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秋山眞人さんの本の紹介

約3年前のYouTubeにオカルト研究家の山口敏太郎と、
日本の超能力者の草分け、秋山眞人が、
対談している動画が上がっているのだが、
その動画のテーマが
「日本人の霊性を取り戻そう」
というようなものなのだ。

秋山眞人というのは、
1970年代の超能力ブームの時から
日本の超常現象界のトップにいる人で、
100冊を超える著作もある。

その秋山眞人がその年に、
「日本のオカルト150年史」という
本を出したそうで、それは、
明治以降の日本のオカルト界の歴史が、
網羅されている本らしい。

まず幕末に霊術家というのが、
日本にたくさん現れたのだが、
その頃は伊勢神宮の周辺などに
呪術によって生計を立てていたような人が、
たくさんおり、その人たちが、
国家神道によって法的に規制されはじめたのと、
同時に西洋から、近代合理主義の思想が流入し、
東洋的な、あるものをそのままで、
広く受け入れるというような考えが、
否定され始め、その後、
原発を作って、ダムを作ってというような、
近代合理主義に基づく、
国家改造が進められていくのだが、
新しもの好きの日本人は
その風潮を受け入れていった。

西洋には西洋的な
魔女などのオカルティズムがあったが、
それらの根底にはキリスト教的価値観があった。

日本において、西洋的な合理主義と
日本的な価値観の折衷として
最初に受け入れられたオカルトは催眠術であった。

催眠術という技術として、
オカルト的なものを把握するのは
いかにも西洋的合理性のあるものなのだが、
そのあたりから霊術という概念も生じた。

日本古来の「呪術」とか
「鬼気迫る」という概念とか、
「山には神様がいる」というような、
漠然とした自然信仰とかは、
そのようなものとは別だと考えられた。

例えば「リング」の元ネタとして有名な、
東京帝国大学の福来友吉教授の研究などは、
それを学問として理論化しようとしたのだが、
同じ東京帝国大学出身の浅野和三郎は、
三男の病気を行者に治してもらったのがきっかけで、
大本教に入信し、大本が国家から弾圧された後、
心霊科学研究会を創設した。

結局、個人の神秘体験をベースにした、
不可知な領域に属するものより、
催眠術、霊術のように、
体系化されたものの方が
一般的に受け入れられやすかったので、
昭和初頭にかけて催眠術は、
爆発的に広まっていった。

そのため、現代にもあるように、
インチキ霊能者とか、
わけわからんお布施の要求とかが起き、
超能力、千里眼、催眠術などは、
警察官立ち会いのもとで、
行わなければならないという条例ができたそうだ。

そのように規制すれば催眠術などは、
収束していくと思ったのかもしれないが、
かえって警察署長が入信してしまうとか、
警察署で講習会をやるとかいう事態にもなり、
それが結局、警察や軍隊を統率することにもつながっていった。

その結果軍部とつながりを持った霊術家は
生き延びたが、それ以外は、
海外に進出していくしかなかった。

その中のひとつが臼井甕男の臼井霊気療法で、
今では「レイキ」として世界的に広まっている。
レイキには厳密な徒弟制度などはなく、
今で言う「自己啓発セミナー」のような、
「3段階の過程を踏めば自由に開業できる」
というようなシステムで広がっていったものらしい。

もうひとつの流れで、
大正デモクラシーの自由民権運動関連の人が
霊術家になっていった、という例も多いらしい。
学生運動をやっていた人たちが、
古本屋になっていったようなものなのだろうか。

というわけで福来友吉の事件までは、
東大では霊術家は
下に見られるどころか、
むしろ尊敬されていたようなのである。

ところが福来友吉は助教授であったのに、
メディアであまりにも注目されて、
東大総長などと対立関係になってしまい、
意図的に潰されたようなのである。


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