ポンジュノとミヒャエル・ハネケ
2020年頃に話題になっていた、
ポンジュノ監督の「パラサイト」を観た時に、
改めてミヒャエル・ハネケは
素晴らしい監督だなあと思った。
ハネケの「愛 アムール」という作品の中で、
ジャン・ルイ・トランティニアンが、
さりげなく脳梗塞で
片手が麻痺しているという設定になっているのだが、
映画の中ではそのことに一切触れられていない。
実はその頃、お弁当の宅配の仕事で、
ある高齢者の方のお宅に
週に三回ほどお弁当を届けていたのだが、
そこの家の方が同じように脳梗塞で、
片手が麻痺なさっていた。
80代くらいだろうか、
その方に会う度に、
ハネケの映画のことを
自然に思い出していた。
こういうのが映画が人の心に忍び込み、
ガッチリと心を捕えてしまう、
的確な脚本と演出だ。
同じように「愛 アムール」では、
痴呆になっていく高齢の妻が、
ピアノの教師だったという設定になっている。
この設定も「ピアニスト」という映画で、
心が変な風にねじれてしまっている女性が、
ピアニストであるという設定と同じだ。
ハネケの映画の中では、
楽譜を正確に再現するという、
ミッションに対して厳格であることを、
何か非人間的な行為の象徴として
さりげなく設定に使っているのだ。
実はおととし亡くなった僕の母親もキリスト教会で
オルガニストをやっていた。
それでうちの妹も
一時ピアノを習っていたことがあるのだが、
家でタドタドしく妹が練習していると、
少し離れた部屋で和裁の仕事をしている母が、
「今の所音が違う!!」と、
大声で叱責している声をよく聞いていた。
僕は別の部屋でその声を聞きながら
「ああ、こんなやり方をされたんじゃ、
『音を楽しむ』音楽じゃなくなってる」
と感じていた。
妹は数年でピアノを辞めてしまった。
僕の家はこのような
目に見えないリモコンの赤外線のような、
支配の感情が飛び交っている家だった。
その根底にはキリスト教があるのだろうと、
考え始めたのはそれから数年後だが、
さらにそれから20年ほど経って、
母は、キリスト教の神様の目的通りに
足が麻痺する不自由な生活を強いられていて、
それでもその原因が「信仰」にあるとは、
夢にも思っていないし、
言ったところで聞く耳は持っていなかった。
そして僕が「ピアニスト」という映画の存在と
ミヒャエル・ハネケという監督の
素晴らしさを知ったのは松本人志の
「シネマ坊主」という連載を通じてなので、
裁判になろうと松っちゃんのことを大変尊敬しているのだ。