蛭子能収について
うちのマンガ書庫には蛭子能収の初期の単行本がほとんどそろっている。
今では蛭子さんはタレントとして有名で、
蛭子さんを知らない人はいないと思うが、
そのフルネーム「蛭子能収」を何と読むのか知らない人もいると思うし、蛭子さんがマンガ家であることを知らない人もいるかもしれない。
蛭子能収は「えびすよしかず」と読む。
僕はずっと読めず「ヒルコノウシュウ」だと思っていた。
蛭子さんは熊本県の天草の生まれで
子供の頃からは長崎市で育ち、
映画監督を目指して上京したが、
他人とコミュニケーションをとるのが苦手で、
チリ紙交換やダスキンのセールスマンをしながら、
伝説の自販機本「Jam」でデビューした。
厳密に言えばデビューは「ガロ」だが、
「ガロ」は作家に対して原稿料は払っておらず、
マンガを書いてギャラをもらったのは、
「Jam」が最初だったのだ。
蛭子さんのマンガは
つげ義春から多大な影響を受けていて、
夢をそのままマンガにしたシュールなものがほとんどだ。
昨日初期の作品を読み返して
そのあまりのシュールさに
戦慄するほどであった。
よくこんなのでプロになろうと思ったな、
それが雑誌に発表されて
ある程度の評価を受けていたんだから。
特殊漫画家の山野一さんは「Jam」で
蛭子さんのマンガを読み、
マンガ家を志したそうだ。
この写真に写っている初期の単行本は、
全て絶版でほぼ入手不可能だが、
こんなものを再版したところで
売れるわけもないだろうと思う。
僕が「ガロ」を毎月買っていた1985年頃には、
山野さんがガロに「四丁目の夕日」を連載していて、
蛭子さんのマンガもほぼ毎号載っていた。
僕にとってのマンガ黄金時代、
そしてある意味僕の心の暗黒時代だ。
共通するのはどちらの単行本もほぼ絶版で、
それらをほぼ僕が全部持っていることだ。
蛭子さんはテレビでの非常識なまでの本音発言で有名だが、その発言の正直さが受けて太川陽介とのバスの旅の番組でブレイクした。ブレイクと言ってもタレントとしてデビューしてからは数十年経った後だったので、やっと蛭子さんの本当の魅力が世間に認められたというところだったのだろう。
蛭子さんのデビューのきっかけは、東京乾電池が蛭子さんに公演のポスターを依頼し、その制作過程でスタッフが蛭子さんの面白さに気付き、舞台にもちょっと出てくれということになって、当時東京乾電池のメンバーは「笑っていいとも」などにも出演していたので、その関係でフジテレビのスタッフなども舞台を見に来ていて、蛭子さんの面白さが発見されたといういきさつであった。
一方山野一さんは、自宅でコツコツと特殊漫画を書き、「ガロ」に投稿してデビューし、後に奥さんとなったねこぢるさんとの共作で発表した「ねこぢるうどん」シリーズが評判となって、一時はキャラクターグッズが販売されるほどの人気だったのだが、その人気の絶頂でねこぢるさんが自殺して、山野さんの新作が発表されることもあまりなくなった。
後に山野さんは再婚されて双子の女の子が生まれ、その娘さんたちの日常を描いた「そせじ」を電子書籍で発行されている。今は双子の娘さんも中学生くらいになり、生活の様子がツィッターで時々配信されている。
蛭子能収と山野一、マンガ家としてはあまり有名ではなく、その単行本もほぼ全て絶版だが、僕にとって「好きなマンガは?」と聞かれたら、「知らない」と言われても、引かれても、この2人の名前は挙げるようにしている。