23-林田のおばあちゃん
かつて僕が家族で住んでいたマンションの5階に住む早川さんの奥さんとうちの母が親しかった。その早川さんの奥さんの母親が林田のおばあちゃんで、このおばあちゃんは、修行の末、霊能力を身につけたと言われている人だった。
ある日、うちの母親からこのおばあちゃんに会いに行けと言われた。僕が高校を出て浪人している時のことだったので、将来が心配だったのだろう。
しかし、この林田のおばあちゃんは、仏教系のある宗派の人で、僕の母親はキリスト教徒である。母はなぜ自分の信仰している宗教と違う宗派の人に頼ったのだろうか?まあ、うちの母親はそういう節操のない人ではあったが。そして僕はといえば、自分の将来に対する心配よりも、興味本位でそのおばあちゃんに会ってみたいと思った。
おばあちゃんは毎朝5時から「おつとめ」(お経をあげたりする修業)をしており、その時間帯が最も霊能力が冴えているので、その時に来るのが一番いいと早川さんの奥さんから言われたが、おばあちゃんの家は福岡県と佐賀県の県境の山の中にあり、そんな時間にそこまで行く公共の交通手段はなかったので、僕は中学時代の同級生の川崎に頼んで車で連れて行ってもらうことにした。
この川崎は現役で福岡大学に合格していて、車の免許もとりたてで、当時はちょっと調子に乗っている若者だった。林田のおばあちゃんの話をすると、川崎も興味を持ち、連れて行ってくれると言ったのだが、川崎の場合、祖母が創価学会の熱心な信者で、川崎はその祖母の信仰をバカにしているようなところがあり、どうも、林田のおばあちゃんに対しても「そんなインチキは俺が見破ってやる」とでも言わんばかりの不遜な気持ちを持っていたようなのである。
季節は晩秋だったと思う。夜明け前に川崎が迎えに来てくれて僕達は出かけた。おばあちゃんの家には母屋の隣に小さなお堂があり、朝の「おつとめ」はそこで行われる。
僕達が着いた時はまだ薄暗かった。お堂の中には数十本のろうそくが灯されていて、真ん中に仏壇というか祭壇というか、とにかく御本尊のようなものがあり、その正面に林田のおばあちゃんが座り、少し後ろに早川夫婦、そして更に少し後ろに僕と川崎が並んで正座した。お堂の中はその5人だけだった。
おばあちゃんは熱心にお経を唱えており、早川夫婦も負けず劣らず熱心に唱和していた。ちなみに早川さんの旦那さんは九州大学の理系の学部の助教授で、いうなれば「科学者」であったが、林田のおばあちゃんに心酔しており、3人の中でも一番熱心にお経を唱えているように見えた。
僕と川崎は最初はニヤニヤ笑ってあたりを見回していたが、途中からおばあちゃんが木鐘を叩き始め、僕はその音の強烈な振動に目を刺激されて目からボロボロ涙が出てきた。おそらく、薄暗い明け方にろうそくの灯りだけのお堂の中で熱心にお経を唱える人達と一緒にいるという異様な状況に精神が昂ってもいたのだろう。とにかく僕は目を開けていられなくなって、その後はずっと目をつぶっていた。
お経が終わった後、おばあちゃんが振り向き「何が聞きたいのか」と言った。お経の迫力に圧倒されて気後れしていた僕は、恐る恐る大学進学について尋ねた。「西南大学なら受かるけど九州大学は駄目だろう」というような事を言われたが、その時のおばあちゃんの態度や言葉使いがいちいち怖いのだ。
それで、自分の話を聞いた後はまたずっと目をつぶっていた。それから川崎がおばあちゃんと何か話していたが、僕はまったくその内容を聞いていなかった。とにかくお堂の中のおばあちゃんは何かが乗り移っているように怖く、僕はかなりビビっていたのである。そして母屋に戻ってお茶など出され、帰ったのだと思うのだが、そのあたりのことはほとんど覚えていない。
ただ、車に乗り込んでしばらくの間は川崎も全く動けず、車のエンジンをかけることもできなかった。普段は傲岸不遜な川崎が、真っ青になって硬直しているのだ。それでもなんとか川崎は無言のまま車を発進させ帰路に着いたが、しばらく走ってから、信号待ちの時に初めて言葉を発した。「まいった・・・」そして手で顔を覆った。よっぽどショックだったのだろう。
お堂の中で僕は川崎の隣に座っていたのだが、途中から目を開けていられなくなり、ずっと目をつぶっていた。そしてお経の後も、自分の話をするのがやっとで、おばあちゃんと川崎が何を話したかは全く憶えていなかった。
ところが川崎は、僕が目をつぶった後もずっと目を開けてお堂の中を見回していたのだそうだ。そして、お経がピークに達した時、おばあちゃんの上体がぐるりと円を描くように動くと、お堂の中のろうそくの炎が全部いっせいに同じ方向に円を描いたのだそうだ。それを見た途端、それまでバカにするような気持ちで見ていた川崎も、これはただごとではないと感じたそうである。
そしてお経が終わり、おばあちゃんがこちらを振り向いて僕と話し始めたのだが、川崎の番が来た時、おばあちゃんは、川崎が祖母の信仰をバカにしていることについて厳しい口調で注意したのだそうだ。川崎は祖母の話などしていないし、信仰をバカにしていることも話していない。とにかく、おばあちゃんのパワーに圧倒されて、僕も川崎もすっかり萎縮してしまい、その後は家に着くまでずっと無言だった。
ちなみに、その数ヶ月後に僕は大学生になったが、おばあちゃんが受かると言った大学には受かって、駄目だと言われた大学は落ちた。しかし、これは単純に偏差値の高い大学は落ちたが低い大学は受かったというだけのことでもあるが。
その後、林田のおばあちゃんには3,4回会っている。まず、高校の同級生の桐井がぜひ会ってみたいと言ったので連れて行った。高校時代、僕と桐井はほとんどつきあいがなかったのだが、僕がおばあちゃんの話を長野という友人にして、長野から聞いた桐井が連絡してきたのである。
桐井も川崎と同じで、そういうことを一切信じない人間であり、興味本位で行きたいと言ってきたのだが、僕は川崎の一件があったのであまり行きたくなかった。しかし、桐井がうちまでバイクで迎えに来て、無理に押し切られる形で行くことになった。
これが僕と桐井の付き合いのはじまりであり、その後、壮絶な展開が待っているのだが、それは約20年も後のことであり、後に記すことになる。その時もまた「興味本位で来るな」と怒られたんだと思うが、僕はこれもまた一切憶えていない。
ただ、だんだん林田のおばあちゃんのところに行きにくくなっていったことだけは憶えている。興味はあって、もっと話を聞きたいと思ってはいたのだが、おばあちゃんの態度が怖かったのと、そういう怖いやり方は本物じゃないと、僕は心のどこかで反感を持っていたため、自然に足が遠のいていったのである。
それから僕が免許をとって車を買う時にどの車にしたらいいか聞きに行けと母から言われて行った。おばあちゃんはなぜかうちの母を気に入っていて、母の用事で行くと機嫌が良かったのだが、それでも僕はおばあちゃんが怖かった。
その時は候補にあがっているのがベージュの車と深緑の車で、どちらにするか迷っていたのだが、おばあちゃんは「紺色の車はやめたほうがいいね」と言った。僕が「車の色は深緑なんですけど」と言うと、おばあちゃんは笑って「それが紺色と言った方だよ」と言った。確かに紺色と深緑は車の色としては近いダーク系ではある。僕は車の色については言ってなかったので、
おばあちゃんはおぼろげながら映像として「見えて」いたのかなあと思った。
そして最後に、川崎の知り合いの女性がなんか難しい血液の病気にかかっていて、そのことについて聞いて欲しいと川崎経由で頼まれて行ったのだが、当の川崎はおばあちゃんを怖がって来なかった。
それで、僕は恐る恐る一人で聞きに行ったのだが「信仰も持ってないのにそんなややこしい問題を相談しに来ないでくれ」と怒られ、それ以来行かなくなった。
数年後に林田のおばあちゃんはお亡くなりになった。僕はなんとなく、おばあちゃんの態度が怖いことや、信仰を強要するようなところに反感を持っていたのだが、なぜ僕がそのような感情を持ったかはずっと後になってわかる。とにかくこの林田のおばあちゃんが、僕が最初に出会った「見えない世界と接点を持っている人」だった。
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