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小伝馬町交差点と牢屋
こんにちは、交差点東京です。
今回登場する交差点は江戸通りと人形町通り(水天宮通りともいう)の交点にある小伝馬町(こでんまちょう)交差点。
東京都中央区小伝馬町に位置する。
あまり聞き馴染みがないかも知れないが、すぐそばには大伝馬町も存在する。
そして小伝馬町には江戸通りの一つ北側の通り(時の鐘通り)に牢屋の博物館がある。
建物は十思スクエア(じっしすくえあ)といい、その上階に牢屋の博物館がある。
実際の牢屋の場所は江戸通りと並行して走っている一つ北側の通りである時の鐘通りを北西に進むと牢屋跡がある。
ちなみに十思スクエアという交差点も小伝馬町交差点の一つ昭和通り側にある。
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ここは、その名から連想されるように牢屋であり、そして処刑場であったわけだが、
幕末には吉田松陰もここで処刑されている。
尊王攘夷派だった吉田松陰は幕府側の間部詮勝(まなべあきかつ)を暗殺しようと企てていたため、処刑された。
まぁ、幕府側からすれば、クーデターを企んでいるテロリストとも取れるわけだが。
それにしても、吉田松陰の年齢はこの時29歳(安政6年・1859年)。
29歳で思想により処刑とは、恐ろしい時代である。
幕府に逆らうとこうなってしまった時代だ。
これが安政の大獄。。。
そのトップである大老・井伊直弼も後に桜田門で殺される(桜田門外の変)ので、
やってはやられるの世界。
実に、命の価値観が今とは全くかけ離れたものである。
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上は伝馬町の牢屋敷の図面だ。
字が小さくて恐縮だが、罪名によって様々な拷問があったようだ。
その処刑場であった場所は今は大安楽寺という寺になっている。
同じ敷地内には「吉田松陰終焉の地」という石碑もある。
今となっては、小伝馬町も都心の一部。
とても野蛮な処刑がここで行われていたなど、想像できない。
わずか160〜170年前の出来事。
そんなに遠い昔の話ではない。
翻って、いかに今が平和の真っ只中にいるのかを再確認できる。
近くに行ってみた際には寄ってみて、
歴史の教科書の中に一瞬入れる気分を味わってみるのはいかがだろうか?
ちなみに拷問について調べる上で、
随分前に興味本位で図書館で借りたことがある本がこれ↓
ふぅ、今の平和は未来永劫続く保証なんて、どこにもないんだなぁ。
100年も経てば、常識も変わっていくだろうから。