中退、留学、中退、学部変更。やっと見つけた“ありのままの自分”でいられる場所
音楽が好きだから、芸術大学へ。半年で退学して、外国語学部へ。留学先で自分の可能性を感じ、再び大学をやめてアメリカへ。しかし、やはり心から楽しむことができません。4つ目の大学で、学部変更。やっと、本当にやりたいことを見つけました。右へ左へと進んだ先に待っていたのは、ありのままの自分で働ける会社との出会いです。
自分のために用意されている、自分だけの席。そこに座るための方法は、本当に興味を持てるものを選ぶことです。まっすぐに進まなくていい。寄り道してもいい。自分の道をジグザグと走りましょう。
芸術大学をやめて外国語学部へ
私はクロスメディアグループの広報として、採用業務も担当しています。就活生や第二新卒の人には、仕事を選ぶ上で、次の3つを重視してほしいと思います。
その会社に対して、現時点で本当に興味を持てること。その会社のビジョンに共感して、将来にワクワクできること。そして、ありのままの自分を受け入れてもらえること。
偉そうなことは言えないし、私の考え方は少し変わっていて、誰にでも当てはまることではないかもしれませんが、これまでの経験からできるアドバイスです。
小学生の頃、私はおとなしい性格で、物語の世界に入り込んで遊んでいました。読むだけではなく書くことも大好きで、休憩時間にはいつも小説を書いているような子ども。勉強もスポーツも楽しく、中学校は勉強と部活動ばかりの3年間でした。
高校に入学してから半年後、文系と理系のどちらに進むかを選ばなければいけませんでした。でも、高校1年生で何をしたいのかなんてわかりません。理系からの文転はできるけれど、その逆は難しいと聞いて、「やりたいことがわからないなら、将来の選択肢を狭めないでおこう」と理系を選びました。
そんな動機なので、モチベーションが持てません。理系の教科では点数が取れず、勉強が楽しくなくなってしまいました。大学受験では文系科目だけ勉強して、大阪芸術大学の音学専門学科に進学しました。
将来、音楽関係の仕事に就きたいと思っていたわけではありません。小学校1年生からピアノを習っていて、音楽は大好き。だからなんとなく、です。大学は毎日楽しかったけれど、入学から半年が経つ頃には「楽しいだけでいいのかな」「何かに向かって全力で頑張りたい」と考えるようになりました。
「本当に自分の興味が持てるものは何だろう」と考えて浮かんできたのは、英語です。大学のレッスンで洋楽を歌うようになってから、英語にのめり込んでいきました。英語ができれば将来の可能性が広がるし、自分の好きな文学や音楽にも生かすことができます。それに、英語の発音や話し方が好きなんです。歌っているようなリズムで、表情やジェスチャーも豊か。話しているだけなのに、パフォーマンスをしているような感覚です。
大学を退学して半年間、自宅にこもって朝から晩まで勉強し、なんとか関西大学の外国語学部に合格しました。
4つ目の大学で「本当にやりたいこと」に出会う
外国語学部では、2年生での留学が必須でした。若いうちに本場アメリカの英語に触れておきたいと考え、ユタ大学の語学学校を留学先に選びました。ユタ州は都市部ですが緑も多く、土地も広大で空も広い。開放的で穏やかな場所です。
語学学校には、韓国やインド、メキシコなどいろいろな国から留学生が集まっていました。みんな「自分はこのために勉強しているんだ!」という強い意志と目標を持っていて、英語のレベルも私とは雲泥の差です。これが世界に出るということなのかと、打ちのめされました。
でも、劣等感を味わっている暇はありません。決められた単位を早く取得できれば、残りの期間は語学学校ではなく本校で授業を受けることができます。絶対にそこに行きたくて必死に勉強して、なんとか目標を達成しました。
8カ月間過ごす中で、勉強は大変だったけれど、アメリカという土地に大きな魅力を感じていました。自然と「この場所でもっと頑張りたい!」と考えるようになり、帰国する前には関西大学を退学してアメリカの大学に進もうと決めていました。
ここでの目標は、現地の学生と同じように進学することです。もう一度研修生として語学学校に入り、卒業してから正規の大学に進む方法もありますが、それではお金も時間も余計にかかってしまいます。
正規の学生として進学するために、多くの大学ではTOEFLの点数が基準になっています。「早く現地の学生と対等の立場で学びたい!」と独学して、無事クリアしました。
進学先は、ウィスコンシン州立大学のパブリックヘルス(Public Health)学科です。ユタで初めて親元を離れて生活する中で、健康を意識するようになりました。でも、ストイックに食事管理をしたことで、逆に体調を崩したことがありました。健康とは何なのかを本格的に学びたいと考えたんです。
ところが、実際に授業を受け始めると、心の底から楽しむことができません。将来、自分がこの分野で誰かの役に立っている姿をイメージできない。その役割が自分である必要性を感じられませんでした。学んでいくことで将来の姿が見えてくるとわかっていても、いまの自分がどう感じるかでしか考えられないんです。
ちょうどその頃、情報発信にも興味を持っていて、将来はYouTubeなどでマインドフルネスや健康関連について発信したいと思っていました。そこで、コミュニケーション学部のメディア学科に学部変更しました。
それまでの私の人生は「本当に興味を持てるもの」を探す道のりでした。音楽が好きだからと芸術大学に入ったけれど、目的を持てずに退学。英語を学ぶために次の大学に入って、そこもやめてアメリカへ。一大決心で選んだ道のはずなのに、納得できなくてさらに学部変更。「こんなに進路を変えていいんだろうか」「結局何をやっても熱中できないのかもしれない」と悩んだこともありましたが、ここでやっと、自分が本当にやりたいことにたどり着いたという感覚がありました。
学校の新聞に掲載するインタビュー記事を書いたり、音声編集をしたり。メディアの歴史やジャーナリズムについて学ぶのも楽しかった。メディアという領域で仕事をしている自分、誰かに喜んでもらえる自分をイメージできたんです。
自分が心の底から納得できるもの、熱中できるものが必ずある。そう心のどこかで信じてきたからこそ、やりたいことに出会えたのだと思います。
自分の進む道に用意されていた自分の席
日本ではずっと自分に合う居場所が見つからないような感覚でしたが、アメリカの広大な大地で学ぶ中で、「こんな自分でもいいんだ!」と、初めて自分の存在を認めてもらえたように感じていました。
だからこそ、アメリカで働き、恩返しをしたい。大学卒業後に就職しようかと思いましたが、もっと力を付けるためにロサンゼルスの大学院に進学してジャーナリズムを学ぼうと決めました。大学で学んだことはたくさんあるけれど、書いているときが一番楽しかった。文章で表現するということを、もっと深めたいと思ったんです。
でも、そこで新型コロナの流行が始まります。2020年の5月に卒業する予定でしたが、3月に帰国。最後の2カ月は、自宅からのオンライン授業です。アメリカとは時差があるし、先生に何かを聞きたくてもすぐに聞けません。大学院での授業もすべてオンラインになると連絡があり、入学を1年遅らせることにしました。
早く社会で役に立ちたい、そのために早く大学院に進みたいと待ちきれない気分でしたが、思いがけず空白期間ができたことで、一度自分を社会に出してみてもいいかもしれないなと思うようになりました。就職活動をしてみて、自分の課題を探す。その中でもし自分に合う会社に出会えたら、就職も考えてもいい。
まず応募の基準にしたのは、英語を生かせる仕事です。海外に支店がある企業に絞って応募するなかで、いくつか、ビジョンや先輩社員の人柄に共感できる会社に出会いました。でも、扱っている商材や業務になかなか興味を持てません。
そうこうしている間に、英語を軸に考えるのは違うのかもしれないと考えるようになりました。規模は小さくても、企画や制作に携われる仕事がいい。すでに完成した環境ではなくて、自分も会社をつくっていく一員として関わりたい。ベンチャー企業を100社ほど応募したところで出会ったのが、クロスメディアです。最終面接を受けたいと思ったのは、ここだけでした。
出版社の枠を超え、さまざまなメディアを通して価値あるコンテンツを発信するという姿勢に強く惹かれました。ビジネスや健康系の書籍を扱う出版事業、マーケティング、デザイン、フィットネスジムなど、私の興味があるもので溢れています。いろいろな事業をしているなかで、将来どんな会社になるのかを予測できないところも魅力的でした。
これだけ自分の興味がつまった会社だったら、きっとカルチャーや価値観も合うはず。面接を担当してくださった先方々とも波長が合う印象で、「ここでなら、ありのままの自分でいられる!」と直感しました。
いろいろな会社の中からクロスメディアに決めたというより、私の進む道にあらかじめ私の席が用意されて、私も自分の席があることを知ってここに来た。そんな不思議な感覚でした。
私は会社に貢献できているのか
就職面接では、大学で学んできた文章力や分析力をアピールして、海外出版にも興味があると伝えました。それで内定をもらえたので、てっきり編集者として働くのだと思っていたら、条件面談では「広報担当として働いてみないか」と言われました。
広報部のようなチームがあるわけではなく、上司は社長です。広報を専門としている先輩もいなくて、明確に決められた仕事はありませんでした。でも、やることがなくて困るような時間は1分もありません。入社して初めての週末もカフェにこもって、どんな発信ができるのかを書き出していました。
社内のカルチャーにもすぐ馴染み、とても居心地が良く感じました。特に編集部の雰囲気が好きで、黙々と本を作っている姿を眩しい気持ちで見ていました。「本ができていく空間に自分がいる!」というだけで、胸がいっぱい。東京という憧れの街で好きなものに囲まれて生活していることが楽しくて、毎日かけずり回っていました。
新卒社員の疑問を社長にぶつける、「教えて社長」というコンテンツ。社員に仕事に関するちょっと恥ずかしいことを答えてもらう「恥じめまして。」というブログ連載。試行錯誤しながら、いろいろな企画を考えました。
でも、今思えば自分の主観で考えたものばかり。だんだんと「自分が楽しいだけで、会社のためになっていないのではないか」と不安を感じるようになりました。広報の仕事は収益に直接は結びつかないので、数字としての基準もありません。
周囲の人たちに批判されることもあり、自分が恥ずかしくなって、自分の意見や考えを隠してしまう時期もありました。社長に、「私は広報失格です」「何もできていません」と泣きながら話したこともあります。「どんなことでも1年や2年で成果なんて出ない」と言ってもらえるし、頭ではわかっているけれど、自分の存在意義を見出せない。「仕事量で貢献するしかない」と自分を追い込み、週末に仕事をしない自分、早い時間にベッドに入る自分を責め続けていました。
周囲からも、精神的に参っているように見られていたのだと思います。入社から1年くらい経ったとき、会社から「1カ月休みなさい」と言われました。
実家に戻ると、母は「辞めてもいいんだよ」と。友人や同僚からも「がんばらなくていい」「無理しないで」と言ってもらい、そうした言葉をありがたく受け取ってはいましたが、癒されることはありませんでした。光は見えずに、ただ我慢するだけ。
でも、しばらくすると「こんなことでは私は辞めないな」と、自分の中から力が湧いてくるのを感じました。自分で「ここしかない」と決意して進んだ道を、途中で諦めるわけにはいきません。結局、1週間で東京に戻りました。
そこからも、仕事を楽しく感じたり、不安になったりの繰り返しです。私はネガティブなときほど、行動量でカバーしようとする癖があります。睡眠不足で自転車に乗っていたら転んでしまい、救急車で運ばれたこともあります。
光が見えてきたのは、3年目に入ってからです。手当たり次第にいろいろなことをやる中で、仕事の種類としてはやり切った。そろそろ自分に合うことに注力したほうがいいのではないかと考えて、これまでにつくってきたコンテンツを集約する『クロスメディアン』というオウンドメディアを立ち上げました。本当に幸いなことに、採用応募者数が増えたり、メディアを通して新しいお仕事が始まったり。目に見える成果が出始めたことで、やっと自分のやっていることの価値が認識できるようになりました。
自分の力を発揮できる環境の条件
私の選んできた道は、ほかの人にはジグザグに見えるかもしれません。最初からアメリカへ行こうと思っていたわけではないし、メディアを学ぼうと思っていたわけでもない。そのときの自分が興味のある方向を選んできただけです。
本当に興味があるものは、自分では言語化できないような奥深い場所にあります。いまの自分に素直でいることでしか、探すことはできません。その積み重ねを、結果的に「将来」と呼ぶのだと思います。
「将来のために好きではないこともやろう」といった価値観もありますが、私には無理です。その時点で興味を持ち、情熱を注げる方向にしか進むことができません。いま「何か違うな」と感じるものが、後々よくなっていくことはあまりないと思います。逆に、小さな違和感が大きくなっていくことはよくあります。これは、誰もが感じたことのある変化ではないでしょうか。就活の時期だからと焦らず、感覚を鈍らせないことが大事です。
仕事を選ぶ上は、会社が大事にすることへの共感がとても大事だと思います。クロスメディアの場合は、「あらゆるメディアを通じて人と企業の成長に寄与する事業を行い社会に新しい価値を提供する」というビジョンです。会社の目指す方向性の中に自分を置くことができれば、迷ったり、躓いたりしたときの力になります。
私の場合、すでに完成している会社には興味を持てませんでした。目の前のお客様や仲間たちの役に立つのも素晴らしいことですが、もっと多くの人を喜ばせたい。仲間と共に未来を創っていくことができれば、大きなやりがいを感じられると思います。
そして、人が自分の力を最大限発揮できるのは、自分をごまかさずにいられるときです。「ありのまま」は人によっていろいろな種類があるけれど、私の場合は自分が心から楽しめることです。リズミカルに思考して、行動することで身体が少し温かくなる。そんなときににひらめきが生まれたり、周囲の人にポジティブな反応をもらえたりします。
以前の私は、すべてのアドバイスを聞こうとしたし、頼まれる仕事はすべて引き受けようとしていました。でも、本当に会社に貢献したいのであれば、それではいけないと気づきました。自分の得意分野で最高を目指す必要があります。総合的にみればいろいろと足りない部分はあるけれど、任された場所で最大限の力を出すから、ほかの部分は許してほしいなと思います。
クロスメディアは個性の強い人が集まっているけれど、バラバラではありません。たくさんの色のビー玉が、ガラスの水槽に入っているような。近くで見るといろいろな色があって面白いし、遠くから見てもカラフルです。
編集者、デザイナー、営業、マーケター、インストラクターなど、色んなプロフェッショナルがいることも毎日が生き生きしている理由かもしれません。他業種からクロスメディアの一員になる人も多く、最近では前職のスキルを活かして未経験で編集に挑戦する人も。海外の大学を出ている人も多いし、海外出身の人もいる。本当に色んな価値観の人がいる会社です。
私は企業カルチャーを気温に例えることがあります。暑い地域が得意な人は、寒い中で自分の力を発揮できません。クロスメディアの人たちは、クロスメディアという土地だからこそ、心地よく仕事ができるのだと思います。それがクロスメディアの魅力で、価値を生み出す源泉にもなっています。
だから私は、その人らしさを伝えていきます。『クロスメディアン』では、「コトバをつくる人たち」として社員のみなさんを紹介しています。次のステップは、個性溢れる人たちが生み出した個性あるものの魅力を伝えることです。「人」を伝えるだけではなく、その人を取り巻くものを表現することによって、奥行きが生まれる。そうして、その人自身がより立体的に見えてくるはずです。
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