21-四次元パーラー「あんでるせん」
これは僕と38歳で亡くなった高校の同級生の桐井が、長崎のはずれにある「あんでるせん」という不思議な喫茶店に行った時の話で、それは多分、1997年頃の出来事である。
桐井の子供が障害を持って生まれた(脳性マヒだった)ので、桐井はそれまで「インチキ」だと決めつけていた「気巧」のような治療をしている人達とも、次第に交流ができていき、その中のひとりに西村さんという人がいた。
この人は、ある日突然、身体の中に謎のエネルギーが満ちてくるのを感じ、
そのエネルギーの正体をつきとめるために、当時やっていた商売(園芸店を三軒経営していた)を人に譲って、「その道」の追求をしていた人だった。
その活動の一環として、末期ガンの患者につき添って、「気」の力でガンを治す、というようなこともしようとしていたのだが、ガン患者には文字通り「頑固」な人が多く、まず、目に見えない力でガンを治す、という概念が理解できないため、最初にそういう力の存在を知ってもらうために、四次元パーラー「あんでるせん」に行くことを、すすめていたのだという。
さてこの四次元パーラー「あんでるせん」であるが、長崎の片田舎(川棚という駅の前)にある喫茶店(のようなもの)で、ここのマスターが「超能力者」だという評判であった。
まあ、すべてマジックであるという噂もあったし、マスターは店に来る若い女性の客に、ちょいちょい手を出しているという噂もあったが、ソニーの盛田会長、NECの関本会長、大相撲の両国親方、舞乃海、ソウル水泳金メダルの鈴木大地、評論家の竹村健一、俳優の藤岡弘、、ホリプロの会長、チェッカーズのフミヤ、小松菜奈など、著名人が数多く訪れていることでも有名で、とにかく賛否両論、「信じるか信じないかはあなた次第です」の世界であった。
それでこの西村さんが、僕と桐井に、とりあえず「あんでるせん」に行ってみたら?というアドバイスをくれたのだ。
「あんでるせん」は30席くらいの喫茶店で、当時は平日は一日二回、土日は一日三回、サイキックショーという催しが完全入れ替え制で行われていたのだが、それこそ遠方は東京とかから来る人もいるので、まず朝の7時くらいに店の前に並んでいる人に整理券を配り、それから電話で残りの席の予約を受け付けて、すでに店が開店する頃にはその日にショーを見られる客は全員決まっていた。
NECの会長は、若手社員に寝袋で店の前に泊らせ、予約がとれたら、プライベートジェットでショーを見に来ていた、という伝説も残っている。まあ、このことだけでも、「サイキックショー」が、ただのマジックショーではない、というか、少なくとも客の何割かは、超常現象だと思っていただろうということがわかる。ちなみに現在は数か月前に予約は全部埋まるという。
ショーの内容は、手を触れずに物が動く、物が空中に浮かぶ、物の形が変わる、一万円札を100円硬貨が通過する、100円硬貨をカマボコ板みたいなもので叩いて3分割ほどに割り、それをまたもとに戻す。といった、マジックと区別がつかないものも多いのだが、中にはどうやってやっているのかわからないものもある。
「この中で絵を描いてみたい人」と言って、客の中から立候補させ、その場で自由に絵を描かせて、マスターがあらかじめ用意していた財布を開けると、その中から、その日の朝にマスターが書いたという絵が出て来て、それが客の書いた絵とほぼ一致している、というネタや、お客さんから秒針のある腕時計を借りて、テーブルの上に置き、時計には触れずに、「今から、秒針を止めます。」と言って、マスターが「気」を時計に送ると秒針は止まり、次に「何時何分か好きな時間を言ってください」と言って、お客が時間を言って、マスターが「気」を送ると、針が回りだして、指定された時間で止まるというネタ。客から一万円札を預かり、ナンバーを控えたあと、その一万円札を空中で燃やして「いつか思わぬ時にあなたの手に戻りますから。」とマスターが言い、その客が家に帰って、引き出しを開けたら、先ほどの一万円札が入っていた、というネタや、予約をとらなかった人が勝手に「あんでるせん」に来ると店の前に「◯◯さん、また別の機会にお越し下さい」とその人の名前が書かれた貼り紙がしてあるというネタなどである。
結局僕は桐井と一緒に行ったが、どうだったかというと、楽しいマジックショーだと思った。もしかしたら、ここで行われていたことのいくつかは、マジックではなく、マスターが「超能力」を使ってやっていたことなのかもしれないが、僕にとっては「だから何?」という感じだった。少なくとも、このショーを見ることや、マスターの話を聞くことをきっかけに、人生観が変わるというようなことはなかった。
そのショーを手品だと言っているホームページもたくさんあり、その手品の元ネタは自分が作って売ったと証言している手品バーのマスターのホームページもあった。実際に見ても、やっていることの9割くらいは、手品でもできることなのだが、それを超能力でやっていますと言えば、それはそれまでの話なので、この議論はあまり実りがない議論にしかならない。
あそこで行われていることの9割は手品である、としても、それはそれでいいと思うのだが、実はその中にいくつか、手品では絶対にできないことが含まれているのである。
ひとつは、その日来ている人の、家族の名前を言い当てるというもの。もうひとつは、「念写」と呼ばれていて、選ばれた観客をポラロイドカメラで撮ると、その写真の中にその人の知り合いの顔が写るというものだ。
そして、なぜか桐井は手品が趣味だった。だから、桐井の方が僕よりも、手品と手品でないものの区別は、ついていたはずである。僕たちが行った時に「家族の名前を言い当てる」というのをやったかやらなかったかは覚えていないのだが、「念写」のことははっきり覚えている。ある人が選ばれてポラロイドカメラで写真を撮られたのだが、その人の頭のあたりに、心霊写真のように小さな顔が写った。「それはあなたの意識の中に強く残っている人ですよ」とマスターが言ったのだが、その人は、「あ、これ、バイト先の人だ」と言ったのである。僕は、その人がサクラである可能性もあるよな、と思った。ある意味桐井より疑り深かったのである。
で、結局、桐井はアンデルセンのことを、完全なインチキと否定することはできなかったようなのだが、もうひとつ、マスターはすごいと思ったことがあったそうだ。その日、桐井と一緒に長崎に向かう車の中で僕が言ったことと、ほぼ同じことをマスターが言ったのである。
マスターは僕に向かって「あなたはこう思っていますね」と言ったのではなく、一般論として「・・って・・ですよねえ」みたいな話を、観客全員に向かってしたのだが、その内容が、数時間前に僕がしていた話と同じだったのである。
このことがわかるのは、桐井と僕だけであった。そして、これに関しては
僕らの車に盗聴器でもしかけていない限りは、あり得ない話である。帰りの車の中で、桐井は僕に、「あのマスター、紀川の頭の中を読んでたよね」と言った。
「おいおい、お前科学者じゃなかったんかい?」と僕は思ったが、それは言わなかった。そして帰りに高速のサービスエリアに寄った時、「念写」の「あ、これ、バイト先の人だ」と言った人が、買い物をしていた。つまりその人は、僕たちのように、福岡方面のどこかから、高速に乗ってやってきていた人で、サクラではない可能性が高かった。
でも僕は、その後、「アンデルセンってすごいよ」とは、誰にも言っていないし、一度もアンデルセンには行っていないのである。なぜかというと、たとえ人の頭の中を読む力があったとしても、それがそんなにすごいことだとは、僕には思えなかったからである。
というか、僕には何か直感のようなものがあって、アンデルセンっていうのは、そんなに有難がるほどのものではないと、なんとなく思ったのである。「攻殻機動隊」で言うところの「ゴーストが私にささやくのよ」という感じなのだが、これがどういう意味であるかは、検索すれば見つかると思うので省略する。
というわけで、桐井は少し驚いていたようだが、そのことで色々な問題が劇的に解決したというわけでもなかった。その後桐井は死んでしまい、一緒に記憶の彼方に葬り去られようとしていたアンデルセンが、つい最近、また記憶の表面部分に浮上してきた。
よく出入りしていた仕事先で、「アンデルセンって知ってる?」という話になったのである。僕が「ああ、知ってますよ」と言うと、そこにいた別の人も「僕も行ったことがある」と言った。それで、あれは手品なのかどうか、という話をしばらくしたのだが、ほとんどは手品だろうということになった。
「でもひとつだけ不思議なことがあるんだよね」と、行ったことがあるという人が言った。「僕の家族の名前を言い当てられたんだよ、あれだけは手品じゃできないんだよね」
「来たー」という感じじゃないですか?よくできた、というか、できすぎてて、むしろ陳腐な感じさえするストーリー展開じゃないですか?でも、これすべて事実なんです。それで、僕は今後アンデルセン問題についてどう対処すればいいのか、それはまだ決めかねているんです。これまで通り無視し続けるか、アンデルセンってすごいよとみんなに言って回るか。
おそらくインチキではないのだろうと思う。しかし、だからといってわざわざ行くほどの所でもない、というのが僕の「結論」ということになるであろうか。