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三毛別羆事件

1915年(大正4年)に北海道で
三毛別羆事件というのが起きていて、
開拓民が7名亡くなっている。

11月の初旬、村でヒグマが目撃されたが、
野生動物の襲来はそれほど珍しいことではなかった。
11月20日にふたたびヒグマが現れ、
村人はマタギ(狩人)を呼んで待ち伏せた。
11月30日、みたびヒグマが現れ
追跡したが仕留めるには至らなかった。

12月9日、村の太田家に寄宿していた、
林業を生業とする永松要吉(59歳)が、
食事のために帰宅すると、
囲炉裏のそばに他家から預かっていた少年
幹雄(6歳)が無言で座っていた。

ふざけているのだろうと思った要吉が
声をかけてのぞきこむと、
幹雄は顔をえぐられて絶命していた。

家の中には当主の太田三郎の内縁の妻、
マユの姿もなく奥の居間から
異様な臭気が漂っていた。

要吉はあわてて家を飛び出し
村の男たちを呼びに行った。
家には抵抗したと思われる
血染めのマサカリが落ちていて
マユを引きずっていったとみられる
跡が残り、窓枠にはマユのものと思われる、
頭髪も絡みついていた。

12月10日、討伐隊が森を捜索すると
巨大なヒグマと遭遇した
ヒグマは逃走し、討伐隊は、
近くでマユの遺体の一部を発見した。

夜、太田家で幹雄とマユの
通夜を行っているところに
ヒグマが再襲来した。

太田家は騒然となりヒグマは姿を消して、
一同は村内の明景家へ避難することにした。

明景家には当主の妻のヤヨ(34歳)と、
力蔵(10歳)、勇次郎(8歳)、ヒサノ(6歳)、
金蔵(3歳)、梅吉(1歳)と、
村内の斉藤家から避難していたタケ(34歳)、
巌(4歳)、春義(3歳)、そして男手として、
要吉がいた、タケは妊娠していた。

そこをヒグマが襲撃し、
ヤヨは屋外に逃げようとしたが、
すがりついてきた勇次郎に足元をとられ、
ヒグマはまずヤヨが背負っていた
梅吉に噛みついた。

次にヤヨの頭部に噛みついたが、
ヒグマが要吉に気付いて母子を離したため、
ヤヨは勇次郎と梅吉を連れて逃げ出した。

ヒグマは要吉の腰に噛みつき、
更に金蔵と春義を一撃で撲殺し、
巌にも噛みついた。

そしてヒグマはタケにも襲いかかり、
妊娠していたタケは
「腹は破らんでくれ」
「ノド喰って殺してくれ」と絶叫し、
上半身から喰われ始めた。

腹が破かれて胎児が引きずり出されていたが
ヒグマには喰われておらずその時は動いており、
1時間後に絶命したという。

太田家から明景家に移動していた一行は、
重傷のヤヨと勇次郎、梅吉と会い、
重傷の要吉も保護したが、
明景家は暗闇につつまれており、
肉を咀嚼する音と
骨を噛み砕く音、
そしてタケと思われる女性の
うめき声が聞こえるのみであった。

一行は二手に分かれ
中には子供が生きているかもしれない、
という判断から、裏手の者が空砲を撃つと
ヒグマは入り口から現れ逃走した。

一同が家に入ると
タケ、金蔵、春義は喰い殺されていた。
俵の陰に隠れていた力蔵と
居間で失神していたヒサノは生きており、
巌にはまだ息があったが、
20分後に母タケの死を知らぬまま息絶えた。

2日間で幹雄、マユ、タケ、金蔵、春義、
巌、胎児の7名の命が奪われた。

12月11日、ヒグマの襲来を
役場と駐在所に知らせに行っていた、
斉藤石五郎(42歳)が村に戻ってきた。
石五郎はタケの夫で金蔵と胎児の父であった。

山本平吉(57歳)も10日から討伐に呼ばれていた。
平吉は若い頃鯖裂き包丁一本でヒグマを倒し、
「サバサキの兄(あにい)」と異名を持つ人物で、
軍帽とロシア製ライフルがトレードマークの
伝説のマタギだった。

単独行動をしていた平吉がヒグマを討ち取った。
彼が11月に起こったヒグマの出没を知っていたら、
9日の悲劇も10日の惨劇も起こらなかったものと、
誰もが悔しがった。

ヒグマの肉は
犠牲者の供養のため煮て食べられたが、
硬くて筋が多く、
味はよくなかったという。

ヤヨは順調に回復したが、
梅吉は後遺症に苦しみながら、
2年8か月後に死亡した。

勇次郎は、事件の27年後に
第2次世界大戦で戦死した。

長松要吉も回復し翌春には仕事に戻ったが、
川に転落して死亡した。
ヒグマに受けた傷が影響したのかは定かではない。

事件のあった村からは
ひとりまたひとりと人が去り、
最終的に集落は無人の地に帰した。


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