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母の思い出

2022年2月4日に母は老人ホームに入所しました。
その前後の「福岡介護日誌」をnoteに書いていました。

2月1日

本日は午前8時頃に母のオムツを替え、
デイサービスのお迎えが来る前に母にさよならして、
熊本への帰路に着きました。

実は今日は母の誕生日で、
祝ってあげたいとは思いましたが、
お友達の梅田さんが来てくださるので、
誕生祝いはお願いしようと判断しました。

実は起きる前の7時頃からかなりの頭痛がしていて、
父に頭痛薬を出してもらい、それを飲んでいました。
帰途の高速のパーキングでも頭痛は酷く、
事故だけは起こさないようにと気を付けて運転していました。

熊本に着き、約1週間ぶりに奥さんのゆりえに会いましたが、
やはり頭痛はしていて、もう一度頭痛薬を飲みました。
夜になって頭痛をこらえて温泉施設へ行き、
その帰り、ゆりえが、その頭痛は少しおかしいと言ってきました。

多分風邪などではなく、何かの霊障だと思うが、
死者の霊なら夜に来ることが多いので、
朝から来てるということは生霊だと思われる、
それならば誰の生霊だろうかと言うのである。

単純に考えられるのは、僕の父親、
もしくは母親の生霊だと思われるのだが、
どちらだろうと言うのである。

それでおそらく、僕が優しい態度で介護していたものだから、
そんな僕が熊本に帰ってしまうと、
また厳しい態度の父親と2人きりになるので、
母がそれを阻止しようと生霊を飛ばしているのではないか、
という結論になった。

僕には一切霊感的センスはないので、頭痛がすれば、
ああ、最近ハードスケジュールだったので、
風邪をひいたんだろうな、と思うくらいなのだが、
確かに頭の痛さや、首から肩にかけての重さは普通ではない、
もしこれが母の生霊だとしたら、ここ一週間、精一杯面倒を見てきたのに、
これでは「恩を仇で返す」ような仕打ちではないかと、
母の心の闇を心底恐怖したのである。

確かに母がまだ元気だった頃、
何故か僕が時々金沢の実家の夢を見ることがあって、
もう取り壊した家なのに、なんで夢に出て来るのだろうと不思議で、
霊能師匠の山村さんに聞いてみたことがあるのだが、
その時に母の実家に対する執着が生霊となって、
僕のところに来て、僕に夢を見させていると、
言われたことがあったのを思い出した。

生霊恐るべし、そして許すまじ。
ちなみに今も頭痛はしています。

ゆりえのところにみさをばあちゃんがどうやって現れたかも聞きました。

まず僕が父から聞いたみさをばあちゃんのエピソードを、
LINEでゆりえに伝えました。そしてその日の夜、
ゆりえは久しぶりに湯船にお湯をためてお風呂に入ろうと思ったそうです。そしてお湯がたまり、入浴剤をいれようとしたら、
入浴剤のフタがポンッと外れて、
浴室じゅうに入浴剤が飛び散ったそうです。

このような不測の事態が起こった時が
「霊が来ている」というサインなのだそうです。

そして入浴剤の飛び散り方からいって、
かなり気性の激しい人だなとわかったそうです。
その後のメッセージは姿が見えるわけではなく、
声が聞こえるわけでもなく、
文字が浮かんでくるというのも違って、
なんとなく伝わって来るとしか表現できないそうです。

僕はこのような抽象的な心霊体験の話を、
何度かゆりえから聞いていますので、
おそらく嘘を言っているのではないだろうと思っています。
毎回話が同じようなパターンだからです。

その結果、みさをばあちゃんが妹の足をつねりあげた理由や、
父が母に暴言を吐いたり、平手打ちをしていた理由を、
僕が知るところとなったわけなんです。

2月2日

今日は朝から病院に行って、
午後から美容室にヘアカラーに行って、
終わったらすぐに福岡に向かいました。

19時頃には福岡に着いて、
母はまだ起きており、
母の爪を切ってあげたり、
あまり会話にはならない会話をしたり。

明日の夜はデイサービスに泊まって、
明後日の朝はそのままデイサービスから
新しい施設に直行するので、
実質的には今夜が、
母と過ごす最後の夜です。

母を携帯で撮っていたら、
「それはいくらくらいするの?」
と聞かれて「5万くらいかな?」
と答えると「高いのねえ」と言われ、
それ以降は「高いのねえ」が、
延々繰り返されました。

これが最後の会話かと思うと、
少し残念な気もしました。
でもまあこんなのもいいですよね!

そして母は老人ホームに入所し、
8月25日に亡くなりました。


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