それは…相手や社会のせい?自分のせい?
なにか不都合なコトが起きると私たちは、とっさに、社会や相手のせいにしたり、自分のせいにしたりしがちです。社会のせい自分のせいのどちらか一方にしがちか、どちらに大きくウェイトを置くかは、無意識状態の反応だと一種のクセみたいなもの。もちろん、自分の外側である社会や他人のせいにしたり、自分自身のせいにして、スッキリするならそれでいいのですが…自分の外側か内側のどちらか一方のみに原因を求めるだけでは、モヤモヤすることも多いでしょう。
今回は、その辺のメカニズムについてひも解いてみます。
1.外界アプローチと、内面アプローチ
生きていくために養うスキルには大きく分けて2つの方向性、「外界アプローチ」と「内面アプローチ」があることを前回簡単に書きました。外界アプローチは社会性や社会スキルを身につける、そして内面アプローチは自分の内面(感情や本心)の声に向き合うスキルを身につけることです。
これにあわせて、トラブルに向き合うときにも「外界アプローチ型」と「内面アプローチ型」に分けてみてみます。以下、その特徴と利点や限界を整理して、外界と内面をつなぐ視点の重要性についてお話します。
2.トラブルへの「外界アプローチ型」の利点と限界
(1)外界アプローチ型の人の傾向
原因を外に求める。自分は悪くない。自分は正義。自分をこんな目に遭わせた社会や、相手が悪い。なかなか非を認めず、自己を過大評価しがち。行動力がある。
(2)外界アプローチ型の利点
自分を責める必要がない。怒りと自己主張を外に表現していると、主張が通るときもある。自分の主張を通すための手段として社会や相手の傾向を知る努力は惜しまず、エネルギーも出し惜しみしない。
(3)外界アプローチ型の限界
日常が「正義と悪の戦い」になってしまう。自分が正義と思えば思うほど、モグラ叩きのように悪がどこからか沸いてくる。そして、いくら自分が「正義」でも、所詮社会や他人はコントロールできない。主張が通らないこともある。正義の戦いに負けたときには、そのことに無力感や怒りを感じ、被害者的なポジションになってしまう。また、怒りっぽい、うるさい人だと恐れられ自己主張がし放題になる反面、それとなく避けられることも。また、なかなか反省しずらく、トラブルからの精神的な学びがないと、同じトラブルを相手や形や場所をかえて何度も繰り返しがち。
3.トラブルへの「内面アプローチ型」の利点と限界
(1)内面アプローチ型の人の傾向
原因をいつも自分に求める。必要以上に自分の落ち度に焦点をあて反省する。自己肯定感が低め。外界は自分の内面の反映なので、自分の内側を整える必要があるなどと考えたりもする。
(2)内面アプローチ型の利点
自分の内面はコントロール可能で、自分のできる範囲に集中できる。できる範囲での改善は見込める。内面を整えることで妄想でしかなかった無駄な不安がなくなり、落ち着いて行動できる。また内面に向き合うことで反省修正できた場合は、精神的に成長し同じ問題を繰り返しにくい。
(3)内面アプローチ型の限界
内面アプローチ型の傾向が強すぎると、自分に非がないことでも「自己責任」にして自分を責めすぎることに。社会的リテラシーや社会的な知識、また仕組みや相手の見極めなどの詰めが甘かったり、外界の観察を軽視していたり、自分の延長上に他者をみることもある。そして、自分を責めすぎるばかりに、本当の原因は相手や社会構造にあるかもしれないのにそれに気づかないことも。また、クレーマーのような常に社会のせい他人のせいにする人や組織と対峙するときに、一方的に謝罪させられ、我慢させられ、舐められたり。一見謙虚なようだけど相手の都合いいように扱われ、自分責めから、無力感を感じやすく被害者的なポジションになってしまいがち。
4.外界と内面つをつなぐ視点を(前半)
以上のように、トラブルを一方的に他者のせいにすること(外界的アプローチ型)も、一方的に自分のせいにすること(内面的アプローチ型)も、いずれも極端で、最終的には「被害者ポジション」(どちらも相手を加害者で、自分を被害者とポジショニング)に帰着してしまいます。
この被害者ポジションにいると、外界アプローチ型の人はエネルギーを外に向けて無駄遣いしがちで、内面アプローチ型の人はエネルギーを内側に向けて消耗しがちになります。すると、両社はいずれも被害者・加害者ループ(お互い相手を加害者と指さすようなループ)から抜けられず建設的な方向に現実創造をすることが難しくなるのです。すると、このループを抜ける第一歩は、①自分の傾向を知ることと、②他人責めか自分責めかいずれか一方的なアプローチでは無理がある、ということの気づきからということになります。
そして、各々の立場の次のステップについては…長くなってきたので、次回に続きます。