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ヒロシマの思い出

小学校の修学旅行のこと
当時は島根県の小学校に通っていたので、
行く先はヒロシマだった。

バスの中でガイドさんが
「原爆許すまじ」という歌を
唄ってくれたのだが、
その歌詞のサビの部分に
「ああ許すまじ原爆を~」
という部分があり、
僕はもちろん、
「許すまじ」という言葉も知っていたが、
いきなり小学校の修学旅行で
こんな古臭い言い回しの歌詞の歌は紹介しないのでは?と思い、
もしかしたら「許す街」と謳っているのかなと考えて、
それでは意味が合わないなと思った。

そして更に「三度(みたび)許すまじ」
という歌詞があって、これが
「三度許す街」では、
やはり意味が合わないよなと思ったが、
でも何の説明もなしにいきなり
「許すまじ」とか唄うかな?
と、歌詞に戸惑う小学生であった。

そして中学生の時、
福岡に引っ越したのだが、
中学校の修学旅行先もヒロシマだった。

そしてなんと、
その時は平和公園で制服に鳩のフンが落ちてきたのだ。
あの平和の象徴の鳩のフンが。
バスガイドさんに見つけられ、
「うわっ、汚な!!」と言われた。
元も子もない感じだった。

更に社会人になってからの
フリーのディレクター時代、
仕事で下水道工事の記録ビデオを撮っていて、
その日の取材先はヒロシマだった。

ヒロシマに到着して、
いきなり地下の工事現場に潜らされた
そこで2時間ほど撮影して
休憩でやっと地上に戻れた。

季節は真夏で当然地下には冷房などなく、
現場事務所のようなプレハブの中で
お弁当を食べたが、
そこはさすがにエアコンが効いていた。

その事務所には
今ではあちこちでよく見る、
タンク式の給水器が置いてあったのだが、
当時はまだ現場事務所とかにしかない、
珍しいものだった。

それで僕はタンクの青い蛇口と
赤い蛇口の違いを知らなかった。

赤い蛇口からは熱湯が出るのだが、
今では赤い蛇口からは
簡単にはお湯が出ないようになっている。

ところがその頃は
まだその「改良」はなされておらず、
赤い蛇口からも押せば簡単にお湯が出ていた。

プレハブの事務所の外で
ちょっとした打ち合わせをしたあと、
もう一度地下の現場に潜ることになり、
僕は最後にもう一度水分補給をしておこうと思って、
プレハブに立ち寄ったのだが、
そこには紙コップがなかった。

それでタンクの蛇口に口を近づけて
直接飲もうとしたのだが、
その時に間違えて
赤い蛇口からお湯を出してしまったのだ。

僕の顔に直接熱湯がかかり、
僕はあわてて顔を引いて
そのまま地下に潜ったのだった。

地下でだんだん顔がヒリヒリしてきたが、
僕はそのまま撮影を続行し、
その日にロケを終えて福岡に帰った。

その後顔の火傷は茶色いカサブタになり、
透明の膿が出たりした。
これぞまさにヒロシマだった。

その約10年後、
もう一度人に誘われてヒロシマに行ったが、
その時は特に事件は起きなかった。
これが僕とヒロシマの
ちょっとした関りである。

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