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初恋の先生に心がとらわれている話

どれだけ時代が移り変わっても先生を好きになってしまう生徒が絶えることはない。
先日Twitterで「先生垢」なるものを偶然目にした私の感想だ。
好きになって"しまう"という表現をしたのには私情が大いに絡んでいる。

その昔、先生を好きになったことがある。初恋だった。
長くなると思うが、今日はその話をしようと思う。


※今までの記事とはだいぶ毛色が異なります、オタク話ではありません
※この記事は成人と未成年との交際を助長するものではありません



先生は塾の講師だった。当時私は中学2年生。先生は30歳位と思っていたが後に24歳だったと発覚する。(スーツを着ている男性はみんな大人びて見える年頃、という事にさせて欲しい。決して老け顔ではなかった。と思う)

それまで担当だった先生が辞めることになり別の教室から異動してきたのが出会いだったが、初めて会った日の事はよく覚えていない。何となく怖そうだなと思った気はする。
その第一印象とは裏腹に、先生は楽しい人だった。私が受けていたのは8人程のクラス形式だったが、合間の雑談や生徒との絡み(言葉のじゃれ合い)はどれも面白かった。

かと言って単に優しいという訳ではなくて、いつまでも喋っていたり、集中していない時にはきちんと怒られた。やる時はやる、休む時は休む、のメリハリがしっかりしている良い先生だったように思う。

当時の私は数学が大の苦手で、中2の5月頃から先生(数学担当)に補講をしてもらうようになった。
クラス授業が始まる30分~1時間前に行って、別の授業をしている合間に数問見てもらう、という感じで。

この時間が楽しくて仕方なかった。前提として、いつもはクラス授業の先生と一対一で話せる。真面目に解説してもらってる時も、合間の雑談も一対一。
聴く音楽や好きな芸能人がどこか古かった私は「◯◯、ホントは俺と同世代だろ?サバ読んでる?」とイジられるのがテッパンだった。それが嬉しかった。

ある日、いつも通り補講をしていると少し早めに現れた同級生男子(一緒のクラス授業を受けてる)に「楽しそうじゃん。デート?」とからかわれた。
先生は「デートの邪魔すんなよ」と冗談で返した。
この一言で自覚した。
毎週決まった曜日、お気に入りの服を着て、メイクはせずとも髪の毛はしっかり整えて、塾に行く。

私にとってこの時間はまさに『デート』そのものだったのだ。

先生が好きだ、と思った。
「先生としての好き」から「恋愛感情としての好き」に変化したそれはものすごいスピードで膨れ上がっていった。


好きが加速しすぎた私は何と、その1ヶ月後に告白をする。
直接言えるほどの勇気はなく、メールで好きと伝えた。
(何故メアドを知っていたのかどうしても思い出せないのだけれど、きっとあれこれ使って聞き出したのだと思う。この頃の私は積極的というか、怖いもの知らずだった)

付き合いたい気持ちはあったけれど、それよりも「あなたの事が好きです」を伝えたい一心だった。どうせフラれるだろうと思っていた。

しかし、先生からの返事は予想と異なった。
かと言って「わかった、付き合おう」と言われた訳では無い。

「〇〇はどうしたいの?」と返ってきた。

要は、私が付き合いたいと言うなら付き合ってもいいという内容。

先生がどうしてこういう事を言ってきたのか、真意は分からない。
「お前の好きは“憧れ”なんだから頭を冷やせ」という意味だったのかもしれないし
「ワンチャン、手出してもいいかも」と言葉そのままに思っていたのかもしれない。

私は混乱した。
拒絶されると思っていた気持ちを受け入れられそうになって
「私は本当に先生が好きなんだろうか?」と考えるようになった。
先生の真意がもしも前者だったとすれば、思惑通りだった。

結局私はそれに対しての答えを濁したまま、メールのやり取りを続けて、クラス授業も補講も普通に受けていた。

(ここで先生がキッパリ拒絶せずメールを返し続けたのは大人として良くない事だと、今となっては私自身も思うが、そういう一般論には触れずに進めていく)


この頃学校は夏休み、塾は夏期講習でほぼ毎日授業があった。
休みの日に教室の掃除をするというから遊びに行ったりもした。
念のため断言しておくが、肉体関係の類は一切なかった。頭を撫でられてドキドキした記憶はあるからそういうお遊びetc…のようなものはあった、とだけ告白しておく。

家族旅行の間も先生の事ばかり考えてしまい、
「先生と付き合ったらこうして一緒に出かけられるんだな」と想像してみたりした。
「やっぱり好きだから付き合って欲しい」と言い出すタイミングを伺っていた。

そんな楽しい夏休みが終わった9月のある日。珍しく先生からメールが来た。
「もう、メールは返せない。詳しくは次の授業の時に話す」

私はまたしても混乱したが、返せないと言われた以上送らない方がいいんだろうと素直に受け取り、その日を待った。

件のメール後、初めて塾に行ったのは数学の日ではなかったが、授業前に先生から「今日の授業の合間に一人ずつ呼び出して軽い面談をするから」という説明があった。(先生は24歳にして塾長だった)

私が呼び出されたのは一番最後。軽く勉強の話をして、それどころじゃないと思うけど、という切り出し方でこう言われた。

「お母さん、全部知ってるんだよ」

母が、私の携帯をチェックしていたらしい。
先生とメールしていることも、内容も全て読まれてしまっていた。
怒った母は一人塾に来て「もう娘と関わらないで欲しい」と先生に話したらしい。

先生の話を聞きながら、色んな感情が溢れて大泣きした。

私のせいだった
私がちゃんとパスワードをかけていれば
私がちゃんとしていれば、バレなかったのに
ていうか、何で勝手にケータイ見てんの?
何で勝手に文句言いに来てるの?
私は本気で好きなのに、何で邪魔するの?

とんでもなく情緒不安定になって、涙が止まらなかった。結局その日は授業に戻れず、顔が腫れたまま帰ることになった。
皆5分程で終わった面談、いつまでも戻って来ない私はさぞおかしかったと思うが誰も理由を訊いてこない事がありがたかった。

いつも一緒に帰っていた近所に住む幼馴染も同じく、何も言うことなく、いつもと変わらず並んで自転車を漕いだ。
「そのうち理由を話すから、今日あった事はお母さんには言わないで」
家族ぐるみの付き合いがあった彼女には別れ際そんな不審なお願いをしたけれど、それすらも黙って受け入れてくれて本当にありがたかった。


数日後、私から声をかけて母と二人きりで話す時間を作った。
最初で最後の親子喧嘩となったこの日の事はあまり思い出したくはない。
母からは「塾を辞めろとは言わないから、先生と個人的にやりとりするのだけはやめて」と言われた。
あの塾があんたに合っているのは分かってるから、と。これで無理矢理辞めさせたら私が引きこもってしまうかもしれないと配慮の末だったのかもしれない。

しかし私は泣きながらひたすら「何で、どうして」と喚き散らす事しか出来なかった。そんな私を見て母も泣いていた。
「何でお母さんが泣くの?何言われたって私は本気で先生のこと好きだから」
そんな捨て台詞を吐いて、自分の部屋に逃げ込んで、枯れるまで泣き続けた。

この日以降、今日に至るまで母とはこの話をしていない。
今でも引きずっていると知ったらどんな風に思うのか、絶対に言わないが聞いてみたい気がするのもまた本音だ。

色んなショックが重なったこの時期の記憶が曖昧で経緯は覚えていないが、数ヶ月後に先生は塾を辞めた。
突然の退職に本人からも周りからも理由の説明は勿論なく「何で◯◯先生辞めちゃったのー?」という声が同級生からも他の生徒(小学生もいた)からもよく聞こえて来た。
そのたびに「私のせいなんだよ、ごめん」と心の中で唱えて泣きたくなった。


先生が塾を辞めて顔を合わせなくなって、私の恋愛感情は徐々に落ち着いていったように見えたが、ふとした瞬間に思い出してメールしてしまう、という事を繰り返していた。私が送れば必ず返事をしてくれたけれど、向こうからメールが来る事は一度もなかった。

無事第一志望の高校に入学でき、憧れだった高校生になってからもそれは続いた。
メールのやりとりだけが不定期にある、何とも不思議な関係になって気付けば4年が経っていた高校3年生の春、久しぶりに会う事になった。(これも経緯を覚えていないが間違いなく私が誘ったんだと思う)

場所は某水族館。緊張しすぎた私は1時間前には到着していた。
朝起きた瞬間から行きの電車に乗っている間まで何度も行きたくないと思い、
待っている間も、もう帰ってしまおうかと何度も考えた。
吐きそうなほどの緊張がこれだけ続いた経験は後にも先にもない。

渋滞に巻き込まれたらしく、待ち合わせ時間を少し過ぎて、先生が現れた。
会う直前、先生の顔が曖昧にしか思い出せない、どうしよう。と不安になっていた。何せ4年ぶりだ。
向こうを認識できなかったら、とも、私と分かってもらえなかったら、とも不安だった。
でも、先生は何も変わっていなかった。むしろ見慣れたスーツ姿でなく初めて見た私服姿になんか若いな、と思った。

久しぶりの再会、思い出話に花が咲いて・・・という事はなく、最初のうちはほぼ無言でひたすら見て回った。
そのうち、時折見てる魚の話をしたり、近況を話したり。本当に会話は少なかったけれど気まずいという感情はなく、居心地がいいなと思っていた。
これが憧れてた本物の『デート』なのかなと、そんな恥ずかしい事を考えたりもした。

数時間で一通り回り終え、車で私の最寄り駅まで送ってもらい(帰りの車で話している時間が一番楽しかった)まだ明るいうちに解散となった。
告白する事までは考えてなかったけれど、またこうしてどこか出かけられたらいいなと思っていた。


結論から言うと、この日以来先生とは会っていない。
大学受験が近づき、私なりにけじめをつけようとしたのだと思う。

最後にメールのやりとりをしたのは2011年3月11日、震災のあったあの日だった。しばらく連絡が取れなくて不安な気持ちになったのを覚えている(実はこっちのメールが送れてなかっただけだった。送り直してすぐに返信が来た時には安心して思わず泣いてしまった)
私の住む地域は甚大な被害に遭うことはなかったのだが、不安で眠りが浅かったこの時期に先生がくれた言葉に救われた。
「どうしてこの人はこんなにも私の事を理解しているんだろう、すごいな」なんて思っていた。

その年、大学に進学した私はもういい加減吹っ切らなければと、自らの意思で連絡先を消した。最後の最後まで自分勝手だった。
向こうから連絡がくれば返そうと甘い考えはあったけれど、やっぱり一度もメールは来なくて、
就活を機にメールアドレスを変えて、双方向で連絡をとる術を失った。


あれから10年。出会ってからは15年。
先生が今何をしているのか、どこにいるのか、元気にしているのか、何一つ分からない。

連絡先を消して以降、彼氏ができた事もあったが、あの時のように
「何をしてても考えてしまう」「常に会いたい」「四六時中一緒にいたい」
という感情になった事は、残念ながら一度もない。

あの感情が「恋」だとするならば、私は先生以外に「恋」をした事がないのかもしれない、とすら思ってしまうのだ。


『思い出』とは恐ろしいもので、色褪せることはないどころか、年々自分の中で美化されていく。
『初恋の思い出』なんてその筆頭だ。

だから私は、先生に会って確かめたいと思ってしまう。
会って、『思い出』は『思い出』なのだと自分に言い聞かせたい。『幻想』なのだと言い聞かせたい。

そうでなければ私はきっといつまでも、初恋の夢を見てしまう。


BGM:槇原敬之『PENGUIN』


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