桃山の落葉
詩人 石田 瑞穂
晩秋から冬にかけて、桃山の〔古志野紅葉形向付〕をよくつかう。
先の持ち主は美濃古陶に魅入られた数奇者だが、珍品、だろう。ぼく自身は織部や志野といった装飾過多で主張のつよい和物茶陶に苦手感があり、酒肴を盛るうつわもすっきりとした古染付、李朝や中国の青白磁がほとんどだ。それでも、この木の葉皿を用いるのは、一葉のもみじが迎えたあるがままの枯淡を、自然のままに顕しめた、美濃陶工の素直な心と手に魅せられたから、ではないか。
まさしく、透心冬。
よって、このうつわに載せる肴も、手炙りの銀杏や皮目をじっくりと焼いた鱈の味噌漬、寒に翠したたる冬菜の漬物など、なにも手を加えない食物そのものの容と味をしたものであることがおおい。こう書くとわかるように、食物が主役となり、古志野の向付はその引立て役としてある。北大路魯山人がいうように、うつわは料理の着物なのである。
おおどかな左右非対称に型押造形されてい、底部に三点の半環足がつけられている。見込に筆で抽象的、というより磊落に鉄絵の葉脈が描かれ、いい味わいをだしている。その絵付もあることから、もとは白釉をねらったのだろう。しかし焼成の段階で長石単味の釉が窯変してしまった。鼠志野風になってしまったのは偶然だが、功を奏し、瑪瑙の流れのような美しい釉調へと変容している。
窯のなかであたる炎がつよすぎたやもしれぬ。七芒の隅角はかりかりに焼け、石爆ぜもおこし、志野焼に特有のそほ紅が葉先に浅く留まったものの、枯葉色の寂びた景色になった。あらゆる偶然が重奏して、朽葉の本然をこのうえなく宿した志野器が生まれた。
この向付が最初の意図を踏みはずして生まれた、という感想がぼくにはある。お気づきのように、北大路魯山人もインスパイアされた古染付木葉皿の造りを想わせよう。日本の茶人たちが景徳鎮に染付器を発注した際、見本として商船に積ませようとした品が、粗相の美として落葉し、毀すのも置き棄てるのも惜しくて完器のままいまに伝えられた。そんなロマンを抱いてみたくなる。もちろん、その逆であってもいい。
千利休の後、天下の茶頭となった𠮷田織部の好みを反映して、さらに数奇風流の道を推しすすめた志野焼、織部焼の古美濃窯。
畿内を中心に遠近を風靡した「佗び茶」は、利休の幽玄と孤心を映し、織部にとってあまりに高踏だったのかもしれない。それは万葉歌に於ける藤原定家や俳句に於ける松尾芭蕉の如しで、創始者の孤心は織部の胸裡でうたげの心の種となり、桃山茶陶の新風を華咲かせたのだろう。
ぼくが手わたされものは、孤心とうたげ、その双方を宿して舞い降りた、桃山の落葉、なのではないか。
写真 鈴村 奈和
〈CROSSING LINES連載エッセイ 「眼のとまり木」 第19回〉
執筆者プロフィール
石田 瑞穂(いしだ みずほ)
詩人。最新長篇詩集に『流雪孤詩』。
国際ポエトリィ/ポイエーシスサイト「crossing lines」プランナー。
https://crossinglines.xyz
公式ホームページ「Mizuho a Poet」
http://mizuhoishida.com