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『国境ナイトクルージング』-観光客のまなざし

「アジアのまなざし」第2回

東浩紀は観光客を村人、旅人と対置し、良い意味で無責任なポジションにいる観光客を肯定的に位置づけた。ただし、本作における観光客はもう少し多面的である。

ハオファンは観光客として延吉にやって来て、ツアーガイドのナナとナナの友人であるシャオと数日間を過ごす。ハオファンは、外側から延吉を見に来た点で、また延吉を去ることが決まっている点で典型的な観光客である。一方、シャオは、典型的な村人である。

本作を複雑にしているのは、ナナがツアーガイドだという点である。彼女は、観光客の目線を作る役割を果たす。中国と朝鮮の文化が入り混じる場所で、分かりやすい「異国」感の演出に一役買い、飲食店や土産物屋に誘導する。

観光客の視線をもっていたハオファンは、ナナと交わることで、観光客としてのフィルターを一枚一枚剥がしていく。ただしそれは村人になることではない。観光客としての身軽さを維持しながら、異国や田舎として延吉を見るのをやめるのである。

逆にシャオは、少しずつ観光客としての目線を自分のものにしていく。四川から叔母のいる延吉に移って来たシャオは、延吉の住人として自身を位置づけていた。しかし、見慣れたはずの天池にハオファンと向かう時、目の前の厳しい冬山が、自分の足元を支えてくれているわけではないことを知る。池の氷を足で割って遊ぶことができたのは、氷が割れたとしても自分の足元は揺るがないと思っていたからである。観光客相手に適当な料理を振る舞うシャオ自身も観光客になっていく。

ナナはどうか。自分は観光客でもなく村人でもないと自覚している分だけ、三人の中で一番変化を受け入れるのに時間がかかっているように見える。本作は、そんな彼女に対して熊(女)という飛び道具を差し向ける。ヨモギとニンニクだけを食べて「女」になった熊はナナ自身であり、人間になるのを諦めた虎よりも幸せであるかという問いを突き付けられる。終盤では、フィギュアスケートへの思いが再燃することが示唆されるものの、彼女は自分が観光客でも村人でもないことを知っているが故に、延吉の氷の上からはみ出すことができないようにも思われる。

ハオファンが去る時まで、三人は観光を続ける。彼らは、村人であることにうんざりする一方(彼らは延吉や上海だけでなく中国の「村人」であることに絶望しているのかもしれない)帰ることを諦めた旅人にはなれない。観光客である彼らは、移動と消費を繰り返しながら、少しずつ異なる場所へ向かうしかないのである。

画像は公式HPより
映画『国境ナイトクルージング』公式サイト



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