乃木坂46・大園桃子と鹿児島弁
更新が滞っている「乃木オタ回顧録〜デビュー10周年を迎えるにあたって」だが、急遽昨日の「乃木坂46真夏の全国ツアー福岡公演Day2大園桃子卒業セレモニー」を受けて大園桃子について思っていた事を綴ってみた。先に言っておくが自分は言語学者でも何でもないので学術的に正しいかどうかはわからない。自分の経験と知識の範囲内で語っているのであしからず。
乃木坂46真夏の全国ツアー福岡公演で3期生大園桃子の卒業セレモニーが行われた。彼女は鹿児島県曽於市出身で約5年間乃木坂46に在籍した。自分も鹿児島県、しかも大園桃子と同じ大隅半島出身なので彼女が乃木坂46のメンバーに選ばれた時は甚だ驚いたものだ。あんな田舎から乃木坂⁉︎と。
大園桃子の特徴としてなかなか抜けない鹿児島弁がある。彼女はもともと乃木坂46の事もよく知らず高校の先輩に勧められるがままにオーディションに応募、あれよあれよと勝ち残り暫定センターまで任されることになる。
「鹿児島県から来ました、大園桃子です。」
最初の自己紹介で彼女は鹿児島弁そのままに喋っていた。字面だと全く標準語(東京弁)と同じだがイントネーションが全く違う。
鹿児島弁のイントネーションは標準語の逆のパターンが多い。例えば手に持つ「箸」と渡る「橋」、標準語は前者は「ハ」に後者は「シ」にアクセント(と言うか一番高い音)があるが鹿児島弁ではこれは全く逆になる。
はたまた単語自体と文章として組み合わさった時ではアクセントの位置も異なってくるので複雑だ。
のぎざか 標準語
→↑↓↓
のぎざか 鹿児島弁
→→→↑
鹿児島弁のイントネーションの特徴としては語尾が上がりがちと言うのがあるだろう。
大園桃子が5年前のお見立て会でコールアンドレスポンスした
「皆んながなりたいのは〜?」
「こーむいーん!」
は鹿児島県の公務員専門学校のCMらしいのだが「こうむいん」の「いん」にアクセントがあり「う」で上がり「いん」で下がる標準語とはイントネーションが異なる。
どこの地方もそうだろうが自分が若い頃から本当の鹿児島弁を喋る若者は少なくなって口語は字面的にはほぼ標準語と同じと考えて良いだろう。親世代はそれを揶揄して「からいも標準語」とよく言っていた。(からいもはさつま芋の事)
己が喋る言葉とはアイデンティティを構成する一部であり生活していく上で大きな部分を占めるツールだと思う。
彼女はそれまで鹿児島弁だけの世界で生きてきていきなり17歳の夏に違う言語形態の世界に連れて行かれた。大袈裟に言えば。
もちろん鹿児島にだってテレビもラジオもインターネットもあるので標準語に触れる機会は多いのだが生活となるとそれは関係ない。まさに標準語はテレビの中の世界だけのものなのだ。
特に大園桃子はアイドルも乃木坂も知らなかったし東京への憧れなんて無かったかも知れない。
そんな彼女が突然ほぼ標準語しか話さない大人やメンバーの中に入れられて生活し続けると言うのは酷な話ではないだろうか。もちろん標準語が理解できないわけではないだろうが基本的に鹿児島弁でしか喋ることができない自分の言葉がどこまで理解されてるのか通じているのか不安になったのではないかと想像する。
しかし時の流れとともに彼女の鹿児島弁も変化してくる。標準語に引っ張られて中途半端などちらとも言えない訛りが残ったイントネーションだ。芸能活動をする上でやはり標準語を話せる話せないと言うのはその活動の幅を左右する。バラエティでは方言が出た方がかわいいし笑いも誘うかも知れないがドラマや映画はそうは行かない。そう言う観点からも彼女が芸能界に残る確率は低いだろうなとは思っていた。
芸能界には鹿児島県出身で活躍している女優、アイドルも少なくない。上白石萌音、上白石萌歌、柏木由紀、宮脇咲良など…
彼女たちが世に出た時鹿児島弁で喋っていた記憶はない。つまり彼女たちは鹿児島弁と標準語の切り替えスイッチを持っているという事だと思う。自分も進学で上京したのだがそれまでテレビっ子だったしアニメオタクだったので標準語でのセリフっぽい言語は体に染み付いていた。しかし田舎では実践する場が殆ど無い。上京して初めて標準語(東京弁)を話す喜びと緊張を大学の入学式前夜に感じたものだ。
方言と標準語の切り替えスイッチは作ろうと思わないと作れない。大園桃子にはこのスイッチはおそらくないだろう。少々標準語に引っ張られてイントネーションが中途半端になろうがおおもとは変わらないし、鹿児島に帰ればちゃんと鹿児島弁で喋れると思う。ちなみに櫻坂46の大園玲も鹿児島出身だが彼女はおそらくこのスイッチを持っているだろう。
己が喋る言葉はアイデンティティの一部と先述したが大園桃子にとってこれは大きく占める部分だと思う。自分は言葉によってアイデンティティの表出がなされその人物の人となりが伝わると思っている。彼女はその表出の仕方を変えなかった。変えることが出来なかった。かつてドキュメンタリー映画の中で「素の自分でぶつかってダメで…」と言うような事を話していた大園桃子。標準語と言う武装を多少なりともしていれば傷つく事ももう少し少なかったかもしれない。
3期生が活動し始めて間もない頃何度か握手会で大園桃子と鹿児島弁で話したことがある。懐かしんでくれるかなと思って。しかし標準語に慣れる邪魔をしてはいけないのではないかと思い行くのをやめた。(今考えると1オタクの言動がそんなに大きく影響はしないのにね)しかし彼女の鹿児島弁は5年間消える事なく大きく残っている。
それは標準語を勉強していないからいけないとかそう言うことではなく本人も抗えないアイデンティティや生活の一部だから変わらないのだ。そういう意味でも大園桃子はかなり純粋なアイドルだと言えよう。
そんな大園桃子が乃木坂46を去る。
よく5年間頑張っていてくれたねと皆声をかける。もし乃木坂46でなかったらこんなに続かなかったのだろう。おそらく同期の人一倍辛く悲しく感じる事も多かっただろうが先輩メンバーや同期、スタッフが優しく暖かくサポートしてくれたお陰で居心地も良くなっていったのだと思う。自分はアイドル向いていないと言う意思と周りの人達の優しさにおそらく引き裂かれそうになっていたのではないかと想像できる。そして引退の決断。
「シンクロニシティ」でレコード大賞を取った喜びをメンバーが分かち合っていた時に彼女から出た言葉
「乃木坂も悪くないね」
は芽生え出した乃木坂46への愛着と抗えない自分の想いとの狭間で生まれた言葉ではないだろうか。