母の近況
うちの母親は今、
老人ホーム的な施設の空きを待機している状態で、
それまでの間、一日おきくらいで
泊まりのデイサービスを利用している。
その母親の状態は
日に日に悪くなっているようで、
昨日も仕事中に父親から
愚痴の電話がかかってきた。
排泄の自覚があまり無くなっているようで、
ほとんど毎晩一回尿を
そして午前中に一回便を
オムツの中にしてしまって、
それを父親が片付けなければならないそうだ。
そんな愚痴を延々聞きながら、
僕がしている仕事は
高齢者の方へのお弁当を届ける仕事だ。
有吉佐和子さんの「恍惚の人」の頃から、
高齢者問題はなんとなく耳にしていたが、
それがついに現実となって、
自分の身の上に降りかかりつつある。
そんな母親の問題についてなんとなく考えていて、
そういえばうちの母親は
僕が生まれるよりも前から
キリスト教徒だったんだよなあ、
筋金入りだよなあとつくづく思った。
そういう意味では僕は前世の頃、多分1千年以上前に、
お坊さんをやっていて、
その後地獄で鬼をやっていたんだから、
僕の歪んだ信仰心は母を超えて筋金入りのはずだ。
やっかいなものとやっかいなものが
戦っているのだから、
状況は混迷を極めているわけだ。
非行少年を愛情で立ち直らせるように、
僕と妹と父が協力して
母をなんとかしようとしているところだ。
宗教というものの根源は
アトランティス時代のクローン人間が、
我々人類に対して、
いかにして嫌がらせをして
人類を破滅に導くかという目的で作られたそうだ。
発想の根源が
心を持たないロボットのプログラムだから、
いかにして効率的に
人間の人間性を否定していくかということが、
最大の関心事となっている。
そこから兵器や戦争や
無私のボランティア精神などが生まれた。
それらの作戦はある程度の効果を生んだが、
人間の生命力はロボットを遥かに超えていた。
もういい加減ロボットも疲れてきているはずだが、
「疲れる」という概念さえ
プログラムされていないロボットだ。
しかし徐々にロボットも進化して、
「疲れる」とか「無意味」とかの概念を
セルフプログラムできるようになれば、
少しは状況も改善するはずだ、と信じたい。