生活音の記憶

昨日と今日は二連休なので、
昨夜は奥さんとカラオケに行ったのだが、
家に帰り着いたあと、遅い時間から、
奥さんが発作的にレンジ周りの掃除を始めた。

僕はもうヘトヘトな状態だったので、
手伝わずにベッドに横になり、
そこから掃除の音だけ聞いていた。

できれば僕はもう眠りたかった。
もし僕が赤ちゃんだったら、
むずがって泣いているところだ。
でも僕は赤ちゃんじゃないので泣いたりはしない。

ガタゴトとかゴシゴシという掃除の音を聞いているうちに、
僕はいつのまにか眠ってしまい、
一時間ほど寝ただろうか、
僕が目を覚ましても、奥さんはまだ掃除を続けていた。

もし僕が赤ちゃんだったら、
このタイミングで泣いているところだが、
僕は赤ちゃんじゃないので泣いたりはしない。

しかし赤ちゃんは自由だ。
なにか不都合があると、すぐに泣く。
周りの大人は、なんとかなだめようと、
ミルクを飲ませたり、おむつを替えたり、
抱き上げて歩きまわったりする。

赤ちゃんみたいな生き方ができたら、
ストレスはたまらないだろうな、と思う。

誰かが家事をしている音はなんとも心を穏やかにさせる。
小さな頃、母が台所でトントン何かを切っている音とか、
食器を洗っているような音を聞きながら、
ウトウトと眠ったような記憶がある。
そして目が覚めると、
なんだか寂しいような気持ちになって、
母を呼んだような記憶がある。

最近赤ちゃんと接することが多いせいか、
そんな気持ちがちょっと甦ったりする。

僕の母はもうけっこうな高齢だが、
それでも元気で生きている。
僕の事業を心配して電話をしてきてくれたりする。

もうちょっと母に感謝してもいいのかもしれないと思った。
あ、それからうちの奥さんにも。

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