初秋の白磁
詩人 石田瑞穂
夏が銷りかけ、秋の気配を感じるようになると、デルフトのやわらかな白が恋しくなる。
写真のオランダ渡り、古デルフトタイルは二十年ほどまえに入手した。東京西荻窪にあった骨董の名店〈砧〉で求めた品だ。西萩は〈魯山〉をはじめ、いわゆる新感覚派のメッカだったが、主の増田義文さんの眼は、その潮流と一線を画しつつ清新だった。より深く新たに柳宗悦に帰依しようとしている、そんな印象を若い初法師はいだいていた。
フェルメールらオランダ中世絵画にも登場するデルフト焼だが、初源は16世紀に遡る。日本の伊万里、有田、中国明朝の染付を模倣した白地に青の絵付が基本だが、こちらは錫釉薬で彩色する。伊万里は淡い発色に落ち着くことがおおいが、デルフトの青はくきやかなコバルト。ブルー&ホワイトのコントラストも鮮明である。何事も茫洋としているのが東洋で、截然としているのが西洋ともいえようか。
デルフト陶芸には食器、茶器、壺瓶、人形など多種多様な焼物があるが、タイルは特徴的なオランダ伝統工芸だろう。イスラム文化の影響もあり、もともとのデルフトタイルは教会や礼拝堂、王侯貴族の館を貼飾するものだった。しかし、17世紀になると、大航海時代に富を得た裕福な商人市民層が登場し生活の場をタイルで彩るようになる。タイルの画題も堅苦しい聖書や家紋から、生活に密着した素朴な人物、田園風景、動物などのスケッチへと変遷していった。
ぼくのもつデルフトタイル「なわとび」も17世紀ごろの品らしく、画題は「子どもの遊び」に分類されるだろう。デルフトタイルでも人気のテーマで、ほかにもおんぶ競争、凧あげ、鬼ごっこ、剣玉などがある。にしても、なぜ、子どもたちの遊ぶ容が人気の画題になったのだろう。エドウィン・ファン・ドレヘトの研学の書『オランダ陶器』によれば、それはおなじく唐子の遊び容を得意とした明染付が、デルフト陶工たちに及ぼした影響だという。
デルフト初期の竹筆による画技は拙く素朴だ。瞳は点ポツだし巻き髪もただくるくるとイタズラ書きのように簡略されている。でも、観る者をふっと微笑ませるあたたかみがある。ひろびろした余白がおおらかで好もしい。その白の空気感が、宙で湾る縄の浮揚をいきいきと支えている。なにより、背景の白の釉調が抜群である。デルフト焼のやわらかく透明な乳白が、所々、うっすら透けるように薔薇色に窯変してい、子どもたちは秋の薄暮にいるよう。デルフト焼は伊万里や有田のような磁器ではなく、しろっぽい泥灰土による軟陶で、その素地があたたかなデルフトホワイトを実現している。ブルーの線と陰影もほどよく中和され、最盛期の絵付のようにどぎつくない。いにしえのワッデン海の藍だ。
この絵と陶板全体の雰囲気から、ぼくはいいようのないさみしさを感じる。東洋的な寂寥を。このタイルの醸す透明な白光と切ないさみしさが、古きヨーロッパの秋を、現代の日本へおくりとどけてくれる。
今年の立秋は気温35度、暑いにもほどがある。それでも。いつもは古硝子盃にワインだが、本日は、阿蘭陀渡盃(デルフト、17世紀頃)にきりりと冷えた新酒を注ぐ。そして、自家製の鴨ハムをデルフトタイルにのせ奉じる。秋の味覚、鴨ハムは、埼玉県幸手市産の和鴨ロース肉をとりよせ、桜チップで燻製にし、醤油、酒、味醂の漬け汁に三日ほど寝かせて手造りする。幸手の鴨肉は驚くほどやわらかく、ジューシーなのでやや厚切りにして食すと美味い。
こうして、古の秋をまねくのである。
〈CROSSING LINES連載エッセイ 「眼のとまり木」 第17回〉
執筆者プロフィール
石田 瑞穂(いしだ みずほ)
詩人。最新長篇詩集に『流雪孤詩』。
国際ポエトリィ/ポイエーシスサイト「crossing lines」プランナー。
https://crossinglines.xyz
公式ホームページ「Mizuho a Poet」
http://mizuhoishida.com