に過ぎないと」

「そしてこの茶番は、僕の死をもって終わる。僕がネフィリムに乗って草加部辻郎の意思を実行する。ネフィリムは僕の死によって完成し、その時初めて僕は敬愛する父草加部辻郎の実子になれるんです。鉄鋼の鎧を纏い、父の夢を叶える。そして巨人ネフィリムは災いとして降臨しアトランティス国防軍とデウス軍の兵士に倒されアトランティスムー戦争は和平によって停戦する。争いあっていた二つの勢力は、巨大な悪の君臨によって一つに結託し、悪を討つことで世界に平和が訪れる。わかりやすい脚本でしょう。この舞台が名作になるかどうかは役者である軍人たちの死闘をどう演出するかにかかっている。その為に用意されたのが巨悪が僕で、滅んだと思われていたクロイツ家の子でありデウスの実子でもあった忘れ形見のムーの姫君、アンジェリカとアトランティス国防軍の軍人であるシグマ大佐によって舞台は演じられ予定通りに進むはずだったのに、そこにイレギュラーが現れた」

「コンラート・クロイツ…」

「そうです。あなたの婚約者でデウス・エクス・マキナとパイプを持っていたサラによってあなたは暗殺されるはずだった。そうやってクロイツの血が絶やされる事で、アンジェリカはクロイツ家とマキナ家を結ぶ架け橋として舞台に上がるはずだったのに。あなたも執念で生き残った。まさか送った刺客を逆に半殺しにするなんて。デウスも予想してなかったでしょうね。あなたはマキナ一族にとって厄介な人間だった。だから危険な芽は早めに討つべしと、サラを雇い婚約者として近づけさせたのでしょうね。しかし失敗に終わり、あなたは生き残り、あろう事かネフィリム作戦のコアである僕を舞台から連れだ出しそのまま二人で逃亡してまった。その上、僕はソーサラーの能力でソフィアの間男がクロノであると辿り着いてしまった。あろう事か「エーテル体系」を提示したその本人の思惑を妾の子である僕が気がついてしまった。あなたの存在で全ての歯車が狂い出した。デウスのシナリオは文字通り白紙に戻ったんです」
「コンラート。クロイツ家の亡霊が突如戦場の舞台に現れ、あろう事かネフィリムのコアであった僕を攫ってしまった。あなたが全ての脚本を狂わせたんです」

「噛み合っていたはずの機械仕掛けの歯車を、あなたが」

歌曲『魔王』フランツ・シューベルト
歌詞 詩人ゲーテの『魔王』より

"Ich liebe dich, mich reizt deine schöne Gestalt,
Und bist du nicht willig, so brauch ich Gewalt."
"Mein Vater, mein Vater, jetzt faßt er mich an!
Erlkönig hat mir ein Leids getan!"

魔王:「素敵な少年よ、私と一緒においで
私の娘が君の面倒を見よう
歌や踊りも披露させよう」

魔王:「お前が大好きだ。可愛いその姿が。
いやがるのなら、力ずくで連れて行くぞ」

お父さん、お父さん!
魔王が僕をつかんでくるよ!
魔王が僕を苦しめる!

「お父さんお父さん怖いよ魔王がくるよ
お父さんお父さん魔王が僕を追ってくる
魔王がおべべを持って僕の手を掴んでくるよ」

でもその魔王は僕を愛してくれる。
心優しい魔王なんだ。

だから、お願いお父さん。
どうか、あの人を殺さないで!


「デウスとアリシアの子アンジェリカは僕とすり替えられ、クロノ・ゼノ・クロイツの子に成り代わろうとした。そしてアトランティスムー戦争が終わった暁にはクロイツ家の嫡子としてマキナ家のシグマ大佐と婚約し、ムー連合王国の姫君アンジェリカ・マキナとして脚光を浴び、皇帝シグマと皇妃アンジェリカは因縁のあったマキナ一族とクロイツ一族の和平の架け橋と平和の象徴として舞台に君臨する。こうしてマキナ家の兼ねてからの願いであった王政復古がムー連合王国を通じて完成する」
「クロノの失踪、嫡男コンラートの暗殺によって途絶えたクロイツの血は、クロイツの遺児アンジェリカとシグマの婚約によって復興し、女神アンジェリカが政治に舞台に立脚する事でクロイツ派残党を懐柔する。しかし実態はどちらもデウス・エクス・マキナの子で、デウスの独裁にすぎない。シグマもアンジェリカもデウスの傀儡であり、ムーは完全にマキナ一族の支配下に置かれるんです」
「クロノの遺児であり、チェンジリングをされた赤子の僕は舞台には出てはならない存在だった。そしてそれはあなたも同じでした。コンラート・クロイツ。あなたと僕が生きている限り、デウス・エクス・マキナのシナリオは完全にはならない。クロノの血を受け、アンジェリカの出生の秘密を僕らが握っている。僕らはイレギュラーな存在なんです」

 アンジェリカは王子様が陸でもシグマでもコンラートでも誰でもよかった。
アンジェリカは陸と入れ替わり王国のお姫様になりたかった『純粋な』女の子。

クロノの嫡子、聖母アンジェリカとしてムー連合王国のお姫様になるつもりでいた。
王子様役は陸でもコンラートでもシグマでも誰でもいい。ただ一番王子に近い権力と地位にいたのが本作ではシグマだった。
コンラートは没落貴族として国を追われまた暗殺されいないことにされた。
 幼い頃に父デウスを通じて陸の事情を知っていたアンジェリカは陸と入れ替わり、クロノの嫡子に成り代わろうとした。


寒冷地仕様の戦車に乗り、寒冷地と化した廃墟に降りて雪原を散策するコンラートとその戦車上に立ってテレパスで雪道を誘導する陸。

その時の野営地
「ソドムとゴモラの話を知っていますか」
「旧約聖書にある、罪が満ちた故に滅ぼされた二つの町のことか」
「“双子の町”に落ちたとされる『硫黄の火(核の火)』とは、一体なんであったのか。諸説があるんです。コンラートさんの事だから、もうとっくに、ご存知なのかもしれませんが」
「構わんよ、話すといい」
「神話の世界では、硫黄の火は『神の怒り』の喩えに過ぎないのですが。もしかすると、それは単なる比喩や伝説ではなく、伝承…実際の史実を記したものである、そう言う見方をする神学者は少なくはないんだ」
「なるほど、もし仮に天から注がれた火が実際にあったとすれば、火山の噴火や日照り、隕石の衝突と言った類の自然災害が連想されるが。硫黄の火が単なる比喩ではないとすれば。オゾンの幕を破り注ぐ太陽の光…即ち宇宙線や放射能を意味するのであれば、それが核の火であった事も充分に考えられる。つまりソドムとゴモラは核戦争によって滅びたとする説だな」
「そう、人類は紀元前の時点で、すでに超文明を築いていた。核戦争を引き起こし、核爆弾を地上に投下することによって、人類は古代文明と共に、一度滅びたと。そう言う説があります。もっとオカルト染みた話までいくと、その時謎の飛翔体…所謂、地上人を遥かに凌ぐ文明を持った宇宙人のUFOが地球に訪れた。宇宙から来た異星人の宇宙船には核兵器が積まれていて、そのUFOの落とした核爆弾と、その放射能によって滅ぼされたとか、そう言うトンチキな陰謀説まであるんだ」
「実際、日本列島には、核弾頭が二発落とされているな」
「そうですね…。僕の聞いた話では、地上にあった全てのものは焼き払われて、荒野になった。焦土と化した大地には、皮膚の爛れた人が死人のように徘徊して…。溶けた皮膚から眼球が抉れて、全身の火傷に苦しみ、水を求めて河辺には死体の山が積み上がって…。或いは高熱で水分が一瞬で蒸発して、人は石像のようになってしまった、とか…」
「いや…、すまんな、君には酷な話だったか」
「いえ、大丈夫です。こちらこそ、すみません」
「原子力発電にある核融合炉は、多くの交通機関の動力として使用されている。放射能の有害性は、チェルノブイリの原発事故の際に話に上がったが、放射能の光は皮膚を貫通し細胞核、つまり遺伝子情報を直接傷つける力がある。もし仮にソドムとゴモラに落とされた硫黄の火が、核の放射能を示すのであれば、人類はその時滅びたのではなく、誕生したのかも知れんのだ」
「核の火が人を作った、ですって?まさか、そんな事、ありえるのか…?」
「正確には、地上にいた旧人類が滅びて、核放射により誕生した新人類が、世界各地に散らばった…、と言う話だ。核放射に耐性のない人々は、放射能の汚染によって滅亡する。人類は何も一種類だけではない、とする考えだな」
「確かに、現に僕たちは、地上人と地底人…いえ、クロノ・クロイツの言葉を信じるならば、ヒューマノイドとソーサラー…と言うことになるのか。ムー独立の大義名分を巡っては、あなたのお父さんの『エーテル体系』がこの戦争の中心にある。もし魔術師が存在するなら、僕ら人類は、“ソーサラー”と“そうでないもの”に、分かれることになる。人類の祖の一部が陸に上がって以来、魔法文明に適応するものと、そうでないものと」
「そして父クロノは、いずれ魔法文明の時代が来ると予期した」
「しかし、それでは、魔法文明に適応できない人は…、ソーサラーになれない人々は、一体どうすればいいんだ。それでは、いつかのダーウィニズムや、優生学と変わりないのでは…」
「違うなリク君。むしろ、それダーウィニズムに対する反証だと、私は信じているのだ。人をソーサラーたらしめるものが、人の持つ“良心“…、即ち観想する力。共感や優しさのことであるなら、自然淘汰される筈の不適格者、つまり肉的に弱いとされる我々人類が、過酷な生存競争を生き残ってきた理由にもなるのではないか。遺伝的な弱肉強食などは、強者の理屈に過ぎないと、今なら思える。遺伝的な力など肉的な要素に過ぎん。しかし、心や魂は、それこそ君の言うオカルトな次元であるのではないかね、リク君」
「それは…」
「私とて、突飛な話とは思うがね。しかし、君と共にするうちに、そんな途方もない事を思うようになった。良心、理性、叡智…、姿なき力。君の言う人の光というものが、人の内にあると言うのであれば、ソーサラーとは、魔法と科学が融合する時代の…、人類の、きたるべき未来の姿であると。父の言う「エーテル体系」を、もう一度信じてみたくなった。間違いなく君のせいだな、リク君」
「コンラートさん…」
「放射能は元来電磁波の一種、光の放つ波動でしかないと考えれば、我々のような存在はその強力な放射線一つで、生態や形質を変えてしまう可能性は、否定はできんよ」
「確かに、医療で使われるレントゲン…X線も本来なら放射線の一種で浴び続ければ人体に悪影響をもたらすとか。しかし考えてみれば、人体を貫通する光というのも不思議な話だ。身体が透けて、臓器や骨だけが見えるのだから」
「そう、先にも言ったが、放射線には遺伝子に直接関与する力がある。染色体を傷つける事で、人の遺伝子に細工することさえ可能かもしれんのだ」
「核兵器…、核放射が地上人の遺伝子情報を書き換える…」
「つまり地球人は、人の手によって、造られた。核の火が落とされたその日に、人類は旧人類と新人類、その二者に分たれたかもしれんのだ。放射能に耐性を持った人類、父クロノの言うソーサラーがどちらに属するかはわからんが、ありうる話だ」
「考えてみれば人など、原子の塊が自律して動いてるようなものだ。原子を構成する粒子さえ物質なのか、波動なのか…或いは光の粒がただ意思を持ったに過ぎないのかも、よくわからない。科学や医療技術がいくら進んでも、僕たちは、その存在を証明する事さえ、できないのだから」
「その人を構築する原子…粒子が光というのであれば、我々は光をすでに内側に持っていることになる。太陽の光が原子核融合に過ぎないとすれば、我々の内にある光とは一体なんであるのか」
「光…、電磁波…電磁気力。まさか、放射線…いや、ばかな…」
「量子というミクロな世界では、人の存在など極めて曖昧なものに過ぎんのかもしれん。それこそ光や波の類だったとして、なんらおかしくはない」
「そういえば、プラトニズムでは、人間は小宇宙とする話があった気がする。天に広がる高次元宇宙をマクロコスモスと言うなら、人体はそれに対するミクロコスモスであると。宇宙の真理こそが、ロゴスと呼ぶべきものであるとか。人の光、理性。なんだかオカルトというよりは、御伽噺や神話みたいだ。聖書にある天地創造のような、頼りない話で。それこそ人の光は星の光と同じようなものなのか。もしかすると、僕らのいる世界は、あの星々の世界と、そう変わりないのかな」
「君は、寓話や詩的な話が好きなのか」
「意外か?昔から劇場に足を運んでいたせいか、SFとかオカルトとか、神秘的で不思議な話が好きなんだ。都市伝説や怪奇の話まで行くと、少し不気味だけど。確かに医療を齧るものとしては、不自然かも知れない」
「しかし不適切とは思わんな、個人として。宇宙や生命の根源について、私のような人間でも一度は考える。命や人の意思は何処から来るのか。今ある自己と認識は何処から来るのか。それこそ哲学の領域に過ぎないが、自ずと辿り着くことだ。私にとっては、この世に神がいるか、いないかより余程身近で、実感がある」
「ええ…」

「地球の地面が寒冷化された結果常夏の地球に冬が訪れてその結果降り積もった雪原が人類の罪が取り除かれ、浄化された穢れのない大地、こんな風に何もない静かで真っ白な街並み。塩の柱とは真っ白な雪のことかもしれませんね」
「雪は大気中の水分が冷えて、塵を核に結晶を形成し、自重で大地に落ちる。その塵が塩のことならば確かに雪山は塩の柱かもしれんな」
「ええ」
「しかし、それではまるで、我々人類の文明を嘲笑っているようだな。我々が数千年かけて築き上げた街も、城も、塔も、神の御前では砂の山でしかなく、まるで赤子の手でもひねるように簡単に滅ぼされてしまう。それは自然災害や神自らの率いる軍隊によって」
「人間の傲慢さや愚かさを忘れない為…ともよく僕の界隈では言われるが。確かに罰にしては厳し過ぎるかもしれない」
「君は象牙の塔の話は知っているか」
「俗世を嫌う知識人…、世間知らずの賢者が暮らしているとする塔のことですね。傲慢の塔とでも言うのだろうか」


「ネフィリムは僕の分身で、血を分けた兄弟みたいな感覚でいるんですけど、もし性別をつけるとしたら女の子かもしれないんです」
「あのネフィリムがか。名詞に性別をつける言語は確かにある。戦闘機や艦艇に女性の名前をつける軍隊の風習は確かにありはするが。無機物に性などあるものなのか。ましてあのネフィリムだぞ」
「コンラートさんはネフィリムの兵器の性能を見ているから、無理もないな…。あくまで学徒としての、僕個人の意見なんですが」

「人の模った戦闘機甲であるネフィリムのコックピットが、頭部ではなく腹部にある理由、あなたにわかりますか」
「さて、研究者の思いつきなど想像もつかんな。一体何の理由があるというのだ」
「これは僕の想像…いえ、僕の直観に過ぎないんですが。あれは、きっと母親の子宮や胎内をイメージしてるんです。だからあんなわかりにくい箇所にコックピットがあるんですよ。」
「あれが胎内だと?人殺しの操縦士を乗せるマシンに何故そんなもの、人を生み出す臓器を作る必要がある」
「父は、僕の父さんは、血の繋がった子供が欲しかったんです。あの人の愛する妻、僕の母親であるソフィアと、自分の血を受けた実子。僕は母親の裏切りによって生まれた。草加部辻郎はそれでも、間男との子供でしかない僕を我が子のように可愛がった。しかし、それでも父は憧れたんでしょうね。血肉の繋がり、自分の遺伝子を継いだ子供、血の繋がった家族を。幾ら婚姻を結んで妻を迎えたといっても、家系の違う他人同士に過ぎないですから。そしてやはり辻郎は女に裏切られた。女として妻としてそして母親としても。最後父はソフィアすらも永遠に失い、独りになった。残されたのは血の繋がらない他所の家の子供、赤の他人の僕一人だけ」
「話が見えないが。我が子欲しさに君の父親がこのネフィリムを組み上げたにしても、何故コックピットを腹に据える必要があるのだ。そもそもAIによる自動操縦がある時代に無人機やロボットではなく、有人機に設計する意図がわからん。仮にも君は息子ではないか」

「いえ、だから父さんはネフィリムのコックピットを腹に作ったんですよ。父にとって、コックピットが子宮の象徴なら、その中に搭乗する操縦士の僕は、胎児と同じなんです。アトランティス国防軍で開発者である父さんが我が身を削って設計したこのネフィリムには、草加部辻郎の魂が入っている。文字通り実験や試験運用の過程で父と僕、多くの搭乗者の血と汗を流して。だから父にとってはこのネフィリムは、血を分けた子供であり、父の精神を継いだ器であり、そして妻子の写しであって母親の胎である。草加部辻郎は自分の子供が欲しかったんですよ。だから人を模したネフィリムまで作り出して、コックピットに僕を乗せた。いずれは僕がCPUと同化して、このネフィリムのコアとして、巨人の魂となるまで」
「…」
「…悪趣味ですよね、人の生命を自分一人で作り出そうなんて。まして妻子供まで模って、それを機械で作るなんて」
「確かに、軍人に過ぎない私には、到底理解できん話だな。人の手で人の子を作り出そうとは。まして機械で人の胎内(はら)を組もうなどと、正気の沙汰とも思えん」
「そうですね、あなたの言う通りです」
「…」
「ただ僕は少し、思うこともあって。やはり僕は父の…いえ、工学者の端くれなんだと思うんですが。なんとなく、そんな父を理解できそうになる時があって。僕も、エーテル技術を応用して通信機を作ってしまった人間ですから。なんとなく、父の執念や孤独が、この身につまされるようで…」
「強すぎる共感力というのも、考えものだな、リク君。君の不幸はソーサラーである事以上に、その自己の精神面にありそうだな」
「あなたが言うならば、きっと、そうなんでしょうね」
「…」
「僕があのコックピットに入ると、僕は鋼の装甲を纏った操縦士、本当の意味で草加部辻郎の子供になれる。同時にネフィリムは腹に我が子を宿した草加部辻郎の母像で、父の血(魂)を分った僕の同胞でもある。もしかすると、父は自分の手で肉親を作りたかったのかも知れませんね。冷たい機械に、生命など宿るわけがないのに。父さんはそれもわからない。研究者として優秀過ぎたあまりに。母からも見捨てられて、あそこ以外に居場所もない。母は家庭に憧れたありふれた女性…、夢多き人でしたから」
「聞くほどに哀れな男だ。通りで君が見捨てられん訳だな。自分がいなければ、君にそう思わせる脅しと脆さがある」
「でも、父は不思議とあなたに似ているんですよ」
「私に、だと?」
「捻てて純粋で、人の中で上手く生きられないところ。孤独で淋しいのに人の心がわからない、生きる為に一番必要な、人として大事な何かが欠けてて、だから苦しんでいる。そういうひとりぼっちで孤独で、人一倍人恋しいのに、つい他人に憎まれ口を叩く、自分に理解者などいない、誰一人さえも。そう思い込んで言い訳ばかりする、そんな子供っぽくて、不器用で 
本当に寂しい。そう言う人です、あなたも」
「…」
「ただ、品格や行儀を失わないあなたと違って、草加部辻郎はもう理性も良識も、殆どなくなって、僕の声や心など、届かないところに行ってしまって。だから余計に可哀想な人で。あなたもいつかそうなるんじゃないかって。いつか、気でも狂わないかと、心配で。気も置けない。あなたも軍隊や戦場にしか居場所がない、人の道理を外れた人だから、心配なんです」
「…」
「…怒りましたか」
「いや、しかし私からも君に言えることがある」
「僕に?」
「君もまた、我々と同じでネジが外れていると言うことだ、リク君。人として何かしら欠けている。そこまで人の心が読めていながら、そんな人間と未だ行動を共にして、生活までしている。父親やアトランティス国防軍に関しても、何を否定するでもなく、拒絶するでもなく、全てをわかっていながら、尚も黙って追従する。君の神経はまともではない。病的に気を病んで、心が壊れている。従う、受け入れる以外に意思表示もできない。最早そこに意志があるとも思えん」
「そうかも、しれませんね」
「ならば、君も私と同類だな。狂っている。日常に帰った所で、他者(ひと)と普通には生きられまい。君の居場所もまた針の筵しかないのだろう。ソーサラーとしての才覚に恵まれながら、君の心は自己の殻の奥深くに閉ざされている。君は、ここに存在していながら、生きようともしない。生きながらにして死んでいる。私に人の心がないと言うのであれば、君は心あらずと言ったところであろうな。誰一人にさえ心を晒さぬという意味では、君も同じだ、リク君」
「…」
「君は他人に、己に対して何を望んでいるのだ」
「どうだろう…。僕にもよく、わからない」
「フン。実に滑稽だな、君も」
「…多分。多分、傷つくべきじゃない人が、傷ついていくのが怖い。自分を追い詰めていくような人を見ると、なんだか自分の心が絞られていくようで。自分自身が崩れて捩じ切れるような、あの苦しみが僕に向かって雪崩れていくようで。人の心を見るのが辛いんです、人の孤独や寂しさを知るのが嫌なんだ。それだけです、僕には」
「…」
「僕の自己満足ですよ。僕が辛いからそうしてるだけで、きっと父や、あなたのためじゃないんです。僕は偽善者だ。ただのエゴです、こんなもの」
「ああ、そうだな。とんだエゴイストだ、君は」
「あなたが同じ事を僕に言うとは。言霊って、本当に返ってくるんだな…」

「これは純粋な優しさではないかもしれない。怖いんだ、僕は、僕自身が怖い。自分自身を失うよりも、別の誰かが悲鳴を上げて、怨恨を持って消えていく。それを知りながら何もせず知らぬふりをすること。僕は人から恨まれ非難を浴びる。本当は、本当は、僕はこれ以上人に嫌われたくない。もう人に嫌われて疎まれたくないだけなんだ…」
「誰かが自分のために傷つく。それはきっと、僕が僕として生きているより苦しい。僕の命より大切なものなんて、きっと世の中にはたくさんあるんだと思って。あなたとこうして旅していると、本当にそれを感じるんです。僕の生命は自分の為に使うより、もっと大事な何かの為にある気がして。それを知らず探しているのかもしれない」
「どうかな。今ここで私が君を撃ち殺せば終わるだけの生命、そこに理由や意味があるとも思えん。私もいつ命を落とすとも限らない。死ねばそこで私の全てが終わる。戦争での人間の価値はその程度だ。私が死ねば代わりの佐官が指揮を取る、君が死ねばまた兵士が補充される。私がムーから消えても、君が国防軍から消えても、世の中は留まることもせず我々を放置して流れていく。喩え陰謀で国と政治から弾き出されても、そこに私に帰りを待つ者などいない。人が死んでも、刻は流れる。人の心を置き去りに。やがて痛みに慣れて、人は死者を忘れていく。しかし、死者の魂が天に還るまで、私は呪われ続けるのだ。私が殺してきた命に、私は呪われる。我々はただ死ぬ時が来るまで生きているだけだ。私も君もいつかは死ぬ。その程度のなんて事のない命だ、私も、そして君も。つまらぬだけの命だ」
「誰よりも淋しいんだ、コンラートは。死にたくないんだ。人に居場所を奪われて、自分を失うのが怖いんだね」
「無為に死を強請る君よりかは、余程まともだと思うがね、リク君」
「あなたは、ただ平和に生きたかっただけなんだ。本当は国も、軍も関係ない、ただのクロイツ家の子供として普通に生きたかっただけなのに。父と母と姉弟と当たり前に暮らしたかっただけなのに。何者にも脅かされずに、ただ平凡に生きる理由が欲しいだけなのに。あなたは怖いんだ。戦争と政治闘争を当たり前に見てきたあなたは、いつも腹の探り合い騙し合いの中を生きて、緊張した日々を送っていた。人の悪意や邪悪さが、常にあなたを見張っているような気がして。だから、あなたは剣をとり、武装して、機体に身を包んだ。何者にも侵されない為に。あなたは人を蹴落とし人に裏切られ、仕舞いにはクロイツ家の象徴だったあなたのお父さんは、マキナ一族と共謀し表舞台から消えた。あなたの信じるものは皆、砂のように崩れて去っていく。本当は、あなたはなんて事のないただの男の子だったのに。僕らと何一つ変わらない。父がいて母がいて妹がいた。親戚にはマキナ一族がいて。そう言うクロイツという家に生まれたごくありふれた子供。ただ普通に生きたかっただけなのに」
「誰から見ても完璧で幸福な家庭など、それこそ絵に描いただけの虚像だ。なんの意味もない、空虚なだけの肖像だ」
「でも、あなたが一番欲しかったものだろうに。あなたはきっと取り戻したかったんだ。失われた少年のありし日を。クロイツ家の幸せの日々、まだ綺麗だったあなたの、幸せな子供時代を。その手で取り戻したかったんだ」
「どうだろうな。むしろ、それは君の方ではないのか。自分の想いを人に重ねて、身勝手に想像するのは、君の悪い癖だ」
「そう、ですね。想像でしかないかもしれない。でも僕の心に確かに感じるものがあって。でも、今となってはもう、何もわかりません、僕には…」


最終話の前日譚
『忌み子』

陸の願い。
 これまで自分が見送ってきた兵士や民間人が、死ぬまでの恐怖と死ぬ瞬間の痛みと苦悩を知ること。ソーサラーでも死ぬ寸前の感情までは自らが体感しなければ他人事で終わってしまうのでは無いか、という他人行儀でいる自分に恐怖があった。
 だから生者が苦悩と痛みの末に命を落とし亡くなるその時の気持ちを直に感じて心から共感したかった。
 コンラートに自分を殺して欲しいと願うようになる。それは人の言われるがままに流れに任せ生きてきた、生きながらの死者であった自分のわずかに芽生えた意思であった
「鳥を見ると少し羨ましくおもう。僕も一度戦闘機でそらを自由に飛んでみたい。僕は自由に生きれる君たちが羨ましい。僕にはそれができない。男の意気地ばかりが邪魔をして、正直に生きることができない」

※陸ネフィリムに乗り込む

 ネフィリムで出撃するXデーの前夜。夜のコックピットは聖なるゆりかご(胎)の中にような聖なる安らぎと嵐の前の神秘的な静けさがある。風呂で閼伽という閼伽を擦り落として身を清めた後で、リクは洗濯したばかりで白光りする修道服をまるで白装束のようにして身に纏い、頭にはシスターベールを被っている。
 陸は旅の中で暗唱した聖句をずっと読み続けている。
 
 その日の暦は満月で、星が細やかに瞬く空は紺青に澄み渡り、朧月夜の光が世界中に行き届き暗く沈んだ夜空の上に淡く透き通るようにして照らして星々が散るに合わせて輝いて綺麗だった。
 操縦席で最後の動作の確認をするリク。コックピットの座席の裏手には夥しいコードがネフィリムのCPUとエンジンに繋がっている。エーテル兵器のインターフェースを頭にして、思念一つでいつでもネフィリムに接続できる。
 コックピットで身体を丸めて、十字架を握り掌を祈り手に組んで、唱えるようにしてしかしはっきりと聖書にある聖句を暗唱する。
 これまでの旅路で見てきた負傷した兵士たちやその家族や遺族の姿を思い浮かべ、帰る場所を無くした戦士や待ち人の帰りをいつまでも待っている恋人、戦地に生き甲斐を見つけた男たちの凄惨な光景と思い出たちがまるで走馬灯のように脳裏に駆け巡る。死にゆく命と生まれる命とこれから自分が手にかける命に対してリクは目を伏せてただ聖句を口にして厳粛な空気で祈っている。

「天にまします我らが父よ。人類が犯した罪故に、あなたは怒り、人の子らは血と肉に呪われた。明日私たちはあなたに贖罪の肉と血を捧げます。ですので、どうか地上の痛みを取り除き、苦しむ人々をあなたの御手でお救い下さい。私たちに許しを与えて下さい。耐え難きに耐え、忍び難きに忍び、弱く小さき人々に、祝福を与え賜う事をお許し下さい。病めるものには癒しを、貧しきものには富を、ひもじきものには糧を、悩めるものに智慧をお授け下さい。争いの虚しきを濯ぎ、争いの災いなるを濯ぎ、混沌に満ちた不浄なる地上を、あなたの霊光で照らして下さい。迷えるすべてのものに主の導きがありますように。魂の穢れを祓い血肉が清められますように。生きるものに慰めを、死せるものに安らぎがありますように。いくとしいけるものに幸多からんことを。そして、いつかあなたの苦悩が祓われて、あなたに幸いが訪れますように。主よ、どうか災いなる私をお許し下さい。どうか、卑しい私に、愚かなる私に、生涯消えぬ傷跡を刻み、この身に罰をお与えください。どうか、人々のいく先々にあなたの加護がありますように。全てはいける命とその鎮魂の為に、どうか今は私に、あなたの力をお与えください。父と子と聖霊…そして聖母マリアの御名において。あめん」

 エーテル兵器で陸の全身全ての神経がネフィリムの機能と連動し、陸が願えばその通りにネフィリムは駆動する。コックピットのカメラ越しにリクは夜空を見る。そこに一閃の流れ星。しかしその白い光は一瞬で落ちていって宙で消えていく。
「あの人も今同じ宇宙を見てるのかな…」
 陸は静かにベールを取り、頭を晒して髪を梳く。黒の髪の染料は水で流れてしまい、すでに色素を失って白く脱色している。
 肩まで伸びた髪。いつか見た幼き日に辻郎の隣に並んだ母妻が、結った髪を下ろした姿を模した。
「いよいよだ。君を巻き込んでごめんよ。でも君なら僕をわかってくれるだろ。同じ父さんの子供だもんな。僕と一緒にいってくれるかい。兄弟マリア」
(父さん、明日、やっとあなたの願いが叶う。僕はやっとあなたの子供になれるよ)

「リク、逝きます」


(7)プロット「終幕」

★終幕
「リク、逝きます」
 その掛け声と共に陸は、エーテル兵器の機能を全開にし、意識をネフィリムに没入させる。ブツ、と電流でも走ったように全身がビクリと跳ねて身体を投げ出して座席に眠り、顔をガクリと落とす。
 それと同時にネフィリムの瞳に光が宿り、顔を上げ、エーテルの力によって重力子を操り浮かび上がった。

 コンラートがソーサラーの直観で声を聞く。誰にも聞こえないリクの声。まるで誰かを呪うような苦しみ呻くような、それでいて愛しい人を想うように切ない、悲痛な悲鳴にも似た哀しい歌声。それはリクの放つ脳波の波の音。

「私を呼んでいる」

「私以外に、あのネフィリムは倒せん」

 ネフィリムは戦闘機から切り離され地上に落とされる。陸はすでに機械の鎧ネフィリムと意識が同化して、インターフェースを頭につけたまま瞼を閉じている。まるで眠っているかのような安らかな顔つきで、コックピットの座席に力なく身体を預けている。もう自分の口で返事することもない。
 凄まじい反応速度でネフィリムが無差別に戦闘機を撃ち落とし戦車を焼き払う。

 そこに凄まじいスピードで迫ってくるAA搭載戦闘機が登場する。
 ネフィリムの乱れるメインカメラの映像、視界の奥、遠くに映った影が機械言語で分析される。力強い軌道で空を駆って迫ってくる戦闘機AF13、コックピットにはコンラートが乗っている。

 ネフィリムのコックピットに眠る陸がピクリと反応し、まるで待ち人でも見たかのように意識が高揚する。それに合わせて鎧のネフィリムがメインカメラでAF13を捉えたまま首を向けて、魔導兵器を手に照準を合わせる。

 AA兵器による魔導戦はまるで神々の戦いを思わせるような激しい攻防だった。遠目から見れば巨人と戦闘機の放つ激しい魔導の光が互いに相殺しあって、超新星爆発を描いているように見える。

(お父さんお父さん魔王がくるよ
魔王が僕を追ってくる
でもあの魔王は僕におべべをくれる
僕の手を引いて踊ってくれる
僕を愛してくれた
心の優しい魔王なんだ
だからお願いお父さん
どうかあの人を殺さないで!
どうかあの人を奪わないで!
どうか僕から奪わないで
お願いネフィリムで魔王を殺さないで!
僕のネフィリムで魔王を殺さないで!

お父さん!魔王を殺さないで!
僕の手で魔王を殺さないで!


 敵味方関係なく戦闘機を撃墜し殺戮する暴徒と化した陸コア・ネフィリムを止めるべく、コンラートが操縦するAF13が交戦している。
 ネフィリムは陸の脳波制御で動いているが、完全に統制できている訳ではなく、草加部辻郎が予め入力したネフィリムのプログラムに動作を引っ張られ、戦闘行動は惨さを極めていき、やがて陸のエーテル波圏内に侵入した戦闘機や熱源を無差別に撃ち落とし、無慈悲な破壊活動に変わっていく。
 そんな中、ネフィリムの狙いを自分に集中させるために、猛攻撃を仕掛けるAF13。
 友人として過ごした時間を想い、陸を世紀末最大の虐殺者にしたくなかったコンラートは、ネフィリムをリクコアごと撃墜する勢いで、機関銃や魔導兵器で絶えることなく攻撃を続けている。
 しかし陸コアを乗せたネフィリムの学習スピードは恐ろしく早く、予知すら許さない度重なる奇襲攻撃に一度は劣勢を見せていたネフィリムだが、一定時間の経過と同時にその攻撃すらも容易く回避して、相殺するように攻撃を仕掛けてくる。
 何よりコンラートを攻撃したくない、殺したくないという陸の想いがネフィリムの駆動を鈍らせていたが、意識が遠のき機械と同化するにつれて、攻撃は非情さを増して、ネフィリムの動きは尋常ではない機動性と攻撃の命中精度を発揮して、遠距離からの銃撃に対する回避にすらコンマ単位の反応速度を要求する。
 
 AF13がネフィリムの活動を停止すべく、苦戦を強いられる中、アトランティス国防軍のタカ派の軍佐官がネフィリムの暴走に便乗し、ムー自治軍の亡霊コンラート少佐を戦闘中に殉死・事故死させる事を思いつく。
 デウス軍勢力にとっても、クロノ・クロイツ失踪後、消息不明であった筈のコンラート・クロイツの帰還は予定外の出来事で、シグマ大佐からコンラートの生存の連絡は受けていたものの、何故デウス軍の立場でネフィリムを討つべく前線に戻ったのか、その思考まで辿り着くことができない。
 コンラートと陸の関係、とくに彼らにあった恋愛感情について、まだ正しい理解と情報が行き届いておらず、ムー近辺にいる機甲部隊の指揮官や、末端の戦闘兵は混乱していた。
 コンラートが陸と活動していた事は、デウス軍諜報部にいる一部の人間にしか知らされていない。
 コンラートの生存は、アンジェリカをクロノの嫡子に仕立て上げる為、シグマと結託していたマキナ派のムーの政府高官と軍上層部にとって、不都合であった。その為、アトランティス国防軍のタカ派(親ムー派閥)の一部と、ムーのマキナ派は共謀し、ネフィリム暴走による預言実行…、ムー軍とアトランティス国防軍の友好関係の実現とムー独立の達成と合わせて、コンラート暗殺を再び試みようとしていた。

 AF13はアトランティス国防軍の戦闘機中隊による奇襲に合う。
『ネフィリムの突然の暴走により、空母艦との情報の連携が上手く取れておらず、デウス軍と協力してネフィリムを破壊せよ…という指令が末端兵に伝わっていない』という名目で、デウス軍のコンラートに対して奇襲攻撃を仕掛ける。
 ネフィリムの攻撃に対処する事で精一杯のコンラートは、突然の戦闘機中隊による後方攻撃に対応できず、不意打ちで被弾する。
 しかし、そこを陸を乗せたネフィリムがAF13の前に飛び出して、戦隊による致命的な攻撃を受けてネフィリムの頭部の片側を破損し、視界を失ってしまう。まるでAF13を庇う為にあえて前に出てわざと被弾したような、何か見えない糸に引っ張られ、プログラムに反して無理に動き出したような、そんな歪な動作。何故?妙な空気が戦地に漂う。
 痛覚まで同期しているのではないか、と思う程に、悲痛な悲鳴を上げる眠りの陸。エーテル兵器によってネフィリムのカメラはリクの視覚とほぼ一致しており、陸の脳波とネフィリムの電気信号が連動して、ネフィリムが損傷するたびに陸の手足の同じ個所が、電流でも走ったように跳ねて反応する。それをソーサラーのテレパス能力を通じてコンラートは『頭で直に』それを耳にしていた。

「隊長。ネフィリムの活動が静止しかけています、それにあそこにいるAA戦闘機は一体」
「コンラート少佐?確か、コンラート少佐はムーのクロイツ家の人間ではないのですか」
「クロノ・クロイツの嫡男は今、消息不明であると」
「上の命令だ。考えるな、ネフィリムごと撃て!」

 戦闘機中隊の攻撃に倣う様に、地上の戦車や砲兵の援護射撃が続き、ネフィリムはみるみる体は熱で鮮やかな赤に萌えて、重力に引きずられていく。AF13が攻撃を制する形でネフィリムの前に出て、機体で阻もうとする。しかし、コンラートがネフィリムに振り返る頃には、陸を乗せたネフィリムが重力に引かれて地上へと落下していく。
 まだ間に合う。コンラートは助けを求めるように宙に伸ばされていたネフィリムの手に機体を滑り込ませ、AA兵器による反転重力で引き上げようとする。本来のAF13の装甲では、強力な重力子には耐えられない。ネフィリムの機体は熱を帯びていき、AF13もまた熱に侵され、コックピット内部が熱で真っ赤に燃え上がっていく。
 ネフィリムの指先に辛うじて掴まれているだけのAF13も両翼が激しく潰れて、いよいよ私も終わりか、しかし陸と共に死ねるのなら、それも悪くないと薄く笑い、コンラートが諦めかけた時、ネフィリムの片方の瞳に突然光が宿り、損傷の激しい頭部をAF13へ向けたと思えば、そのままAAの反転重力によってAF13を包み込みネフィリムの残っていた右腕は破裂される。激しい反重力にコンラートは反射的に操縦桿から手を離しかける。その瞬間、ネフィリムのもう片方の手に持っていた魔導兵器を構えAF13を激しい光で貫いた。AF13の両翼は勢い良く外れて、胴体だけ残された機体は柔らかい光の幕に包まれ、ネフィリムより空に浮かび上がる。コックピット内で絶望に目を見開いて、絶句するコンラート。それを放置して、ネフィリムの機体は片面を失った頭部から、そのまま静かに地上に落ちていく。

その時、コンラートの見る景色に、一瞬陸の姿が浮かんでいた。そこには先程のネフィリムも自分の乗っているAF13も、アトランティス国防軍もムーのデウス軍もいない。コンラートと陸。そのただ二人だけが、星が瞬く宇宙空間に、切り取られたようにして、浮いている。見れば、白くはためく修道服を着た陸が手をこちらに伸ばして浮いている。白色の髪を宙に遊ばせながら、力なく、しかし柔らかく微笑んでいる。唇が呟くようにして小さく動く。しかし声までは届かない。何かを悟ったコンラートは「やめろ、リク」と悲痛な声音で口を開く。慈しむようにして目を細め、優し気に笑う陸。光の粒子が涙のように目尻から流れていく、初めて見た陸の笑顔。紡ぐ唇。「こ、と、に…」声も届かないのに、何故か耳元で囁くようにして陸の声がすぐそばに聞こえる。声にもならない悲痛さで絶叫するコンラート。
(リク、リクいくな!!)
 世界が真っ白に変わっていく。
 瞬間、ネフィリムがすさまじい熱の幕を全身で放射しながら、真っ逆さまになって、装甲を砕きつつ、勢い良く大地に落ちていった。

 大気の中を落下し、高熱でコックピット内部が激しく揺れて、眠る陸の横たえる座席は上下に反動し、コードを撒き散らしながら、何かが折れたり割れたりする破裂音と警告音で満ちている。そして魔導兵器の自動検知のシステムで、熱を感知したネフィリムは、一歩遅れて、今更とばかりに反応し、ネフィリム全身を透明な幕で包み始める。
 地上から見たネフィリムは、流星のような激しい光を放ち軌道を描いた後、装甲から僅かにエーテルの粒子の帯を引きながら、真っ直ぐに地上へ落ちていく。光の幕は透き通ったベールのように靡いて裾からボロボロに崩れて溶けていく。

ネフィリムのCPUが自身の機体の損傷度を検知し、脱出用のプログラムを始動し、頭部と手足を切り捨て、コアの切り離しを開始するが、落下地点の地上で待ち受けていたかの様に配置されていた装甲部隊が、陸の身体を乗せたコアを一斉に砲撃する。巻き添えを喰らったネフィリムの頭部と手足は五月雨のような砲弾の凹み痕を残して、部品を撒き散らしながら、叩きつけるように地面に落下。コアは自動操縦に切り替わる瞬間に砲撃を受けて、コアは引きずられるように斜めになり、前進するスピードも浮力もなく、回転しながら落下する。
 そして先に落下していたネフィリムの残骸に残されたトゲの部分に、真正面に突き刺さり、コアを貫いた。

地上の装甲部隊の一斉攻撃を受け破壊されたネフィリムは、部品を撒き散らし瓦解しながら、轟音と共に横たえる。

 
 空中から見ると、バラバラになったネフィリムは、まるで巨人の亡骸のよう。
 ふわりと地上に降りて、胴体だけのAF13から降りたコンラートは、機能停止したネフィリムの欠片の山を登り、辺りを見渡すと、そこに串刺しにあったような、潰れて装甲の爛れたコアの残骸を見つける。
 銃弾やオイルで薄汚れ朽ちたように黒ずんだコア腹部の装甲を引き剥がし、中から少女のような身なりをした少年、頭部にエーテル兵器のインターフェースをつけたまま、夥しい量のコードを全身に巻き付けて、まつ毛を合わせて瞼を閉じている修道服の姿の陸を抱き上げる。
 
 陸に体に複雑に絡まったコードは、まるで陸が持ち去られるのを拒むように、リクの肢体に絡みつき尾を引いて、コンラートが身体を強く抱くに合わせてぶちぶち、と千切れて、力を失ったように地に爛れ落ちた。
 煤で服の裾と頬を汚し、その胴部には、槍の様な機体の破片が突き刺さり、はらから血を流し真っ白な修道服を真っ赤に染め上げていた。
 それはまるで聖書にあるロンギヌスがイエスの腸を突いた聖槍の如くに。
 陸を胸に抱き込めば、ぽた、ぽたと足から、血が滴り、装甲の残骸のいくつかを赤で汚しながら、足元には血だまりができて、地面が黒ずみながら陸のそれを吸っている。星屑のような真っ白な髪は薄く流れる風で乱れて、肌色は青白く、冷たくなって動かない。

「ネフィリムに生命は受胎せず…。まるで死産だな」


 花嫁衣裳の様な美しい姿で、シグマ大佐の横に立っているアンジェリカ。クロイツ家の遺児としてシグマ大佐によって立脚する。

 シグマ大佐は暴走するネフィリムの攻撃によって死亡する。そこにはアンジェリカに対する陸の意思や、クロノの妾の子としての自分、そして亡霊として生きることになったコンラートに踏まえたマキナ家やムーに対する怨念のようなものがあったのかもしれない。

 クロノ・クロイツの遺児と血統を偽るアンジェリカは、「弟コンラート」の手によって、「姉はデウス・エクス・マキナの子であってクロイツ家の子ではない“すり替え子”」と、ムー高官を通じて告発される。彼女はそのままムー警察によって身柄を拘束され、「父クロノ暗殺の真相の暴露」という『政治的スキャンダル』によって「マキナ家の花嫁アンジェリカ・クロイツ」の身分を永久に奪われ、その幕を閉じる。ムー連合王国の姫君は失脚し、それに伴いデウスとクロノの共謀も暴かれてその地位も落ちる。
 幼い頃からすり替えに合って『アンジェリカ・マキナ』を知っていたリクには、彼女を傷つける事はできないと踏んで、コンラートがクロイツ家の人脈を使い、軍部や高官に根回しして、何かしらの罪状を与えていた。
 アンジェリカは花婿のシグマが死亡し、更に「弟コンラート」に切り捨てられたと知って、自分を拘束し始める警官に「違うの、私はシグマに脅されたんです。コンラートはそれを知らないの」と必死に訴えるが、聞き入れてもらえないとわかり、最後は自身のすり替え先であった陸の名前を繰り返し呼び、助けを乞う。
「助けてリク、リク、リクぉー!」
 その姿はあくまで悲劇のヒロインであり、長いまつ毛を瞬き涙を浮かべる姿は、自身が行ってきた行動の意味すらわかっていないかの様な、人の悪意すら感じられぬほど、綺麗で純粋。残酷な程美しいヒロインの「演技」。


 抱き上げたリクの衣服からメモ帳でも千切ったようなシワの紙が一枚かさり、と落ちてくる。
コンラートはそれを拾い上げて手元で広げて開く

『コンラートさんへ

 幼い頃よりずっとあなたをお慕いしておりました。籠の鳥居の内に、柱の影よりあなたを見つけたあの日から、心を秘して、あなたがすぐ傍らにおいでになった時も、黙する以外の法もなく、ことを紡ぐ事さえ許されず、この身をちぎる思いでした。

 もし僕が、本当に女の人に生まれ変われたなら、どうか、あなたが僕をおめとり下さい。あなたの花嫁として、末永くお仕え致します。

 御霊はあなたと共にありますように。

草加部陸』

 まともに鉛筆も持てぬ中、急ぎ書いたのであろうか。弱々しく這ったような字面が並んでいる。コンラートは一瞬目を開いた後、その端正な顔を酷く歪めて、手元の紙をくしゃりと握り、歯の奥で辛酸と苦渋でも噛みしめるようにして吐き捨てた。

「果たされぬ約束に何の意味があるのだ…、リク」

『鉄の服が擦り切れたら母さんに会えるよ』 

「お父さん、魔王が僕を迎えにきたよ」

1999.8.18
かくして、アトランティスとムーの策謀は終わり、贖罪の儀式は果たされた。

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