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第1段 『lilbesh ramko 終末collection論 コロナ禍を漂うモラトリアム、君との決別』 

(lilbesh ramkoさんをPodcastとして取り上げる、と宣言してから一ヶ月が経過したのですが、あまりに長くなりすぎたため結局原稿だけを投稿することに…Podcastやれや!)

 オープニング

 はじまりましたー。箱男の無限回廊。
 この番組では30歳の私、箱男Aが気になったカルチャー・ビジネス・時事・日常の出来事などを話すポッドキャスト番組です。箱男は安部工房の小説「箱男」から来てるんですが、いつしか段ボール箱から抜け出せるよう頑張りたいと思います。ちなみに、最近公開された映画「箱男」は怖くてまだ見てません笑 石井岳龍監督の『箱男』どうなんでしょうね。

 さて、今回は第一回。この作品を取り上げたいと思います。


  lilbesh ramko『終末collection』

 2023年8月にリリースされたlilbesh ramkoさんのアルバムです。ジャンルとしてはハイパーポップ、デジコア的な特徴を踏まえつつ、破滅的なハードトラップ展開とメロディアスで切ない要素が混在した独自の世界観を築いています。
 RedBull RASENというYoutubeのサイファー企画でラップスタア誕生で活躍していたTOKYO新世界、VAVAなどが登場した回で僕はこの方を知りました。結構そういう人も多いんじゃないんでしょうか。
 このRedbull Rasenはサイファーなので、ラップを各々が披露するっていうのが形式になってるんですけど、lilbesh ramkoさんのパートの歌い出しで結構驚いたんですよね。めちゃくちゃしっかり歌い上げている。しかも歌い上げているって、紅桜さんのような演歌的なフロウじゃなくて、もっとメロディアスで声質としても中性的で歌っている内容も本当に若々しいというか、ピュアだなって感じたんですよね。そこからちゃんとラップもするんですけど、「私に翼は必要ない」とか「何者でもない私、今が幸せ。今だけが幸せ」って歌ってて。何者にもなれてない30歳にこの部分死ぬほど刺さりました。
 そこから音源を調べ始めて、今年発表された『徘徊collection』を聴きました。
 ハイパーポップのアーティストって色々な方がいると思うんですけど、個人的によく分かんないなーっていう印象が強かった。そんな中でこのアルバムはめっちゃ良いじゃん!ってなったんですよね。それがなぜなのか、自分の中でその時はうまく言語化できなかったんですけど、そのまま『終末collection』を聞いてそれもすごい良かった。『徘徊collection』はコラボしてるアーティストの影響もあると思うんですが、ロック的な疾走感を感じる曲が多くて、エモーショナルでめちゃくちゃ格好良いんですよね。それに対して前作の『終末colletion』は静的で、停滞感を感じる曲が多い。それでも所々美しいとしか言えない瞬間が、ノイズの裂け目からふっと立ち上がる。その感じが今まで聞いてきたハイパーポップのアーティストよりも切実さを感じたんですよね。泣き出したくなるような青臭い刹那的な感情がパッケージされていて、がっつりやられました。

 今日はこの『終末collection』を取り上げようと思うんですが、まずはじめにこのアルバム自体の流れを歌詞とともに追いつつ、考察していきたいと思います。

 『終末collection』の流れとその考察

 前提として、アルバムの曲自体がそれぞれ完全に分離した楽曲ではなく、1~3曲目:入眠と今はもういない君への回想、4~6曲目:君との夢の中・自我の葛藤、7~9曲目:覚醒後、君との決別、この3部構成になっていて、大きな一つの流れが存在していると仮定して考察を進めていきます。
 一曲目の『namique.』 この曲の歌詞では「僕らも大人になった放課後」「そのままで」というワードが繰り返されつつ、「暮れる前にまだ遊ぼう」と歌われています。
 ここで描かれるのは純粋性が未だ残っていて、成長を拒んでいるかのようなモラトリアム期の僕という姿が提示されています。「僕はずっと一人の放課後 探し続けた居場所を」というような一文が象徴的に示していて、そこから「ひらがな打ち込むキーボード 君と話したあの信号は」という部分で、「君と僕」との距離がデジタル空間を隔てて、今現在自分だけがメタファー的な放課後(過去)に取り残されているという点を留意しておきます。

 この三曲目の『pk (flash) Ω.』は二曲目の音の浮遊感が引き継がれた状態で歌われるのですが、最初に短い、恐らくは外にいる音が聞こえた後にライターの着火音が挿入され、音楽が始まり「少し眠たくなる 何もできなくなる 僕が生きる時間 君のきもちわかる」このフレーズの短い繰り返しになっていきます。ここでアルバムを通して描かれる「眠り」の要素が登場します。また、この曲ではボーカルの質感が先述した歌詞を歌いながらも、常に変性しつづける点が印象的です。ライターの音とも重ねて考えると何かしらのドラッグ(もしくはゲーム)、もしくは入眠により自我が揺らいでいき、その中で感情が爆発するための装置として捉えることもできると思います。そこからは音が断片的になって、散り散りになっていきます。引き裂かれていく自我の意識、もしくは世界としてこの部分は捉えることができるとも思います。
 四曲目の『dreampop.』ではまさしくタイトル通り、夢の世界にいる「君と僕」が描かれています。曲調自体もアルバムの中ではかなり穏やかで、「雲の隙間に浮かぶ 青空色に染まる 君と空を眺める 醒めない夢で空を飛ぶ」一曲目では別々の場所にいた「君と僕」がこの夢の中では同じ場所にいる。「夢から覚めないで 覚めないで このまんま このまんまで寝ていたいな」という夢の世界から覚めたくないというような、冒頭のモラトリアム=夢から抜け出したくない青年の姿がそこに描かれているのだと思いました。
 五曲目の『everything (everywhere) all at once』は映画タイトルの引用で、まさしく冒頭で歌われている「過去そして今 明日は昨日と今日」というようにすべての時制、選択によってあり得たかもしれない世界がマルチバース的世界観が繋がりつつ、それらを横断するかのような一人称視点の映画です。引用されたこの映画が一人称的な映画であり、楽曲としては君との関係性の中であり得たかもしれない選択と、それによってもたらされた風景が夢のパートで描かれていたという点が、本作と重なる部分だと思います。
 四曲目の『dreampop.』から一転して『everything (everywhere) all at once』はハードな曲調になり、音割れも激しくなっていきます。歌詞としても「I don’t give a fuck どうでもいい」というように破れかぶれな感情が剥き出しになっていて、暴力的なのに純粋性を感じる様や、音割れの中で刻まれていくリズムを通してlilbesh ramkoが影響を受けたと公言しているXXXTentacionの面影を強く感じさせます。そこから「最終列車乗り込まないで 回収しきれない伏線も 来週末なら会えるはず 不在通知あなたに宛てた」というような形で「僕と君」が改めてもう離れてしまっていることと、現実とは異なる可能性が描かれています。「何かありそうな明日を 描いて描いた 誰もわからないこと」「愛してたい だけなのに 狂ってく 狂ってく」選択によってあり得たかもしれない可能性と、分断してしまっていることへの苦しみ、自我の君への感情の葛藤が色濃く現れています。
 そんな破れかぶれな状態のまま六曲目の『i (dont) know.』に続いていきます。この部分では歌詞としては「わからないよ 何も 考えないで dancing all night long 寝過ごしてきた 君と二人 わからないこの感情の先を探している」と自分の感情の行方が分からない、知らないという開き直った状態で、微睡のなかにいるように思います。「少しだけ眠たいから まだ 絡まったまんま」という部分もその状態を補完していて、同時に「愛ってなんだっけ 思い出すと曖昧で」というようにそれまで思い続けていた「君」に対しての感情がもはや分断によって分からなくなってしまっている状態、そして今自分がどこにいるかも分からないし、この恋愛がもはやどの感情に行き着くのかが分からない。そんな不安定な状態であるのにも拘らず、楽曲としてもアルバム中最もダンサブルなナンバーなのが、開き直っている感をより強調していて、アイロニカルだなと感じます。
 そこから「もう知らない もう知らない」と繰り返され始めると、一つ前の曲のような激しい音割れを伴う怒りと悲しみが入り混じった展開へと変化していきます。
 七曲目の『ninja (kill) str34k』は個人的にこのアルバムの中で最も悲しく美しい瞬間が描かれていると感じました。「忍ぶ 影 行先は知らない」「動く風に揺られる僕ら」というように冒頭君と僕の二人がそこにいるのですが、その後「もうどうでもいいような気が 過ごす手の平動き揺らいだ」から「目を覚ましてよNinja 癒えない傷を数えた 悲しい言葉のせいだ 壊れた跡は明白」という取り返しのつかない瞬間がそこに描かれ、夢の終わりが示唆されています。 
「Kill you like a ninja」「目を覚ましてよ」というように歌われる歌詞は、わからなくなった感情の先に「君への感情を壊してしまった僕」という決定的な瞬間が、穏やかな夢もしくは悪夢に満ちた眠りの終わりに待ち受けていて、覚醒する場面になっているのではないかと思いました。ジャージークラブでお馴染みのベッドが軋む音が挿入されているという点もこの覚醒を強調しています。
 忍者というモチーフは自身の感情を殺す暗殺者という意味としても、ゲーム的なキャラクターの象徴としても意味がかかっていて、夢からの覚醒とキャラクターとしての覚醒、両面で描かれているうえに映画『Everything everywhere all at once』のカンフーアクション映画のキャラクターのオマージュのようにも捉えることができるのではないかと思います。自身の感情(君への愛情)を自分自身で殺しながら、暗殺者としての役割をまっとうする(キャラクターを演じる)。しかし、そこにはアイロニーが存在し、自分自身の感情自体も切り離そうとするありのままの僕自体も表象されているのではないか。それは僕が君との幸福な夢の中に居続けてはいけない、という決別への意思も同時に存在しているのではないだろうか、とも思いました。

 八曲目の『by (your) side.』では背景の音が少なくなり、「暗くなって 灯を消して 今はただ空気に酔って 思い出は寂しい 悲しみも受け止めて 笑ってたいよ あなたとなら もう一人じゃない」というように歌われていきます。ここでの「灯を消して」というフレーズは三曲目の冒頭で登場したライターの着火音と重ねながら今までの流れを踏まえて考えると、一曲目~三曲目の意識が微睡む前の思い出を回想するような視点に戻ってるのではないかと思いました。実際よく耳を澄まして聞いてみると、「灯を消して」の部分で「ふぅー」と息を吹きかける音が、0:31秒辺りでは「もう一人じゃない」と繰り返されながらライターの着火音が微かに聞こえるんですよね。「もう一人じゃない」のフレーズが繰り返された後「流した涙は乾いて 感じなくなるこの愛と全部 もう全部いらないよ あなたがいるからそれだけ もう何も残せなくたっていい 残せなくたっていい ただ君が好きなだけ」と歌われていきます。 
 一曲目で示した通り、現実の「僕と君」が同じ場所にいないのだとしたら、ライターが再び着火する音と併せて考えると君との思い出とともに生きることで「もう一人じゃない」と歌っているようにも、流した涙が乾いた後に憎しみ混じりだった愛情が純化して「ただ君が好きなだけ」という形で変化しているようにも聞こえました。
 最後の曲『the world ends (with) you.』になると「もう消えたいの 消えたいよ 泣きたいけど もう泣けないの 溶けてく街裸足歩いて 俺のことを知って欲しいの」「泣きたいの ただ泣きたいよ 今のまま全部を抱きしめて 離れるまで泣いていたいの」「泣いていたってまた朝が来て」と歌われていきます。
 この部分で重要だと考えるのは「街」という概念が登場すること、「今のまま全部を抱きしめて」という形で冒頭で囚われていた過去との決別が描かれていること、「朝」が訪れること、この三つです。
 「街」という概念は、君と過去への内省と眠りの中にいた私が外部へと抜け出していくこと、モラトリアムとの決別的な意味合いが含まれているように思えます。しかし、僕がいるのは「溶けていく街」なんですね。先ほどの「君との思い出とともに生きることを決意し、それが君との決定的な別れであると認めてしまうこと」の苦しみが基本的に語られているわけですが、これは外部の街の存在が君を終わらせてしまうことも同時に示しています。それがまさしくタイトルの『the world ends (with) you.』ということなのではないでしょうか。それはある意味で僕にとっての君との世界の終わりでもあり、泣きたいけど泣けない、心のフィルターでは泣きたがって歪んで見える「溶けていく街」として表現されているのだと考えました。泣きたいけど泣けないという状態は「涙」という形で感情を暴発させることの終わりがモラトリアムの終焉と重なっているのではないかと思いました。
 「朝」が訪れる早朝の時間というのは、一曲目の放課後の夕暮れの風景と重なります。しかし、意味合いは重なりながらも異なっていて、君との夢からの覚醒であり、僕は終わりゆく外部の世界へと歩みを進めていくのだろうと考えました。そして次の作品の『徘徊Collection』ではその街を彷徨う僕の姿に引き継がれて描かれていていきます。

 最後にこの考察を楽曲のタイトルの一部が()で括られているワードによって、相反する意味を同時に孕んでいることを指摘したいと思います。
 五曲目の『everything (everywhere) all at once』が括られているのは、「君」といる夢でなくても思い出とともにあればどの瞬間でも、どの場所であっても、歌詞の中に示された来週でなくても、思い出の中であなたに会える、という最後の決断を暗示しているのではないかと思いました。六曲目の『i (dont) know.』も「愛ってなんだっけ」という歌い出しから破れかぶれの感情のまま「もう知らない」「分からない」が繰り返されていきますが、「もうあなたとの時間が訪れることなく、この感情の先が何か、どんな決断を下さなくてはならないか」ということが、どこかで分かっているように思えます。つまり、分かっているけれど分かりたくない、という感情を示しているのだと思います。『by (your) side.』も空白でしかない僕の隣に、思い出として回想することで常に存在しつづけるあなたの存在を示唆していますし、『the world ends (with) you.』も君と迎える君との閉塞した世界の終わりと、外部の世界が君を終わらせるということを示しているのだろうと考えました。

 次回は少し視点を俯瞰しながら『コロナ禍を漂うモラトリアムとその決別』というテーマでこの作品を語ってみたいと思います。


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