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元旦の薬師寺で感じた今は亡き祖母のこと

2025年1月1日、初詣で薬師寺に向った。

年末、韓国から戻ってまっすぐ奈良に向った。今井町にある母方の実家のお墓参りを済ませ、宇陀の山奥に住んでいる健康に不安がある叔母(老)夫婦の様子を見にいった。その後、実家の神戸に帰り、1人暮らしの母と私の妻と3人で新年を迎えた。しかし、この正月はどうしても薬師寺に行きたかったので、1日、神戸から再び奈良に向った。

「奈良・斑鳩1dayチケット」を使うと神戸から奈良まで往復2800円(山陽電車、明石以東)と安かった。妻と2人で5600円。しかもこのチケットを見せると薬師寺の拝観料が団体価格になった。少しうれしかった。

薬師寺にこだわったのは、正月1~3日のみ公開される国宝・吉祥天画像を拝みたかったからだ。なぜだか知らないが、昨年の秋ぐらいから、「見たい!」という気持ちがどんどん膨らんできたのだ。

吉祥天画像を見るのは今回が初めてではない。最初に見たのはおそらく40年ぐらい前、私が小学校の3年生ぐらいだろうか。今井町の母の実家で新年を迎え、在りし日の祖母に手を引かれて薬師寺に初詣に来た時だった。その時、金堂に鎮座する薬師三尊像と、その前に掲げられた吉祥天画像を見た。そのイメージは、これまで40年間、鮮明に覚えてきた。それが、最近になって心の中でどんどん大きくなってきたのだった。

薬師寺の吉祥天像(写真はwikipediaより拝借)

もちろん薬師寺には、大人になってからも何度も訪ねた。しかし、最初に薬師寺を訪ねた時の興奮というか歓びというか、感動を超えることはなかった。それでも、心にはずっと薬師寺があり、隣を走る近鉄に乗る度に塔がチラッと見えるのをいつも楽しみにしていた。

そして今回、ほぼ40年ぶりに正月の薬師寺を訪ね、薬師三尊像の前に置かれた吉祥天を拝むことができた。最初に見た時から今までの40年間、決して短くない時間を生きてきた。吉祥天を拝みつつ、自分なりにこの40年を振り返ってみた。

この数年、やはり少し体の衰えを感じることが多くなった。しかし、まだまだ体力気力は充実しているつもりだ。やりたい事もたくさんある。世界には訪れたい場所がたくさんある。これから人生の後半期を大いに動きたい!と思っている。そこで、おそらくは私の祖母が、「ここで少し子供の頃を思い出し、新鮮な気持ちで人生の後半を楽しむように」と諭してくれた気がする。薬師寺に導いてくれたのは、薬師如来に手を合わせて健康を大事にしなさいよというメッセージだと考えると一番納得がいった。

ちなみに祖母は、私が祖母の家を離れるとき、いつも大和八木駅のプラットフォームまで登って見送ってくれた。今も八木駅に行くと祖母を感じることがある。亡くなってから20年近く経っているのだけど。

生まれてから今に至るまで、いろんな人に囲まれて成長してきた。毎日を生きていると、自分のことばかり、将来のことばかり考えるが、たまにはこれまで歩んできた道を振り返り、そこにいた人々を思い出すように、と言われている気もした。

薬師寺では、幸運にも加藤朝胤管主の法話を拝聴できた。話を伺う中で、自分のことばかりではなく、同時代に生きる人たちにも思いを馳せなさいというメッセージを受け止めた。震災の被災地石川県の餅米を使ったお餅の話をされたからだ。

去年、日本は地震で始まり、飛行機の事故など天災人災が続いた。そして世界を見ると、戦争が続いている。ぜひ今年は穏やかな世界になってほしいと思った。

被災地能登半島で作られたモチ米でできた「薬師餅」。お寺に奉納するための作物をつくる田んぼを「仏供田」と呼ぶことをこのパッケージで初めて知った。


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