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内閣府下交差点と内堀と外堀の間
内閣府下(ないかくふした)交差点は六本木通りと総理官邸前の通りが交わる交差点。
最寄駅は溜池山王や国会議事堂前だ。この二駅は地下で繋がっている。
近隣には総理官邸、内閣府、特許庁、首都高霞ヶ関(両方向)出入り口、国会議事堂、国会記者会館、議員会館など、国の中枢が集まっている。
◯◯省や◯◯庁などは仕事の内容も想像に難くないが、内閣府はどんな仕事をしているのだろう。
そもそも◯◯府という国の機関は内閣府だけだ。
内閣府は、内閣及び内閣総理大臣の主導による国政運営を実現するため、内閣総理大臣の補佐・支援体制の強化を目指して平成13年(2001 年)に設置された内閣総理大臣を長とする内閣の機関です。 行政事務を分担管理している各省より一段高い立場から、国政上の重要な政策について企画立案・総合調整等を行っています。
あくまで個人的な印象だけど、内閣府という名称は
伏魔殿や冥府のような一般人には縁もゆかりも無いような組織に思えるが、
優秀な一般人(公務員)が入れ替わり立ち替わり働いていて、
日本の安定に貢献してくれているありがたい政府のブレーン的な組織だ。
日々の業務お疲れ様です。
さて交通情報を見ていこう。
六本木の通りの上下方向はいずれも右左折Uターン全て可能。
ただし六本木通りの上り方向では左折(総理官邸の通り方向=永田町バイパス))は
オレンジ線になっているので、そこだけは注意。
下の写真でいうレガシーが走っている車線が左折専用レーン。
土地柄、お巡りさんだらけなので気をつけたい。
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次は交差道路である赤丸の246で総理官邸前交差点から内閣府下交差点を見る場合。
道路名称はgoogleMapでは永田町バイパスと書いてある。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/133731548/picture_pc_55785e38403b6b1f9d1c8625ff630df4.png?width=1200)
坂から見てもわかるように、総理官邸から外堀通りに向かってかなりの下り坂で、
この場所一帯は内堀通りと外堀通りの間にあり、
なおかつ、かなりの高台にある。
要塞を作るには最適な場所である。
江戸時代の地図を見ると内堀と外堀の間にあるのが見て取れる。
水に囲まれたエリアという意味では第二の皇居のようなもの。
とは言っても現代では溜池は暗渠(地下化)しているので要塞的な意味合いは薄い。
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おまけ
現代と江戸時代の同縮尺地図比較
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/133732269/picture_pc_69266ed73df71b521f6e6a7552eea5d3.png?width=1200)
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江戸は風水に基づいてできた人工的な要塞都市なのは有名で、
江戸城を中心に鬼門である北東には上野浅草の寛永寺、
そして鬼門の反対側である南西には山王日枝神社を配置。
真北には栃木県の日光東照宮があり、
徳川家康は今日でも関東一帯全体を見下ろす様に鎮守している。