カナリヤ

 ごきげんよう、夜のGレコ研究会は見れたり見れなかったりするのでGレコ キャラクターデザインワークスを読んでジャマ・デリアの「空気の有無を判別する『カナリヤ』という設定」にビックリした者です。
 クンタラに見られるように「人間がニンゲンを利用して生き抜いてきた」のがリギルド・センチュリーだと思っているので最初は身分なのかも、と思ったけど表現のニュアンスを見ると、どうも職業として存在するようですね。嫌な仕事だ。

 さて、「カナリヤ」といえばノレドの台詞にこんなのがありました。「ただのカナリヤにはなりたくない」(17話 「アイーダの決断」)。
 放送時は初期から面倒を見ていたラライヤが自立し始めていたこともあり、「マスコットなんかゴメンだ」、「賑やかしで終われるか」というような意味だろうと受け取っていましたが「カナリヤ」という職業がある、というのを知った上で聞くとまた違うようにも聞こえてきます。
 ラライヤが自分のもとから離れつつあることへの寂しさもあったと思いますがメガファウナクルーをはじめ、様々な大人と触れ合うことで社会性が発達したノレドの中に「ただのカナリヤ=つまらない大人」になることと、要職に就くことのできないクンタラという出自ゆえかそれをどこかで甘受してしまっていた自分を否定したいという気持ちが芽生えたのではないでしょうか(ここでの「カナリヤ」は「ジット団は僕たちをクンタラにするって言ってるんです」((20話 「フレームのある宇宙」))での「クンタラ」と同様の使い方)。
 また、この回ではスコード教のご神体であるカシーバ・ミコシに対してノレドがフリとはいえパチンコを向けています。ベルリと同じく敬虔な信者であった彼女のこの変化もメガファウナに乗って、より広い世界を見たことによるものでしょう。
 ノレドは「可愛くて元気」に振舞っていますが、本能的に自衛のためのパチンコを携帯しているという設定があるようにクンタラであるということに無意識下では縛られています。そんな彼女の拠り所となるのが「宇宙のへその緒」であるキャピタル・タワー、及びスコード教だったのかもしれません。しかし、ベルリやアイーダたちとの旅を通じて精神的に成長したノレドはそれらから解放され、一人の人間として「大地に立つ」ことができたのです。
 「ただのカナリヤにはなりたくない」という台詞には、籠から飛び立とうとする少女の決意が込められていたのではないでしょうか。


#Gレコ #Gのレコンギスタ

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