大人のひきこもりについて
これは2年前、2019年の日記
最近何かと話題の
「中高年のひきこもり」について、
ネットでちょっと調べてみた。
事例は一橋大卒の56歳の男性
母親と、母に強制された父からの虐待によって、
うつと複雑性PTSDを発症したことが原因だそうで、
この20年近く両親と、8歳違いの弟とは没交渉、
現在は体調と相談しながら
ひきこもり関連イベントのお手伝いをしたり、
語学の才能を活かしてネット上で
欧米のひきこもりの人への
インタビューを行ったりしている。
「根っこは母からの虐待ですね。
心身ともにですが、大人になって振り返ると、
身体的なものより精神的なもののほうが
悪影響を及ぼしている。
いつも同じ構造の虐待が起こっていました。
私が“スパゲティの惨劇”と呼んでいる虐待があるんです」
4歳から学校へ上がるくらいまでの話だ。
夕方になると、母親が
「何を食べたい?」と聞いてくる。
もし食べたいものを言ったら
全否定されるとわかっているから、
「何でもいい」と答える。すると母は
「何でもいいじゃわからない」と不機嫌になる。
「“スパゲティ食べたいでしょ?”と母親が言うわけです。
“もちろん食べたい”と私は言う。
父が帰ってくる時間を見計らったように
ナポリタンを出してくるのですが、
私は当時からグズでしたから、
スイスイ食べることができない。
すると突然、母がキレて
ナポリタンの皿をシンクに叩きつける。
そこにちょうど父親が帰ってくる。
母は“この子が食べたいって言うから作ったら、
こんなもの食えるかって捨てたのよ”
と言いつけるわけです。
父親は“そんなことをしたのか”と言う。
母親の思いどおりのストーリーが完成して
私は有罪が決定する」
母は父に「怒ってやって」と命令し、
父はズボンのベルトをとって彼を鞭(むち)打つ。
彼は屈辱に耐えながら、
時間が過ぎるのを待つしかなかった。
「母は有名大学出身のお嬢様で、父は高卒。
だから父にとって母が言うことは絶対だった。
父が母を諫(いさ)めたり反発したりするのを
見たことがありません。あのとき父は何を考え、
感じながら私を打っていたのだろう」
さらに母は毎日のように、幼い彼に
「言うことを聞かないと、
お母さんは死んでやるからね」と言い続けた。
「それがものすごく怖かった。
子どもにとっては、意地悪な母親でも母親なんですよ。
おまえを殺してやると言われたら逃げるけど、
死んでやると言われたら身動きがとれない」
小学校3年生から中学受験の勉強をさせられ、
午前2時まで寝かせてもらえなかった。
その後、父の転勤で一家は名古屋へ。
母は名古屋で塾を始め、
かなりの収益を上げていたようだ。
彼は引っ越し先の学校で
「関東から来た異端児」といじめられていた。
「学校でも家でもいじめられて
人生最大の暗黒時代でしたね。
毎週日曜は、名古屋から新幹線で
東京の塾に通わされ、いつも疲れていた」
心の中に「母親なんか死んでしまえばいい」
という願望があった。
だがそれが現実になるのは怖い。
恐怖感が募ると頭を激しく振り続けた。
そうすると意識が遠のくから恐怖から逃れられる。
だが、頭を振っているところを
母親に見られると激しく叱られた。
「母は私に一橋大学に入ってほしかったんです。
昔から、“東大生はバランスを欠いている、
早稲田は下品、一橋生がいちばん”と言っていた。
私は母が一橋生にフラレ、
大学を卒業してすぐにあてつけのように
高卒の父と結婚したんじゃないかと推測しています」
その後は埼玉に転勤になった
父親とともに団地で暮らすことになった。
名古屋で塾を経営する母に代わって、
「専業主婦の役割を押しつけられた」のだ。
’95年から’99年まで、彼はその団地で
フロイトを読みながら、自分を模索し続けた。
「カーテンの外に光が見えるのがイヤだった。
自分だけ置いてけぼりにされている気がして。
昼も夜も雨戸を閉めて精神分析をしていました」
やはりこのままではいられない。
家族の構造に問題があるのだから、
解決すれば自分も普通に働けるようになるのではないか。
彼はそう思った。
「家族にあてて原稿用紙700枚くらいの
手紙を書いたんです。自分史みたいなものです。
私の心を蝕んだ家族のゆがみについても書いた。
最後は、家族会議を開きたいという
思いで締めくくりました。
4人で集まって問題点を話し合いたかった。
ところが実家に戻った私に
母は“何も問題なんかない”と言い張り、
父と弟はだんまりを決め込んだ」
彼はひとりで、とある精神科クリニックを訪れ、
福祉とつながって生活保護を受給することとなった。
だが、彼の優秀さはここでも搾取される。
クリニックが運営しているNPO法人の
事務局長に任命され、
8年近くただ働きをさせられたというのだ。
ある日突然、事務局長を解任されたという。
今、彼はその顛末を記事に書いたり、
同様の被害者の話を聞き集めたりしている。
同時にひきこもりと老いを考える『ひ老会』も主宰、
仲間たちとともにこの先を考えていこうとしている。
「母には無限に聞きたいことがあります。
でも本当はひと言謝ってくれればそれでいい。
それさえ高望みでしょうけど。
恨みや憎しみがあまりに大きくて、
もう感情としては出てこないんですよ」
彼は妙に穏やかにそう言った。
あきらめが、うつになっている。
まだ憎しみもある。
「怒りや恨みって、結局、マイナスの愛着なんです」
と、このような感じなのだ。
この方にはそこそこ知性もあり、
客観的に自分を分析できてもいるが、
ひきこもりの誰もがこんなレベルではないだろう。
ここ一ヶ月あまり、エリートのからむ、
ひきこもりが要因の事件や、
事故などの話をよく聞くように思う。
その報道について
「いい」とか「悪い」とか、
「死にたいなら一人で死ね」とか
色々な意見も出ているが、
これくらい詳しく事情を聞けば、
少し同情の余地も出て来る。
そういえば僕の母親もキリスト教徒で、
キリスト教は正しいと信じて疑わない、
様々な言動に傷ついてきたようにも思う。
でもそんなことに負けているのだとしたら、
それは僕の責任でもあると思うのだ。