「シベールの日曜日」の思い出
「シベールの日曜日」という映画
この映画はちょっと思い出のある映画なんです。
1980年代、19歳か20歳くらいの時に、
福岡の中洲の大洋という映画館で見たのですが、
それはヌーベルバーグ特集で、
確かフランソワ・トリュフォーの「突然炎のごとく」との
2本立てだったと思います。
その時、この映画にすごく感動して、後日友達に、
どういう映画かストーリーを話そうとしたのですが、
最後の落ちのところがどうしても話せませんでした。
なぜ話せなかったかというと、
泣きそうになってしまったからで、
友達の前で泣いてしまうのが恥ずかしかったのと、
無理して話そうとしても、
嗚咽して話すことはできなそうだったから、
途中で話すのをやめたんです。
その後も、何回か人に話そうと試みたのですが、
どうしても最後の部分で泣きそうになってしまい、
話すことはできませんでした。
以後、この映画について人に話すのはやめました。
そして、この映画をあまり反芻できないまま時は流れ、
なんでこの映画にそんなに感動したんだったかも
あやふやになってきて、はたして、
本当にそこまで感動的な映画だったのか、
それさえもだんだんあいまいになっていきました。
確か映画の前半は退屈で、
途中で少し居眠りをしたりもしたはずでした。
その後、この映画はレンタルビデオにもなっていたのですが、
もう一度見て、あまりたいしたことない映画だったら、
感動の記憶の価値が薄れるので、借りて見ることもないまま、
二十数年が経ってしまいました。
そうこうしているうちに、
いつのまにかレンタルビデオは店頭から姿を消し、
この「シベールの日曜日」は、
DVD化されることもありませんでした。
このまま、思い出の中だけに存在する映画に
なってしまうのだろうかと思っていたのですが、
ついに、2000年頃にセルDVDとして、
日本初DVD化されたため、
この機会を逃したら、また、
二十数年再会できないかもしれないと思い、買いました。
そして、もう一度見てみました。
記憶の通り、地味で退屈で、
主人公の日常が淡々と描写されるだけの映画だったのですが、
ラストではやはり感動しました。
僕が人に話すことができなかった、
この映画のストーリーとはこのようなものです。
主人公ピエールは、
インドシナ戦争で戦闘機のパイロットをしている時、
逃げまどう現地の女の子を見て、
操縦を誤り、墜落してしまいます。
その事故でピエールは記憶喪失になり、
運びこまれた病院でピエールを担当した、
看護婦のマドレーヌと一緒に暮らすようになります。
マドレーヌが病院に勤めに出ている間、
ピエールは記憶を取り戻そうとして街をさまよい、
時々友人であるアーティストのカルロスを訪ねたりして、
夜は駅でマドレーヌの帰りを待っています。
ある夜、その駅に少女と父親が降り立ちます。
少女の母親は家出して行方不明で、
父親はその街にある全寮制の修道院に
少女を預けてそのまま恋人と旅立とうとしていました。
それを察知した少女は、
「置いていかないで」と泣きますが、
父親は少女の手を引いて修道院に連れて行こうとします。
それを見たピエールは、二人の後をつけます。
結局少女は修道院に預けられ、
父親は「日曜には会いにくるから」と少女に言って、街を去ります。
しかし、父親が修道院の門の前に置いて行ったカバンの中には、
もう二度と会いに来ることはないという手紙が入っており、
ピエールはそれを読んでしまいます。
日曜日、ピエールは
父親がもう会いに来ないということを伝えるために
修道院を訪れますが、少女から
「これからはあなたが父親として会いに来て」と
涙ながらにたのまれます。
マドレーヌは、日曜日も病院で勤務だったため、
少女とピエールは、親子のような、恋人のような、
友人のような、不思議な関係のまま、
一緒に休日を過ごすようになります。
少女は宗教上の理由から、
修道院ではフランソワーズと呼ばれており、
ピエールは本名を教えてくれと言いますが、
少女は「クリスマスに教会の風見鶏を
取ってきてくれたら教えてあげる」と言います。
ある日曜日、病院の同僚の結婚式があったため、
マドレーヌは休みをとり、
ピエールに一緒に結婚式に出席しようと言います。
少女と会っていることを言い出せないピエールは、
無言で家を出て、
少女に今日は会えないということを伝えに行こうとしますが、
途中でマドレーヌを迎えに来た同僚たちに会い、
強引に車に乗せられて連れ戻されます。
二次会のパーティーでも
少女が気になって落ち着かないピエール。
その後訪れた遊園地で、占い師に声をかけられ、
占ってもらうことになったピエールは、占い師が持っていた
「木の精霊の声を聞くことができるナイフ」を
少女にプレゼントするためにこっそり懐にしのばせます。
その後、同じ遊園地で
修道女に引率されて来ていた少女を見かけたピエールは、
取り乱して乱闘事件を起こしてしまいます。
このことでマドレーヌの同僚たちは
ピエールを危険人物と思うようになります。
次の日、ピエールを少女の本当の父親だと思っている修道女が、
少女が体調を悪くして寝込んでいることをピエールに伝えに来ます。
ピエールが修道院を訪れると、
少女は医務室で泣きながら寝ており、
ピエールは「クリスマスは必ず一緒に過ごそう」と約束します。
ピエールの留守中に帰宅したマドレーヌは、
近所の人から「いつもピエールが
公園で一緒に遊んでいる女の子は娘さんかい?」と聞かれ、
ピエールと少女とのことを知りますが、
ピエールに問いただすことはできませんでした。
次の日曜日、マドレーヌはピエールのあとをつけて、
少女と公園で遊ぶ姿を目撃します。
池の氷を割ったり、木にナイフを刺してそれに耳を近付け、
精霊の声を聞こうとしたりして、無邪気に遊ぶ二人を見て、
安心したマドレーヌは微笑んで勤めに向かいました。
クリスマスの夜、ピエールは、
カルロスの家からツリーを盗み出し、
公園の東屋に飾りつけて、
教会から盗んだロウソクに火を灯し、
少女とささやかなパーティーを開きました。
少女はツリーに小さな箱をくくりつけ、
ピエールにそれを開けるように言います。
その中には、少女の名前が書かれた紙が入っていました。
少女の名前は「シベール」、
ギリシア神話の女神の名前でした。
ピエールは名前を教えてくれたお礼に、
教会の風見鶏を取りに行きます。
その頃、ピエールがいないことに気づいたマドレーヌは、
不安になり、同僚で、結婚式に一緒に出席した、
医師のベルナールに相談します。
ベルナールはすぐに警察と修道院に
「ピエールという危険人物が
少女を連れ出して行方不明になっている」と通報します。
捜索していた警察官が公園で少女を見つけた時、
ピエールは例のナイフを持って
シベールに近付いていくところでした。
ピエールが少女を殺そうとしていると誤解した警官は
ピエールを撃ちました。
ショックで気絶したシベールを抱き上げ、
警官が「もう大丈夫だ、
心配しなくていいんだよ、君の名前は?」と聞きます。
するとシベールは
「私には名前なんかないわ」と答えるのです。
僕は、この最後の、シベールの
「私には名前なんかないわ」という台詞が、
どうしても人に言えなかったんです。
もしかしたら、今でも言えないかもしれません。
今キーボードで打っているだけでも、
ちょっとジワッときてしまいました。
初めて見た時も、今回改めて見た時も、このシーンで、
感動してボロボロ泣いたというわけではないんですが、
それでもこのストーリーを話していると、
このラストの部分が近づいてくるにつれて、
ジワジワと感動がこみ上げてきて、
どうしても最後の台詞が言えなくなるんです。
こういうのが映画の与えてくれる感動なのだと思います。
なぜそんなに感動したのか、
初めて見た時にくらべれば、
今は色々な言葉も知ったので、
少しは理屈づけて説明することもできるかもしれませんが、
この感動の内容を簡潔な言葉で伝えることができるなら、
わざわざ2時間の映画にする必要はないわけで、
2時間の映画を通しで見てこそ
感じることのできる感動というのがあるのだと思います。
そういう意味では、ここに延々ストーリーを書いたとしても、
僕の感動は伝わらないだろうとは思っていますが、
僕は今でもこのストーリーを人に話すことはできないので、
こうして書くしか伝える手段がなくて、
こんな形でも「シベールの日曜日」を知らない人にとっては、
少しは役に立つ情報なのかもしれないと思い、
こうして長々書かせていただきました。
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