潤いを失いつつある日々
9年前、2013年頃、
当時は仕事でバスを使って通勤していた。
その職場への通勤で、
まず家の近くのバス停からバスに乗るのだが、
時々そのバス停で一緒になっていた女性がいる。
身長は175センチくらいあり、
手足が細くて長い、モデル体型の人であった。
もしかしたらこの人の他にも、
よく一緒になっている人がいたのかもしれないが、
この人くらいに特徴がなければ覚えることはできない。
時々見かけて、ああ、あの人がいる、と思っていた。
三ヶ月ほど経って、
それまで僕が職場に早く着き過ぎていたため、
意識的に30分くらい家を出るのを遅らせるようになったら、
それ以来その女性を見かけなくなった。
ある日、仕事が休みの平日の夕方に、
近所のスーパーに買い物に行く途中、
少し前を、背の高い、モデルのような女性が歩いていた。
なんとなく見覚えがある人だなと思っていたのだが、
「ああ、あのバス停の人だ」と気付いた。
そういえばバス停で一緒になるのだから、
近所に住んでいるんだよな、と思っていると、
すぐ近くのマンションに入っていった。
ああ、このマンションに住んでいるのか、と思った。
それは僕の家のすぐ近くのマンションだった。
「待てよ?」大学生くらいの時は、
こんなことが起きたらもっとときめいていたはずだ。
時々バス停で見かけるモデルのようなお姉さんがいて、
その人がどこに住んでいるかを偶然知ってしまったら、
それだけですごく嬉しかったはずだ。
そして、そのマンションの近くを通るだけで、
ほんのちょっとときめいていたはずだ。
そもそもそれ以前に、その人に会える可能性があるのに、
バスを遅らせる、なんていうことはしなかったはずだ。
大学の同級生だった女の子がある会社に就職して、
その会社が入っているオフィスビルの屋上に、
特徴のある化粧品会社(オッペン化粧品)のネオンがあった。
夜、西鉄電車に乗っていたりして、
視界の隅にそのネオンが入ってきたりしたら、
「ああ、あそこは・・さんが働いているビルだ」と、
なんとなく、ときめきとまではいかないが、
ほのぼのとした気分になっていたものだ。
別にその女の子は僕の彼女とかいうわけではなかったが、
大学に入学してすぐに、一般教養の授業の選び方がわからず、
初対面で質問したら色々親切に教えてくれた人だった。
その後僕は東京の銀座にある会社に就職したが、
銀座の街にも同じ化粧品会社のネオンがあり、
夜に銀座の街を歩いていても、
視界の隅にそのネオンが入ってきたら、
その同級生のことを思い出したものである。
それなのに、ああ、それなのに、
僕はもう「不惑」なのか。40歳を過ぎたら、
その程度のささいな出来事ではときめかなくなってしまうのか。
確かにその程度のことでいちいちときめいたりしていたら、
もっと心を乱されるような出来事に遭遇する可能性も高くなる。
そういう意味では精神が安定したとも言えるが、
日常の些細なときめきが、
もうすでに八割くらい削減されてしまっているのかと思うと、
ちょっと残念なような気もするのである。
それから9年経ち、僕は56歳になった。
いよいよときめきは少なくなっている。