人の気配、街の気配
「人の気配、街の気配」
なんとなく淋しい街、というか、街の中でも、淋しいエリアというものがある。これは本当に「なんとなく」としか言い様がない。例えばかつて僕は福岡市中央区警固2丁目という所に住んでいたのだが、数十メートル歩けば、もう赤坂3丁目になる、境界のあたりで、さらに、けやき通りを渡ると赤坂1丁目と赤坂2丁目がある。
赤坂2丁目あたりには、中央市民センター、赤坂小学校、警固中学校、そして元は平和台球場だった、鴻臚館跡地などがあるのだが、このあたりが「なんとなく淋しい」のである。
このあたり一帯は、どちらかと言えば、イメージの良い街である。かつてけやき通りはおしゃれなストリートとして有名だったし、今でも近所に新築マンションが建てば、建築中にほぼ完売する。なので「なんとなく淋しい街」は、「ガラの悪い街」とはまったく違う場所である。
僕は警固2丁目に10年以上住んでおり、かつては警固、赤坂界隈を、毎日バイクで、グルグル走り回る出前の仕事をしていたこともあるので、このあたりの事はかなり知っている方なのだが、赤坂2丁目あたりに対する「なんとなく淋しい」という印象は、いつまで経っても変わらない。
同じような印象を受ける場所には、博多区の石城町あたり、早良区の百道のあたりなどがあるのだが、ある時、その謎の一端を垣間見たような気がしたことがあった。それは、食事のために立ち寄った蕎麦屋でのことで、そこの壁に、江戸時代の博多の古地図の上に、現在の博多の街並みを書き加えた地図が飾ってあったのだ。僕が「なんとなく淋しい」と感じていた場所は、全て埋立地だったのである。
僕は早良区西新の西南学院大学に通っていたが、その頃「百道」という場所はまだ存在していなかった。アジア太平洋博覧会の会場を作るために、まさに埋め立てているところだったのである。
そして江戸時代には博多の街は、中州のあたりまで海だった。赤坂2丁目のあたりには、福岡城の濠があって、今でも濠の一部は残っているが、かつては博多湾から船で行き来できるくらいに大きな濠で、赤坂2丁目のあたりは、船泊りにも使えるくらいの、大きな池のようになっていたのである。
つまり、その場所に立って「なんとなく淋しい」と感じるのは、かつてそこが水の上だったから、かつてそこには誰も歩いていなかったから、である可能性があるのである。
同じように「なんとなく淋しい」と感じる場所に、山を切り開いて作った住宅街があるのだが、こちらも、かつてはそこが山の中だったから、かつてそこにはほとんど誰も歩いていなかったから、である可能性がある。
はっきりとしたことは言えないが、人がそこに住んでいたり、そこを頻繁に往来したりする場所には、なにか人の「痕跡」のようなものが残されているだと思う。下町の雑多な感じが、なんとなく落ち着くとか、心休まると感じるのも、かつてそこで暮らしたり、そこを往来していた、多くの人が残していった「何か」に、知らず知らずのうちに触れているからなのかもしれない。
例えばオフィスの会議室などで、数分前まで会議が行われていた部屋に入るのと、何ヶ月も使っていない部屋に入るのとでは、あきらかに雰囲気が違うのを感じたことがある人もいると思う。それはもちろん、ちょっと前まで人がいたのだから、部屋の温度が少し高くなっているという場合もあるだろうし、タバコの匂いやお弁当の匂いなどがかすかに残っている場合もあるだろう、しかし、室温や匂いはいずれ元に戻る。それ以外に、そこに人がいました、という「痕跡」が、何かの形で残っている可能性があるかもしれないのだ。例えば目には見えないけど、テーブルやイスに指紋が残されているように。
「僕には霊感のような能力は全くない」ということは、堂々と、自信を持って言える。そんな僕にでも「なんとなく淋しい」と感じる場所は確実にあるのである。そんなことの原因を科学的につきとめる必要なんてないし、そんなことが簡単に解明できるほど科学というものは進歩していないはずだ。
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