2ヶ所の大木戸(おおきど)と制限高1.5m
今回は交通事情ではなく江戸の名残にまつわる地名である「大木戸」について。
大木戸とは江戸時代の江戸の府内と府外の境目の門であった場所で
大木戸は都内に2ヶ所のみ存在する。
四谷大木戸と高輪大木戸だ。
一つ目は四谷大木戸を見ていこう。
四谷4丁目交差点は江戸の五街道の一つである甲州街道と外苑西通りが交わる交差点だ。
ちなみに江戸の五街道とは東京の日本橋を起点に
東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五つ。
これらには今でも大動脈の国道や高速道路が走っている。
さて四谷大木戸だが、石碑は写真の通り、
四谷4丁目交差点から西に80m進んだビルの一角にあるが、
実際に四谷大木戸があったのはまさに四谷4丁目交差点。
数100年前から大きな道路は活躍していたと言うことだ。
それから次は高輪大木戸。
こちらは五街道のうちの東海道の要所。
近くには赤穂浪士の泉岳寺がある。
今は高輪ゲートウェイ周辺の再開発で大きなクレーンが無数あるが、
ここは一昔前には制限高が1.5mしかない極めて低い道路があった場所。
潜った先は港区港南。
ここ最近は私もここを通ってないので、いつか見に行ってみたい。
道はもう無いと言うのは話に聞いているが、Googleマップにかろうじてその写真が残っていたので貼っておく。
制限高1.5メートルですよ?
通る人は自転車も歩行者もみんな背を屈めながら進行する。
そして驚くことに車も通れる。
(私も一度だけ車で通ったことがあるが、車の中にいるにも関わらず、
つい体を屈めながら運転してしまった)
昔はセダン型の車が多かったため、それなりに通行量もあったそうだが、
昨今の車の大型化に伴い、通れる車両も少なくなったことだろう。
ちなみにここは通称「行灯ゴロシ」という物騒な名称で呼ばれたこともあるそうだ。
行灯(あんどん)とはタクシー車両の屋根についている会社の看板のことだが、
何度となく行灯をぶつけて壊すタクシーが絶えなかったそうだ。
どんどん都市化が進み、江戸の名残が少しずつ消えていくのは寂しいが、
時の流れは誰にも止められない。
全ては全員の総意のもとに大きなうねりを持って、世の中は動いていく。
数100年後は六本木ヒルズも麻布台ヒルズも廃墟になるのだろうか?
今回、一部参照し読んだ本はこちら。
最後まで読んでいただきありがとうございました。