北九州に通勤していた頃

7年前、僕は福岡市に住んでいて、北九州市まで、毎日JRで通って仕事をしていた。その仕事は1年間くらい続き、途中からは車で通うようになり、ついには芦屋町というところに部屋を借りて、基本的にはそこに住む生活になった。その後熊本市に引っ越して今でも熊本市で暮らしているが、もうこれは遠い過去の記憶のような出来事だ。

「機関車トーマス」

今、JRで通勤する仕事をしているのだが、
片道一時間JRに乗っていると、
時々沿道から列車に向かって手を振っている子供を見かける。
列車になにか話しかけているらしく、口もパクパクしている。

平日はお母さんらしき人と一緒にいることが多く、
土曜や日曜は、お父さんやおじいさんらしき人と一緒にいることが多い。

かつてうちの子供が小さかった頃、
やはり西鉄電車に一生懸命話しかけていた。
機関車に顔がついてて話すテレビ番組の影響だろう。
子供って、そういう風に純粋にテレビを見ているんだなあと感心した。

うちの子供はもう中学生なので、
列車にはおそらく人間のような意志はないはずで、
話したりもしないようだということを知っていると思うが、
この子たちもいつか、
列車に手を振ったり話しかけたりしなくなるのだろう。

それでも今は一生懸命手を振って話しかけている。
純粋な善意というか、本当に無邪気な、
プラスの感情だけが込められている姿だと思う。

かわいいな、なんてかわいいんだ、君は、
と、近づいて抱きしめてあげたくなる。
実際は車窓の向こうだからできないし、
たとえすぐそばにいたとしても抱きしめたりはしない。

その子たちのお母さんだって、僕よりはずい分年下だろうから、
「いい子だね」「よく産んだね」「よく育てたね」と、
ほめて、一緒に抱きしめてあげてもいいと思うが、
もちろんそんなことはしない。変な人と思われるから。

その子たちのお父さんやおじいさんだって、
もし本人が望むなら抱きしめてあげてもいいのだが、
そういうことをする可能性も極めて低いだろう。
そもそも「僕に抱きしめてもらいたいですか?」
と聞くことがないと思うので。

そうやって僕の心の中に、
誰かを抱きしめてあげたいなという、
温かい気持ちだけが貯まっていく。

もしかしたら人間は
こういう気持ちをエネルギー源にして
日々を生きているのだろうか?

うちの子供が小さなころ、
「わあ、かわいい」と言って、色々な人が抱いてくれた。
子供ってこうやって、たくさんの人に抱かれて、
好意を受け取って大きくなっていってるのかなあと思っていたのだが、
受け取っていたのは子供ではなくて、
周りの大人だったのかもしれないなと思った。

退屈なJRの通勤も、
時には心温まる空想の世界に僕を連れて行ってくれる。


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