甦る土田世紀

この話はちょっと複雑で、
関係性をうまく書ききれるか自信がないのだが、
まずこの話には、
3つのマンガ作品が出て来る。

それは松田菜緒子の「重版出来!」と、
渋谷直角の「カフェでよくかかっている
J-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生」と、
土田世紀の「編集王」である。

最近、「重版出来!」のテレビドラマのDVDを
レンタルして見たのだが、あらためて、
この作品には土田世紀の「編集王」と、
共通する部分があるなと思った。

そんなことを考えながら、
渋谷直角の「カフェで~」を
なんとなくパラパラと読んでいた。

そういえば最近読んだマンガの中で、
宮沢賢治の詩が引用されているマンガがあったけど、
それってどの作品だったっけ、と思っていた。

でも確か僕の記憶の中では、
そのマンガを読んだのは10年以上前のはずで、
というか、その記憶は僕の頭の中で、
10年以上前の場所に保管されているような感覚で、
そのわりには、記憶として新しいイメージなんだよな、と、
なんとなく記憶のイメージと
新しい古いのイメージが合わないなと、
不思議な感覚に襲われていた。

宮沢賢治という作家のイメージと、
なんとなく記憶している画面の泥臭いイメージから、
土田世紀の作品じゃなかったかなと思ったのだが、
土田世紀の「編集王」は20年以上前の作品で、
最後に読んでから、少なくとも10年以上経っている。

それで僕の頭の中にある、
マンガの中に宮沢賢治の詩が出て来た記憶のイメージは、
絶対に一年以内くらい、
どう考えても10年以上前の記憶ではなかったのである。

なんかちょっと関係性が複雑ですが、
わかりますでしょうか、わかりにくいですか?

結局宮沢賢治の詩が引用されていたマンガ作品は、
渋谷直角の「カフェで~」に収録されている、
一篇のマンガだったのであるが、
僕はそのことを確認したあとも、
なぜか釈然としなかった。

ついでに言えば、この話をすると、
更にややこしくなるのだが、
「重版出来!」の中でも
宮沢賢治の詩が引用されている。

それは主人公黒沢心(小熊)が勤めている出版社の社長、
テレビドラマでは高田純次が演じているのだが、
その社長が若くて貧乏だったころ、
社長の心を励ましてくれたのが宮沢賢治の詩で、
やっぱり本ってすごいなあというエピソードとして、
宮沢賢治の詩が引用されるのだが、
そこで使われているのは
有名な「雨ニモマケズ」なのである。

土田世紀は秋田県の出身で、
太宰治や宮沢賢治など、
東北出身の作家がよく作品に出て来る。

松田菜緒子は長崎県の出身なので、
「重版出来!」に宮沢賢治が出て来るのも、
土田世紀へのリスペクトの意味が強いかもしれない。

というわけで、僕の記憶の中の、
マンガに出て来た宮沢賢治の詩というのは、
(ちなみにこれは「春と修羅」の中からの引用なのだが)
それが渋谷直角の作品だったと確認した後も、
なんか釈然としない感じが残っていたのである。

それでつい最近というか、今日、
どうしても気になって、
アパートの二階の僕のショボいマンガ倉庫から、
「編集王」を引っ張り出してきて、
読んでみたのだが、やはりその中に、
宮沢賢治の「春と修羅」から引用されている部分があった。
しかも全16巻の中の14巻目で引用されていた。

僕は「編集王」の中で、
この詩が引用されていることは全く覚えていなかった。
もうすでに文章がすごく長くなっているので、
渋谷直角の作品のどんな場面で引用され、
同じ詩が「編集王」のどんな場面で引用されていたか、
それを書くのはやめておくが、
きっと渋谷直角は土田世紀のこのシーンに感動して、
自分の作品の中でも「春と修羅」の文言を
引用したのだと思う。

それで僕の記憶の中のモヤモヤとしていた部分は解決し、
あらためて渋谷直角のことがすごく好きになったのである。
その詩というのはこれである。
一部分は省略されて引用されている。

けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ
おまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ
「春と修羅 第二集より」

どうせネットでは見つからないと思うので、
自分で単行本からその場面の写真を撮りました。

その後渋谷直角のあとがきのような文章に、「この作品は土田世紀の作品のパスティッシュです」という文言を見つけた。やっぱりそうだったんだ、結局僕が気付いていなかっただけで、いい作品というのは僕とは無関係に「いい」んだなと思ったのでした。

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