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山形県酒田の即身仏を拝してきました

山形県酒田市にある砂高山海向寺。

お寺の方に声をかけると、厳重なつくりのお堂の扉を開いてくれた。
大きな厨子が二つ並んでいた。

お寺は真言宗なので「南無大師遍照金剛」と唱えつつ、厨子を開いていただいた。

やまがた「酒田さんぽ」にある海向寺のウェブサイト

こちらはご本堂。即身仏が安置されたお堂は左側に。



左側は、1775年に入寂された忠海上人。58歳のお姿である。
右手は圓明海上人(入寂1822年)。こちらは少しお若く55歳。
お二人ともこの海向寺のご住職だった。

即身仏を拝する時、最初は「怖いのかな」と少し緊張した。
また、命を尽くされたことから「厳しいのかな」との恐れも抱いていた。

しかし、目の前で拝すると、全く違った。温かかった。部屋に暖房が入ったのか、と思わせるように暖かな空気に包まれた。もちろん暖房などは入っていない。11月下旬の北東北の冷気がお堂を覆っていた。しかし、顔も体も、そして心まで温かくなった。そして温かい涙が出た。

修行のために命を投げ打った。これ以上に自分に厳しくはできない。自分に厳しい人は往々にして他人を寄せ付けない空気がある。そんなことも考えたが…全く違った。これほど愛情にあふれる人はいない。愛情という言葉が仏教的ではないのなら、慈悲と言ってもいいだろう。この暖かさはなんだろう。

お堂の左上には、次のことが書かれていた。


お堂の前に立っていた案内。このお言葉が全て。

我が余生は衆生済度のため 木食行に身を投じ 
一切衆生の精神苦 病苦 解脱の杖となり 
願いをかける者には すべての所願を成就せしめん

この言葉で納得した。人の命は有限だが、仏になって永遠の命を得て、後世の人の心を暖め続けようとされているのだろう。

家に帰って、ふと宮沢賢治の次の言葉を思い出した。

「曽てわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた…そこには芸術も宗教もあつた…いまわれらにはただ労働が生存があるばかりである…宗教は疲れ近代科学に置換され然(しか)も科学は冷たく暗い」

時代によって生活も仕事も人々の考えも変化してきた。しかし、佛様が持つ温かさ、そして人間が求める温もりは、時代など関係なく大切だ。そのことを強烈に教えていただいた。

見ると、お二人の前には、いくつかの手紙があった。参拝された方がおふたりにメッセージを書いているのだ。たしかに、話を聞いてくださる気持ちがする。だからみんな手紙を書くのだ。

おふたりは58歳と55歳。私はもう少し若いが、お二人の年齢に達するまで10年もない。
私が55歳となった時、あるいは58歳となった時・・・少しは人に温かさを与える人間になっているだろうか。それを忘れないため、数年後、またこちらを訪ねてご挨拶しようと誓った。


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