ドラクエⅢの思い出を振り返る
お久しぶりです。4か月ぶりにnoteを書いたくらんです。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
急に寒くなってきて、秋を飛ばしていきなり冬って感じですね。でも、寒がっている場合ではありません。
もういくつ寝ると、HD-2Dリメイク版「ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ…」の発売日がやってきます。
トクベツな日です。国民の祝日にするべきではありませんか? 僕はそういう、強い思想を持っています。
「ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ…」が如何に凄まじい作品であったかについては、わざわざ語るまでもないと思います。
本作の発売日は平日ですが、大丈夫なのでしょうか。
テレビCMも始まっているらしいですが、もうテレビをじっくり見る機会も少なくなってしまったこともあり、まだ見ていません。
でも、それでいいのです。
本作の発売が発表された段階で買うことを決めているような人間がCMなんか見たって、ソワソワした気持ちが加速して、日常生活に支障が出てしまうだけですから。
今回は、そんな伝説級の作品であるドラクエⅢに関する僕の思い出話を書き連ね、短いようで果てなく長い、発売日までの時間を潰すことにしましょう。
Twitter(新X)でも何度かツイートしている気がするので、付き合いの長いフォロワーさんは既に聞いたことのある話かもしれません。
本記事にはドラクエシリーズ、特にドラクエⅧの重大なネタバレが含まれているため、未プレイの方は今すぐnoteを閉じて、スマホ版でもいいので買ってきてください。クリアするまで寝てはいけませんよ。
僕がドラクエⅢを初めてプレイしたのは、小学校4年生か5年生くらいの頃でした。しかし、大流行した当時に遊んだ世代ではありません。
強いて言うならば、僕はプレイステーション2のドラクエⅧ直撃世代です。
とは言っても、ドラクエⅧが初めてのドラクエだったわけでもありません。
人生初のドラクエ体験は、スーパーファミコン版のドラクエⅤでした。そして、ドラクエⅤが人生で初めてのゲーム体験でもありました。
子供時代の主人公やビアンカよりも幼かった僕は、ビクビクと怯えながらサンタローズの洞窟やレヌール城を慎重に探索していました。
ドレイとか結婚とか、当時ではうまく理解できなかったことも多く、クリアに至ることはできませんでしたが、レベルを上げたりモンスターを仲間にしたりカジノに入り浸ったり、とにかく夢中になって遊んでいました。
その後、結局ドラクエⅤをクリアしないまま、同じく家にあったドラクエⅥやドラクエⅦで遊び始めます。他にもトルネコの大冒険や桃太郎電鉄、エースコンバット、みんなのゴルフなど、様々なゲームを遊び散らかしていきました。
当時は“ゲームをクリアしてエンディングを見る”ということ自体、よくわかっていなかったのでしょう。
ですが、未就学児にとって、そんなことは問題ではありません。まったく先へ進もうとしないくせに、どんどんドラクエのことを好きになっていきました。
幼稚園で配られたお絵描き帳はスライムやドラキーで埋め尽くされ、どこに落ちていたのかもわからないコンクリートの破片を拾ってきては「ふしぎな石板があった!」と言って、友達ではなく、親や先生に見せびらかしていたようです。
当時、同世代の友達は仮面ライダーやポケモンに夢中で、ドラクエの話ができる友達はいませんでした。今思えば当然のことですが、ドラクエを知っている身近な人は、みんな大人でした。
そして、ドラクエ好きな大人たちはみんな揃って「ドラクエⅢ」という、父が持っていなかった未知のタイトルの話をしていました。
物語性を重視していたのか、父はロトシリーズにはあまり関心を示さなかったようで、家にロト作品が1本もなかったのです。
しばらく経って、Ⅴ主人公の子供たちと同年代になった頃のことです。
初めてドラクエ作品をクリアし、エンディングを見ることになります。プレイステーション2版のドラクエⅤでした。
スライムの透明感やブオーンのサイズ感、会心の一撃で魔物が吹っ飛んで転がっていった際の画面の奥行きに対し、大きな感動を覚えたのを未だによく覚えています。
そして、当時の自分に大きな感動を与えたものが、もうひとつありました。
ドラクエⅤリメイクと二枚組になっていた特典「ドラゴンクエストⅧ 空と海と大地と呪われし姫君」のプレミアム映像ディスクです。
まるでアニメのように綺麗なグラフィック。
本当に冒険しているかのような広いフィールド。
立体的なマップや360度回転できる視点などはドラクエⅦの時点でありましたが、まるで別物でした。かつてないワクワクがありました。
今でこそグラフィックの粗いゲームを揶揄する目的でネタにされがちではありますが、プレイステーション2が僕ら世代に与えた衝撃は凄まじいものがあったのです。
この素晴らしい出会いの後、同じゲームを定期的に何度も何度も遊び続けて、20年も経ってしまうとは思いませんでした。
時の流れとは残酷なものです。
ドラクエⅧ発売後、もちろんクリアするまで一気に遊びました。
道中、魔獣ドランゴに焼き殺されたり願いの丘が見つからなかったり、ドルマゲスが倒せなくて苦しんだりしましたが、何とかエンディングを見ることができました。
ちなみに、主人公と仲間たちの程良い距離感で築かれた関係性に想いを馳せたり、聖堂騎士団をはじめとしたⅧ世界における宗教組織の腐敗などについての考察を深めていったりするのは、もっと年齢を重ねてからになります。
さて、ドラクエⅧのエンディングでは、とある重大な事実が明かされます。
暗黒神ラプソーンを倒すため共に戦った、神鳥レティスの正体です。
レティスは自分が生まれた世界では、別の名前で呼ばれていたのだと語ります。
皆さんご存知の通り、神鳥レティスはラーミアだったのです。
歴代作品をクリア済みの方なら熱狂するところではありますが、クリア当時、僕はまだドラクエⅢを知りませんでした。
何しろまだ幼いもので、自らの意思でゲーム屋を巡って目的のゲームを探し出し、手に入れることなどできなかったのですから。
しかし、それから1年くらい経った頃、転機が訪れます。
我が小学校に転校生がやってきたのです。
クラスに新しい風が吹き荒れました。
彼は早くからインターネットに精通していて、当時全盛期へと向かいつつあったニコニコ動画の視聴者で、年の離れたキングダムハーツファンの姉がいる、雰囲気だけは真面目そうな少年でした。
彼は学校に馴染むと同時に、良くも悪くも多様な知識をクラスに広めていきます。インターネットで得た情報が多かったに違いありません。
そして、彼は常にDSとゲームボーイアドバンスをセットで持ち歩くほどのゲーム少年でもありました。
どうやらドラクエも好きらしいと知った僕は、あっという間に仲良くなり、互いの家を行き来するくらいの友達になりました。
初めて同世代のドラクエ友達ができた僕らは、当然ドラクエⅧについて熱く語り合います。そのうち、彼はあることを口にしました。
「ドラクエⅧとドラクエⅢの世界って繋がってるんだよね」
再びドラクエⅢというタイトルが、僕の眼前に現れました。ちなみに彼はⅢエアプです。
この時点で、僕のドラクエ歴はⅤ、Ⅵ、Ⅶ、Ⅷ、トルネコの大冒険(初代)、剣神でした。しかしスマホもない時代、ドラクエ作品が世にどれだけあるものなのか、それらをどうやったら手に入れることができるのか、そういった情報を得る手段を持たない僕にはわかりませんでした。パソコンの使い方も、この時点ではよくわかっていませんでした。
知らぬ間に剣神ドラゴンクエストをプレイするなど、ロトシリーズの外伝的作品に触れていたことにすら気づいていません。
それでもⅤの前にはⅣ、Ⅳの前にはⅢがあることくらいはわかります。
噂の中でしか聞かない「ドラクエⅢ」というタイトルへの憧れは、幼い僕の中で、徐々に大きくなっていきました。
一方その頃、世間ではポケットモンスターが大流行していました。
もちろん僕もポケモンは大好きでしたが、携帯ゲーム機を持っていませんでした。いわゆるアニメ勢というやつです。
テレビゲームには寛容なわりに携帯ゲーム機に対しては非常に厳しい目を向けていた親との長い交渉の末、ようやく手に入れたのは、ゲームボーイアドバンスSPでした。翌年にはDSを買ってもらうことにも成功するのですが、その話は詳しく書かなくても良いでしょう。
以後、先に紹介した転校生くんと一緒にゲームボーイアドバンスのソフトで遊ぶ機会が増えました。そうすると、自然とやりたいゲームが増えるものです。
そこで彼は、とある店に僕を連れて行ってくれました。改まっていうほど珍しい店ではありません。「ゲオ」です。
それまで中古ゲーム屋にはあまり馴染みがありませんでした。ゲームといえば、誕生日やクリスマスなどの特別な日に、家電量販店やデパートで買ってもらうものだと思っていたからです。
そういった店は新品の新作ゲームを定価で販売しているため、お年玉を貰った直後ならともかく、小学生の小遣い程度で太刀打ちできるはずがありません。
しかし、中古ゲーム屋はひと味違いました。
いい大人が言うとちょっとダサい感じはしますが、小遣いの少ない子供にとって、中古ゲーム屋はまさに宝の山だったのです。
(もちろんレトロゲーム好きとしては、大人から見ても宝の山です)
初めて訪れたゲオで、ロックマンや星のカービィ、伝説のスタフィーなど、様々なゲームに目移りしつつ、店内を探索していきます。
そのうち、棚の上に透明なショーケースが置かれていることに気が付きました。ショーケースの中には、どこか馴染みのある雰囲気の箱と、スーパーファミコン用のソフトが飾られています。
ケースの中を覗いた時、僕ははっとしました。
「ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ…」
突如、目の前に伝説のソフトが現れました。
思わず二度見してしまったのを、今でもよく覚えています。
しかも、大事に飾られているわりには、まったく手が出ないお値段ではありません。この機を逃すわけにはいきませんでした。
ゲームボーイアドバンスのソフトを買いに来たはずだったのに、気づけば僕は、スーパーファミコンのソフトを購入していました。
極端な高値が付いたプレミア品というわけでもないのに、どうしてショーケースの中に飾られていたのか、今でも不思議でたまりません。しかし、僕にとっては、一生忘れられない鮮烈な出会いとなりました。
家に帰り、すぐにスーパーファミコンを引っ張り出します。ついにドラクエⅢで遊べる日が来たのです。
初めてのドラクエⅢは、極度に肥大化していた僕の期待を一切裏切りませんでした。やりたかったドラクエが、そこにはありました。
もちろん後の作品に比べたら粗いところはありますが、ドラクエⅢの最大の魅力と言ってもいい自由度の高い育成システムに、僕は心を奪われました。
主人公は男。性格はみえっぱりだったか、くろうにんだったか……ここはあまり覚えていません。初期メンバーは男戦士、女魔法使い、女僧侶。
取扱説明書に書いてあるような面白みに欠ける構成でも、性格によって成長内容に差が出るのが、スーファミ版ドラクエⅢの優れた点ではないかと思います。
夢中になってプレイしているうちに、気づけばオーブが6つ集まっていました。僕は仲間と共に、レイアムランドのほこらへ向かいます。
祭壇にオーブをささげると、卵が光り、震え、破け、ついにラーミアが顔を出しました。ようやくレティス……いや、ラーミアと会えたのです。
僕にとっていちばんの思い入れがあるドラクエⅧと、大きな憧れを抱き続けてきたドラクエⅢが繋がった瞬間でした。
それから十数年の時が流れ、今に至ります。
近年、「ロトシリーズは神格化されすぎている」などと言われることがありますが、その原因のひとつとして、僕のような物心つく前からドラクエ作品を与えられてきた後発ユーザーが抱える、リアルタイムでドラクエの誕生に立ち会った世代への憧憬と嫉妬があるのかもしれません。
もしかして僕は、HD-2D版ドラクエⅢが楽しみというより「ドラクエⅢの発売」に立ち会えることに喜びを感じているのではないか?
実際、そういう部分もあるのかもしれません。
HD-2D版ドラクエⅢの発売日は、やはり僕にとって特別な日となりそうです。
僕はドラクエの新作を楽しみに待っている人のことが好きです。
単純に自分の好きなゲームだから、というわけではありません。
そもそも僕自身、ドラクエ作品をすべて均等に愛しているわけでもないです。ツイート内容を見ればわかりますが、めちゃくちゃ偏っています。
でも自分の人生を振り返ると、なぜかいつも大事なところにドラゴンクエストがありました。僕の人生におけるドラクエの思い出は、両親や兄弟、友達といった人との繋がりや、自分の世界が広がった瞬間と、なぜかいつも密接な関係にありました。
だから、ドラクエを好きな人の数だけ、僕は自分の人生を肯定されたような気持ちになるんですよね。これがいわゆる信者というやつです。
「20代も後半になって、いつまでゲームの話ばかりしているんだ。いい加減、大人になれ!」と誰かに言われても、いや、もう、全くもっておっしゃる通りですが、まあ、いいじゃないですか。
これは大人になったからこそわかることなのですが、大好きなものがあるっていうのは、とても素敵なことなんですよ。
ドラクエをずっと追っている熱心なファンも、久々にドラクエをやろう!という人も、ロトシリーズ直撃世代のベテラン勇者も、Ⅺから参戦した若き勇者も、Vtuberの実況から興味を持った人も、みんなでドラクエⅢの話をたくさんできるといいなあ。
そう願いながら、しっかりと体調を整えて、HD-2D版ドラクエⅢの発売日を待ちたいと思います。
それでは、おやすみなさい。