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馬込銀座交差点とジャーマン
こんにちは、交差点東京です。
今回登場する交差点は環七と池上通りを結ぶジャーマン通りの環七側の交差点「馬込銀座(まごめぎんざ)」。
交差点東京個人的にはジャーマンよりドイツと呼んだ方がドイツへの敬称が込められている気がして。
日本には古今東西「銀座」が存在する。
街の中でいちばんの商店街につけられる場合が多い。
そして馬込という地名、1900年代初頭、数々の文豪がここに居を構えていた。
「私が最初この村に住居を構えたときには、目もはるかな田園の眺望が、ひそやかで、しっとりした清澄な空気に満ちあふれていた」と、1923(大正12)年、馬込(現南馬込4-18)に居を移した小説家の尾崎士郎が述懐している。氏の転居に続いて、馬込・山王周辺には小説家の宇野千代をはじめ石坂洋次郎、川端康成、室生犀星、山本周五郎等、詩人の北原白秋や萩原朔太郎等が移り住み、「馬込文士村」が形成された。彼らは互いの家を行き来し交流を深め、名作の執筆はもとより、ダンスパーティなどモダンなスタイルも謳歌した。馬込・山王周辺には今なお文化の薫りに包まれ、文士等の足跡や記念館を巡る馬込文士村散策コースを訪れる人が後を絶たない。
馬込、なかなか落ち着いた閑静な住宅街で、根強い人気がある。
さてここのジャーマン通り、1925年から1991年まで東京ドイツ学園があって、
ドイツ人の方々が結構いらっしゃった。
いまは東京ドイツ学園は横浜に移ったそうだ。
↑ドイツ学園東京横浜
最後に交差点の説明
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環七内回りから見た馬込銀座交差点。
緑がジャーマン通り。
ピンクは西尾大井につながる住宅街。
環七の本線は右に外れながら春日橋交差点(第二京浜)を越え渋滞のメッカ沢田交差点(東邦大病院通り)に行き、大森東で第一京浜と交わる。
今回はここまで。
交差点の記事の更新は久しぶりでした。
スマホが壊れたり、子供の受験準備などでバタバタしております!