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『シビル・ウォー アメリカ最後の日』 最後の日の翌日(第三批評 常森裕介)

「ハッピーエンドじゃなきゃヤダ!」第4回

本作で描かれるのは、内戦状態に陥ったアメリカである。本作のメッセージは明確であり、現在のような分断が続けば、本土が戦場になったことのないアメリカで、戦争(civil war)が生じる事態になるというものである。上記分断を引き起こした張本人として、現在アメリカ大統領選の共和党の候補として選挙戦を戦うドナルド・トランプ元大統領を想定するのは難しくないだろう。

また、本作の特徴として戦争に至るプロセス等を省略し、記者の視点で戦争や戦場となったアメリカを体感させることにより、現在の分断への危機意識を高めるという手法を指摘することができる。このような本作の手法が最も顕著に表れているのが、ジェシー・プレモンス演じる兵士が、主人公たちの仲間を虐殺する場面であろう。


 だがここで思い出すべきは、既にアメリカは”Civil War”(南北戦争)を経験しているということである。独立戦争を経て連邦制を確立したアメリカは、南北戦争により、再び分裂の危機に陥った。多くの映画(例えば『キャプテン・アメリカ』でもよい)が内戦を描くとき、分裂状態にあることの帰結として戦争が生じるという展開をなぞる。しかし、南北戦争は、戦争が生じたことにより(戦争の結果北軍が勝利したことにより)分裂状態が解消されたという側面ももつ。
 本作でも、連邦政府が制圧された後、州政府間で戦争が起こる可能性が示唆されるものの、映画としては勝敗がついて終わる。前述のように、本作は、現実のアメリカの分断を前提とし、その帰結として戦争やそれに伴う無法かつ残虐な行為が生じることを強調する。そして、片方(主人公たちが支持する側)が勝利することで幕引きを図る。


 だが、このようなcivil warの描き方は、アメリカ自身が経験したCivil Warの果実と反省を軽視するものである。


前述したジェシー・プレモンスの名演に戻ろう。彼は、各人の出身地を問い、アメリカ的でない者を射殺する悪魔的な人物として描かれる。だが、思い出すべきは、本作は内戦を描いた作品だということである。内戦では、互いが同じ国の理念を掲げ、統合を達成しようとする。すなわち、彼は武力を使ってアメリカを一つにしようとしているだけであり(彼がどちら側か、何者か不明であるとしても)、連邦政府が陥落していないあの時点において、彼を裁くための正義の基準は存在しないということである。政治的背景を捨象し、臨場感で戦争を描く本作の手法は、内戦における正義の不在という重要な点について、銃声やキャラ付けを使ってうやむやにする危険を孕んでいる。


戦場を体感させ戦争の恐ろしさを知らしめるという大義名分のもと、一方を悪魔的に描くのは戦争映画の常とう手段であり『プライベート・ライアン』、『シン・レッド・ライン』、『ハクソー・リッジ』等いくつもある。だが、そこでは侵略した側とされた側、先に手を出した方と自衛する方という正義の枠組みに守られていた(そのうえで敵、味方を隔てない「倫理」が描かれる)。だが、本作は内戦である。正義はいずれにもあり、いずれにもない。本作を見て快哉を叫ぶのであれば、それはトランプを暗殺しようとしたものを応援するのと変わらない。


ただし、本作が内戦であることを意識した場面もある。それは大統領が殺される最後の場面である。本作には「合衆国最後の日」という副題が付されている。一見するとありふれた(しかも原題にはない)副題であるものの、本作にはふさわしいように思える。なぜなら、本作は大統領を殺害する場面を極めて軽く描くことによって、虚構の「正義」が生じる瞬間をはっきりと示したからである。この最後の場面だけは、戦争が分断を終わらせる(統合をもたらす)という幻想を砕き、南北戦争が終わり、アメリカが一つになったと「思わされた」日に引き戻してた。我々は、架空の内戦を夢想する気楽な現実を生きているのではなく、実際にアメリカが戦場になったあの内戦の翌日にいるのだと。

画像は公式HPより
映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』|大ヒット上映中 (happinet-phantom.com)

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